おはようございます。

今、下関ですが今日から一泊二日で心華寺では毎月のM&Uスクールが開校されます、ありがとうございます。関東地方からの参加の方もあり大震災発生から二週間しか経っておらず落ち着かない中でのご参加頭が下がります。留守をしますが二日間宜しくお勉強ください。
「暦」。
文明を謳歌しているこの時代ですが、巨大地震を目の当たりにして少し思考行動を古の考え方の長所に目を向けることも大切なのかも知れません。
今のように水道が普及されていない時代は生活するために井戸から水をくみ上げなければいけませんでした。身近にある家庭は良しとしても遠いところまで汲みに行かなければいけない家もありました。いずれにしても日々水のありがたさを実感していたわけです、今の時代では考えられません、幼少時や修行時に教えられたことは洗面する前に「水にありがとうを言う」ことでした。
私たち人間が人として生きるために大切な事の一つ「自然から生み出される物に日々感謝する」。この素樸で当たり前の行為が開発するときの今後の「示唆と成る」のではと考えます。
私たちは毎日暦(こよみ)、カレンダーを見ます。暦という言い方や暦を見るということも少なくなったのではないでしょうか、暦はいわゆる「生活の運行の目安」を見るものです。昨今はカレンダーになって一日のスケジュールのためにだけの用となり、「自然観(季節感)が失われている」のではないでしょうか。
それが結局は生命への意識が薄くなってきたのではないかとも考えます。自分の大切な生命への意識の希薄さが人様や自然の大切さの意識の希薄さになっているようにも思えるのです。
暦には「季節がある」のです。二十四節気もあり、雑節も、これらは全て私たちの生命に関わることなのです。陰暦から生み出された二十四節気は太陽の位置とは無関係であったので、春夏秋冬の循環による暖・暑・涼・寒の往来のズレが生じたのです。これを補うために日付とは別に季節区分法が必要となり、一期を約十五日に、一年を二十四期に分けたのです。つまり太陽の黄道上の位置、黄経三百六十度(周天三百六十度のこと)を二十四等分した位置に、それぞれの節気を配置して、一年の気候の推移を知るようにしたのです。
雑節とは、一年間の季節の推移を把握するために、補助的な意味から特別な暦日が設けられたのです。これは主として生産生活や自然生活に照らし合わせてつくられたもので、とくに農事と深い関係を持っています。また雑節は古くから庶民の日々の生活の中に溶け込んで、民俗行事や年中行事として伝統的に用いられているのです。主なものに、節分、彼岸、八十八夜、入梅半夏生、土用、二百十日などがあります。
古人は大宇宙と共に人間の生命は存在している、生かされているという畏敬の念を以て日々の生活をしたのです。
その意識から自惚れや慢心を少なくもしていたのではないでしょうか、昔にもどれというのではなく、「自然と共に在る」ことを知らせるのも政治ではないかと言うことですし、大人の責任ではないかとも思うのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、「人間」人の間の学を学びましょう。今日は土曜日で大安で良い日ですのでゆっくりと学びましょう会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌