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2009-05-07

男は再び走り出した/『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一

 ボクサーの再起を描いた傑作。飯嶋和一が書いた唯一の現代小説。私はなぜか読むのを躊躇してきた。心のどこかで期待が外れることを恐れていたのだろう。杞憂に過ぎなかった。それどころか、荒削りな筆致が猛々しい勢いで読み手の感情に爪を立てる。ボクシングには、男の孤独な魂が仮託されている。


 何がこれほど心を震わせるのか。主人公の新田駿一は順調にランキングを駆け上がっていた。ところが、いつしかアルコールに溺れるようになってしまった。新田は「修理工場」と呼ばれるリハビリ施設に送られる。奈落の底の近くで彼を引き止めたのは、生まれ故郷の島の記憶だった。


 白濁した意識の中で幼馴染みの記憶が蘇る――「彦兄(に)ィ!」。これだけで怒涛の感動が押し寄せる。『始祖鳥記』(小学館、2000年)で弥作が幸吉に対して言う「ああやん」(※兄ちゃんの意)という声と全く同じ響きだ。


 耳を弄するほどの都会の喧騒は、地方から上京した青年を孤独へと追いやった。彼は心を閉ざした。そしてアルコールにのめり込んだ。リハビリを終えた新田が、意を決して島へ帰る。自分という存在を形成した原点の地へ。そして、彦兄ィに会うために。


 人生の座標軸に回帰した新田は、再びリングを目指す――


 アダンの林が途切れ、白い道は松の防風林に入った。おれはとうとうそこで立ち止まった。しゃがみこんで、深いワークブーツの紐(ひも)を解き、最初から通した。足首をすっかり覆う一番上の穴まで靴紐を通し、きつく締めて足首を固定しようとしていた。もう歩くだけではどうにもならなかった。靴紐を結びながら、不意に耳元まで「戦いたい」という思いがこみあげ、紐を握った指が震えた。革ジャケットのファスナーも喉元まで上げた。歩は次第に早まり、奥歯に力がこもった。久しぶりに顔の筋肉がこわばっていく緊張を覚え、首の付け根のあたりから鳥肌が沸き立つのを感じた。おれの足が走り出そうとしていた。

「走るな」そう声にして自分へ言った。一度走り出してしまえば、どこへその道が通じているのかはわかりきっていた。ただつらいばかりで、報われることの少ないあの道へ、また戻るハメになる。古い血のシミが斑点(はんてん)の模様を創ったキャンバスと、逃げ場をさえぎるロープと、それ以外に何もない、ただ殺風景なあの場所へ戻ることになる。

 とうとう足は地面を蹴(け)りはじめた。すぐ息が上がった。水ぶくれのおれの体から汗が噴き出した。額から頬をつたってアゴの下へ汗がたまった。肺は水が詰まったように重かった。ただ走ることだけが、おれの唯一の避難所へ通じる道のようだった。激しく体を消耗させることだけが、この信じられないことだらけの、ひどい夢のような現在(いま)を消すたった一つの方法のようだった。走れば走るほど時間が逆に流れ、4年位昔の、会長も彦兄(に)ィも元気でいた頃へ、おれのなかの映画のスクリーンのようなピンとこない風景が、まだ生き生きとした輪郭や輝きを備えていた頃へ、突然戻ってくれるような気さえした。長すぎる黒い夢が覚めるとしたらこの道を行くしかないようだった。


【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)】


 嗚呼(ああ)――。私はこの箇所を読んで悟った。読者はいつだって、言葉にならない感動を求めて、ただ「嗚呼」と言いたがっていることを。打ちのめされるような思いで、私は何度も読み返した。


 飯嶋作品はいずれも、自立した魂のふれあいを描いている。それは、甘え、寄り掛かり、もたれ合うベタベタした関係ではない。人生という直線が交錯する時に放つ火花を見事に描き出している。独特のタッチを感じるのは、日本人にありがちなジメジメした湿気がないためだろう。


 失って減ってゆく何かがある。失ってもなくならない何かがある。目をつぶらないと見えないものがある。暗闇の中でも消えない光の記憶――飯嶋が紡ぎ出したのは、そういう世界だ。

汝ふたたび故郷へ帰れず リバイバル版 汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)

(※左が単行本、右が文庫本)

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