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1997-07-30

『檻』北方謙三


和製ハードボイルドの黎明を告げる佳作


『檻』再読に値せず、と私は断ずるものだ。


 この本が出た時、私は二十歳(はたち)だった。あの頃の興奮・熱・余韻……。日本のハードボイルドの夜明けが遂に到来したかと息を飲んだまま、ペ−ジを繰る手ももどかしく、本能に衝き動かされるように読んだものだ。あれから15年。何が変わったのだろうか。


 格闘シーンは今読んでも鮮烈だ。短いセンテンスで畳み込む独特の描写は、早弾きチョッパー・ベースさながら肚に響く。それでいて詩的だ。暴力を通して男の性の原型をスケッチしたかのようだ。現代のスポーツではなく、古代の狩猟を思わせる匂いがある。男性であれば暴力とは無縁の人でも、確かにこうだ、と思うのではないか。


 しかし、である。しかし面白くないのだ。


 まず気がつくのは、人物造形が理想に傾くあまり現実離れせざるを得なくなっている。言うなれば出来過ぎなのだ。その結果、キャラクターの個性が勝ち過ぎて、物語性が極めて脆弱になってしまっている。その点において、演歌で歌われている女心と、トレンディー・ドラマでよく見受けられる二枚目俳優演じるところの一人暮しの生活と相通ずるものがある。結局、ありそうで絶対にないものだ。大体、女心は、もっと逞しく、太々しく、打算的なのが普通だ。演歌で歌い上げられているのは、男性諸氏が、女性にこうあって欲しいと望む願望に過ぎない。トレンディー・ドラマも同様で、一人暮しの男の部屋があんなに綺麗なはずがなかろう。所詮、つくりものの幻想に過ぎない。それはそれで構わないではないか、という向きもあるだろうが、『檻』に関しては、それが裏目に出てしまっているように思えてならない。


 更に致命的なのは、主人公の成長・変化といった劇的な要素が欠けているところだ。登場人物の殆どがカッコイイ。だが、それだけに過ぎない。私は最初から最後まで美しいマネキン人形を見せられているような気がした。例外は探偵の平川だけだ。


 課題図書の選者として私は大いに反省した。原りょう藤原伊織にしておくべきだった。もしくは逢坂剛志水辰夫に。どうせなら、北方の『逃れの街』にすべきだった。


『檻』は再読に値しない。だが、一読の価値はある。


檻

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