DeSeanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

2016-06-13

ノルマ論

今年受け持ってる中国人院生さんの修論、テーマは「中国の大学における学生の就職サポートの現状と問題点」。

理論というよりは実地調査モノ。中国人学生はもちろん、大学のキャリア担当教職員、そして企業へのインタビューがメイン。なかなか面白いものになりそうです。

詳しい内容は論文の完成を待つとして、中国の大学の就職サポートの問題点はというと、突き詰めれば、「大学に課せられた学生の就職率のノルマ」が元凶、ということになりそうです。

これがあるから、大学はとにかく学生をどこかに就職させなければならない。ちょっと前に日本でも話題になった「被就職(就職させられる)」が、まさにこれです。大学側は、本当にいろいろな「脅し」を使って、ちょっとでも早く学生を就職させようとする。学生はじっくり企業を見極めて、なんて余裕はない。とにかく目の前の餌に食いつくしかない。それを見越して安く買い叩こうとする企業。この三者の息詰まる攻防が論文の核心になりそうです。ああ私も早く読みたい。


中国のノルマというと、悪い予感しかしません。古くは、農作物のノルマを課された方がそれを達成するために虚偽の数字を報告し、結果国全体が飢餓に苦しむ、ということもありました。また昨今も、各地方から上がってくるさまざまな数値が果たして実態を反映しているのか、というのもよくいわれることです。


ノルマというもの自体がよくないのだ、とは思いませんが(もしかしたらそうなのかもしれませんが)、とはいえ使い方によっては、完全な逆効果、ということにもなりかねない。

とくに、公的な機関・組織と、ノルマって、組み合わせ悪いんじゃないか、と思うです。そもそも公務員に、必要以上に頑張るインセンティブって、どう考えてもないんですよ。与えられた仕事をこなすだけ。それ以上は端的に持ち出し。公務員って、そもそもそういうものです。

それにノルマが課せられたら、「ノルマを数値的にクリアすること」だけに全精力を集中させることになる。それによって物事がよくなってるか悪くなってるかなど、どうでもいい。まさに数字だけを一人歩きさせるのです。


なのでノルマなどない方がいいのかそれでもあった方がまだマシなのか、この辺もわかりません。ちょっと調べようかと思ったら、「ノルマ論」的な研究書、出てないみたいですね。論文はあるだろうから、いろいろ探してみます。


なお、昨今の日本の大学にもいろんなノルマが降ってきていますが、正直、意味があるとは思えません。私が知る限りでも、その数値をクリアするためにどうやって○○しようかと、そればかり考えられているような気がしますが、はたして。

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2016-06-04

モノからコトへ

今読んでる本に、「モノからコトへの転換」というのが出てきました。

つまり、単純なモノはもう出尽くしていて、これからはモノにまつわる物語(=コト)を売る時代だと。

まあそうだよな、とは思います。が、一方で、我々の社会は、すでにさまざまな物語に飲み込まれているよなあとも。


もうなんでも物語です。何を買っても見ても、そこに過剰なほどの物語がもれなく付いてくる。「私が欲しいのは物語じゃない、単にモノが欲しいだけなんです」といってもダメ。鬱陶しいし面倒くさい。結果、モノからも遠ざかることになる。


今の教育も、まさに物語が蔓延しています。美しい物語が提示されないと、いい教育ではない、みたいに。それにまったく根拠がないとはいいませんが、しかし美しい物語であればいい教育ができる、というもんじゃないのは自明です。でも、実際には美しい物語だけがもてはやされる。


その教育物語を可視化したのがポンチ絵というやつで、これが教育物語の結晶と言えるものです。もはや大学はポンチ絵に飲み込まれようとしているのですが、それについてはまたいずれ。

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2016-06-03

メンバーシップ大学

日本の組織・企業はジョブ型ではなくメンバーシップ型だとはもううんざりするほどいわれていることですが。

それが「改善」されるどころか、ますます進んでいっていますよね。

自分のいる組織のことしか話せませんが、年々、日に日に、いろんな仕事が増えていっているのですよ。もう専門もへったくれもない。というか「専門を教える」ことからはどんどん遠ざかっている。

日本はこの道を突き進むのだ、とことんまでジェネラリスト作りを極めるのだ、という決意なら、まあ仕方ないと諦めます。が、そうなると、世界標準からはどんどん遠ざかりますよね。グローバル化とあれほど騒いでいながら、仕組みはどんどんガラパゴス化していくという不思議。


結局のところ、何をどう取り繕おうが、この国の人たちは、上から下まで、グローバル化が嫌で嫌で仕方がないんでしょうね。「いつでも来ていいよ」といいつつ「来ないで」オーラを出しつづけてるような。それならそれでもいいです。私も、グローバル化、しなくていいならしない方がいいんじゃないかと密かに思っていますので。

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2016-05-24

さよなら新しい講義

今日の授業、パワポが出なくて焦りました。

いつもdropboxを開いて見せているのですが、開けようとしたら「あなたのdropboxは古いバージョンなのでダウンロードが必要です」などと抜かしやがりました。さすがにダウンロードしてる時間はないので、研究室に戻って、デスクトップパソコンからUSBメモリに入れて、教室のパソコンに改めて落として、見せるという手間がかかりました。教室が研究室と同じ建物だったからまだよかったものの、10分は無駄にしました。

また、週末には放送大学の面接授業があったのですが、初日、DVDを見せようとしたら、音だけ流れて画面が映りません。

係りの方を呼んでいろいろ試したけどダメ。仕方なくパソコンで見せようとしたら今度はパソコンが新しすぎてプロジェクターへの出力ができないというハチャメチャぶり。なのでDVDは諦めてしゃべり倒しました。疲れた。

どうやらボタンを一つ押せばよかったらしく、次の日には解決しましたが。


こうしてみると、昔ながらのレジュメに黒板という授業が、一番しくじりがないのは、確かですね。パソコン系は、映らないという心配が、どうしてもある。

特に今のようにOSが頻繁にバージョンアップを繰り返してると、プロジェクターと合わないとか、しょっちゅう。


私もオールドスタイルに戻そうかな。でも一度パワポを使っちゃうと、板書なんか、面倒でできなくなっちゃったんですよね。

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2016-05-23

作家論の恐怖

次回の中国文学史、魯迅を取り上げます。

そのたびに思いますが、魯迅って、すごいんですよ。偉い。感心します。

で、今、とある日本の作家の作家論を読んでいるのですが、どうも今一つ。に感じる。

その論じ方が悪いというよりも、結局のところ、その作家自体が、まあ大したことのない人間なんですわ。

なので、あんまり感情移入できない。


そう考えると、作家論って、「作家を神格化する」ことで、初めて成り立つんじゃないかと。

「誰々は全身全霊を込めて、正義を訴えたのだ」みたいになって初めて、読む者の心に響く。

普通の人が普通の発言した、という作家論を読んでも、ふーん、べつに。で? で終わり。


これが、「その作家を取り上げる意味」にもつながるんでしょうかね。

昔は、「好きな作家をテーマにしろ」というのにむしろ反発を覚えていたのですが、最近、それがようやくわかってきました。


さて、好きな作家、誰にしようかな。

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