古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ウィリアム・パウンドストーン、エリアス・カネッティ


 1冊挫折、1冊読了。


パラドックス大全 世にも不思議な逆説パズルウィリアム・パウンドストーン/どうもこの著者が苦手だ。80ページで挫ける。私が求めている内容なんだが、アプローチの仕方に違和感を覚える。こなれた文章でありながら、しっくりこない。しばらく、この著者の作品は読むことがなさそう。


蝿の苦しみ 断想エリアス・カネッティノーベル文学賞受賞者とは露知らず。友岡雅弥著『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』で本書のパラグラフが紹介されていた。言葉が自由に跳躍し、名状し難いアフォリズムを形成している。飛翔ではない。なぜなら、カネッティの脚力が生んだ断想であるからだ。今日一日で読み終えた。何も考えることなく読んだ。

目撃された人々 23


 人当たりのよい男だった。(ただの八方美人だよ)


 年の頃は還暦を過ぎていた。(とっくの昔に死んでいたが)


 病気の妻を大切にしていた。(コミュニケーションはとってないが)


 常に微笑んでいた。(ニヤけた野郎だ)


 何でも正直に語った。(脚色された過去に過ぎない)


 それなりに立派な家に住んでいた。(金もないクセに)


 いつも自信に満ちていた。(中味は空っぽだ)


 おお、唾棄すべき人物よ、似非紳士よ、腐臭を放つ人よ。


 私はアンタの何もかもが嫌いだ。心の底から嫌悪する。

「冬が来た」/『高村光太郎詩集』

 奇しくも冬至の日に読んだ。私は道産子なのだが冬が嫌いだ。それは上京してからのことだ。東京には雪が積もらない。それだけで北海道の人々は、東京が南国だと思い込んでいる節がある。


 上京したのは21年前の2月14日だった。千歳空港は猛吹雪に覆われ、飛行機は予定時間を過ぎても飛べなかった。私はたった一人で、吹雪の向こう側に孤独を見据えた。東京に何かがあるとは考えていなかった。自分に見切りをつけた青年が、新天地を目指しただけのことだ。


 東京は雪がないにもかかわらず寒かった。頼る人もいない大都会が私を嘲笑していた。乾いた空気の中を塵芥(ちりあくた)が我が物顔で飛び交っていた。「お前なんぞの来るところではない」――東京は確かにそう言っていた。

冬が来た


 きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹(いてふ)の木も箒になつた


 きりきりともみ込むような冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た


 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ


 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た


【『高村光太郎詩集』高村光太郎岩波文庫、1981年)】


 高村光太郎の第一詩集『道程』に収められたもの。32歳の彫刻家は、冬の厳しさを愛し、鑿(のみ)を振るった。寒さには季節の意志がある。そして、厳寒に耐えた者のみが春の温かさを知るのだ。


 20年前の孤独な私が点景となって見える。この詩を読んだ途端、その姿はどんどんと小さくなった。孤独を愛するならば、冬を愛せ。冬は平等だ。冬こそ私の味方だ。