「功徳あふれる徳島に」

徳島講堂の完成を心からお祝い申し上げる。いま、私も○○○○○○○○○より御下付たまわった御本尊に、皆さま方のご多幸、ご長寿、無量の功徳、さらに広布が無限に開けていくよう深くご祈させていただいた。皆さま方のお力でできあがった講堂であり、“広布の我が家”と思い、自身の信心と幸せのためにぞんぶんに活用していただきたい。
長いあいだ、ごあいさつもできず、お世話になりっぱなしでたいへん申しわけなく思っている。きょうは訪問の約束をはたすことができてうれしい。これからも広布の発展のためにがんばっていく決意ですので、よろしくお願いしたい。


広布の途上には、非難、中傷の風波はある。しかし、しょせん信仰は御本尊と自分との強き関係の姿勢が根本であり正しいのである。この一点を決して忘れてはならない。きょうを徳島の新しい第二幕の開幕として、福々しく、大功徳の信心を貫いていただきたい。


御本尊は絶対である。無量無辺の功徳力があられる。あとは、各人の信心の強さ、深さによる。どうか勇気ある信心、毅然たる信心で、人生を飾っていただきたい。


日蓮大聖人の法は冥益である。潮がいつか満ちるように、春の訪れとともに桜の花も咲くように、しぜんと幸福へ、成へ、万代の繁栄へと進んでいけるものだ。目さきの現象にとらわれることなく、十年、二十年、さらに五十年の信心をめざしていただきたい。


悔いなき生涯を飾りゆく信心であっていただきたい。それには御本尊に祈りきっていく以外に方途はない。○○○○そして創価学会とともに歩む日々であれと申し上げたい。妙法につつまれた大功徳の人生で、徳島ここにありとの気概を示しきっていただきたい。

【徳島記講堂落成記勤行会 1981年(昭和56年)11月9日 徳島講堂】


まだまだ障の嵐の中、決然と一人立ち上がり池田先生四国指導に入られた。
K副会長は「このときはまだ四国に入られたことは内密であった」と言われていた。
自分には何の責任も無いはずなのに、先生は「お世話になりっぱなしでたいへん申しわけなく思っている」と……。
打ち込みながらキーが見えなくなった。

○に入るのは、撲滅を祈り倒している奴の名と集団名だ。
当時、奴は愛媛にいた。語り継がねばならない歴史だ。
この後、天は自己保身のために先生と学会を利用したのだ。
この一凶を断じて許してはならない。