トリガー直接知財 信用醸成 その6

信用醸成の手順 その2


・事前に時間やコストを支払う
取引には、取引の成否に関らず支払わなければならないコストがある。
商談をするための時間、交通費、電話代。商談が進むと商品のサンプルを要求したり、そのサンプルの評価をするための手間が必要だ。これらのコストは商品の価格に含まれて請求されるだろうし、買主側も買主が負担したコスト以上の消費者余剰を期待する。つい誤解しがちだが、どんな取引でも表面に現れる商品と代金だけが取引されるわけではない。その裏側にあまりはっきりとしないもろもろのものが付随するものである*1
しかし取引が成立しなければ、売主買主双方がこのコストの回収を行うことはできない。回収できなかったコストは間接費用としてプールされ、別の部門で成功した取引の利益を圧迫することになる。
この事前コストを削ることができたなら。どの企業も同じ事を考える。事前コストなしに取引が成立したならば、その分だけその取引から得られる利益は増える。たとえ取引が成立しなかったとしてもドブに捨てるコストは最小限ですむ。だが、そうはならなかった。
事前コストを削ることは取引の内容を事前にチェックする機能を縮小するということだ。チェックが足りないために、買主は意に沿わない商品をつかまされ、売主は値段しかアピールポイントがないために低い価格をつけざるを得ない。結局、事前コストをかけていたときよりも利益が減少してしまう。安物買いの銭失いというやつだ。
 情報取引の場合はこの事前コストの必要性がさらに高まる。情報財は物質財のように定質性がないため、通り一遍の方法では財の効用を事前に測定できないからだ。発信者のほうも、受信者がその情報にどれだけの価値を見出しているかがわからないために、受信者が情報を気に入らずに取引無効を訴えたとしても反論する余地がない。
もっともこの事前コストこそが信用醸成そのものだ。信用醸成の方法を述べているところで「信用醸成コストをかけることが信用醸成の賢いやり方です」と言うのはトートロジーである。だが、単純にコストをかけることが信用醸成のための一つの技なのだ。
本来ならば他の経費と同じように、事前コストも効率的にかけられるべきだ。同じように相手や商品の内容を見定めることができるならば、より低いコストと時間のほうが優れている。しかし信用醸成の目的においては、事前コストの質よりも量が効果を発揮する。極端な話、出費したという事実がありさえすればどんなに無駄なことに使ってもかまわないのだ。
先述したが、取引が成立しなければ事前コストは直接費用として回収できない。つまり、コストがかかればかかるほどその取引は成立させなければならない。もしも取引相手が多大な事前コストを負担していることを知ったならば、その取引相手が真剣に取引成立を望んでいることを推測できる。逆も同じだ。自分が多大な事前コストを負担していることを取引相手が知れば、自分の本気度合いも信じてもらえるだろう。
これは数日前に書いたドーキンス博士のメスの戦略に酷似している。メスがオスをじらすことは一見無駄な行為なのだが、そうやって互いに時間を浪費することで互いに信じあうことができる。浪費した時間の内容については大きな問題ではないのだ。


・分割して取引を行う
かと言ってまるきり無駄なコストを浪費することは非効率である。浪費しなければならないコストの量が決まっているとしても、その質を向上させることはより強固な信用醸成につながる。
その質の向上方法のひとつが取引の分割である。事前コストの負担の目的は、取引される財の効用を事前にチェックすることと、対価の支払い意図の確認である。分割して情報を受信することで、受信者は情報の効用を事前にある程度推測できる。分割して対価を受け取ることで発信者は情報の対価のとりっぱぐれをある程度防ぐことができる。
よくある話だが、前金で半額を渡してから情報を受け取り、情報の内容を確認したら残りの半金を支払うという方法はこの取引分割の典型である。残りの半金が契約どおりに支払われるかどうかは神のみぞ知るといったところだが*2、少なくとも発信者は受信者を半分程度は信用できるし、受信者も情報がガセネタだったときの被害を半分に抑えることができる。文字通り五分五分の関係だ。


・今後の取引というえさを用意する
しかしもっと信用のできる相手と取引したいと考えるのが人情である。その方法の一つが裏切りに対するペナルティーを用意するというムチなのだが、それに対して今後の取引の可能性というのはアメである。
一般的に言ってムチよりもアメのほうが効率がいい。ムチを発動させるにはコストがかかるし、そのコストがかかったムチも空振りする場合がある。しかしアメは発動した場合には利益になるし、アメを見せつけるだけで発動させないということだってできるし、その場合にはコストはほとんどかからない。
まず最初の前提となることが、情報取引は裏切った場合には大きな利益になるが、裏切らなかった場合にも十分な利益になるということだ。今後の取引で、今回裏切らなかったことで逃した利益を十分以上に回収できるのならば、裏切らないことが最適戦略になる。相手にとって信用戦略が最適戦略になることを知ることができれば、それは相手を取引相手として信用できるということだ。
ただしこの場合でも、最初の事前コストだけは負担しなければならない。相手の能力が低ければ最初の取引ですら成立させられない可能性があるからだ。もしかしたら相手が見せている取引の継続というアメは空手形かもしれない。しかし二回三回と取引が成立したならば、次の取引のための事前コストは相当に小さくすることができる。そして事前コストを小さくできることがさらなるアメになる。同じ収入になる取引ならばかかるコストが小さいほうが利益が大きくなることは自明の理だ。


・他人の評判を利用する
たとえ発信者と受信者の双方が取引は今回限りだと思っていても、継続取引という与信手段は利用できる。それはその取引相手と過去に取引をした主体、そしてこれから取引をするだろう主体を利用することだ。
過去の取引実績から、その主体が取引相手として十分な能力を有していることを知ることができる。これからの取引相手の存在はその取引相手が裏切りをすることを防止するためのアメになる。
特に後者の条件は重要である。もしも今回、この取引において重大な裏切りを行った場合、その裏切りの事実を知っている主体からは取引相手として不適格であると思われてしまうだろう。
もちろんこの信用情報そのものの信頼性は疑わなければならない。情報財はそれぞれ個別のものだから、裏切った裏切らなかったという現象はその個別の条件に照らし合わせて判断しなければならないし、その信用情報が今回の取引にそのまま適用できるわけではない。
個別性以外にも信用情報は信用できない理由が多い。Aさんが裏切ったと喧伝しているBさんが、Bさんの裏切りを糊塗するために主張しているだけかもしれない。Aさんが巧妙に裏切ったことにBさんが気づかずに、Aさんが信用できると言っているだけかもしれない。そして過去はどうあれ、現行の取引においてAさんが心変わりして今までとは正反対の戦略を採ることも十分にありうることだ。
結局のところ、過去の信用情報はそのままに典型的なトリガー直接知財であり、そのトリガー直接知財を信用するかどうかにも新たに信用醸成を行わなければならない。ここまで来るともはや堂々巡りになってしまうわけだが、信用醸成が出来上がっている相手から今回の取引相手の信用情報を手に入れることができれば、この情報は非常に役に立ち、コストも低いものになるだろう。
また取引相手が自分を信用してくれている主体との取引を今後行うつもりがあるのならば、その自分を裏切ることは彼の信用情報を大きく傷つけることを十分に合理的に推測できることだろう。それはつまり彼を信用できる理由になる。
これはブランドそのものだ。相手を裏切らないからブランドの価値は高まり、ブランドの価値が高ければそれを傷つけるような真似はしないだろうと相手が信用してくれる。
さらにこの与信手段を推し進めていくと、ムラ社会や系列取引に行き着く。ムラ社会では誰かを裏切ったりしようものなら今後の生活は成り立たない。系列会社との取引実績が十分にあるのならば、新たにコストのかかる信用醸成を省くことができる。

*1:こういった付随費用の管理がうまくできていない会社は、売上高は伸びているのに利益が減少する事態に陥りやすい。米系企業は伝統的にこの部分の管理が得意で、その能力でもって現在の世界の経済社会を制覇している。

*2:昔、フリーで仕事をしていたときに韓国の会社に残りの半金をばっくれられたことがある。国内の取引相手なら相手の所に乗り込んでいって回収することもできたが、言葉の壁と渡航費用が被害額と釣り合わないためにあきらめざるを得なかった。もともとそのように信用できない条件がある相手だったからこそ前金で半分をもらっていたのだし、向こうからしても外国のフリーランサーなどはちゃんと仕事をするかどうか信用ならんと思っていただろうから、割に合わない話ではなかったと思う。経費は全額向こうもちだったから前金だけで十分に利益が出ていたし。