イタリアでも東奔西走の記
2012.8.31 その3 ミラノ

コルシア・デイ・セルヴィ書店がまだあると知ったとき、私は心底驚きました。なにしろ私にとってコルシア書店というのは、遠い国の遠い時間のおはなしのなかで、ひっそり輝く場所だったからです。

正確なことを言えば、須賀敦子が関わったコルシア書店はもうありません。1970年代初め、政治色を強めたコルシア書店が立ち退きを余儀なくされたあと、修道会が経営を引き継ぎ、同じ場所で「サン・カルロ書店」という宗教関連の本をあつかう書店をはじめたのです。ですから正しくは、往時の姿をとどめる別の書店がある、ということになるでしょうか。

サン・カルロ書店は、その名のとおりサン・カルロ教会の一角にあります。ドゥオモのすぐ近く、きらびやかなショップが立ち並ぶ通りにありながら、少し後ろに引くようにして建つ教会に、足を止めるひとはほとんどいません。

「LIBRERIA SAN CARLO」と書かれた看板の下のガラス戸からなかへ入ると、眼鏡をかけたおじさんがひとりで店番をしていました。ああ、ここが、とまた感動がわいてきましたが、書店のなかなのでドゥオモを見たときのように叫ぶわけにはいきません。

もとは教会の物置だったという店内は、三角形とも台形ともつかない形をしています。書棚の上には回廊がめぐらされていて、そこにも本が並べられていました。

ひととおり棚を眺めたあと、店番のおじさんにおそるおそる「ポッソ・フォトグラーレ?(写真を撮ってもいいですか?)」と勉強してきたイタリア語で訊いてみました。てっきり「Si(Yes)」か「No」という返答がもらえるものと思いきや

「〇※▲◎×□▽◆*●△!◇◎※▼……!」

怒涛のイタリア語が返ってきてしまいました。しかも長い。
そうです、イタリア語で質問することはできても、答えを理解することまではできないのでした。こんなことならはじめから英語で訊けばよかったと後悔しても、あとの祭りというものです。

でもおじさんはぺらぺらしゃべりながら、満面の笑みで部屋全体を指し示すような動作をしていたので、「もちろんさ!隅から隅までどこを撮ったってかまわないよ!」と言っていたのではないかと都合のよいように解釈をして、一か八か、試しに「グラッチェ(ありがとう)」と笑顔で言ってみました。するとおじさんはにこにこしながらレジへ戻って行ったので、おそらく解釈の方向性は正しかったのでしょう。ありがたく何枚か写真を撮らせてもらいました。

  


「夕方六時を過ぎるころから、一日の仕事を終えた人たちが、つぎつぎに書店にやってきた。作家、詩人、新聞記者、弁護士、大学や高校の教師、聖職者。そのなかには、カトリックの司祭も、フランコの圧政をのがれてミラノに亡命していたカタローニャの修道僧も、ワルド派のプロテスタント牧師も、ユダヤ教のラビもいた。そして、若者の群れがあった。(中略)書店のせまい入口の通路が、人をかきわけるようにしないと奥に行けないほど、混みあう日もあった。」
須賀敦子「銀の夜」『コルシア書店の仲間たち』)


そんな往時のにぎわいを思い浮かべながら、サン・カルロ書店をあとにしました。

  

ドゥオモに戻ると、順光になっていたので、もう一度パチリ。こうして写真を見返しているだけで、また叫びたくなってしまうほど美しいです。

ガッレリアを抜け、スカラ座とマンゾーニの家を外から眺め、スフォルツェスコ城を目指す途中で1番のトラムと再会。なんて絵になる街なんでしょう。トラムの速度にあわせてゆったり走る車たちもいとおしくなります。

あ、本屋さん発見!

そして正面に見えてきたスフォルツェスコ城は……、ん?なんだか様子がおかしいぞ。

その4につづく。(N)