恩師のお別れの作法


ブログ「鹿児島の思い出」に書いたように、社員旅行から自宅に帰ってきました。
疲れ切って書斎に入ると、机の上に1枚の葉書が置かれていました。
見ると、大学のゼミの恩師であった孫田良平先生からの葉書でした。


孫田先生から葉書が届きました



ブログ「恩師の訃報」に書いたように、8日の夜、孫田先生の訃報に接しました。東京に出張中だったのですが、自宅に訃報の葉書が届き、妻がメールで教えてくれたのです。その夜は孫田先生との思い出に浸りながら1人で酒を飲みました。東京から鹿児島に入り、鹿児島からバスで小倉に戻り、ようやく帰宅して訃報の葉書を手にしたのですが、大変驚きました。
なぜなら、孫田先生が直筆でご自身の死去を報告されていたからです。



わたしは孫田先生と長年にわたって文通させていただきましたが、まさに孫田先生その人の字で、先生愛用の万年筆の青いインクで次のように書かれていました。
「孫田良平は去る2015年8月24日を以て現世を去りましたこと、挨拶ともども失礼ながら御知らせ致します。これまで交誼を賜りました各位、別して仕事を通じて教専・示唆・切磋の機を与えられました師友、先輩、後輩の各位にはよい生涯を下さったと感謝のほかなく、厚く御礼申し上げます。去るに際し告別式も廃した非礼をお詫びし、皆様の多幸を祈ります。
有難うございました。     孫田良平」



葉書の裏面には喪主である息子さんが次のように書いておられます。
「父の遺言に従い、生前直筆でしたためた死亡通知をコピーして送付いたします。
95歳にて老衰という、あっぱれな最期でございました。葬儀は親族のみにて8月28日に相済ませました。なお、御香典、御供物、御訪問は固く辞退させていただきます。御理解の程よろしくお願い申し上げます。ここに生前の御厚誼を深謝し、衷心より御礼申し上げます」



わたしは、しばらく呆然とこの葉書を眺めていました。
このような「お別れの作法」に接したのは生まれて初めてです。
息子さんの「あっぱれな最期でございました」という言葉が心に沁みました。
「あっぱれ」の語源は「あはれ」です。まさにお見事な最期だったと思いますが、わたしの心は悲しいです。やはり、最後は先生ときちんとお別れしたかったです。先生の「去るに際し告別式も廃した非礼をお詫びし」という文字を読み返すと、涙が出てきました。



じつは9日に孫田先生の件で問い合わせの電話が会社にありました。
その方は、ある官庁の人事課参事官の方でした。孫田先生に大変お世話になった方とのことでした。先生が亡くなられたことをわたしのブログで知り、「ぜひ、奥様の連絡先を教えていただきたい」と言われるのです。その方の心中を思うと教えて差し上げたかったのですが、じつは葉書の最後に書かれた連絡先の横に(電話連絡も御遠慮くださいませ)と書かれていましたので、お教えすることができませんでした。とても悲しかったです。



それにしても、自らの死亡通知を書かれた孫田先生には心底感服いたしました。
いま、「終活」がブームのようになっています。しかし、わたしは「終活」の「終」という字に違和感を抱いています。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。正直に言って、わたしも「終末」という言葉は好きではありません。そこで、「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しています。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。



よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」であるという見方ができます。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活だからです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があるわけです。かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを知っていました。これは一種の覚悟です。いま、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思えてなりません。



そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。
孫田先生の死亡通知の日付の部分は空白で後から数字が記入されるようになっており、先生がいつ頃この葉書を書かれたのかは知りません。しかし、先生こそは自らの「人生を修める」覚悟を持たれた方でした。亡き恩師からの葉書は、わたしにとって見事なアートです。
わが恩師・孫田良平先生のすごさ、素晴らしさを知っていただきたく、また、「世の中にはこういうお別れの作法もあるのだ」ということも知っていただきたくて、あえてお葉書を紹介させていただきました。孫田先生の御冥福を心よりお祈りいたします。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年9月12日 佐久間庸和