「履歴書としてのブログと日記としてのブログは完璧に別の場所でやる必要がある」補足

 前回のエントリ多数のブックマークありがとうございました。履歴書ブログという概念を提示できたのが自分としては一番よかったです。
 日本では本当に「ブログ=日記」という概念が幅を利かせすぎてて、ベクトルが自分の内面に向きすぎてるところがあると思います。僕がこの問題をひしと感じたのは就活中です。企業のESを書くときに、「自分の持ってるウェブサイトを記入してください」って欄があったんですが、そこに自分のブログのURLを載せるのをなんとなくためらっちゃったんです。こんな私生活のしょうもない事もごっちゃに書いてあるブログを載せて果たしていいものなのかと。そもそもこのブログは梅田氏の例の書籍の影響で「知的生産のブログ始めたい!」と思ってはじめたブログなので、なんとなくその理想と現実のギャップに呆気にとられてしまったんです。それがきっかけです。

 ブログはもう終わったのかの中でも、ブログが日記としか扱われてなくって面白くないよねっていう話が書かれています。

もともと、日記は自分のために書いていた文化です。誰かに見せることなく、ひっそりと自分でその日のことを日記に綴っていたわけです。何度も読み返される日記もあれば、一度も読み返さることのない日記も存在しています。たとえ一度も読み返さなくても、大事なページがどこにあるかは自分でわかっているような、読み返すことより「書く」こと、つまりアウトプットすることが一番大事だからと日記を書いている人たちもいます。

日記を主に考えれば、日本版ブログが「読んでもつまらない」理由がわかります。「他人に読ませること」よりも「自分が書くこと」に重点を置いている人が増えれば増えるほど、「つまらない」ブログは増えます。自分のために書いていた日記がWebに移行し、ブログとなって「誰かに読まれる可能性」が増えただけだからです。

 
 
 ブログブームはこの先終わると思いますが*1、ブログは別に終わってはいないと思います。なんせツールだから。ツールである以上は使い方もいろいろあっていいですしそっちの方が面白いに決まっている。
 ただ、引用部分の主張は同感です。みんな日記としてしかブログを見ていない気がして、もったいないと思うんですね。ブログはメディアです。メディアである以上は読ませることにベクトルをおいたブログがもっとあってもいいと思うんですわ。id:citron_908さんのブックマークコメントに

芸能人ブログでそれをやられると面白くも何とも無くなるよな、というか、使い分けしないでもやっていけるのってホント芸能人くらいじゃないか(逆にそれが出来る人は実質的に芸能人みたいなもんだ)

という言葉がありますが同感で、相当変わった私生活を送ってる人や著名な人、芸能人でない限り、私生活を綴った日記ブログはメディアになりえない。
 でも日記ブログを書きたい気持ちもわかる。日々の思いをどこかに綴ってあわよくば共感を得たい気持ちはすっごいわかります。
 それならメディアとしてのブログと日記としてのブログは分けちゃおうね、というのが前回の話の趣旨でした。一部で誤解を招いてしまったようなのでお詫びして申し上げますが、何も、自分の思いを隠して他人のフリしてブログを書けと言っているわけではありません。「ブログはメディアにもなるんだ!」という思いを込めたちょっと強硬的な言葉として、あるいは自分自身の状況も手伝って「履歴書ブログ」という言葉を前回使いました。メディアブログの延長線上に、履歴書ブログがあると思ってください。メディアブログレベルでいいやーって人はそれでもいいし、ストイックに履歴書ブログをやるのもありかもしれません。繰り返しになりますがブログはツールですので使い方は自由です。各人が好きなように、そしてもっと自由にブログを利用・活用する世界を望んでやみません。

*1:というよりもっとコモディティ化する