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一条真也の新ハートフル・ブログ

2017-02-23

ウソをつくと自分が苦しくなる  

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ほとつウソをつくと、そのウソを守るために、
もうひとつウソをつかなければならなくなる。
そしてまた、そのウソを守るために、
別のウソをつくことになる。
何気なくついたひとつのウソが、
永遠に続く苦しみのはじまりとなる。
(『声字実相義』)




一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
2015年は、高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーでした。
高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われました。この記念として、わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。



空海は「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年2月23日 一条真也

2017-02-22

『外国人レスラー最強列伝』

外国人レスラー最強列伝 (文春新書)


一条真也です。
『外国人レスラー最強列伝』門馬忠雄著(文春新書)を読みました。
著者は昭和13年福島県出身で、元東京スポーツ新聞社の記者です。
ブログ『新日本プロレス12人の怪人』ブログ『全日本プロレス超人伝説』で紹介した本の続編です。前2冊が文春新書から刊行されたのには驚きましたが、まさか続編が出るとは! これで三部作が完結だそうです。

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本書の帯



帯には、ルー・テーズ、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリックという3人の往年の人気プロレスラーの写真が使われ、それぞれ「力道山を『大レスラー』と認めたテーズ」、「馬場が恐れたボボ・ブラジルの頭突き」、「エリックの“鉄の爪”日本初の犠牲者は?」と書かれ、さらには「秘話満載!」「現場一筋50年、プロレス名物記者の集大成!」とあります。

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本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「プロローグ」
第1章 ルー・テーズ レスリングの“求道者”
第2章 カール・ゴッチ 武士道を理解した“神様”
第3章 フレッド・ブラッシー ヒールを究めた“噛みつき魔”
第4章 ボボ・ブラジル 馬場も恐れた“ココバット”
第5章 フリッツ・フォン・エリック 呪われた“鉄の爪”
第6章 ディック・ザ・ブルーザー 桁外れの“アウトロー”
第7章 ジン・キニスキー 恐ろしくタフな“荒法師”
第8章 ブルーノ・サンマルチノ 鋼鉄の肉体をもつ“人間発電所”
第9章 ディック・マードック 日本を愛した“狂犬”
第10章 ウィレム・ルスカ 喧嘩無敵の“柔道王”
第11章 ビル・ロビンソン 技で魅せた“人間風車”
第12章 ジプシー・ジョー 人間離れした“放浪の殺し屋”
第13章 大木金太郎 頭突き5万発を放った“元祖韓流スター”
「エピローグ」
「主要参考文献」



本書はブログ『1984年のUWF』ブログ『昭和プロレス迷宮入り事件の真相』で紹介した本のように、プロレスのタブーに斬り込む内容ではありません。では、昔ながらの牧歌的なプロレス本かというと、そうでもないのです。リアルファイトとかフェイクとか、そういった問題を超えて、プロレスラーたちの人間性というものを描き出しています。
たとえば、「プロローグ」には以下の感動的な一文があります。
「2015年(平成27)年は、敗戦70年という節目の年だった。ということは被爆70年である。そう聞いて頭をよぎったのは、巡業旅における外国人レスラー一行の赤裸々な姿であった。68年春の日本プロレス「第10回ワールド・リーグ戦」に参加した面々と一緒に、広島平和記念公園原爆資料館を見物したときのことだ。
原子爆弾の脅威、惨状を伝える写真を前にした瞬間、あのお喋りの“噛みつき魔”フレッド・ブラッシーが、固まったまま身動きしなかった。“密林王”といわれたターザン・タイラーは涙をポロポロ流し、嗚咽がとまらないであいる。いままで恐る恐る接してきた彼らが、急に身近に感じられた。リングの暴れっぷりからは想像のつかない、オフのひとコマである」




第1章「ルー・テーズ レスリングの“求道者”」の冒頭を、著者は「最高の人格者」として、「不滅の王者、“鉄人”ルー・テーズは、人格的にも世界最高のプロレスラーであった。この最大限の賛辞に、異論を唱える人はいないと思う」と書き出し、続けて以下のように述べています。
「テーズとよく比較される同世代のカール・ゴッチも確かに強かったが、テーズはレスリングの求道者、日本流においえば宮本武蔵だ。テーズこそが『プロレスの神様』だった、というのが、半世紀にわたって取材現場で格闘技を見続けてきた私の結論である」




本書はトリビア的な秘話が満載なのですが、特に「額を叩いた一般人」という話が面白かったです。著者は以下のように書いています。
「テーズとの巡業取材で冷汗三斗の思いをさせられた忘れ難い旅日記がある。どのシリーズだったか失念してしまったが、夕刊の全国紙『東京スポーツ』は、発刊したばかりの系列紙『九州スポーツ』の部数拡張の一環として、テーズを招き、公開練習を兼ねたサイン会を福岡・小倉の百貨店屋上で開催した。ひと汗かいたところで打ち上げである。割烹料理だった。乾杯まではよかったが、『九州スポーツ』の代表が酔った勢いで、なんと、“不滅の王者”のそり上がった額をビシャビシャと2度叩いたのだ。
あっ! 声も出なかった。こちらの体は硬直したままだ。その時・・・・・。テーズは何事もなかったかのように、メガネをかけた代表の首を抱え『ユーの顔は、この魚(オコゼ)とそっくりだよ』と笑顔である。凍りついた空気を一掃してくれた。百戦錬磨のキャリア、テーズの機知にとんだ酔っ払いの扱いに、1本取られた感じだった。関係者であるにせよ、“鉄人”テーズの額を叩いた一般人は彼だけだろう。巡業旅では予想外の様々な体験をしてきたが、このひとコマだけは記憶から消えない」
まさか、わたしの住む小倉でこんな出来事があったとは! 驚きました。




第2章「カール・ゴッチ 武士道を理解した“神様”」では、融通のきかないガチンコ・レスラーだったゴッチの仰天エピソードが披露されます。ゴッチは日本プロレスの若手レスラーのコーチ役を務めたことがありますが、それは「ゴッチ教室」と呼ばれました。ものすごく厳しい練習メニューを課し、約2時間半に及ぶ練習から解放された選手たちは、全員ヘロヘロだったとか。しかし、こんな厳しいゴッチが寝込んだことがあったそうです。著者は「上下の歯を全部抜く」として、以下のように書いています。
「休んだきっかけは虫歯で、『生きているから虫歯になったんだ!』と言って上下の歯を全部抜いてしまったためだった。正気の沙汰ではない。高熱を出して1週間近く休んだのである。道場でしごかれている選手たち、この時ばかりは『鬼の攪乱だ!』と大笑いだった。
当時を知る百田光雄は『あれじゃ、熱も出るよ。ウワァ! こんな人にはついていけるかってね』と苦笑いなのだ。確かに常人では考えつかぬ行為だ。このエピソードから、ゴッチの奇人・変人伝説が始まる。頑固一徹、レスリング一途に打ち込む姿勢。思い込んだらテコでも動かぬ鉄の意思。私には融通のきかぬ変なオッサンにしか映らなかった」




第3章「フレッド・ブラッシー ヒールを究めた“噛みつき魔”」では、またも小倉が登場します。著者は、ブラッシーが日本人の三耶子夫人に初めて会ったなれ初めを次のように紹介しています。
「ブラッシーは2度目の来日となった65年4月、『第7回ワールド・リーグ戦』のサーキットで移動中、国鉄・小倉駅(現・JR小倉駅)で見かけた小柄で可愛い三耶子さんにひと目惚れ、あとを追いかけ、彼女の名前を聞き出している。三耶子さんは当時、奈良在住の短大生で、兄の結婚式に出席するため佐世保に向う途中だった。電車を乗換えるところでブラッシーに呼びとめられ、立ち話をしたらしい。後日、彼女は日本プロレスの関係者に、自分の住所と連絡先を手渡したという」




またブラッシーといえば、以下の笑えるエピソードも紹介されています。
「女たらしであまり酒を飲まなかったブラッシーの最大の敵は、“大巨人”のオナラであった。仲のよかったアンドレに密室で“世界一の屁”をブッ放されたときには、1週間臭いがとれなかったという。鬼籍に入ってもアンドレの屁の攻撃を受けているのだろうか――吸血鬼が屁をかまされた時の顔をみたかった」




第4章「ボボ・ブラジル 馬場も恐れた“ココバット”」では、黒人レスラーについてのジャイアント馬場の「ブッチャーは人間的にクセがあった。プロモーターの評判も芳しくなかった。真面目で誠実、ブラジル以上のプロレスラーはいなかった」という発言を紹介しています。馬場の言葉は、ボボ・ブラジルの人間像を端的に表わしています。そして、著者は述べるのでした。
「ボボ・ブラジルにしろ、アブドーラ・ザ・ブッチャーにしろ、黒人レスラーが日本でこれだけ存分に暴れられたのは、日本では人種差別という障害がなかったからだ。日本のファンは黒人を奇異な目で見ても、一般的に温和しい。アメリカの会場のように危険ではない。黒人選手にとって日本のリングは安心できる仕事場だったのである」




一方で、第9章「ディック・マードック 日本を愛した“狂犬”」には、「大の黒人嫌い」として以下のように書かれています。
「テキサス育ちのマードックは、大の黒人嫌いで通っている。ブッチャーの目の前で『スカンク!』と鼻を押えるジェスチュアをみせたこともある。ブッチャーは押し黙ったままで、いたたまれぬ気持ちだったろう。あからさまな嫌がらせだ。当時のブッチャーは、仲間の輪に入れず、いつも控室でポツンとひとり。うつ向いたまま、哀れであった。血染めで暴れ回るブッチャーの姿からは想像のつかぬ沈黙の世界なのだ。これは勝手な推測だが、ブッチャーが約3年半で新日本マットを離れたのは、同じ時期、マードックが常連外国人の主役だったからではないか。表に出ない人種差別があったのである」




第5章「フリッツ・フォン・エリック 呪われた“鉄の爪”」では、フリッツ・フォン・エリックの息子たちが次々に不幸に見舞われ、「呪われたエリック一家」と呼ばれるようになった経緯が紹介されています。フリッツの次男デビッドは全日本プロレスに参戦中の1984年2月10日、宿泊していたホテルで突然死しました。発見したのはブルーザー・ブロディでしたが、デビッドの亡骸の傍らにドラッグを発見し、すぐさまトイレに流したそうです。デビッドの死から3年後、四男マイクがダラス郊外のルイスビル湖で薬物自殺をしました。さらには末弟のクリスが91年9月12日、ダラス郊外のイードムの農園でピストル自殺をします。そして93年2月には三男ケリーまでもがピストル自殺をしたのでした。「呪われたエリック一家」について、著者は述べます。
「大プロモーター、エリックのもとで働き、もっともエリックに信頼され、5人の息子たちとも親しかったザ・グレート・歌舞伎が、エリック一家についてこう証言してくれた。『エリックの親父は絶対的だった。息子たちは、親父の前に出ると全員、イエスサーよ。いつも直立不動のような姿勢だったな、口答えすることもなかったし、陰でグチることもしなかった。親父があまりにも偉大過ぎた。プロレスラーになったが故に、プレッシャーに押し潰された。親父の前でのびのびできなかったのは、可哀そうだった』」




第6章「ディック・ザ・ブルーザー 桁外れの“アウトロー”」では、「生傷男」と恐れられたブルーザーの意外な魅力について、著者は述べます。
「ブルーザーはお洒落でダンディだった。ネクタイこそしないが、必ずスーツを着用しての来日だった。ディック・マードックのようにがさつでなく、ラフなスタイルは一度もなかった。リソワスキーと一緒の来日では、2人揃ってバーバリーのコートを着込んでバスに乗り込み、服装にうるさいジャイアント馬場をして『あいつら、コート姿でもサマになっている』と唸らせたものだ。
地方都市を散策する時はカーディガンを愛用した。黒、黄、濃紺を好み、単色のシャツに合わせたスラックスを穿き、配色のバランス感覚がよかったのを覚えている。顔は強面でもファッションに関してはセンス爆群だった。まだ、Gパンが現在のように普及していなかった頃だ。日本のレスラーは彼らの旅スタイルを米国で流行のファッションととらえ、真似をしたものだ。外国人係のレフェリー、ジョー樋口も彼らに感化されたひとりであった」




第8章「ブルーノ・サンマルチノ 鋼鉄の肉体をもつ“人間発電所”」では、サンマルチノの最後の来日について言及されています。それは、1981年10月9日、東京・蔵前国技館における全日本『旗揚げ10周年記念大会』でした。著者は「馬場と初コンビ」として、以下のように述べています。
「サンマルチノは馬場と初コンビを組み、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助組とタッグ・マッチで激突し、両軍リングアウトの引き分け。サンマルチノは引退を表明したばかりだったが、この日のためにトレーニングを積み、現役時代と変わりないパンパンの体にしての登場だった。引き分けに終った試合でも、『俺の人生のハイライトだった』と、顔をクシャクシャにして喜んだという。その記念写真を見ると、サンマルチノの髪の毛はフサフサである。73年の2度目の来日当時と比べると2倍、3倍のボリュームである。ウーン、立派なカツラである。ジョー大剛鉄之助にいわれなかったら、気がつかなかったろう。よくぞ、カツラで暴れられたものである。“ニューヨークの帝王”だから罷り通った仕事っぷりである。あっぱれ、というほかない」




第10章「ウィレム・ルスカ 喧嘩無敵の“柔道王”」では、アントニオ猪木との「格闘技世界一決定戦」の記者会見の席上、ルスカと猪木の両雄によるプロレスらしからぬ舌戦の応酬が以下のように紹介されています。
「ルスカが、『俺の故郷オランダのエダムには最高のチーズがある。それを食べて強くなった』と対戦の抱負を語る。猪木が間髪を入れず『日本には高タンパク質の納豆がある。これを食べているから負けるわけがない』とやり返したのだ。アメリカのレスラーの喧嘩まがいの従来の会見と違って、ふくいくたる香りの対決、両国の食文化の違いを、これほど端的に表した発酵食品はない。『まんざらプロレス&格闘技担当も捨てたもんじゃない』とひとりほくそ笑んだ次第」
ルスカが享年74歳で亡くなったとき、著者は悼む記事を書いた翌日、故人を偲んで、朝食はフランスパンにアスパラガスのバター炒め、オランダ名産エダムのチーズとコーヒー、お昼は納豆と味噌汁だったとか。




ルスカといえば、「ハンセンのブーツにビール」として、著者は以下のようなエピソードも披露しています。
「“不沈艦”スタン・ハンセンとは仲がよかった。博多の焼き肉屋で、ハンセンのブーツのなかにたっぷりビールを注いで知らんぷり。お店を出たハンセンは、平然とした様子でブーツを『ブックァ、ブックァ』鳴らして帰ったという。
また、ルスカはハンセンのいない時に、彼の大事なメガネを黒いマジックで塗りつぶす悪さまでやっている。それでもハンセンは怒るようなことはなかったという。互いに実力を認め合う仲だったのだ。
これだけいたずらをしたら、仲間から袋叩きにされるか、何らかの制裁を受ける。しかし、レスラー仲間から、こいつはちょっと違う、とルスカの強さは一目置かれていた節が窺える」




第13章「大木金太郎 頭突き5万発を放った“元祖韓流スター”」では、大木が初のアメリカ遠征をする前に師匠の力道山から祝い酒をふるまわれた話が紹介されます。「銀座『姫』で激励会」として、著者は述べます。
「呼ばれた場所は、各界の有名人が出入りする銀座の高級クラブ『姫』だった。力道山は待ち合わせ時間より、10分遅れて店にやってきた。大木の米国発遠征の話は冗談ではなかった。力道山はその激励会のために大木を『姫』に呼んだのである。大木本人は、米国武者修行の内容など知るよしもない。大木は力道山を目の前にして何を喋っていいのかわからなかった。身を固くしたままだ。力道山がコップにビールを注いでくれた。ますます緊張した。注がれたビールを飲めなかった」
大木は、師である力道山の前で酒を飲むこと自体が礼に反すると思っていたのです。韓国は儒教の国であり、両親や目上の人の前で酒を飲むことはありえません。大木は神様のような存在の力道山の前で酒を飲むことなど想像したこともありませんでした。注いでもらったビールはテーブルの下のゴミ入れに捨てたといいます。




大木金太郎がアメリカ遠征に行っているとき、力道山が刺殺されました。
大きなショックを受けた大木は、日本に帰国します。著者は述べます。
「精神的な後盾を失った大木金太郎の、新たな孤独との戦いが始まった。韓国と日本の狭間に揺れ、漂流民のように時の流れに身をまかせるしかなかった。64年2月、本来なら『大木、オーよくやったな!』と力道山が出迎えてくれるはずの凱旋帰国は、ひっそりとした傷心のものとなった。
翌朝、大木は渋谷のリキ・スポーツパレスに顔を出し、幹部に帰国を報告。今後の身の振り方について、『韓国に帰りたい』という気持ちを伝えている。後輩のジャイアント馬場とアントニオ猪木は、大木の姿をみるなり『韓国に帰るなよ、プロレス再建のために一緒にやろう』と言ってくれた。その態度が嬉しかった。その足で大木は、恩師・力道山の眠る東京・大田区の池上本門寺に出向いた。墓前に世界タッグのチャンピオン・ベルトを供え、『キム・イルがおそばでお守りできなかったのをお許し下さい』と何度も号泣、長い時間涙にむせんでいたという」
その大木金太郎も2006年に亡くなりました。
「昭和のプロレスは遠くなりにけり」ですね。



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2017年2月22日 一条真也

2017-02-21

仁は楽に近く、義は礼に近し(孔子)

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一条真也です。
ブログ「まつり」でもご紹介したように、わたしは会社の各種行事でよく歌います。新年祝賀式典の懇親会から新入社員の歓迎会、そしてもちろん各部署の忘年会などで、サザンオールスターズや矢沢永吉や北島三郎のナンバーを歌い上げます。特に式典などで硬めの社長訓示をした後、懇親会でウクレレを演奏しながら歌うと効果絶大で、社員はとても喜んでくれます。わたしは別に目立ちたがり屋ではありませんし、受けを狙ってやっているのでもありません。ずばり、孔子が説いた「礼楽(れいがく)」というものを意識してやっているのです。ブログ「一同礼!」でご紹介したように、わが社は「礼の社」を目指しています。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

「礼楽」文化   東アジアの教養

「礼楽」文化 東アジアの教養



「礼」を唱えた孔子はまた、度はずれた音楽好きでもありました。
『論語』には、「子、斉に在りて 韶(しょう)を聞く。三月、肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽をなすことのここに至らんとは」とあります。孔子は斉国にいるとき、聖天子とされた舜の音楽を聞いた。感動のあまり長い間、肉の味がわからなかった。そして孔子は言った。「思いもよらなかった。音楽にここまで熱中してしまうとは」と。その「楽」を、孔子は「礼」と組み合わせました。これが、すなわち「礼楽」であります。

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楽は内に動くものなり
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礼は外に動くものなり



「楽は内に動くものなり、礼は外に動くものなり」
音楽は、人の心に作用するものだから内に動く。
礼は、人の行動に節度を与えるものだから外に動く。

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背中でウクレレだって弾きますとも♪



「礼は民心を節し、楽は民生を和す」
礼は、人民の心に節度を与えて区切りをつけるものであり、音楽は、喜怒哀楽の情をやわらげて人民の声を調和していくものである。

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男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪



「仁は楽に近く、義は礼に近し」
仁の性格は音楽に近く、義の性格は礼に近い。つまり、仁は情を主とし、音楽は、和を主とするからである。また、義は裁判を主とし、礼は節度を主とするからである。それゆえ、礼楽は教育のもとであると同時に、仁義に通じる人の道の根本である。

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これが「礼楽」だ!!



「楽は同を統べ、礼は異を弁つ」
音楽は、人々を和同させ統一させる性質を持ち、礼は、人々の間のけじめと区別を明らかにする。つまり、師弟の別、親子の別というように礼がいたるところで区別をつけるのに対して、音楽には身分、年齢、時空を超えて人をひとつにする力があるのです。サザンや矢沢のナンバーが、社長であるわたしと社員のみなさんの心をひとつに結びつけてくれるのです。
なお、今回の孔子の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究



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2017年2月21日 一条真也

2017-02-20

「マリアンヌ」

一条真也です。19日の日曜日、北九州マラソンが行われました。
わたしは、風邪を引いていましたが、マスク姿で小倉ロータリークラブの仲間をはじめとした知人や友人のランナーを応援に行きました。夜は、チャチャタウン内の「シネプレックス小倉」で映画「マリアンヌ」を観ました。




ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「俳優だけでなくプロデューサーとしても活躍するブラッド・ピットと、アカデミー賞受賞監督ロバート・ゼメキスがタッグを組んだラブストーリー。第2次世界大戦下を舞台に、ある極秘任務を通じて出会った男女が愛し合うものの、過酷な運命に翻弄されるさまを描く。ブラピふんする諜報員と惹かれ合うヒロインをオスカー女優マリオン・コティヤールが演じるほか、『127時間』などのリジー・キャプラン、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』などのマシュー・グードらが共演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「1942年、極秘諜報員のマックス(ブラッド・ピット)とフランス軍レジスタンスのマリアンヌ(マリオン・コティヤール)は、ドイツ大使暗殺という重大な任務のためカサブランカで出会う。二人は、敵の裏をかくため夫婦を装い任務の機会をうかがっていた。その後、ロンドンで再会し次第に惹かれ合った二人は愛を育んでいくが、マリアンヌは愛するマックスにも打ち明けられない秘密を持っており・・・・・・」




この映画、いきなりモロッコの砂漠から物語が始まります。
ブラッド・ピット扮するマックスが砂漠に降り立つのです。
当然ながら、映画史上に残る名作「モロッコ」(1930年)を連想します。ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督のアメリカ映画ですが、音声のないトーキーでした。ベノ・ヴィグニーの舞台劇「Amy Jolly」が原作です。日本では、初めて日本語字幕が付されたトーキー作品としても有名です。ラストシーンでは、マックスが降り立ったモロッコの砂漠が重要な舞台となりました。




そして、砂漠に降り立ったマックスは差し向けられた車に乗って、カサブランカの都へ・・・。当然ながら、これまた映画史上に残る名作である「カサブランカ」(1942年)を連想してしまいます。ちょうど、この42年は「マリアンヌ」の物語の始まりの年でした。「カサブランカ」は第二次世界大戦にアメリカが参戦した42年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画です。監督はマイケル・カーティスです。




マリアンヌ」が、「モロッコ」と「カサブランカ」という二大名作へのオマージュ的な作品であることは明白だと思います。なぜなら、ともに悲惨な戦争と恋愛の悲劇を絡めた作品であり、人々に悲しみを超えた生きる勇気を与えてくれる名作だからです。そして、「モロッコ」はゲイリー・クーパーマレーネ・ディートリッヒ、「カサブランカ」はハンフリー・ボガードイングリッド・バーグマンという、当時の世界の映画界を代表する美男美女が主演を務めました。「マリアンヌ」で主演したブラッド・ピットマリオン・コティヤールも現代の映画界を代表する美男美女であると言えます。

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現代の映画界を代表する美男美女(ヤフー映画より)



わたしと同い年のブラピがハリウッドを代表するイケメン俳優であることは周知の事実ですが、一方のマリオン・コティヤールブログ「世界最高の美女」で紹介したように、アメリカの映画サイト「TC Candler」が発表する「世界で最も美しい顔100人」の2013年版で堂々の1位に輝きました。




わたしが彼女の存在を初めて知ったのは、映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」で主演したときでした。わたしは、彼女のことを美女というより演技力の優れた実力派女優であると思いました。歌姫ピアフが乗り移ったような鬼気迫る演技に「憑依」という言葉さえ連想したことを記憶しています。実在の人物を演じる俳優とは一種の「霊媒」であるということを知りました。
ブログ「エヴァの告白」で紹介した映画でも素晴らしい演技でした。




マリアンヌ」を観て、わたしが感じたのは、「往年のハリウッド映画みたいだな」ということでした。もちろん、「モロッコ」や「カサブランカ」のイメージが重なっていたこともあるでしょうが、最近作られた映画のように思えないような「なつかしさ」が漂っているのです。じつは昨夜、トッド・へインズ監督、ジュリアン・ムーア主演の「エデンより彼方に」(2003年)をDVDで鑑賞したのですが、この作品はまさにハリウッド黄金時代を見事に甦らせた傑作でした。トッド・へインズと同様に、ロバート・ゼメキスもまた、ハリウッド黄金時代を意識して、「マリアンヌ」を作ったのではないでしょうか。

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どんな夫婦にも秘密がある?(ヤフー映画より)



さて、「マリアンヌ」に登場する夫婦には、途方もない秘密があります。夫婦間の秘密を描いた映画といえば、ブラピとアンジェリーナ・ジョリーが主演した「Mr.&Mrs.スミス」(2005年)を思い出してしまいます。残念ながら離婚してしまいましたが、実際に夫婦だったブラピとアンジーが夫婦役で競演するアクション・エンターテインメントです。監督は「ボーン・アイデンティティ」のダグ・リーマンで、お互いの正体を暗殺者と知らず、すれ違いの生活を送る夫婦をコメディタッチに描きました。「マリアンヌ」における夫婦間の秘密はとてつもなく重く、最後も悲惨な結果に終わりましたが・・・・・・。




しかし、こんな「夫婦の秘密」をテーマにした映画を観ると、観客はなんだか得体の知れない不安が心に湧いてくるのではないでしょうか。こんな超弩級の秘密でなくとも、大抵の夫婦は何らかの秘密を抱えているもの。世の中には、相手をお互いに「人生の重要関係人」と認識している仲の良い夫婦もいるようです。それは素晴らしいことですが、犯罪・会社での不正・不倫・風俗通い・衝動買い・カード地獄・ヘソクリ・・・大なり小なり、すべての夫婦は秘密を抱えているように思います。そして、それが表沙汰になって夫婦間に亀裂が入るかどうかは、ひとえに「愛情」と「信用」にかかっています。

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人を信用するとは?(ヤフー映画より)



「信用」といえば、唐突ですが、わたしは『論語』に出てくる「託孤寄命章(たっこきめいのしょう)」を思い浮かべます。孔子は、君子とは何よりも他人から信用される人であると述べました。信用とは全人格的なものです。『論語』「泰伯」篇には、以下のような一文があります。
「曾子曰く、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり」
意味は、「曾子が言った。孤児を託すことのできる者、百里四方ぐらいの一国の運命を任せうる人、危急存亡のときに心を動かさず節を失わない人、そういう人が君子人であろうか、君子人である」

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)



有名な「託孤寄命章」と呼ばれる一章です。確かに、幼い子どもを誰かに託して世を去っていかねばならないとき、これを託すことができるのは最も信頼できる人物だというのは事実です。ということは、自分はそのとき誰を選ぶだろうと考えてみれば、真に信頼できる人が誰かがわかります。この人は、自分が一人子を置いてこの世を去っていくとき、その子を託せる人だろうか。常にこれを念頭に置けば、いずれの社会であれ、人に裏切られることはない。これが、孔子のメッセージであると思います。




マリアンヌ」には、まさに「託孤寄命章」を連想させる場面が登場します。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、たとえ自分の命が失われるとしても、愛する我が子を託することのできる相手を得たことは、やはり「幸福な人生」であったと言えるのではないでしょうか。ハリウッドの黄金時代を彷彿とさせるこの映画を観て、そんなことを考えました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年2月20日 佐久間庸和

2017-02-19

正直に話す 

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正直に本当のことだけを話すのが、
じつは一番簡単で楽なことだ。
何もごまかさなくていいし、
余計な頭も使わなくて済む。(『声字実相義』)




一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
2015年は、高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーでした。
高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われました。この記念として、わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。



空海は「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年2月19日 一条真也