古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『コラテラル』

・監督:マイケル・マン
・脚本:スチュアート・ビーティー
・出演:トム・クルーズジェイミー・フォックス


 公式サイトの説明によればタイトルの意味は、「間違ったときに間違った場所に居合わせてしまった不運な犠牲者」とある。その点からいえば主役はジェイミー・フォックスと見るべきだろう。それにしても適切な邦題をつけることができなかったのは、配給会社の不手際といってよし。


 実に好い作品だった。先に悪口を書いておこう(笑)。音楽がうるさい。余計である。出だしのシーンでは効果的だったが途中から耳障りになる。もう一つはラストシーンがあっさりし過ぎているところ。


 最初の殺しは香港映画だったか韓国映画だったかのパクリだが、ストーリー上、必要な場面となっているのでこれに文句をつけては気の毒。


 物語は静かに静かに幕を開ける。タクシー運転手の決まりきった作業をアップで撮影することによって、プロフェッショナルであることを巧みに表現している。上空から俯瞰で撮られる映像とのコントラストが鮮やか。


 脚本が完璧。ニヤリとさせられ、クスリと笑わせ、ニンマリとさせる。まるでラブストーリーが始まるような温かみに溢れている。しかし絶妙な会話も、カメラのアップと俯瞰が示すように物語の伏線だ。


 殺し屋役のトム・クルーズは非常に理知的で説得力に満ちている。脚本は、計算高い殺し屋稼業の本質まで会話によって示している。タクシー運転手のジェイミー・フォックスが彼の影響を受け、同じ台詞(せりふ)を口にするシーンが笑える。


 途中からやや殺し過ぎのきらいはあるものの、アメリカ映画特有のデタラメさはなく、場面展開の整合性も十分とれている。


 トム・クルーズの言葉は、福本伸行作品を思わせる内容だ。自分を取り巻く厳しい現実を指摘された時、コラテラルコラテラルではなくなった。異なる世界に住む二人が偶然出会い、互いが背負ってきた過去と向き合い、双方に変化が生じる(コヨーテが道路を横切るシーンは、スタインベック著『怒りの葡萄』の亀の挿話に匹敵するほど効果的だ)。私好みのドラマだ。

ネタバレ・レビュー


 以下、ネタバレ――


 監督がインタビューで次のように語っている。

 ヴィンセントがマックスを殺さないのは、彼を必要としていたからなんだ。そして一緒に行動することになったマックスをなんとかコントロールしようと、いろいろやってみるんだ。でもマックスは全く聞いていない。そうするとヴィンセントはだんだんイライラしてくる。そしてマックスは時間が経つにつれて気づくんだ。「なんで俺を殺さないんだ」って。その疑問をマックスはヴィンセントにぶつける。この疑問の答えは、ぜひ観客の皆さんにも考えてもらいたいと思うね。そしてその答えというのはヴィンセントの最後のセリフに隠されているんだよ。ヴィンセントが、なぜマックスを必要としていたのか。その謎がこのセリフで解けるはずだ。


 つまり、「地下鉄の中で誰にも知られず、男が死んでいた」という台詞に隠されていたのは、「だが俺の死は、マックス、お前が見届けてくれた」という、殺し屋が最後の最後でやっと孤独から逃れることのできた友情のメッセージとなる。中々味な演出だ。