Hatena::ブログ(Diary)

一条真也の新ハートフル・ブログ

2018-06-26

『正しい本の読み方』

正しい本の読み方 (講談社現代新書)


一条真也です。
『正しい本の読み方』橋爪大三郎著(講談社現代新書)を読みました。ブログ『ふしぎなキリスト教』ブログ『世界は宗教で動いている』ブログ『ゆかいな仏教』で紹介した本の著者が読書法について書いた本です。


ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) 世界は宗教で動いてる (光文社新書) ゆかいな仏教 (サンガ新書)

著者は1948年生まれの社会学者です。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京工業大学名誉教授。著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)、『ほんとうの法華経』(ちくま新書)、『戦争の社会学』(光文社新書)、『丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ)などがあります。

f:id:shins2m:20171126232150j:image
本書の帯



本書の帯には「読書が変わる! 勉強法が変わる! 本を読むにもコツがいる」と書かれ、帯の裏には以下のように書かれています。
●本には「構造」「意図」「背景」の3つがある
●本の内容は覚えようとしなくていい
●「ネットワークの節目」となる本をおさえる
〈特別付録〉必ず読むべき「大著者100人」リスト

f:id:shins2m:20171126232209j:image
本書の帯の裏



アマゾンの「内容紹介」には、〈本を愛してやまない読書好きの皆さんへ〉として、以下のように書かれています。
「ちまたには相変わらず、本が溢れています。しかし、そもそも、どんな本から読めば自分のためになるのか。本を読んでも次から次へと内容を忘れてしまうが、どうすれば覚えられるのか。本は何の役に立つのか・・・。こういったことに悩んだことはありませんか?
ネットの発達によって、情報が万人に平等に与えられる現代だからこそ、人々は「正しい本の読み方」があることを忘れているのではないでしょうか。たとえば、本を読むうえで『構造』『意図』『背景』の3つをおさえなくてはならないことを、あなたはご存知ですか?
この本は、本を読むための本、本を愛する人のための本です。これを読めば、どんな本を選りすぐれば、あなたの血肉になるのか、がわかります。この本を読めば、本が自由に生きていくための保障になる、とわかります。大ヒット作やネット評価の高い本ばかりを読んでいるだけでは、得られることは少ないかもしれません。本を選ぶにも、読むにも、コツがいるのです。そのコツを橋爪先生に学びましょう。
特別付録として、橋爪先生が選び抜いた、『必ず読むべき「大著者100人」リスト』もつけました。 まずはこのリストに挙げられた大著者(小説家・哲学者・・・)から、読み始めてみませんか?」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。


「はじめに」
〈基礎篇〉
第一章 なぜ本を読むのか
第二章 どんな本を選べばよいのか
第三章 どのように本を読めばよいのか
〈応用篇〉
第四章 本から何を学べばよいのか
【特別付録】必ず読むべき「大著者100人」リスト
第五章 どのように覚えればよいのか
第六章 本はなんの役に立つか
〈実践篇〉
第七章 どのようにものごとを考えればよいのか
終章 情報が溢れる現代で、学ぶとはどういうことか



「はじめに」で、著者は「他人に関心を持つ」として、こう述べています。
「本は、字で書いてあります。字は、言葉を写し取ったものです。写し取る前の言葉は、声です。声は消えてしまいますが、字は残ります。繰り返して読めます。覚えなくても、字に書いてあれば、『ああ、そうか』とわかります。いまの言葉で言えば、外部記憶です。本を書いた人が死んでも、本は残る。考えてみれば、これはすごいことです。だから、本は、ものを考えた昔の人の、死体です。本を書いたのは、必ずだれか他人です。だから、本を読むとは、他人に関心を持つ、ということなんです」



また、「前例のない出来事を考える」として、著者は以下のように述べます。
「教養こそは、組織のトップのような、意思決定をする立場になるとよくわかりますが、前例のない出来事が起こったときに、ものごとを決めるのに唯一、参考になるものです。なぜか、前例がないようにみえても、多少に他ようなことなら、外国にあったり、過去にあったり、フィクションの中にあったりするからです」
さらに著者は、教養について「人びとがよりよく生きることを支援するもの」だと述べています。



第三章「どのように本を読めばいいのか」では、著者は「すなおに読む」として、「すなおに読む。ともかく、素直に読む。読み方の、基本です」と述べ、以下のように続けます。
「素直とは、どういうことか。著者は、読み手である私のことを、知りません。著者はこの、私のために書いているわけじゃない。著者は、言いたいことがあって、それをうまく言おうと、言葉を選んで書いているだけ。その著者が、何を言いたいのか、読み取る。注意ぶかく読み取る。丁寧に読み取る。謙虚に読み取る。しっかり読み取る」



第四章「本から何を学べばよいのか」では、「あるまじき行数調整」として、著者は新聞社や雑誌社に寄稿した文章のゲラが戻ってきたときに「どうもおかしい」と感じることがあると告白します。担当者に聞いてみると、行数調整とやらで、「段落を追い込みにしました」「改行を入れておきました」などと言います。しかし、著者は怒りをにじませて以下のように述べるのでした。
「あのね、段落は、文章の本質なの。行数を調整するのなら、文を削るとか、書き足すとか、いろいろ方法がある。『段落を追い込みにする』とか『改行を入れる』とか、なんのつもりですか。最初から字数×行数を教えてくれれば、ぴったりに合わせて納品するのに。それで、原稿をひきとり、もう一度私の手で調整したうえで、送り返すのです」



続けて、著者は以下のように述べています。
「大手の新聞社や雑誌社の記者たちのなかには、署名原稿なのに、勝手に手を入れるクセがあるのがいる。たぶん彼らは、寄稿者をしろうとだと見くびって、原稿を『改良』しているつもりなのだろう。ひどい原稿も多いだろうし、締め切りは迫っている。だからそういうクセができた。それでも、段落に手を加えるのは、NG。いちばんやってはいけない」
著者の怒りはもっともです。わたしは基本的に最初から字数×行数を教えてもらって、ぴったりに合わせて納品したいと思っています。几帳面な性格なのか、1字余りなどというのが生理的に許せません。京極夏彦氏とまではいきませんが、与えられたページは余白なしで、活字で埋め尽くしたいタイプなのです。



さて、著者は「伝記を読む」として、以下のように述べています。
レヴィ=ストロースのように、本人の体験や、どういう人生を送ってきたかというところにも背景はある。本を読む前に、その著者の、伝記があれば伝記や、そのほかのインタヴューや紹介記事を読むみたいなところから入っていくというのも、ひとつの方法ではないかと思う。
河出書房新社の『世界の大思想』や、中央公論社の『世界の名著』、講談社の『人類の知的遺産』みたいなシリーズは、おおむねそうしたコンセプトでできている。主要著作のほかに、解題とか解説とか、生い立ちとか、関連の情報が載っている。とかかりに、そういう本を読むべきです」



さらに著者は「大著者」というコンセプトを提示し、以下のように述べます。
「マルクスとかレヴィ=ストロースとか、時代を突き進み、突き抜けるような、大著者というのがいるんです。大著者は、何人ぐらいいるかっていうと、100人ぐらいかもしれない。もっと小粒な著者を入れると、1000人以上かな。でも、ほんとの大著者は、そんなにいるはずがない。まあ、100人ぐらいと考えておけばいい。残りの著者は、大著者の派生形なの。だから大著者を知っていれば、あっと言う間に読めてしまう。



本書には「大著者100人」とその代表的著作の一覧表があります。
『リグ・ヴェーダ』や『アヴェスター』、ブッダの『真理のことば』、『聖書』、『論語』、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』、プラトンの『ソクラテスの弁明』、『クルアーン』、『源氏物語』や『枕草子』や『徒然草』、シェークスピアの『ハムレット』、スタンダールの『赤と黒』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、森鴎外の『阿部一族』、夏目漱石の『こころ』、メルヴィルの『白鯨』、プルーストの『失われた時を求めて』、カフカの『変身』、ヘミングウエイの『老人と海』、デカルトの『方法序説』、ホッブズの『リヴァイアサン』、スピノザの『エチカ』、ルソーの『社会契約論』、アダム・スミスの『諸国民の富』、カントの『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神現象学』、ニーチェの『ツァラトウストラはかく語りき』、ジェームズの『プラグマティズム』、フロイトの『精神分析学入門』、レーニンの『国家と革命』、マルクスの『資本論』、毛沢東の『矛盾論』、フーコーの『言葉と物』などの人類史を代表する名著が100冊挙げられています。
詳しいリストは、ぜひ本書を購入して、ご確認下さい。



第六章「本はなんの役に立つか」では、文学の効用などが紹介されます。「文学は、言葉を使ったトリックなのです。著者が考えた、架空の実社会」という著者は、「実社会を超える」として、以下のように述べます。
「物語はもともと、実生活をはみ出て、想像力をはばたかせるものだった。小説は、そのかたちを借りつつ、この社会を生きる人びとと重なる世界を描く。そして、人びとの内面に入り込む。近代になって、そうした文学が発展しました。人間の精神世界が独りに閉じこもらないで、ほかの人びとと共存する中で豊かなに育てられる、という意味です」
著者によれば、これは実生活に役立つ疑似体験でもあるし、実生活では得られない真実の体験でもあります。そういう二重性があるというのです。



さらに、「哲学・思想は何の役に立つ?」として、著者は述べています。
「哲学は、人間が未知の課題に直面した場合、最後に頼る拠りどころです。未知の課題とは、どういう意味か。法律や、経済や、自然科学や、どこかの専門にすっぽりあてはまる問題なら、その専門で議論すればすむ。けれども、そうはいかない問題もあります。いくつもの専門にまたがる、多面的な問題。これまでの議論の積み重ねがなくて、考え方の筋道がわからない問題。そうしたときには、議論の、基本的な前提にさかのぼる必要があります。それは、過去の哲学者の議論のなかに、みつかる。すべての人間が拠ってたつ、根拠や前提をつきとめるのが、哲学者の役目だからです」



終章「情報が溢れる現代で、学ぶとはどういうことか」では、著者は、コンピュータのネットワークは便利で、いろいろなことができるけれども、3つほどまずい点があるとして、(1)中心がない、(2)データでできている、(3)現在に縛られている、と指摘します。
(1)については、中心がないということは、明確な発信者がいないということです。責任がないということです、誰かがメッセージを送っているのではないから、そこからは何も伝わってきません。(2)については、データとは、つまり情報です。メッセージではないわけですから、責任がありません。(3)については、ネットの情報は、いま電源が入っているコンピュータをつないだだけのものです。将来のコンピュータとは、つながるすべがありません。ネットの中に、未来はないのです。



一方、ネットと違って、本とは公共のものです。
著者は「頭を公共のために使う」として、以下のように述べます。
「本が『公共』のものなのは、なぜか。それは本が、言葉で書かれているからです。言葉ははじめ、誰かの頭のなかみ(プライベートなもの)なのですが、それが文字に書かれ、本として発表されると、誰でも読むことができます。ここは賛成、ここは反対、と議論したり、感想をのべたり、話題にしたりできます。著者の知り合いでなくても、友だちでなくても、誰でもアクセスできる。それが、『公共』ということです」



「おわりに」の冒頭で、著者は「本の時代は、終わるのだろうか。スマホやタブレットが行き渡り、電子書籍も増えている。本書も、紙の本とKindle版の両方で、発売になっている」と述べた上で、紙の本の「よくないところ」を列記します。それは、「場所をとる」「値段が高い」「古本が売れない」「おしゃれでない」「検索ができない」といったネガティブな要素の数々でした。

   

しかし、「それでも、本は本である」として、著者は以下のように述べます。
「書き手がいて、読み手がいる。書き手が、アイデア(言いたいこと)を字に書いて、不特定の読み手に伝える。媒体が紙でも、電子書籍でも、このことは変わらない。字がある限り、字を書き、読むひとがいる限り。
本の書き手は、みんな、過去の書き手に触発されてきた。書き手→書き手→書き手→・・・・・・の連鎖がある。本の、歴史と伝統である。本の歴史と伝統こそ、人類の文化(の主要な部分)だと言ってよい。電子媒体に乗りそこねて、読まれなくなる本も多いだろう。けれども、大事な本(クラシックス)は、それでも読まれ続ける」
本書は、本を愛し、本とともに生き続けてきた著者による、紙の本へのラブレターであり、応援のエールのように思えました。

正しい本の読み方 (講談社現代新書)

正しい本の読み方 (講談社現代新書)



2018年6月26日 一条真也

2018-06-25

「毎日新聞」取材

一条真也です。
ワールドカップのセネガル戦、日本は2−2の引き分けでした。
勝てる試合だったとは思いますが、負けなくて良かったですね。
最後の大舞台に賭ける本田選手の意地も見せてもらいました。
グッドゲームのおかげで、今朝は寝覚めが良かったです。
そんな25日の朝、「毎日新聞」の取材を受けました。
西部本社から長谷川記者がサンレー本社に来て下さいました。

f:id:shins2m:20180625131445j:image
本日の取材のようす



長谷川記者はブログ『人生の四季を愛でる』で紹介したわが最新刊(毎日新聞出版社)の見本を持参されていましたが、その本には色とりどりのポストイットがたくさん貼られていました。
「とても面白かったです!」という感想が嬉しかったです。
まずは、今月28日に発売される『人生の四季を愛でる』の内容について、いろいろと質問を受けました。わたしは思い出深い記事として、「愛で死を乗り越えた麻央さん」、「絶対に失敗の許されない仕事」などを挙げました。数日前、麻央さんが亡くなってから1年目を迎え、「はれにひ」の社長はついに逮捕されました。それらのニュースに触れたとき、わたしは自分が「サンデー毎日」に書いたコラムを思い出しました。

f:id:shins2m:20180625131736j:image
人生の四季を愛でる』について話しました



最も反響があったのは「小倉に落ちるはずの原爆」で、「サンデー毎日」の編集長さんからも「素晴らしいコラムをありがとうございました」とのメールを頂戴しました。長谷川記者から「この本で最も伝えたいことは何ですか?」との質問も受けましたが、わたしは「死生観は究極の教養である」、「誰にも『人生の四季』がある」の「ラスト1&2のコラムに書いたメッセージです」とお答えしました。一方、長谷川記者は「仏壇ほどすごいものはない」と「地震が来たら仏壇の前に行け」などを興味深く感じられたそうです。

f:id:shins2m:20180625131836j:image
上智大学グリーフケア研究所の客員教授就任について



それから、4月1日付で、わたしが上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任したことについての取材を受けました。
わたしは、グリーフケアの普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題であると考えており、サンレーでも自助グループを立ちあげてグリーフケア・サポートに取り組んできました。これまで自分なりに冠婚葬祭業界で実践してきたことを踏まえて、さらなる研究を重ね、充実した講義を行いたいと思います。「冠婚葬祭業を超えて、宗教界、医療界にグリーフケアの橋を架けたい。そして、日本人の自死を減らしたい」とも述べました。

f:id:shins2m:20180625132007j:image
最後に、写真撮影しました



客員教授というのは、わたしにとって副業ではありません。
「あなたの本当の仕事は何ですか?」とよく聞かれます。わたしは、いつも「天下布礼がわたしの仕事です」と答えます。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがサンレーの使命です。わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。これからも冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしていきたいものです。わたしが業界活動を行うのも、本を書くのも、ブログを書くのも、そして大学で教壇に立つのも、すべては「天下布礼」の一環だと考えています。最後に、長谷川記者は記事と一緒に掲載する写真を撮影して下さいました。



2018年6月25日 一条真也

2018-06-24

「女と男の観覧車」  

一条真也です。
23日、小倉のシンボルとなっている観覧車のある「チャチャタウン小倉」内のシネコンで、この日に日本公開されたハリウッド映画「女と男の観覧車」を観ました。わたしの好きなウディ・アレン監督の最新作です。




ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「オスカーの常連ウディ・アレンが監督を務めた人間ドラマ。1950年代のアメリカを舞台に、男女の恋と欲望、人生の切なさが描かれる。安定を願う一方で、刹那的な恋に身を投じる主人公を『愛を読むひと』などのケイト・ウィンスレットが演じるほか、ミュージシャンのジャスティン・ティンバーレイク、『午後3時の女たち』などのジュノー・テンプル、『ゴーストライター』などのジム・ベルーシらが出演。3度のオスカーに輝き、『カフェ・ソサエティ』でもアレン監督と組んだヴィットリオ・ストラーロが撮影を担当した」

f:id:shins2m:20180620170847j:image



また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「1950年代のコニーアイランド。遊園地のレストランでウエイトレスとして働く元女優のジニー(ケイト・ウィンスレット)は、再婚同士の夫と自分の連れ子と一緒に、観覧車の見える部屋に住んでいた。平凡な日々に幻滅し、海岸で監視員のアルバイトをしている脚本家志望のミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)とひそかに交際するジニーだったが、ある日久しく連絡がなかった夫の娘が現われたことで歯車が狂い始め・・・・・・」




ウディ・アレンは、80歳を超えてなお、ほぼ毎年1本という驚異のペースで新作を撮り続けています。ブログ「マジック・イン・ムーンライト」ブログ「カフェ・ソサエティ」紹介した映画以来のアレン作品を観賞したわけですが、いつものようなロマンティックさんは微塵も感じられず、ひたすらストレスの溜まる映画でした。ブログ「マザー!」で紹介した究極のストレスフル映画にはかなわないまでも、けっこうイライラさせられました。その最大の理由は、ケイト・ウィンスレット演じる主役のジニ―が常にイライラしているからです。




ジニーのイライラの原因はさまざまです。ジム・ベルーシ演じる再婚した夫に甲斐性がないために、ウェイトレスとして働かなければならないこと。自分の連れ子の息子が放火癖のある問題児であること、ただでさえ楽でない生活に夫の実の娘が転がりこんできたこと・・・・・・たしかに彼女の苦悩も理解できないではないのですが、彼女自身には天性の浮気性があり、脚本家志望の海岸監視員ミッキー(ジャスティン・ティンバーレイク)との不倫に夢中です。甲斐性のない夫に不倫癖のある妻では家庭がうまくいくはずがないですね。この映画、何がストレスが溜まるかって、このダメ夫婦の罵り合いを聞かされるのが一番でした。




かつて、ジニ―は不倫に走り、そのために元夫は睡眠薬を多量に摂取して命を絶ってしまいました。その忘れがたみの息子とともに、コニ―・アイランドで回転木馬を運営している夫のもとに転がり込んできたわけですが、過去の教訓をまったく生かすことなく、またしても若いミッキーとの不倫に溺れるさまは哀れでした。そのミッキーは、夫の娘であるキャロライナ(ジュノー・テンプル)に好意を抱きます。それから、すべての歯車が狂っていくわけですが、映画の語り手でもあるミッキーがまったく頼りがいのない女たらしであり、一方のキャロライナが意外にも向上心と思いやりの持ち主であることを明らかにするのは、いかにもウディ・アレンらしい人間描写だと思いました。





この映画、ウディ・アレンにとっては遺言のような作品ではないでしょうか。
舞台となったコニー・アイランドは彼の魂の故郷ともいえる場所です。彼の代表作である「アニー・ホール」(1977年)では、アレン演じる主人公のコメディアンはブルックリン生まれで、コニーアイランドのローラーコースターの下に生家があると語られています。
そのアレンにとっての魂の故郷を舞台に、まるで50年代ハリウッド映画のような懐かしい色彩がスクリーンに映し出されます。3度のオスカーに輝いた天才ヴィットリオ・ストラーロのキャメラ・ワークはさすがです。全体的にくすんだような色調は、主人公ジニーの「心の色」でもあると言えるでしょう。




「女と男の観覧車」は、女優ケイト・ウィンスレットのためにだけ作られた作品ではないでしょうか。それぐらい、彼女の存在感は圧倒的で他の役者の印象は薄いです。ケイト・ウィンスレットといえば、なんといっても「タイタニック」(1997年)のローズ役が知られています。あの世界的大ヒットを記録した恋愛大作のヒロインが、20年後にくたびれた中年女を演じるとは・・・・・・。しかしながら、その中年女にはなかなかの色気がありました。




1975年生まれで、現在は42歳であるケイト・ウィンスレットですが、わたしは1913年に生まれ、1967年に没したヴィヴィアン・リーの再来であると思っています。ともにイギリス人女優であり、多くのシェイクスピア作品にも出演した実績を持つ実力派女優でもあります。
また、ヴィヴィアン・リーの出世作にして代表作である「風と共に去りぬ」(1939年)とケイト・ウィンスレットの出世作にして代表作である「タイタニック」は、ともに20世紀を代表さする恋愛ロマンの大作です。




「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラという映画史に残る美女を演じたヴィヴィアン・リーは、テネシー・ウィリアムズ原作の映画「欲望という名の電車」(1951)で汚れた中年女ブランチ・デュボワ役を熱演しました。この演技で、リーは2度目のアカデミー主演女優賞を受賞しています。「欲望という名の電車」は、1949年にロンドンのウェスト・エンドで上演された舞台版に引き続いてリーがブランチを演じた作品でもあります。わたしには、「女と男の観覧車」のジニーの姿が「欲望という名の電車」のブランチに重なりました。スカーレットとローズ、ブランチとジニー・・・・・・狂気を秘めた中年女を見事に演じ切ったことによって、ケイト・ウィンスレットは完全にヴィヴィアン・リーの再来となりました。




「女と男の観覧車」で、わたしの興味を強く惹いたのは舞台となったコニー・アイランドの描写でした。わたしは、かつてリゾートやテーマパークのプランナーをやっていた頃、コニー・アイランドのことを熱心に調べたことがあります。・アイランドとは、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン区の南端にある半島および地区です。ニューヨークの近郊型リゾート地、観光地として知られます。かつては島でしたが、英語名の“Coney Island”という名前はウサギの島(Rabbit Island) という意味で、昔はロングアイランドの他の島と同様に、ウサギが多く生息していたそうです。19世紀後半より、この島を自然保護地区として保存するか都市開発するかの議論が起こりましたが、現在ではこの地区には多くの建物が並んでいます。20世紀からアミューズメント・パークが建設され、大いに賑わいました。




このコニー・アイランド、1955年にカリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアナハイム市の南西部にディズニーランドがオープンするまで、最もアメリカの大衆文化に影響を与えた遊園地でした。コニー・アイランドが登場する小説、映画、テレビドラマ、音楽などは数え切れないほど多いです。
1959年には、コニー・アイランドを舞台にしたメロドラマ映画の名作「悲しみは空の彼方へ」が製作されています。




「女と男の観覧車」の原題は“Wonder Wheel”ですが、これは1920年から稼働しているコニー・アイランドの名物観覧車のことです。
名作「アニー・ホール」で、ワンダー・ホイールは主人公が幼少期を過ごした家があった場所として登場しました、幼かったアレン自身が何度も訪れた思い出深い場所を舞台に、彼は集大成としての「長編監督作49本目」を撮り上げました。82歳となったウディ・アレンは、次回の記念すべき50本目には、どのような映画を作るのでしょうか。今から楽しみで仕方がありません。



2018年6月24日 一条真也

2018-06-23

『死ぬほど読書』 

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)


一条真也です。
『死ぬほど読書』丹羽宇一郎著(幻冬舎新書)を読みました。
ブログ「丹羽宇一郎氏」ブログ「丹羽大使からの手紙」ブログ「丹羽宇一郎氏との再会」で紹介した方の読書論です。

新・ニッポン開国論

新・ニッポン開国論

 

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

負けてたまるか! 若者のための仕事論 (朝日新書)

 

中国の大問題 (PHP新書)

中国の大問題 (PHP新書)



著者は公益社団法人日本中国友好協会会長。1939年愛知県生まれ。元・中華人民共和国駐箚特命全権大使。名古屋大学法学部卒業後、伊藤忠商事(株)に入社。九八年に社長に就任すると、翌99年には約4000億円の不良債権を一括処理しながらも、翌年度の決算で同社の史上最高益を計上し、世間を瞠目させた。2004年会長就任。内閣府経済財政諮問会議議員、地方分権改革推進委員会委員長、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長などを歴任ののち、10年に民間出身では初の駐中国大使に就任。現在、早稲田大学特命教授、伊藤忠商事名誉理事。ブログ『新・ニッポン開国論』ブログ『負けてたまるか!若者のための仕事論』ブログ『中国の大問題』で紹介した本をはじめ、数多くの名著を書いておられます。

f:id:shins2m:20170807212551j:image
本書の帯



本書の帯には著者の上半身の写真とともに、「本を読む人にしか、わからないことがある。」「ビジネス界きっての読書家が明かす、活字の極意」と書かれています。裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「もし、あなたがよりよく生きたいと望むなら、『世の中には知らないことが無数にある』と自覚することだ。すると知的好奇心が芽生え、人生は俄然、面白くなる。自分の無知に気づくには、本がうってつけだ。ただし、読み方にはコツがある。『これは重要だ』と思った箇所は、線を引くなり付箋を貼るなりして、最後にノートに書き写す。ここまで実践して、はじめて本が自分の血肉となる。伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家が、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす」

f:id:shins2m:20170807212606j:image
本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1章 本に代わるものはない
第2章 どんな本を読めばいいのか
第3章 頭を使う読書の効用
第4章 本を読まない日はない
第5章 読書の真価は生き方に表れる
第6章 本の底力
「おわりに」



「はじめに」の最後で、著者は以下のように述べています。
「人は自由と言う価値観を求めて、長い間、闘ってきました。努力し、工夫し、発明して進歩してきた果てに、いまの自由な社会はあります。それは人類史上、かつてないほど自由度の高い環境といってもいいかもしれません。しかし、『何でもあり』の世界は一見自由なようですが、自分の軸がなければ、じつはとても不自由です。それは前へ進むための羅針盤や地図がないのと同じだからです。それらがなければ、限られた狭いなかでしか動けません」



それでは、自分の軸をもつにはどうすればいいのでしょうか?
著者は、それには本当の「知」を鍛えるしか方法はなく、読書はそんな力を、この上もなくもたらしてくれるといいます。そして、「読書はあなたをまがいものではない、真に自由な世界へと導いてくれるものなのです」と喝破するのです。



第1章「本に代わるものはない」では、「何が教養を磨くのか」として、著者は以下のように述べています。
「教養を磨くものは何か? それは仕事と読書と人だと思います。この3つは相互につながっていて、どれか1つが独立してあるというものではない。読書もせず仕事ばかりやっていても本当にいい仕事はできないだろうし、人と付き合わず、人を知らずして仕事がうまくできるわけはありません」

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)



第3章「頭を使う読書の効用」では、「欲望をどこまでコントロールできるか」として、著者は現生人類のホモ・サピエンスがラテン語で「賢い人」という意味であることを指摘します。賢い理性をもった振る舞いをするには、動物の血を抑えなくてはいけませんが、インドの宗教家で政治指導者のマハトマ・ガンジーは「人間を人間たらしめる条件は、自分の意思を抑制することである」と、『ガンジー自伝』で述べています。



ガンジーは人間が成長するための3つの条件として、(1)身体の鍛錬、(2)知識の鍛錬、(3)精神の鍛練、を挙げています。有名な非暴力・不服従運動は、ガンジーが鍛え上げた強靭な精神の持ち主であったからこそ可能だったことを著者は指摘し、さらに述べます。
「『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』といいますが、私は怪しいと思っています。歴史が繰り返されている様を見ると、歴史から学ぶことは賢者であっても難しいのではないでしょうか。私は『賢者は自らを律し、愚者は恣(ほしいまま)にする』といい換えたい。つまり、本当の賢者とは、自分の欲望をコントロールできる自制心を持っている人のことだと思います」



第4章「本を読まない日はない」では、「頭に残るノート活用術」として、著者は以下のように述べています。
「読書では目だけでなく、手も使う。これはとても大事なことです。目で字を追って頭に入れようとするだけではなかなか覚えられませんが、手を使って時間をかけてノートに写すと、頭にけっこう残るのです。そうやって写したら、その本は置く場所がなければ捨てても構いません。実際、脳科学では体を動かしたり、五感を使ったりしながら覚えると、記憶の定着率が大幅に上がることが証明されているそうです」



第6章「本の底力」では、「死をどうとらえるか」として、著者は「死」について以下のように述べます。
「死は人間にとって究極の謎です。誰しも死は体験できない。体験できないものであるゆえに、死はこういうものだと正しく語ることはできません。死というテーマを巡って書かれた本は膨大にあります。しかし、どれほど洞察力を持った科学者や哲学者であろうと、死とはこういうものなのではないかと推測することしかできません。すなわち、どれだけ死について書かれた本をたくさん読もうと、死はずっと謎のままであり続けます」



著者はこのように述べますが、わたしは死について書かれた本をたくさん読むことには意義があると思っています。たしかに著者のいうように、死はずっと謎のままであり続けるとしても、読者自身の死に対する「おそれ」や「かなしみ」が消えていく、あるいは軽くなっていく、という効用があるのです。
わたしには『死が怖くなくなる読書』(現代書林)という著書がありますが、長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる本、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる本を集めてみました。



これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。
なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。『死が怖くなくなる読書』には、その不条理を受け容れて、心のバランスを保つための本がたくさん紹介されています。



死別の悲しみを癒す行為を「グリーフケア」といいますが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。
たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。
じつは、彼自身も愛する子どもを失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。また、自分は一人の子どもを亡くしたのであれば、世間には子を失った人が何人もいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。



本書の最後に、「読書は心を自由にする」として、著者は述べます。
「読書は心を自由にしてくれます。
読書によって自分の考えが練られ、軸ができれば、空気を中心に思考したり、行動したりすることはなくなるはずです。世間の常識や空気に囚われない、真の自由を読書はもたらすのです。
空気はあえて読まないことも必要です。読みたければ読めばいいと思いますが、読んでもそれに同調したくないときは、そうする。空気をどう扱うか、どう読むか、どう対処するか、その都度、その都度、自らの心、良心に従い、柔軟に考え、行動していく力を持つことが、動物の血が抜けきれない人間としての最大の幸せではないでしょうか。物の豊かさではなく、“心のありよう”こそが、人間としての最大、唯一の証であるように思うのです」



「おわりに」で、著者はいずれ仕事を引退したら、じっくり読もうと長年思っている本を紹介します。岩波書店から全42巻で刊行された『大航海時代叢書』の第25巻で、15世紀末から17世紀初めの大航海時代、ヨーロッパ人が未知の土地を求めて世界中を探検した記録です。コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランの航海記録、東方諸国記、インカ皇統記、メキシコ征服記、日本王国記など、当時の航海記、探検記、見聞録、民族誌がほぼ網羅されている本です。『大航海時代叢書』は、わたしの実家の書庫に全巻揃っています。



この本について、著者は以下のように述べています。
「ときおり読みたくなってちらちら頁を繰ったりすることもありますが、これだけのものを仕事が慌ただしい隙間を縫って読むのはもったいない。いずれ仕事から解放され、たっぷり時間ができてから腰をすえて読みたいと考えていますが、大事なワインと同じで最後まで飲まず、読まずで終わってしまうのではないかと心の中では思っています」



そして、著者は以下のように述べるのでした。
「私はあと数年で傘寿になります。さすがにこの歳になると、自分の最期を想像してしまいます。やはり同じ死ぬなら楽に死にたい。好きな本を読みふけっている最中に忽然と死を迎えるのも悪くない・・・・・・」
なんという素晴らしい「死に方」でしょうか!
とっておきの一冊があれば死を迎えるのも怖くないといった感じですが、長年の読書によって鍛えられた著者の思考は著者自身の死生観にも多大な影響を与えたように思います。著者はわが人生の師の1人ですが、「死生観は究極の教養である」という真理を本書によって教えていただきました。

f:id:shins2m:20130803104614j:image
著者・丹羽宇一郎氏と



2018年6月23日 一条真也

2018-06-22

『人生の四季を愛でる』  

一条真也です。
21日の午後、東京から北九州に戻ってきました。
すると、わが最新刊『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版社)の見本が届いていました。サブタイトルは「『こころ』を豊かにする『かたち』」です。

f:id:shins2m:20180621203014j:image
人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版社)



95冊目の「一条本」となります。本書には、「サンデー毎日」2015年10月18日号から2018年4月8日号までの2年半にわたって、「一条真也の人生の四季」として連載したコラムが集められています。手に取れば、連載中のさまざまな思い出が胸によみがえってきます。内容的に、わたしがこれまで書いてきた多くの文章のエッセンスが収められているように思います。

f:id:shins2m:20180621203739j:image
本書の帯



カバーは鈴木成一デザイン室のブックデザインに篠原かおり氏の装画で上品に仕上がっています。帯にはわたしの上半身の写真とともに、「儀式こそ人間らしい輝きの時」と大書され、「冠婚葬祭は、人生の味わいを深くしてくれる。豊富な経験と深い教養で、折々の儀式を語る珠玉のエッセー。」「『サンデー毎日』連載の大人気コラムが単行本化!」と書かれています。

f:id:shins2m:20180621203945j:image
本書の帯の裏



また帯の裏には、「はじめに」より以下の言葉が引用されています。
「『人生100年時代』などと言われるようになった。その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものとするのも、その人の『こころ』ひとつである。もともと、『こころ』は不安定なもので、『ころころ』と絶え間なく動き続け、落ち着かない。そんな『こころ』を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった『かたち』である」

f:id:shins2m:20151006120118j:image
「サンデー毎日」2015年10月18日号
f:id:shins2m:20180625134758j:image
本書では、1つのコラムが見開き2ページに!



本書の「目次」は、以下のようになっています。

第1章 冠婚葬祭とは人生を肯定すること
冠婚葬祭とは人生を肯定すること
冠婚葬祭は文化の核
七五三で子や孫の成長を確認する
葬儀は人を永遠の存在にする
問われるべきは「死」ではなく「葬」である!
除夜の鐘と人生の旅立ち
正月に日本人について考える
成人式のルーツをさぐる
成人式をなめるなよ!
沖縄の新成人に学べ!
なぜ節分に厄を祓うのか
長寿祝いは人生の祝勝会
お雛さまのアップデート
「むすびびと」のミッション
「ナシ婚派」は情報不足?
それでも結婚式は必要だ!
七夕の夜は夫婦仲良く!
入棺体験で生まれ変わる!
お盆には先祖への感謝を
親子で結婚式を体験する
和婚で平和な結婚を!
葬式に迷う日本人へ
儀式は永遠に不滅である
北九州の成人式を変える!
花祭りにブッダの考え方を知る
冠婚葬祭互助会誕生の地を訪れる
沖縄の生年祝いに学ぶ
盆踊りで縁を結び直そう!
ご先祖さまへの贈りもの
ご先祖さまは最強の応援団!
絶対に失敗の許されない仕事
婚活パーティーで国難を乗り越える
仏壇ほどすごいものはない
地震が来たら仏壇の前に行け
簡易仏壇のすすめ
手元供養を知っていますか

第2章 涙は世界で一番小さな海
日本人は和を求める
ハロウィンは死者の祭り
創立記念日に新しい使命を考える
バリ島の葬儀は直接芸術だった!
クリスマスの秘密を知っていますか?
バレンタインデーに想うこと
ホワイトデーの夜はカラオケを
卒業式は笑顔で「さよなら」を
花見をするなら、死を想え!
入社式で新入社員に語ったこと
涙は世界で一番小さな海
「父の日」をお忘れなく!
五輪は世界最大の「まつり」
名画座の喜寿祝い
死を乗り越える映画
『風と共に去りぬ』の思い出
日本人には和が似合う
秋の夜長は本を読もう!
「いい夫婦の日」に思うこと
ミッショナリー・カンパニー
映画はタイムマシンだ!
カラオケで無縁社会を乗り越えろ!
大人の塗り絵ブームに思う
聖徳太子像の建立
『古事記』の舞台に感動
神話について考える
梅の花に平和を想う
サン・ジョルディの日に本を贈る
昭和といえばプロレスだ!
観光は銅像見学から
「花戦さ」を観て、慈礼を思う
日本は儒教国家ではないのか
はじめての『論語』
『般若心経』を自由訳する
古事記・論語・般若心経
『慈経』を知っていますか?
「こころの世界遺産」を読もう!
老いてこそ文化に親しむ
小倉から小笠原流を広める
茶道の古流を知っていますか?
茶室で人は平等になる
茶道と「おもてなし」
ジャパニーズ・ホスピタリティ
文庫化のクリスマス・プレゼント
横綱は神なのか?
「生活の古典」を大切に
日本仏教は破綻している?
大学で何を学ぶか

第3章 隣人愛に乾杯!
すごすぎる!教授退職記念講演
「隣人祭り」で無縁社会を乗り越えよう!
青木新門氏との出会い
永六輔さんの思い出
仏教者との対話
島田祐巳氏との対談
日本一の名脇役のいい話
隣人愛に乾杯!
愛で死を乗り越えた麻央さん
人が生き続ける歌舞伎
「ひよっこ」が描いた有縁社会

第4章 誰にも「人生の四季」がある
秋の夜長は月を見よ、死を想え!
インドで「人生の四季」を考える
死ぬまでにやっておきたいことは何か?
愛する人を亡くした人へ
五月はわたしの特別な月
同窓会でタイムトリップを!
人は老いるほど豊かになる
玄冬の門に向かって
「終活」ではなく「修活」と呼びたい
「人生の修活ノート」のすすめ
有終の美を飾らないということ
辞世の歌・辞世の句のすすめ
のこされた あなたへ
台北の孔子廟を訪れて
死は不幸ではない
宇宙に行ってみたい!
永遠の知的生活
誕生日に『論語』を読む
兵馬俑で考えたこと
自分のお墓をどうするか
小倉に落ちるはずの原爆
老福社会をつくろう!
呪いの時代に、祝いの光を!
親の年齢を知るということ
グリーフケアの言葉
また会えるから
死生観は究極の教養である
誰にも「人生の四季」がある

f:id:shins2m:20180324200151j:image
「サンデー毎日」2018年4月8日号
f:id:shins2m:20180625134911j:image
本書では、1つのコラムが見開き2ページに!



冠婚葬祭も年中行事もいわゆる儀式文化ですが、わたしは儀式には力があると信じています。「かたち」には「ちから」があるのです。儀式が最大限の力を発揮するときは、人間の「こころ」が不安定に揺れているときです。
まずは、この世に生まれたばかりの赤ん坊の「こころ」。次に、成長していく子どもの「こころ」。そして、大人になる新成人者の「こころ」。それらの不安定な「こころ」を安定させるために、初宮参り、七五三、成人式があります。



結婚にまつわる「かたち」にも「ちから」があります。もともと日本人の結婚式とは、結納式、結婚式という2つのセレモニー、それに結婚披露宴という1つのパーティーが合わさったものでした。結納式、結婚式、披露宴の三位一体によって、新郎新婦は「夫婦」になる覚悟を固めてきたのです。今では結納式はどんどん減っていますが、じつはこれこそ日本人の離婚が増加している最大の原因であると思います。



さらに、老いてゆく人間の「こころ」も不安に揺れ動きます。
なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。しかし、日本には老いゆく者の不安な「こころ」を安定させる一連の儀式として、長寿祝いがあります。



そして、人生における最大の儀式としての葬儀があります。
葬儀とは「物語の癒し」です。 愛する人を亡くした人の「こころ」は不安定に揺れ動きます。「こころ」が動揺していて矛盾を抱えているとき、儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の「こころ」はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。葬儀は必要です。



人の「こころ」は、人生のさまざまな場面での「かたち」によって彩られます。人には誰にでも「人生の四季」があるのです。その生涯を通じて春夏秋冬があり、その四季折々の行事や記念日があります。大切なことは、自分自身の人生の四季を愛でる姿勢でしょう。どうか、人生の四季を愛で、「こころ」を豊かにする「かたち」を知っていただきたいと思います。 
人生の四季を愛でる』は6月28日に発売です。
どうぞ、御一読下さいますよう、お願い申し上げます。



2018年6月22日 一条真也