古本屋の覚え書き このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 古本屋の覚え書きを検索

2001-09-04

時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語/『始祖鳥記』飯嶋和一

 空への憧れ。それは地に束縛されるものにとって宿命なのかも知れない。無窮の彼方に向かって飛翔する夢。それは無限の可能性を示すものであり、翼のない動物にとっては文字通りの自由を意味する。


 物語は1785年、備前岡山から幕を開ける。


 国を挙げての大飢饉、天変地異。乾いた雑巾から一滴(ひとしずく)の水を搾り取るように課される年貢。貧しい庶民はバタバタと地に倒れ、再び目を覚ますことはなかった。この頃、岡山城下では深夜になると鵺(ぬえ/仮想の怪獣のこと)が飛び回るという噂があちこちで囁かれる。源三位頼政(げんざんみよりまさ)が射落とした怪鳥鵺と同じく「イツマデ、イツマデ」と鳴き声をあげては、藩の失政を嘲(あざわら)っているという。塗炭の苦しみに喘ぐ庶民は、自分達の声を代弁したものと受け止め、喝采を上げる。まことしやかな噂は諸国にまで駆け巡った。その鵺と目された人物が幸吉であった。


 幸吉が縄を受ける身となり引っ立てられたその時、見送る人々は手を叩き歓声を上げた。英雄扱いをする余り「あっぱれ、紙屋」などと叫ぶ者までいる。事ここに至って幸吉は自分の行動の意味を知った。幸吉、数えで二十九歳であった。


 幸吉は飛びたいから飛んだだけだった。しかし、尋常ならざる行為が、打ちひしがれる人々に都合のいい解釈を与える結果となった。逆から考えれば、それほどまでに人々が苦しめられていたともいえる。


 真っ黒な闇の中から、大きな動物が飛び立つ姿を見れば、誰しも不吉な想像をせずにはいられなかったのだろう。それをお上への批判と意味づけることも、さほど時間を要することもない。明日の我が身がどうなるかわからぬ人々にとって、幸吉の存在は一筋の光明に他ならなかった。


 幼少から凧揚げに異様な熱を上げた幸吉。凧を揚げるのはどこの子供でもやることだが、幸吉は骨組みにまで手を加え、様々な意匠を凝らして少しでも高く揚げることにこだわった。夕暮れが迫る中で幸吉の凧だけが残照を浴びて金色(こんじき)に輝いている。「……岡山からも、見えとるかなあ(p45)」。それは別れて暮らすようになった弟の弥作に見せようという兄の思いやりだった。


 後に幸吉は弥作の養子先に養われることとなる。兄弟の愛情を描いた場面はいずれも秀逸。弥作が幸吉に対して言う「ああやん」という言葉の響きには、胸が締めつけられるほどの郷愁が溢れている。


 自分が為したいことを誰に遠慮することもなく果たさんとした幸吉の生き方に多くの人間が心を動かされる。幼馴染みの源太郎もその一人だった。所払いとなった幸吉を故郷の地で向かえた源太郎がこう述懐する。


 気がつくとため息ばかりついてる。16年ぶりに聞いた幸の噂は、そんなおれの目を覚まさせた。おれはこんなところで、いったい何をやってるんだと、無性に己に腹が立ってきた。お前が空飛んで入牢させられた話は、おれが誰だったのかを思い出させた。


 お上によって身ぐるみ剥がされた幸吉は源太郎の船に乗る身となる。


 人が人を呼び、男が男を呼び寄せる。飯嶋作品の特徴は主人公と双璧を成す人物が登場し、二人の人生がうねりを上げて交錯するドラマを描くところにある。この作品では、地廻(じまわ)り塩問屋・巴屋の当代伊兵衛である。伊兵衛は飢饉のあまり無理心中したと思われる親子三人の亡き骸を見て自分を罵る。まだ幼い二人の娘は伊兵衛の娘と変わらぬ年頃だった。もはや手をこまねいている時ではないと立ち上がった伊兵衛は、良質の塩を廉価で人々の手に渡るよう、知恵を尽くす。


 物語はもう一本の大きな糸を紡ぎ出す。伊兵衛の戦いは周囲の塩問屋との戦いでもあり、お上との戦いでもあった。20代の伊兵衛は、二人の幼い亡き骸を思い出しては、何としても仇を討たんと粉骨砕身の働きをする。良質の塩が遠方の民から歓ばれ、あっという間に売れる。作れど作れども売れてしまう伊兵衛の塩。遂には塩が足りなくなってしまった。絶体絶命かと思われた時に、手を差し伸べたのは源太郎だった。


 伊兵衛と幸吉はすれ違うような出会いしか重ねてない。だが、伊兵衛が意を決して自分の事業で勝負を打って出たのは、悪政を指弾して空を飛んだ男の噂があったからだと述べた。


 黄金は掃き溜めにあっても輝きを失うことはない。船を下りた幸吉は駿河府中に身を置き、木綿を商うようになる。すでに不惑の年齢を過ぎていた。斗圭(時計)を直したことが縁で幸吉は町名主の仁右衛門と知遇を得る。異国語を解し、抜きん出た表具の技を持つ幸吉は、まるでレオナルド・ダ・ヴィンチさながらである。仁右衛門は幸吉に惹かれてゆく。仁右衛門から端午の節句に凧を作って欲しい旨が伝えられる。揚げ納めの際、各町から大凧が出されるのだ。幸吉が住む江川町はここ数年、凧を出してないという。


 幸吉は人々が度肝を抜かすような凧を、悠々と大空に舞わせた。このことが幸吉の胸に沈んでいた埋み火に風を吹き込ませた。人生で行き交う人々から、昔の自分の噂話を他人事のように聞いてきた男が、再び、大空へ引き戻された。


 己がなぜただの表具師ではいられなかったのか。あるいは、なぜただの木綿商人としてとどまれなかったのか。時の節目に、幸吉が自ら不可解に苦しむのは何よりそのことだった。(中略)

 暮し向きが定まれば、所帯を持つことを人は考える。子をもうけ、妻子を養うために日々を送って年老いてゆく。腕のいい表具師と言われ、他国木綿の移入で財をなした商才のある者と呼ばれ、あるいは運がいいと噂される。通常人が望むものが目の前にあっても、その時に幸吉がまず感じたものは耐えがたい腐臭だった。(中略)

 いずれ永遠が目をさませば、この生は即座にかき消える。その時がいつやって来るのか、全くわからない。だが、必ずそれは訪れる。何かに収まってしまうことは、それからの生をただ無駄に費やすことのようにしか思われない。流れがせき止められた水のように、そこには停滞した腐臭しか感じられなかった。若かった頃、なぜ表具師として別家を構えながらあの馬鹿げた凧乗りに打ち込んでいかざるをえなかったのか、五十路近くに至ってやって見えてきていた。(中略)

 飛ぶことは、すべてを支配している永遠の沈黙に抗(あらが)う、唯一の形にほかならなかった。


 生きてゆくことさえ自由にならない時代の中で、一人の男が迫害されても、社会的な抹殺の仕打ちにあっても尚、あきらめることなく自由を追い続けた。それは、いつ訪れるかわからない死との戦いであった。捨て身の覚悟があって、初めて生のエネルギーは完全燃焼する。幸吉にとって、それが飛ぶことだった。その信念の生き方に人々は希望を見出した。尾ひれがついた噂とはいえ、多くの人々に勇気を与えたのは、紛れもなく幸吉という男が発した人間性の光であった。離れ離れになった幼い弟を励ますつもりで揚げていた凧と、幸吉が飛翔する姿がオーバーラップする時、人の一念の不可思議な劇に感動を抑えることができない。

始祖鳥記 始祖鳥記

(※左が単行本、右が文庫本)

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証