関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

「そろばんのまち」の民俗誌−島根県奥出雲町の「雲州そろばん」をめぐって−

「そろばんのまち」の民俗誌−島根県奥出雲町の「雲州そろばん」をめぐって−
 原 修也

【要旨】

 本研究は、島根県仁多郡奥出雲町横田をフィールドに、雲州そろばんについての実地調査を行うことで、まちとそろばんの関係や、なぜ横田でそろばんが産地化したのか、そろばんをめぐる人びとの仕事と暮らし、そろばん行商とはいかなるものであったかを明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

1.奥出雲町横田でそろばんづくりが根付いた要因として以下の5つが挙げられる。
 1つ目は、良質な刃物が生産できた点である。そろばんづくりにおいて、頑丈な刃物をそろえることが重要となる。たたら製鉄が盛んであった横田では、日本刀の材料として使われる玉鋼が産出され、それを用いてそろばんづくりのための良質な道具が生産されていたのである。
 2つ目は、積雪量の多い地域である点。積雪が多かったため、冬場仕事のない大工がお金を稼ぐためにそろばんを製造し、それが広まっていった。
 3つ目は、行商人によって雲州そろばんの知名度が上がり需要が高まった点である。明治に入り、差海商人と呼ばれる行商人がそろばんをもって全国に売り歩いたことで、雲州そろばんは全国各地へ広まっていった。
 4つ目は、たたら製鉄に代わる新たな産業としてそろばんづくりをしたところ、全国的にそろばんの需要が高まる時期と一致した点である。
 5つ目は、横田の人びとの人間性がそろばんづくりに適していた点である。横田の人びとは忍耐強く、こつこつと粘り強く仕事に取り組むという人が多くいる傾向がある。これは数多くの工程を手作業で行うそろばん製造に適していた。
 これらが合わさり、そろばん産業が横田に根付いたことが明らかとなった。

2.雲州そろばんの生産量、売り上げ、利益のピークはそれぞれ異なっている。生産量は昭和52年ごろ、売り上げは昭和57年ごろ、利益は昭和30年代である。そろばん従事者もピーク時は約1000人おり、生産量は120万丁であった。また、現在の生産量は約6万丁であり、ピーク時の20分の1まで落ち込んでいる。

3.昭和57年ごろを境にそろばんの生産量は低下していった。その要因として、以下の3つが挙げられる。
 1つ目は電卓の登場した点である。これが最も大きな要因であるが、かつて、そろばんの需要が高かったのは銀行であり、多くの業務でそろばんを使用していた。そもそも銀行に就職するためにはそろばんをある程度使いこなすことが必須であったのである。それが、電卓の登場によりそろばんから電卓への移行が進んでいき、需要が低下していった。
 2つ目は学校でそろばんの備品化が進んだ点である。備品化が進んだことによって、子供たちがそろばんを購入する必要がなくなり、需要が低下した。
 3つ目は生徒数が減少した点である。昭和46〜49年の第2次ベビーブームを境に人口は減少しており、自然とそろばんの需要が減少していった。

4.そろばんの生産量は近年、増えつつある。なぜならば、そろばんの効用について注目されるようになったからである。そろばん教育によって、観察力や集中力、情報処理能力などの向上が期待されおり、特に都心部を中心に需要が高まっている。

5.そろばん会社経営者とそろばん職人の間には暮らしの違いが大きくあった。経営者は家電や自動車等いち早く取り入れており、非常に裕福な暮らしを送っていた。また、議員になり権力を握るものが多くおり、業界関係者がまちを動かすという時代があった。一方、そろばん職人は朝から晩まで働き、なんとか暮らせるレベルの生活であった。会社経営者が夜中まで酒を飲んでいる一方で、職人たちは夜中遅くまで、競うようにそろばん製造に勤しんでいた。

6.昭和40年代の行商は車を利用し、長期間そろばんを売り歩くというものであった。特に北海道ではそろばんの需要が高く、高価なそろばんが農協等で大量に売れた。その後時代が経つにつれ、行商の頻度や日数も少なくなり、ただ売り歩くという形から新規開拓を中心に行う行商へと変化していった。

7.行商宿は安い旅館が一般的であった。行商宿では薬売りや牡丹売りなど、行商人が数多くおり、当時は行商人通しでの交流もあった。

8.そろばん生産と行商が盛んで、まち全体として活気に満ちていた横田は、山間地の小さなまちであるにもかかわらず、飲食店や理髪店が数多く並ぶ、発展したまちであった。


【目次】
序章 ―――――――――――――――――――――――――――――1
 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2
 第2節 奥出雲町横田‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2
第1章 雲州そろばん――――――――――――――――――――――5
 第1節 雲州そろばん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6
 第2節 盛衰と現状‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10
第2章 そろばんをめぐる人びと―――――――――――――――――14
 第1節 松浦正敏氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥15
  (1)玉算堂入社‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥15
  (2)飲食店開業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥16
  (3)代表就任から現在まで‥‥‥‥‥‥17
 第2節 岩佐俊秀氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
  (1)建設会社入社‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
  (2)そろばん業界へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
 (3)社長就任から現在まで‥‥‥‥‥‥21
 第3節 内田文雄氏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥27
  (1)そろばん会社入社後、職人の道へ‥27
  (2)独立から現在まで‥‥‥‥‥‥‥‥27
第3章 そろばん行商――――――――――――――――――――――31
 第1節 行商のはじまり‥‥‥‥‥‥‥‥‥32
 第2節 松浦正敏氏の行商‥‥‥‥‥‥‥‥34
 第3章 岩佐俊秀氏の行商‥‥‥‥‥‥‥‥35
結語――――――――――――――――――――――――――――――37
文献一覧――――――――――――――――――――――――――――40


【本文写真から】

写真1 玉算堂の外観

写真2 松浦正敏氏の作業中の様子

写真3 玉算堂でつくられた完成間近の雲州そろばん

写真4 そろばんと工芸の館の外観

写真5 伝統工芸士 内田文雄氏の作業中の様子

写真6 手づくりのそろばん道具 中には弟子入りしてからずっと使っているものもある


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。
 お忙しいなか、雲州そろばんについての長時間のインタビューに何度も快く応じてくださり、資料を貸してくださった、松浦正敏氏と岩佐俊秀氏。作業の合間をぬって、雲州そろばんの職人についてお話を聞かせてくださった、内田文雄氏。これらの方々のご協力なしには、本論文は完成にいたらなかった。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。