渡辺審也:画「狐と鴉」(『修養全集』第4巻、大日本雄弁会講談社、昭和4年)
うぬぼれの強いカラスが、狐におだてられ、「カア」と、美しい声を披露する。すると、くわえていたチーズは、ぽとりと落ちて、狐にとられてしまう、という話。カラスがチーズをくわえているというのがテーマなのに、そこんとこの表現が不十分なので、挿絵としてはいい絵とはいえない。木の上のカラスが狐を見下ろしていたほうが、テーマをより適確に表現できたような気がします。ま、絵はうまいが、やっつけ仕事ですね。私がアートディレクターでしたら、描き直しです。
奥田玲子:画「からすのしっぱい」(『新おはなし文庫 イソップどうわ一年生』偕成社、2001年)は、同じ話の同じ場面だが、こちらのほうが、状況説明はうまくいっていて、BETTERです。
奥田玲子:画「からすのしっぱい」(『新おはなし文庫 イソップどうわ一年生』偕成社、2001年)
三芳悌吉:画、巖谷栄二編「案山子太郎鳴子之助」(『小波童話名作集』、主婦の友社、昭和17年)
ブログでは分かりにくいですが、カラスの目が鋭く悪党のカラスの顔をしている。稲穂を守ろうとする案山子&鳴子、それに挑戦する雀&カラスの豊作の田んぼで繰り広げられるタックマッチの話だ。この絵はプロローグの部分の絵だが、肝心の案山子太郎も鳴子之助も武士に変身してカラスや雀と戦うクライマックスシーンの絵がない。視覚化出来なかったのだろうか? 1枚だけ絵をつけるとしたら、やはりクライマックスシーンを描くべきではないだろうか。これは2点入れたほうが良いので、編集の失敗ともいえる。表現としては、案山子と鳴子をカラスたちがからかっている様子が実に生き生きと描かれていてうまいが、狙い所が外れた、失敗作といえる。
水島爾保布:画「石地蔵」(『現代漫画大観5』中央美術社、昭和3年)
道を聞いても教えてくれないなら、あんたの帽子が風に飛ばされたのも教えてあげないという、「近目の男」と地蔵さんの問答だが、やっぱり、カラスは飛び立ったところを描くべきではないだろうか。帽子が風邪に飛ばされた話なのだから。戦前の頃は、いい加減な仕事でも、結構まかり通っていたようだ。