ロボットとケダモノとニンゲン

先月22日にアップルストア銀座で行われた「ロボットとケダモノとニンゲン〜ホントに区別がわからない」と題したトークショーは、すんごい刺激的だった。
まずゲストの組み合わせからして成功していた。
ひとりは大阪大学大学院教授で知能ロボット学者の石黒浩氏。自身の紹介によると、石黒氏は自分そっくりの遠隔操作型のジェミノイドを制作し、大阪大学から他施設の研究室にあるジェミノイドを遠隔操作して授業を行っている、とのこと(それだと給料が生じないのが不満らしい)。トークショーの前半は石黒氏による最先端のロボット研究の紹介だったんだけど、知らず知らずのうちにSFの世界が日常に浸透してきていることに度肝を抜いた。
もうひとりは演出家・美術家の飴屋法水氏。飴屋氏は自分の精子を冷凍保存し、その精子を受精してくれる女性を応募するという、けっこう過激なパフォーマンスを行っているひとで、ちょっと前に突然ペットショップを始めた、とのこと。ペットショップではフクロウを人間と同じ要領で育てているらしく「なんだか得体の知れないひと」といった印象だ。
司会の平田オリザ氏は「この3人はほとんど接点がなく、唯一の接点は同世代であることだけです」と語っていたんだけど、彼らの話を聞いていくうちに3人の活動の根底には「ニンゲンとは何か?」という同様のテーマが見えてくる。

ロボットとニンゲンの境界、ケダモノとニンゲンの境界、ニンゲンとは何か?
「わたしはこれからの20年で人間の定義が大きく変わると思っています。そしてそれによって今まで人間を支えていたシステムも大きく変わることでしょう。資本主義社会、著作権、etc」。平田氏はこのトークショーで未来におけるニンゲンの定義を問う。
大阪大学でともに教鞭をとる石黒氏と平田氏は「ロボットによるニンゲンのための演劇」の制作を目論んでいるらしい。演出家の技術は観客にいかにリアリティーのある演劇を提供するかにあり、現段階の技術ではまだニンゲンの動作・外見には至らないロボットを、演出家の技術によってよりリアリティーを持たせることが可能であるという。「リアリティーは観客の脳みその半分で生まれるのであって、別に役者がニンゲンでなくてもリアリティーは生まれるはずです」
平田氏はさらに続ける。「わたしは別にロボットばかりの演劇を作ろうとしているわけではなくて、ロボットと俳優が共演する演劇を作ろうと思っています」。緊張もしなければ台詞も一切間違えることのないロボットを前にして「自分はなんなんだろう?」と俳優が自身のアイデンティティーを疑い、考えることが重要なのだという。それはまさに人間社会にロボットが現れたときの縮図となる。
ロボット学者の立場として石黒氏はいう。「演劇によって、市民に『ロボットとニンゲンの関わり』を見本として提示することができます」。つまり演劇は市民に「ニンゲンと何か?」という疑問を提示するきっかけとなる。
このトークショーを聞いてまず思ったことは、この3人の過激さだった。「どこまでがニンゲンであり、どこまでがニンゲンではないか」という究極的な疑問を頭で考えるだけではなく、それぞれの分野において実際に行動で示している。常人ならば「そこまでやらなくても……」とひいてしまう過激さがあるけど、彼らにとっては純粋な疑問であり、どこまでも真面目であるだけだ。そのせいか笑える箇所がけっこうあった。
トークショーの後半で飴屋氏は、石黒氏がバーチャルリアリティーではなく「ロボット」という物質世界に執着していることについて、「(進化に対して)積極的に後退といえるのではないか」と語った。そして「役者を使って表現する演劇もまた後退です」と付け足した。興味深かったのはこのことで、彼らは原始的なもの(後退=物質)を変わりゆく価値観の中にさらすことで原始的なものが持つ本質を追求している。つまり原始的なものをより見つめるためには保守的になるのではなく、つねに革新的であり続けなければならないのだ。
といったことを、一ヶ月経ってメモをたよりに考え直してみた。