アクセスコストを下げた後にくるものは何か―その時自分を差別化できる力とは「ないもの」を見つける力

アクセスコストを下げる方向にずっと働いていた人間の欲望は,距離と情報探索の面でネットが飛躍的にそのコストを下げた後は,「理解コスト」の低下に向くのではないだろうかと。ふと,大英博物館ルーブル美術館に行ったときに考えた。

Googleの登場で,ネット上の情報は飛躍的に秩序付けられた。しかし,無限に拡大するネット上の情報空間の中で,一つ一つの情報の相対的価値は低下する一方だ。そこで,技術の進歩の方向は,今までネット上で検索されえなかった情報を情報空間に蓄積することと,情報の探索コストを下げることの2点に集約されるだろう。

はてなとグーグルの違い−情報と知識の違いから
でも述べたが,より多くの情報が検索可能になり,その探索コストも低く抑えられると,次の欲望,つまり情報の解釈コストを下げることが求められるだろう。その際のキーワードは「文脈」ではないか。その情報に関連する情報や,情報の真偽がネット上でどのように議論されているか,という「文脈」まで含めて,情報を体系化して知識化するサービスが登場するだろう。

さて,有用な情報の選別,知識化から提案までをネットがやってくれるようになると,個人の能力の差別化要因は何になるのだろうか。
1.INPUT,OUTPUTの能力の高さ
2.どこまで知識をつければよいのかを定義する力
の重要性は相変わらず高いだろうが,個人間の差異は小さくなるだろう。(梅田望夫さんの言葉を借りれば,その部分には学習の高速道路が引かれてしまうだろう)

知識化するサービスが補えない力というのは,梅田さんのおっしゃる
3.自分の限られた人生の中で時間のポートフォリオを組む力
に加えて
4.全体を定義して「あるもの」から「ないもの」を発見する力
5.発見した問題を切り分け,解くために人を巻き込む力
であると思う。

この4.について養老孟司さんはNBオンラインの記事で以下のように述べられている。


私からすると、現代人は未来を見据えて歩いているつもりでいて、実は後ろ向きに「情報」という名の過去ばかりを見ながら歩いているように見えてなりません。
「バカの壁」はあなた自身です


また,茂木 健一郎さんも,NBオンラインの記事で以下のように述べられている。


人間の脳は、何かが「ある」時にその「ある」ものに着目することはできるが、「欠けていること」に思いを至らせるのは意外と難しい。


あるものについて,「なぜそうなっているのか」を考えるときは,仮説を持って「情報」を収集することが有効だが,無いものについて「なぜそうなっていないのか」を考えるときは,仮説を持って「情報」を収集するだけでは不十分だ。

ないもの = 全体 − あるもの 

だとすると,全体を定義する必要がある。定義の仕方には,2種類ある。理想やニーズから「何をしたいか」と考える方法と,技術のシーズから「何ができるか」と考える方法だ。話はそれるが,この考え方は,研究の本質だろう。

また,問題解決をする時には,問題を認識して作り出す段階と,問題を切り分ける段階のどちらにおいても,「あるもの」から「ないもの」を想像し,定義することが必要だ。例えば,バブルの時に株価が上がり続けているとする。その状態が「異常」だと気付くためには,「上がり続けている」という状況から,このまま上がりつづけるはずがない,と気付く必要がある。また,なぜバブルが生じているのか,と分析するときは,株価を売買している投資家,投資家に影響を与えるもの(実体経済金融商品の動向など)の範囲を決めてから調査しなければならない。

改めて書いてみると,当たり前のような気がするが…。当たり前のことに改めて気付いた(今まではクリアーではなかった)ということで書き記しておきたい。