「出会い」を巡る違和感と焦燥感

高校・大学と女子校の友達がいるのだけれど、最近はその友達と会うたびに「共学は出会いがあって良い/羨ましい」というような事を言われているように思う。
確かに男女別学と比べれば、実際に出会えるかどうかは別として、同じ場所に男女両方がいる共学の方が出会いの起こる確率は高いのだろうから、そう言われること自体は何もおかしくはない。
けれど、私はこの発言を聞くたびに、違和感をおぼえてしまう。

「出会い」というのは、確かに関係の形成において重要な「きっかけ」ではあるだろう。
「出会い」が多いということは、たくさんの「きっかけ」に恵まれているということだ。
とは言え、ここにあるのは「きっかけ」でしかない。
もちろん「恋愛感情なんてなくても付き合える」という意見もあるだろうから、全てに適応できるわけではないだろうけど、私自身は、この「出会い」から「恋愛関係」という場所へ至るまでには、「好きになること/好きになってもらうこと(「両想い」ということでは無く、最低でも片方が片方に恋愛感情を持っているということ)」という条件があるのではないかと思う。
だから、「出会い」が多いからといって、「恋人ができる」という事ではないんだよね、「出会い」は即「恋人」ではない。
「恋人が欲しい」(=恋人を求める)として、「出会い」を求めているところにこの違和感は起きてくるのだと思う。
「出会い」と「恋人」の混同とまではいかないけど、「出会えれば恋人ができる」というような印象を受けるんだよな……。

まあ、そうは言っても、「きっかけ」は必要なのだから、「出会い」が多いに越したことは無いのだろうけれど……。
でも、「出会い」については、共学と別学で所与の差は確かにあるのかもしれないけれど、それほどに「出会いたい」のならば、努力をすれば機会は増やしていけるのではないかと思う。
合コンとか、何か学生のイベントに参加するとか、それが嫌なら他大の友達に紹介してもらうとかして、ね。
何もしないで「出会いがない」ってのは、たぶん共学にせよ別学にせよある程度は当然の帰結と言えるんじゃないかと思う。
所与の差は「出会い」の可能性に関わることで、実際に出会えるかどうかは本人が出会おうとしているかという意志/行動に関わってくる、のかもしれない。

あともう一つ抱えている違和感は、「恋人を求めて出会う」ということで、これは恐らく、「出会い」に対するスタンスの違いだと思う。
私自身は「恋人が欲しい」から「出会い」を求めるというのではないな、と思う。
「恋人」を求めて、「恋人候補」を探して、「恋人」という関係性を常に想定して出会うってのは、あまり想像できない。
この間twitterで言われたように、「恋人が欲しい」という感情自体がそれほど強くないのかもしれない。
好きな人がいても、「彼氏にしたい」というよりは、「このままの関係でいたい」という方が私の感情には近い。
ただ、この若い盛りの時期には、現在あるいは過去に恋人の一人や二人いるってのが一般的なのかなーとか思うと、虚しくなるというのはある、それが「恋人欲しい」という方向にあまり向かないだけで。
思うに、私が「出会い」に求めているのは、「仲良くお話出来る人」なのかもしれない。
で、その中から「好きな人」が出てくることもある、という感じ。
「恋人」になるかならないかというのは別で、一緒に居て楽しい時間を過ごせるかどうかとか、刺激があるかとか、そういう部分の方が個人的には重要になっている気がする。
でももしかしたらこういった態度は、(今がそうなのかは知らないけど)恋愛至上主義的な社会ではあまりうまくいかないのかもしれない。
恋人じゃない関係で、ずっと仲良くしていくのは、やっぱり少し難しいだろうし。
なんだかんだ好きな人に恋人出来ると寂しいし…苦笑
好きな人に対しては、「恋人にしてやる」くらいの意気込みが無いと駄目なのかもしれない。
でも、やっぱり「恋人を求めて出会う」というのは、個人的にはよくわからない。
ガツガツするのが格好悪いとかそういうことではなく。
実際にはそうではないのだろうけど、「恋人を求めて出会う」ということは、相手を「恋人候補」として評価してしまうのかな、とか思うと切なくなる。
「出会い」が「恋人探しのきっかけ」とされてしまうのは何かが違う気がする。
「出会い」は「あらゆる関係を築くきっかけ」だと思いたいし、実際にはそうなんだろうけれどね。

あと、「出会い」と「恋愛」が結びつくことによって、なんとなく、そこに焦燥感を感じてしまう。
「恋人欲しい、つくらなきゃ」という感情が「出会い」に対する焦燥を生んでいるように思える。
「恋人がいない」状態からの早期脱却が求められているかのような、そんな焦燥感、余裕の無さ。

……結局何が言いたかったのかよくわからなくなってしまっているけれど、「出会い」に暗に付されてしまう「恋愛」という関係性が受け入れられないということ、かな。
こういうことをみんなが感じているかはわからないけど、私は友達とかと話していてそう感じる事が多いので……。
逆にそう感じるようにされてしまっているのかもしれないけど…。
あとこれはたぶん「男女(自己の恋愛対象となる性別と)の友情は成立するか」とかそういう問題とも通じるかもしれない。
「異性/恋愛対象となる性」がどうしてこうも特殊な位置に立たされてしまう事があるのだろうね……まあ恋愛対象だからなのだろうけど……。

またこういったことで、もう少しちゃんと書けそうなら書きましょう。
他にもいくつか書きたい事があるけれど、とりあえず今日はこの辺で。

テスト投稿

日々思った事をどこかに書いておきたいなーと思っていたところ、そういえばはてながあるじゃないかと思い当ったのではてなダイアリーを始めてみた。
思った事や考えた事を、そのままにしておくんじゃなくて、言葉にするってのも大事だと思うので、そういった事をするための場として使っていこうかと思います。
今まで通りtwitterに垂れ流すのでも良いかなとも思ったんだけど、あれは何だかんだ言っても短文メディアだし。
twitterはその時に思った事をだらだらと書く場、ここは思った事やらをまとめて書く場(ただし文章はきっと錯綜する苦笑)、て感じで。
更新頻度は恐らくすごく低いと思うけれど、つらつら書いていこうと思います。