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一条真也の新ハートフル・ブログ

2016-07-30

「シン・ゴジラ」

一条真也です。東京に来ています。
ブログ「弘文堂訪問」で紹介したように、29日の午後から神田駿河台にある出版社・弘文堂を訪れました。その後、日本橋に移動して、日本を代表する某大手企業の役員の方と面談。その夜はコレド日本橋の「TOHOシネマズ日本橋」で、この日から公開された日本映画「シン・ゴジラ」を観ました。




ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『エヴァンゲリオン』シリーズなどの庵野秀明と『進撃の巨人』シリーズなどの樋口真嗣が総監督と監督を務め、日本発のゴジラとしては初めてフルCGで作られた特撮。現代日本に出現したゴジラが、戦車などからの攻撃をものともせずに暴れる姿を活写する。内閣官房副長官役の長谷川博己、内閣総理大臣補佐官役の竹野内豊、アメリカの大統領特使役の石原さとみほか300名を超えるキャストが豪華集結。不気味に赤く発光するゴジラのビジュアルや、自衛隊の全面協力を得て撮影された迫力あるバトルに期待」

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また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「東京湾アクアトンネルが崩落する事故が発生。首相官邸での緊急会議で内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)が、海中に潜む謎の生物が事故を起こした可能性を指摘する。その後、海上に巨大不明生物が出現。さらには鎌倉に上陸し、街を破壊しながら突進していく。政府の緊急対策本部は自衛隊に対し防衛出動命令を下し、“ゴジラ”と名付けられた巨大不明生物に立ち向かうが・・・・・・」




シン・ゴジラ」は大変インパクトのある映画でした。
まず、ゴジラが強過ぎる。自衛隊の攻撃にもまったくダメージを受けない強靭さは、まさに「完全なる生物」であり、神の化身としての「神(シン)ゴジラ」でした。そのゴジラをとにかく駆除しようとする人間側の理論にも違和感を覚えました。ブログ「ファインディング・ドリー」でも紹介した拙著『慈経 自由訳』(三五館)には、ブッダによる「慈しみ」の心が述べられています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。「どうして、ゴジラと人間は共生できないのか」と思いましたが、まあそんなことを考えても仕方ないかもしれません。
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巨大ゴジラ現る!
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ゴジラvs自衛隊



それにしても、現代日本に実際に未知の巨大生物が出現したら、どういった事態が起きるのかということが超リアルに描かれていました。その意味で、この映画は「真(シン)ゴジラ」でありました。「これでもか」というほど、政権とか自民党とか官庁などを揶揄していますが、ちょっと「やりすぎ」といった感じで、鼻につきました。でも、怪獣映画でありながら政治映画にもしてしまった制作側の執念には脱帽です。この作品は一種の「怪作」と呼べるのではないでしょうか。それと、どうしても東京に直下型地震が起こったときのパニックぶりを連想してしまいましたね。




もともと、わたしは怪獣映画が大好きです。来月刊行予定の拙著『死を乗り越える映画』(現代書林)にも書きましたが、SF映画で最初に観たのは怪獣映画でした。わたしが4歳か5歳ぐらいのときに、父が小倉の映画館で上映されていた大映の「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」に連れて行ってくれたのです。その後、同作品で監督を務められた湯浅憲明氏が父が経営するサンレー東京の社員になられたときは驚きました。当時、六本木にあった事務所で大映ガメラ・シリーズのビデオ上映会を湯浅監督の解説付きで行った思い出があります。「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」の洗礼を受けて、怪獣映画好きになったわたしは、少年時代に多くの怪獣映画を観ました。大映が倒産して大好きなガメラ映画を観ることはできなくなりましたが、「東宝チャンピオンまつり」のゴジラ映画をほとんど観ました。  




大学生になってから、ビデオで「キングコング」(1933年)や「ゴジラ」(1954年)を観て、その幻想的な魅力に取りつかれました。この二作は観客の無意識に働きかける強い影響力を持った作品で、「キングコング」が上映された年に、作中に登場する首長竜が突如としてスコットランドのネス湖で目撃されました。今ではネッシーは「キングコング」から生まれた幻影であるという説は有名です。「ゴジラ」も、日本人の心に多大なインパクトを与えました。わが書斎には、ゴジラの大型フィギュアが置いてありますが、1954年に製作された映画「ゴジラ」は怪獣映画の最高傑作などというより、世界の怪奇映画史に残る最も陰鬱で怖い映画だったと思います。それは、その後に作られた一連の「ゴジラ」シリーズや無数の怪獣映画などとは比較にもならない、人間の深層心理に訴える名作でした。
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ゴジラを倒す方法は?
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内閣官房副長官役の長谷川博己



ある心理学者によれば、原初の人類を一番悩ませていたのは、飢えでも戦争でもなく、「悪夢」だったそうです。「ゴジラ」の暗い画面と黒く巨大な怪獣は、まさに「悪夢」を造型化したものだったのです。
 東日本大震災での福島第一原発事故の発端となったのは、同発電所の一号機の水素爆発でした。この「水素爆発」という言葉を聞いた瞬間に連想したのも、やはりゴジラでした。なにしろ、映画「ゴジラ」のサブタイトルは「水爆大怪獣映画」だったのです。

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総理大臣補佐官を演じた竹之内豊
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日本の将来を憂う男たち



この映画が作られた1954年(昭和29年)という年は、日本のマグロ漁船である第五福竜丸が、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験の犠牲になった年です。当時の日本人には、広島、長崎で原爆を浴びたという生々しい記憶がしっかりと刻まれていました。ゴジラは、人間の水爆実験によって、放射能を自己強化のエキスとして巨大化した太古の恐竜という設定です。世界最初で唯一の被爆国である日本では、多くの観客が放射能怪獣という存在に異様なリアリティをおぼえ、震え上がりました。

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米国大統領特使を演じた石原さとみ
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未來の日米を担うふたり



そして、ゴジラの正体とは、東京の破壊者です。アメリカを代表する怪獣であるキングコングがニューヨークの破壊者なら、ゴジラは東京を蹂躙する破壊者なのです。映画「ゴジラ」では、東京が炎に包まれ、自衛隊のサーチライトが虚しく照らされます。その光を浴びて、小山のような怪獣のシルエットが、ゆっくりとビル群の向こうに姿を現わします。それはもう「怪獣」などというより、『旧約聖書』に出てくる破壊的な神そのものです。
海からやって来たゴジラは銀座をはじめとする東京の繁華街をのし歩き、次々に堅牢なビルが灰燼に帰してゆくのです。その後には、不気味なほどの静けさが漂っています。

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わが東宝特撮DVDコレクション
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シン・ゴジラ」の映画パンフレット


でも、「ゴジラ」の怖さは、東京を破壊する怖さではありません。その怖さは、「核」そのものメタファーであるゴジラが東京に近づいてくるという怖さなのです。怪談でいえば、幽霊が登場してからよりも、登場するまでの心理的なストレスこそが怖いのです。そして、「シン・ゴジラ」のゴジラは、原子力発電所のメタファーでもありました。ゴジラが動くたびに東京が放射能汚染されていくのです。まさに移動するメルトダウン!

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首都をメルトダウンがのし歩く!(映画パンフレットより)



やはり、3・11後のゴジラはハンパなく怖いです。
あまり書き過ぎるとネタバレになってしまいますが、地震・津波・原発事故という「東日本大震災」の三大想定外をすべて体現した、途方もないゴジラでした。そのスクリーンに映る雄姿を呆然として観ながら、次第にゴジラの顔が舛添要一元都知事の見えてきました。だって、いま最も東京を破壊したい人といえば、やはり元都知事ではないでしょうか?



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2016年7月30日 一条真也

2016-07-29

弘文堂訪問

一条真也です。東京に来ています。
29日の午前中は互助会関係の打ち合わせをしました。昼は、現代書林の関係者とランチ・ミーティング。次回作である『死を乗り越える映画ガイド』の表紙案などについて打ち合わせましたが、素晴らしいデザインの表紙に決まりました。同書は9月初めに刊行予定です。どうぞ、お楽しみに!

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弘文堂が入っている駿台予備校8号館



それから14時からは千代田区神田駿河台にある弘文堂の本社を訪れました。土居健郎著『「甘え」の構造』をはじめ、数多くの名著を生みだした学術書出版の名門です。特に社会学や宗教学、あるいは文化人類学の分野における殿堂のような存在となっています。わが代表作となる『儀式論』を刊行していただくにあたり、同社の鯉渕友南社長に御挨拶に伺ったのです。

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看板の前で鯉渕社長と



山の上ホテルのすぐ近くのビルに入り、エレベーターで9階に上がると、担当編集者である外山千尋さんが笑顔で迎えてくれました。玄関前に飾られていた「弘文堂」の看板は非常に立派でした。なんでも、東洋史学の大御所として知られた内藤湖南の書だそうです。いやあ、さすがに伝統を感じます。同社の鯉渕社長と一緒に看板の前で記念撮影させていただきました。

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鯉渕社長とガッチリ握手!



また応接間に通され、そこで『儀式論』についての打ち合わせ。
鯉渕社長は『儀式論』について、「よくぞ、ここまでの大作を書かれましたね。驚きとともに敬意を表します」と言って下さり、わたしは感謝の気持ちでいっぱいになりました。鯉渕社長が「よほどの意気込みで書かれたのでしょうね」と言われたので、わたしは「はい、これを書き上げたら死んでもいいと思って書きました」と申し上げると、「死なれては困りますよ」と笑われていました。鯉渕社長はわたしより1つ年上だそうですが、元キリンビールの営業マンだそうで、非常にスマートな常識人であるという印象でした。



外山さんも交え、『儀式論』の造本、定価、部数などについて意見交換。
その結果、四六版(『唯葬論』と同じサイズ)で約600ページ、総クロス張りの箔押し、さらには箱入りという超豪華な本にすることが決まりました。鯉渕社長が「一条さんの代表作ですから、妥協のない最高のものを作りましょう!」と言って下さったのです。わたしはもう、かたじけなさに涙こぼるる思いでした。『儀式論』は10月刊行予定です。どうぞ、お楽しみに!



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2016年7月29日 一条真也

「ファインディング・ドリー」

一条真也です。
東京に来ています。28日は午前中は三五館、午後は日本経済新聞社および日本経済新聞出版社の方々と打ち合わせをしました。日経電子版で好評連載中の「一条真也の人生の修め方」を単行本化する打ち合わせです。
絵本のような作りにするアイデアも出て、非常に楽しみになってきました。




夜は有楽町でアニメ映画「ファインディング・ドリー」を観ました。久々に長女と一緒の映画鑑賞です。長女は前作となる「ファインディング・ニモ」の超ファンで、自分で続編の物語を書いていたほどです。たしか2003年に「ファインディング・ニモ」が公開されたときも、父娘で小倉のシネコンで観た思い出があります。あれから、もう13年が経過したとは!




ヤフー映画の「解説には以下のように書かれています。
「愛くるしいカクレクマノミのキャラクターたちが活躍するアニメ『ファインディング・ニモ』の続編。前作にも登場したちょっぴりドジな愛されキャラ、忘れん坊のドリーに焦点を絞って、彼女の家族捜しの旅に同行する親友ニモと仲間たちの大冒険を映し出す。『ファインディング・ニモ』『ウォーリー』で2度アカデミー賞長編アニメ映画賞に輝いたアンドリュー・スタントンが、本作も監督を担当。新しい仲間たちも加わった心躍る旅路に、大人も子供も引き込まれる」

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また、ヤフー映画の「あらすじには以下のように書かれています。
「カクレクマノミのニモの大親友であるナンヨウハギのドリーは、すぐに何でも忘れてしまう。ある日、子供のころの思い出がよみがえり、一念発起して家族を捜す旅に出ることを決意する。おっちょこちょいなドリーを心配したニモは、父親マーリンを説得してドリーの旅に同行する」




冒頭に登場するベビー・ドリーがとにかく可愛いです。
「わたしはドリー、何でもすぐに忘れちゃうの」とつぶやきますが、本当に彼女は何でも忘れてしまいます。お母さんは「この子は将来、ひとりで生きていけるかしら」と心配して涙を流します。実際、記憶障害をもつドリーは大変な苦労をしますが、持ち前の前向きさでたくましく生きていきます。ドリーはハンディキャップのもつ人のメタファーであると同時に、認知症を患う高齢者などのメタファーにもなっているように感じました。
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ニモ親子とドリー
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ハンクとドリー
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ディスティニーとドリー


ドリーには、マーリン・ニモ親子のような素晴らしい仲間たちがいます。そして、両親を探す旅で出会ったタコのハンクやジンべエザメのディスティニーらにも支えられるドリーでした。「助け合いは人類の本能だ」というのは拙著『隣人の時代』(三五館)のキャッチフレーズですが、魚の政界にも相互扶助が存在したとは!
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ドリーを助けるハンク
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ウミガメのクラッシュとドリー
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ラッコたちとドリー



それにしても、図らずも別れてしまった両親に会いたいというドリーの姿には感銘を受けます。ブログ「島田裕巳氏との対談」で紹介したように、昨日は宗教学者の島田裕巳氏と「葬儀」をテーマに語り合いました。島田氏は、ブログ『もう親を捨てるしかない』で紹介した新刊を書かれて話題を呼んでいるようですが、けっして親を捨てないドリーを見ながら、あらゆる生きとし生けるものは親を慕うのだと改めて思いました。

慈経 自由訳

慈経 自由訳



拙著『慈経 自由訳』(三五館)には、ブッダによる「慈しみ」の心が述べられています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。そして、それは母親がわが子に注ぐ心として表現されています。
ネタバレにならないように気をつけますが、「ファインディング・ドリー」を観て、なぜか『慈経 自由訳』のメッセージを思い浮かべました。




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2016年7月28日 一条真也

2016-07-28

澄み切った心 

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澄み切った水面には、まわりの景色がすべて映っている。
濁った水には、何も映らない。それと同じように、心も澄み切った状態にしておかなければ、自分の周囲で起こっていることを正確に理解することは難しい。
(『十住心論』)




一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
昨年2015年は、高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーでした。
高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われました。この記念として、わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。



空海は「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉



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2016年7月28日 一条真也

2016-07-27

島田裕巳氏との対談

一条真也です。東京に来ています。
27日、宗教学者の島田裕巳氏と対談しました。
島田氏との共著『お葬式を問う』(仮題、三五館)の巻末企画です。
13時から赤坂見附の定宿のレストランで「出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんとランチ・ミーティングしました。

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対談会場の六本木ヒルズの前で
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六本木ライブラリーの中へ・・・・・・



それから、中野さんと一緒にタクシーで六本木ヒルズへ。わたしは腰にコルセットを強く巻いて行きました。まるで、往年の東映ヤクザ映画で高倉健演じる主人公が殴り込みをする前に主人公が腹にサラシを巻くような感じでしたね。そのサラシの中にはドスを隠しているわけですが・・・・・・。
腰の悪いわたしを気遣って、中野さんが荷物を持ってくれました。
49階の六本木ライブラリーへ入ると、島田裕巳氏が待っておられました。この中にある「ヒルズ・アカデミー」の会議室で対談を行いました。
島田氏と直接お会いするのは、もう25年ぐらい前の法蔵館のパーティーでの初対面、ブログ「NHK収録」ブログ「島田裕巳氏と再会しました」などで紹介したイベントに続いて4回目になります。

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島田裕巳氏と
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お久しぶりです!



かつて、わたしは島田氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)というベストセラーに対し、『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。それから5年後、再び島田氏の著書『0葬』に対抗して本書『永遠葬』を執筆しました。

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あれから5年が経ちました・・・・・



意図的なカウンターブックであることを強調するため、判型・ページ数・定価など、『0葬』とまったく同じで、装丁も意識して作られています。 これは版元のアイデアですが、ここまで徹底しているのは見たことがありません。
2冊を並べてみると、映画化もされた某ベストセラー小説のタイトルが浮かび上がってきます。もちろん偶然ですが・・・・・・。

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2冊を並べてみると・・・・・・



なお、本書では『葬式は、要らない』や『0葬』に対する批判を展開していますが、それらの本の著者である島田裕巳氏その人には何の恨みもありません。それどころか、わたしは島田氏を才能豊かな文筆家としてリスペクトしています。島田氏とわたしの間には、さまざまな交流もありました。

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NHKの討論番組収録後、互いの著書を持って記念撮影
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「FLASH」2010年8月3日号                 
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「週刊 東洋経済」2010年12/25−1/1号



意見が違うからといって、いがみ合う必要などまったくありません。意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切です。わたしは何冊ものベストセラーを出しておられる島田氏を文筆家としてリスペクトし、葬儀についての意見を交換していきました。

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まずはお互いの近況報告から・・・
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いよいよ対談スタート!



議論のポイントは、以下の通りです。
●直葬をどう考えるか?
――急増している直葬について、両者の立場から議論を深めました。「直葬は、葬儀なのか? 遺体処理なのか?」「どの程度の直葬ならば“儀式”として認められるか?」
●仏式葬儀の是非(問題点)
――現在の葬儀の主流(読者の多くも体験する)でもある仏式葬儀について、そのおかしさや問題点をさらに掘り下げる。
●墓の問題――葬儀と切り離せない墓のテーマについても現状の問題点と、今後の姿を論じる。

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語る島田裕巳



●自然葬のあり方
――島田氏がわたし宛の書簡に「海洋散骨は、海に捨てているだけではないかと思った」と書いておられたのが印象的でした。この問題について論を深めながら、未来志向の葬儀のあり方とはどんなものかを探る。
●「0葬」の是非
――ここは二人の見解が対立する部分であり、意見をぶつけ合う。
●家族を求めない社会←→隣人の時代
――「葬式を有用とするか、無用とするか」は人生観、あるいは社会観と一体となったテーマでもある。島田氏の「二度死んだ」事実などを踏まえながら、二人の人生観・社会観を語り合う。

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わたしも語りました



●無縁社会をどう捉えるか?
――島田氏は「無縁社会は豊か」と書いておられますが、わあしはこれに強く反発しています。このテーマについて議論を深めてきます。
●死者の「たましい」、遺族の「こころ」――島田氏宛の書簡に、わたしは「死者のたましいと、遺族のこころについての視点が抜け落ちている」と書きました。あわせて「島田さんは唯物論者なのでしょうか」と問いかけました。対談の中で、島田氏からこの問いへの答えを聞く。
●「生きている人が死んでいる人に縛られている?」
――これは島田氏からの問題提起です。わたしは島田氏宛の書簡で「生きている人間は死者に支えられている」と反発されていますが、具体的にどのようなかたちで支えられているのかなど、テーマを深めました。

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対談のようす
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ついに島田氏と対峙する!



●「葬送の自由をすすめる会」会長だった島田さんへ、どういうスタンスでこの会長職を引き受けられたのか?――わたしから島田さんへの問いです。
●互いの著作(『葬式は、要らない』『葬式は必要!』)(『0葬』『永遠葬』)をそれぞれどう読んだか?
●大きな変化のさなかにある葬儀に必要な新しい意味とは?
――議論の一致点を探す。島田氏は、これからの時代の葬儀に新しい意味があるとすれば、どのようなものだと考えているのか?

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大いに持論を述べました



また、下記のテーマについても大いに語り合いました。
●贅沢葬儀の代表(?)としての「社葬」をどう考えるか?
●葬儀とお金
●自分(島田裕巳氏、一条真也)は自らの葬儀をどうするか? どういう弔い方をされたいか?

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島田氏の話を静聴しました
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わたしも語りました
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わたしの話を聴いて下さいました



以上のようなテーマについて、島田氏とわたしは数時間にわたって縦横無尽に語り合いました。じつは前日、わたしは監査役を務める互助会保証株式会社の取締役会に出席したのですが、そこで冠婚葬祭総合研究所の寺坂社長にお会いしました。わたしが「明日、島田裕巳氏と対談するのですよ」とお伝えしたところ、寺坂社長は「どうぞ、お使い下さい」と言われ、「葬祭等に関する意識調査(団塊世代を中心に)調査結果報告書」(冠婚葬祭総合研究所)という分厚い資料を渡して下さいました。豊富なデータで日本人の葬儀事情が詳しく報告されており、とても参考になります。それを前夜に読み込み、対談当日もこの資料を持参しました。
本当にいろんな方々の想いを背負って、島田氏と対談しました。

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会議室からの素晴らしい景観



島田氏とは意見の一致も多々あり、まことに有意義な時間を過ごすことができました。弁証法のごとく、「正」と「反」がぶつかって「合」が生まれたような気がします。それも非常に密度の濃いハイレベルな「合」です。
最近、原発や安保の問題にしろ、意見の違う者同士が対話しても相手の話を聞かずに一方的に自説を押し付けるだけのケースが目立ちます。ひどい場合は、相手に話をさせないように言論封殺するケースもあります。そんな大人たちの姿を子どもたちが見たら、どう思うでしょうか。間違いなく、彼らの未来に悪影響しか与えないはずです。わたしたちは、お互いに相手の話をきちんと静聴し、自分の考えもしっかりと述べました。

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理想的な議論が実現しました



当事者のわたしが言うのも何ですが、理想的な議論が実現したのではないかと思います。けっして馴れ合いではなく、ときには火花を散らしながら、ある目的地に向かっていく。今後の日本人の葬送儀礼について、じつに意義深い対談となったように思います。いま大きな話題になっている「ポケモンGO」の話題も出ましたが、わたしは「冠婚葬祭とはリアルそのものです」と述べました。島田氏からは「もちろん、葬式は必要ですよ」「結婚式はもっと必要ですよ」との言葉も聞くことができて、大満足です。対談を終えて、わたしは「葬儀は人類の存在基盤である」という持論が間違っていないことを再確認しました。詳しい内容はここに書きませんが、10月刊行予定の『お葬式を問う』島田裕巳一条真也著(三五館)をぜひお読み下さい。



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2016年7月28日 一条真也

『自死』

自死: 現場から見える日本の風景


一条真也です。東京に来ています。
27日、ついに宗教学者の島田裕巳氏と「葬儀」をテーマに対談します。
時は来た!」という感じですが、前向きな対談にしたいと願っています。
さて、『自死』瀬川正仁著(晶文社)を読みました。
「現場から見える日本の風景」というサブタイトルがついています。著者はノンフィクションライターで、1978年、早稲田大学第一文学部卒業。80年代より映像作家として、アジア文化、マイノリティ、教育問題などを中心にドキュメンタリーや報道番組をつくってきたそうです。それらの経験をもとに、さまざまなジャンルのノンフィクションを手がけているとか。著書に、『老いて男はアジアをめざす』『若者たち―夜間定時制高校から視えるニッポン』『集める人びと』(バジリコ)、『アジアの辺境に学ぶ幸福の質』(亜紀書房)、『教育の豊かさ 学校のチカラ』(岩波書店)などがあります。

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本書の帯



本書の帯には「自ら選んだわけじゃない。」のキャッチコピーとともに、以下のように書かれています。
「治安はどこよりもよいのに、飛びぬけて自死の多い国、日本。生命保険の取り決め、向精神薬の薬害、ギャンブル依存症、金銭問題・・・・・・複雑に絡み合う問題の根は、どこにあるのか」



またカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。
「日本は先進国のなかで、飛びぬけて自死の多い国である。それは、なぜなのだろうか。学校で、職場で、家庭で、人を死にまで追い込むのは、どのような状況、心理によるのだろうか。また遺族は、親しい人の死をどのように受け入れていくのか。借りていた部屋の損害賠償の問題や生命保険の取り決め。向精神薬の薬害、貧困、ギャンブル依存症など、複雑に絡み合う自死の人の問題点を読み解き、自死をした人の家族会、医師、弁護士、宗教家など、問題にかかわっている多くの人びとを取材しながら、実態を明らかにする」

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本書の帯の裏



本書の「目次」は以下のようになっています。
序   「自死」にこだわる理由
第一章 学校と自死
第二章 職場と自死
第三章 宗教と自死
第四章 精神医療と自死
第五章 責任と自死
第六章 高齢者と自死
「あとがき」にかえて
主な参考文献



序「『自死』にこだわる理由」の冒頭を、著者は以下のように書き出します。
「日本が自死大国と呼ばれるようになって、どのくらいたつのだろうか。政府の統計によると、日本の自死者数は1998年から2011年までの14年間、連続して3万人を超えている。2009年をピークに自死者の数は減少に転じたものの、いまだに年間2万50000人近くが自ら命を絶つ、世界有数の自死大国であることに変わりはない」



また、日本における自死者の数について、著者は以下のように述べます。
「日本政府は、自死者の数が2万5000人を切ったことで自死対策の成果を強調している。ただ、ここで注意したいのは、私たちが知らされる自死者の数は、日本政府が『自死』であると認定した人の数のことであり、実際に自死している人の数はそれよりずっと多い。それは数字のマジックというより、数え方の違いによるものだ。
これはしばしば指摘されることだが、日本では毎年17万人ほどが『異常死』を遂げている。『17万人の異常死』と聞くと思わず身構えてしまうかもしれないが、『異常死』とは専門用語で、医師の診断によって原因が特定された以外、すべての死が『異常死』に分類される」



さらに著者は、日本が「世界に冠たる治安の良い国」だと言われていることを指摘しつつ、以下のように述べます。
「日本で暮らす外国人の多くが日本の魅力の筆頭にあげるのが、『おもてなし』の心でも、『便利さ』でもなく、『治安の良さ』だ。確かに、2012年の統計を見ると、日本の殺人件発生率はアメリカの15分の1、ブラジルの84分の1、最も高かったホンジュラスの300分の1に過ぎない。それほど日本は治安の良い国なのだ。だが、ここまで見てきたように日本は世界に冠たる『自死大国』でもある」



本書では、「自殺」という言葉を使わず、一般にはなじみの薄い「自死」という言葉が使われています。この点について、著者は考えを述べます。
「『自死』という言葉は、差別と偏見に苦しんできた多くの遺族が望んだ表現であり、遺族たちの請願によって、島根県、鳥取県、宮城県のように公文書の表記をすべて『自殺』から『自死』に変えた自治体もある」



続けて、著者は「自死」という言葉について以下のように述べます。
「実は私自身、『自ら命を絶つ』という行為を表現するのに、どのような言葉が適切なのか、いまだによくわからない。ただ、『Suicide(18世紀以前はself−kiling)』という英語の翻訳である『自殺』という言葉が、複合的な要因の中で『死』に追い込まれていった個人の状況を正しく伝えておらず、また、『自殺』という言葉の持つ差別と偏見にまみれた既成概念が、名称を変えることで、少しでも変化するための一助になればとの思いから、本書では『自死』という言葉を使うことにした」
わたしは、これまで「『自殺』でも『自死』でもどちらでもいいのではないか」と考えていましたが、本書を読んでからは「自死」という言葉を使うべきであると思いました。



第一章「学校と自死」では、「若者の自死は増えている」として、著者は以下のように書いています。
「15歳から39歳、いわゆる若年層の自死率に限ると、日本は先進国の中でダントツの1位なのだ。さらに看過できないのは、15歳から34歳までのすべての世代において、死亡原因の第1位が『自死』となっている。これはG7と呼ばれる先進国の中で、日本にしか見られない現象である。しかも近年、自死する若者の数は確実に増えている。バブル経済が崩壊した1991年と22年後の2013年を比べてみると、15歳から24歳までの若者の自死率は2倍以上になっている。ところが、この重大な事実は見落とされがちだ。この30年の間に30歳以下の若者の数が4割も減っているため、総数だけを見ているとほぼ横ばいだからである」



また、「若者を取り巻く状況」として、以下のように書かれています。
「『希望の喪失』、あるいは『閉塞感』といったキーワードは、状況こそ違え、いまの若者にも通底している気がする。その象徴的な出来事のひとつに『就活自死』がある。警察庁の自殺統計によると、2007年から2014年の8年間に、就職活動が原因で自死した若者は302人いる。また未遂者は実際に亡くなる人の10倍といわれるので3000人以上が自死を試みたと推定される。ある新聞社が就活をしている学生にアンケートをとったところ、2割の学生が就活中に死にたいと思ったことがあると答えている」



さらには、「いじめの誕生」として、以下のように書かれています。
「文部省(現在の文部科学省)が学校における『いじめ』の統計を発表するようになったのは、『現代用語の基礎知識』に『いじめ』という言葉が掲載された翌年、1985年度からだ。きっかけになったのは1986年2月、つまりその年度の終わりに起こった、東京の中野富士見中学の『いじめ自死』事件とされている。当時中学2年生だった鹿川裕史君(13)が、『このままじゃあ、生きジゴクになっちゃうよ』という遺書を残して命を絶った。その後、『葬式ごっこ』を初めとした鹿川君に対するむごい『いじめ』の実態が明らかになったことで、学校における『いじめ』が、日本における重要な社会問題のひとつであるという事実を日本国民全体が共有したのだ」

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数珠を持ったまま投票する山本太郎議員(写真:時事通信社)



ブログ「葬式ごっこ許すな!」にも書いたように、昨年9月18日、安保法案で揺れる参院本会議で牛歩を続けていた「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表は、壇上で議席を振り向き、安倍晋三首相に向かって焼香するふりを数回繰り返しました。議場は山本氏の一連の行動を批判する激しいヤジに包まれましたが、とんでもない行為です。

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安倍首相に向かって合掌する山本太郎議員(写真:時事通信社)




生きている人間に対して焼香の仕草をしたわけです。こんなことが学校などで流行したら、どうするのでしょうか。自分の考えにそぐわない者、気に食わない者に対して焼香・合掌のパフォーマンスを行うことが流行したら、どうなりますか。多くの人たちは、かつて自殺者を生み、大きな社会問題にもなった中野富士見中学の「葬式ごっこ」を連想したのではないでしょうか。こういう大人の行為を子どもは真似するのです。いじめを誘発するような愚行を犯した山本太郎には国会議員の資格はありません。



「『いじめ自死』ゼロという現実」では、文部科学省の統計に、いじめ自死「ゼロ」と記録されている2006年、山形県米沢市の県立高校に通っていたある女子高生が「くさい」などの言葉の暴力を長期間にわたって受けていた事実が明かされます。2006年11月、彼女は通っていた高校の渡り廊下から飛び降りて、自ら命を絶ちました。携帯電話の中に「詩」という形で自分の心の内を書き残していましたが、その中の「遺書」として書かれた文章には以下のような言葉があります。



 皆は恵まれすぎているから退屈なんだ。
 恵まれすぎてて、心が貧しいんだ。
 だから戦争をしろって意味じゃないけど。
きっとアフリカの難民の方が温かい心を持っているね
 日本人は心がスカスカしていて、濁っていて、曇り空みたいだ。


 平和なんて幻想掲げて何するの?
 そんなの一生手に入らないよ
 私みたいな狭い世界で暮らしている子でさえも、差別を受けているのに


 
この世は悲しみと喜びがあるから美しい。
 6の悲しみと、4の喜び。
 これが、私の中のこの世の比率。
 なにもない。0
 これが、私の中の死という考え。
 6つの悲しみと4つの喜びより、起伏もなにもない0へ。
 臆病な私は、0へ。



第二章「職場と自死」では、「『過労自死』の真相」として、自死した病院の小児科部長のケースが紹介されます。彼は、部長会議の席で、毎回のように小児科の収益性が低いことを責められていました。そして、収益を伸ばすように叱咤されていたそうです。しかし、著者は以下のように述べます。
「小児科はそもそも収益率が悪い診療科なのである。そのため、最近では小児科を置かない総合病院も増えている。一番の理由は、子どもは大人のように症状を手短に、しかも正確に訴えられないことだ。そのため、小児科医の重要な能力のひとつは、子どもから病状を正しく聞き出すコミュニケーション能力であるといわれる。当然のことながら、子どもの心を開かせるためには色々な話をし、その合間に質問をぶつけるなどしなければならない。大人を診察するようにテキパキとは進まないのが普通だ。また、注射や検査をいやがる子どももいる。そんなこんなで、子どもの診療時間は大人の2倍、3倍かかることも珍しくない。それにもかかわらず、現行の報酬システムでは、子どもであろうと大人であろうと、1人あたりの診療報酬は同額なのである」



また、「若者を潰すブラック企業」では、以下のように述べられています。
「流行語大賞にもなった『ブラック企業』という言葉の力もあって、若者を酷使する企業の実態は少しずつ明らかになってきている。『ブラック企業』の定義は、長時間労働、サービス残業という名の賃金の不払い、それにパワーハラスメントやセクシャルハラスメント、これら3つのうちのどれかひとつ、あるいは、いくつかが多発している企業ということになる。かつては、そうした企業は裏社会と結びついていたり、明らかに怪しげな空気を漂わせていたので、比較的容易に見抜けた。ところがここ20年あまり、私たちが名前を知っている有名企業でも、同様のことがおこなわれていることが明らかになってきた」



著者は「名ばかり店長」などの事例を紹介した後、述べています。
「100円コンビニ、280円の牛丼店、激安の居酒屋。景気回復に明るい未来が見えない中、消費者が安い物に飛びつくのはある程度仕方ないかもしれない。だが、行きすぎた価格競争は、最終的には人件費を削ることでしか達成できない。私たちは、そのために低賃金で過酷な労働を強いられている多くの労働者がいることを忘れてはならない、と感じている」



「『過労自死』を生む土壌」では、著者は「安息日の掟」に言及して、以下のように述べています。
「ヨーロッパの多くの国では、1週間の労働時間の上限が48時間と定められていて、いかなる理由があっても、それ以上働かせてはならないという法律がある。また、仕事の終了から、翌日の仕事開始まで最低11時間の休息を与えなければならないことも法律で決まっている。そうした制度が堅持されている背景には、社会が共有している確固たる思想があるからだ。それは、冒頭で紹介した旧約聖書の『安息日の掟』と無関係ではないと思う。『安息日の掟』は、単に『休日には仕事をするな』という意味ではない。人間には金儲けや日々の生活の糧を稼ぐこと以上に大切な仕事がある。それは神が考える理想の社会を実現するために人々が思索を巡らすことである」



続けて、著者は「安息日の掟」について以下のように述べます。
「現世の垢にまみれ、思考停止に陥るまで働き詰めの暮らしをしていたら、人として一番大切な仕事、「世の中をよくするための思索を巡らす」という仕事ができなくなってしまう。それは人として重大な過ちを犯したことになる。『安息日の掟』はそうした理念のもとに生まれた。そして、旧約聖書を聖典とするユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界は、いまもその理念を受け継いでいる。日本社会は『何にも縛られない自由な時間を持つことこそが人間の責務だ』という古の人々の英知を、もう一度噛みしめる必要があるのかもしれない」



第三章「宗教と自死」では、「『自死』に冷淡な宗教」として、カトリックが取り上げられます。著者は以下のように述べます。
「693年のトレドの宗教会議で、『自死者はカトリック教会から破門する』という宣言がなされ、『自死』が公式に否定されたのだ。さらに名教皇といわれた聖トマス・アクィナスが、『自死は生と死を司る神の権限を侵す罪である』と規定したことで、『自死=悪』という解釈が定まったといわれている。その結果、自死者は教会の墓地に埋葬してもらえないという時代が長く続いた」



イスラム教についても同様です。著者は述べます。
「もうひとつの一神教の雄、イスラム教においても、自死は地獄へ落ちる行為とされている。その根拠とされるのがコーランの『婦人章』第29節と30節にある。その中で、『あなたがた自身を殺し(たり害し)てはならない』と明確な禁止の啓示が下されていて、さらに、『もし敵意や悪意でこれをする者あれば、やがてわれは、かれらを業火に投げ込むであろう』と続けている。つまり、自殺は地獄へと通じる行為であることを示唆している」



そして、仏教の場合はどうか。著者は以下のように述べます。
「日本人に身近な仏教の世界で、ブッダの教えの中に『自死』に対する特別な言及はない。つまり、肯定も否定もしていないのだ。ただ、仏教では殺生は十悪の1つとされていることから、自分で自分の命を絶つ『自死』を殺生のひとつと解釈する僧侶は少なくない。そのため、自死で命を落とした人にむごい戒名をつけたり、キリスト教同様、墓地に埋葬することを拒むなどの差別が長年にわたって行われてきた。このように、仏教思想の中に、『自死』=『自分に対する殺生』という考えがあるかどうかは別として、『無明(浅い考え)や煩悩(世俗の悩み事)によって自死するのは好ましくない』という考えが仏教界全体の基本認識になっているようだ」



日本においては、「自死者」は「地縛霊」になると考えられることが多いです。「『地縛霊』のたたり」として、著者は以下のように述べます。
「自死者や殺人事件の犠牲者はこうした『地縛霊』になるケースが多いと信じられている。日本人が自死者や殺人事件の犠牲者に対する強い忌避の念を持つ背後のひとつに、この『地縛霊』の存在があると思われる。『地縛霊』の解釈については一様ではないが、一般的には、その土地に近づいた人に災いを起こしたり憑依したりして悪さをする霊と考えられている。例えば、『地縛霊』がいる部屋で暮らす人はそのせいで病気になったり、その場所に駐車場をつくったとすれば、その駐車場を利用する自動車が事故を起こしやすくなると考える。こうした信仰に基づく迷信は根が深く、日本人が自死に対して持つ偏見と深い関わりを持っていると思われる」

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上智大学での特別講義のようす



ブログ「上智大グリーフケア講義」で紹介したように、7月20日、わたしは上智大学グリーフケア研究所で特別講義を行いましたが、そこでカトリックが自死者を否定していることを取り上げました。しかし、自死はけっして「自ら選んだ」わけではなく、魔や薬のせいという要素も強いと言えます。ただでさえ、自ら命を絶つという過酷な運命をたどった人間に対して「地獄に堕ちる」と蔑んだり、差別戒名をつけたりするのは、わたしには理解できません。それでは遺族はさらに絶望するというセカンド・レイプのような目に遭いますし、なによりも宗教とは人間を救済するものではないでしょうか。



しかし、最近では流れが変わってきました。著者は述べます。
「『自死』が社会問題化し、また自死遺族たちが声をあげたことで、長い間、『自死』を差別してきた伝統宗教の世界にも変化の兆しが見えている。例えば、キリスト教の世界ではローマ法王であった聖ヨハネパウロ2世が1995年の『回勅』の中で、「自殺者を断罪するのではなく、自死を選ばざるを得なかった人生を神に委ねる姿勢が大切だ」と、自死者に対する過去の対応の過ちを認めて謝罪した。もちろん、キリスト教が『自死』を正しい行為だと認めたわけではない。自死にいたった苦しみや遺された遺族の悲しみに、キリスト教があまりに無頓着だったことを詫びたのだ」

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上智大学での特別講義のようす



この「自死者に対して、キリスト教はどうすべきか」という問題は、上智大学グリーフケア研究所が取り組むべき最大の課題ではないかと思います。著者は述べます。
「いまでも、カトリックの世界には『自死』は罪であるという考えが根強い。しかし、近年、教会内部でも自死者に対する名誉回復の動きが進んでいる。一方、差別的な戒名などによって、長年『自死』を差別してきた日本の仏教界も、日本社会における自死者の急増を受け、これまでの『自死』に対する向き合い方を見直そうという動きが広まっている」



著者は、「『自死』した人は弱かったのか」として、以下のような自死者についての素晴らしい例え話を披露します。これには本当に感心しました。
「例えばコップを床に落として割ってしまったとする。もし、床に落としたのがガラス製でなく、金属やプラスチック製のコップだったとしたら、おそらく割れなかったに違いない。ガラスはこうした素材に比べて衝撃に『弱い』という性質がある。それでは、壊れやすいガラスは食器として金属やプラスチックよりも劣っているだろうか。多くの人が、食器に金属やプラスチックではなく、壊れやすいガラスや陶磁器を使い続ける理由は、ガラスには壊れやすいという欠点を差し引いて余りある長所があるからだと思う。ワインをアルミニウムやプラスチックのコップで飲んだとしたら、美味しいと感じるだろうか。会席料理をアルミニウムの皿に盛りつけて食べて、美味しいと感じるだろうか」



続けて、著者は以下のように述べています。
「同様に、仮に自死した人がある種のストレスに対する耐性が弱かったとして、それをもって彼らを『弱かった』と結論づけてよいのだろうか。彼らの『脆さ』は、『優しさ』や『思いやりの深さ』など、人間の美しさと対になっていることが多いと私には思える。様々な要因で自死に追い込まれた人たちは『弱い人間』だったのではなく、他者を傷つける代わりに自分自身を追い込むことで問題を解決しようとした、『心優しい人』だったのかもしれない。もちろん、ストレスに強い体質をつくることは厳しい生存競争のある社会を生きてゆく上で重要なことだろう。だが、そうでなかったからといって、そのことで自死した人を非難したり見下したりするのではなく、我々がするべきは、1人の人間を『自死』するまでに追い込んだ状況こそを問うてゆくことではないか」



第四章「精神医療と自死」では向精神薬をめぐる闇について言及され、「多剤、大量処方という問題」として、著者は以下のように述べています。
「向精神薬による治療の問題点を整理してみる。まず最初にあげなければならないのは、向精神薬は脳内物質をコントロールするという高いリスクを伴う薬品であるにもかかわらず、その危険性に対する認識があまりにも希薄なことだ。それを改善するためには、まず厚生労働省など公的機関が、向精神薬を投与した患者がその後どんな人生を歩んだのかをデータ化し、真実をありのまま公表する必要がある。しかし、識者たちの再三の要請にもかかわらず、追跡調査はいまだにおこなわれていない。これは原発事故などによる低線量被曝が、人体にどのくらいのダメージを与えるのかというデータが、公には未だに存在していないことと同じかもしれない。この基礎データがないため、良い変化が現われれば『向精神薬が効いた』と称し、悪い変化が起こると『病状が悪化した』という妄言がいまだにまかり通っている。だが、知識のない一般人には、それに反証するすべがないのだ」



第五章「責任と自死」では、「『腹切り』と『特攻』」として、著者は切腹について以下のように述べています。
「自死するとき『腹』を切るのは、『腹部には人間の霊魂と愛情が宿っている』という古くからの考えが関係している、と新渡戸稲造氏は『武士道』の中に記している。日本語には、『腹黒い』、『腹が立つ』、『腹芸』など、精神性を表す言葉の中に、『腹』を使った語句が数多くある。だが、こうした考え方は日本独自のものではなく、元々中国にあったといわれていて、実際、かつては中国や韓国にも『切腹』の習慣があった。さらに腹を切るという所作のルーツを遡ると、太古の時代、身の潔白を証明するために内蔵を取り出して占うという風習があったことが関係しているともいわれている。そうした文化が武家社会に受け継がれ、江戸時代に様式化された結果、日本独特の『切腹』文化になったというのだ」



また、ヨーロッパの「決闘」をめぐって「生き残ること」=「善」か否かという問題が以下のように述べられています。
「ヨーロッパの『決闘』の起源は、中世の裁判において、真実がはっきりせず、人間である裁判官に白黒がつけられないとき、神の声を聞くためにおこなわれたのが始まりだという。その根底には、神が正しい人間の命を奪うはずがない、という思想がある。つまり、ヨーロッパ社会には『生き残ること』=『善』という考え方があり、公式の裁判とは別に、「決闘」で白黒をつける風習は20世紀初頭まで続いた」



続けて、著者は日本人の死生観について述べています。
一方、日本人には、『生き残ること』=『善』という考え方は皆無に近い。『負けるが勝ち』という言葉があるように、武士にとって、戦って相手に殺されたら負けであるが、自ら命を絶てば負けにはならない、という不思議な考え方がある。つまり、身の潔白を証明するために自らの命を絶つ勇気が、武士社会という共同体の中で評価を得ることによって、生き残った相手に後ろめたさを感じさせ、結果として勝利するという考えだ」



また、著者は「贈与のための『自死』」として、生命保険について以下のように述べています。
「生命保険の歴史は15世紀のヨーロッパで始まったとされている。それは、今の生命保険の概念とは少し違っていて、奴隷貿易が盛んだったヨーロッパで奴隷を積んだ船が遭難事故や事件に巻き込まれた際、失った奴隷の数に応じて規定額を支払うという形の保険だった。その後、様々な経緯を経て、生命保険が現在の形になったのは18世紀のイギリスだった。ハレー彗星でその名を遺したエドモンド・ハリー氏が統計を元に、年代ごとの死亡リスクを算出し、それに応じた保険料を徴収し、死亡時に保険金を支払うという現在のビジネスモデルをつくったのだ」



続けて、著者は、日本における生命保険について述べます。
「日本でも生命保険は明治初期に導入された。しかし、『人の命で金儲けをするのはけしからん』という考えの人が多かったため、ビジネスとしては成功しなかった。当時の日本には相互扶助する社会があったことも保険制度が成功しなかった一因といわれている。最初に成功した保険は『徴兵保険』と呼ばれるものだった。それは死亡時にまとまった金を受け取るというより、働き手が徴兵されたことによる一家の暮らしを支えるためのもので、幼少時から保険金を積み立てておくと、徴兵期間中、保険会社から生活支援金を受け取れるという形の保険だった、現在の学資保険に近い形のものかもしれない。日本に現在のような生命保険のシステムが定着したのは第2次世界大戦後のことだ。戦争未亡人の働き場所のひとつとして、日本生命などでお馴染みの生保レディがその推進役を担った。そして、日本の核家族化と足並みを揃えるように、保険に加入する人の数は大幅に増えていったのだ」

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ミャンマーのアーナンダ寺院にて



第六章「高齢者と自死」では、希望を喪失した高齢者による「新幹線・焼身自殺事件」から見えてくるもの」として、日本の高齢者には絶望している人が多いが、上座仏教国であるミャンマーの場合は事情が違うことを紹介します。著者は、以下のように述べています。
「軍事政権が長く続いたミャンマーには、年金をはじめとした社会保障制度などないに等しい。また、医療水準も低く、日本では問題にならないような病気で簡単に命を落とす人がいる。それでも、彼女は日本社会を観察していて、この国の高齢者たちの『孤独』を感じ取っていた。『ミャンマーではお年寄りがいると、親戚や近所の人など、色々な人が遊びに来て言葉をかけてくれます。子どもや孫、家族が集まるときはいつも輪の中心にお年寄りがいます。だから、寂しいと感じることがないのです』」

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ミャンマーのニャンウー・マーケットにて



続けて、著者はミャンマーについて以下のように述べます。
「私の知る限り、ミャンマーに限らず社会制度の整っていない発展途上国で、子どもが親の面倒を見ないという選択肢は存在しないし、子どもがいないお年寄りは、親戚の誰か、もしくは近所の人が面倒を見てくれるのが普通だ。長い間、そういう社会が営まれてきたのだ。儒教の影響が強く、家という制度を大切にしてきた日本人にも、かつては高齢者にはそれなりの敬意と心遣いがあったと思う」



日本の年金の金額設定は低いですが、それはなぜでしょうか。
その理由について、著者は以下のように説明します。
「現在の年金制度ができたのは1959年のことだ。当時、日本の核家族化はまだ進んでおらず、しかも、サラリーマンの多くは正規社員で、終身雇用もほぼ約束されていた。そのため、老後は親族の支えが期待できる上、退職金などによる蓄えもそれなりにあるという前提があったからだ。また、平均寿命も今よりずっと短かったため、現役時代の蓄えだけで、亡くなるまでの生活費をまかなえる人が多かった。こうしたことを前提につくられた年金制度には、生活補助金という側面が強かったのだ」



続いて、著者は以下のように説明します。
「ところが時代が変わり、1人暮らしの高齢者は2011年の時点で500万人を超え(総務省『国勢調査』)、65歳以上の高齢者の5人に1人以上が1人暮らしという状況になった。また、企業が正規社員を減らしてきたため、低賃金で貯蓄ができない上、退職金もない雇用形態で現役生活を終える人が増えている。そのため、年金の持つ意味合いが大きく変わっているのだ。ところが、日本の社会保障制度はそれに対応したシステムに変更できないまま、生活補助金程度の額しか支給できていないのである」



「ギャンブル依存の高齢者が増えている」として、著者は述べます。
「アメリカではカジノをはじめ多くのギャンブルが合法化されていて、その総収入はおよそ10兆円といわれている。それに対して、日本最大のギャンブルであるパチンコ業界の総売上は年間20兆円、その粗利は3兆6000億円といわれている。アメリカの人口が日本のほぼ2.5倍あることを考えると、人口換算で、パチンコ業界だけでアメリカの全ギャンブルにほぼ匹敵する利益を上げていることになる。しかも、日本にはそのほかにも、宝くじ、競馬、競輪、競艇など大型の公営ギャンブルもあり、それらの利益の総額は5兆円を超える。つまり、日本は、アメリカをはるかに凌ぐギャンブル大国なのである」



また、日本のギャンブル依存の最大の温床になっているパチンコ店が、業務区分上は「ギャンブル場」でなく「遊技場」であるという重要な事実を述べた後、著者は、その理由を以下のように説明します。
「理由は、パチンコで勝っても球と直接交換できるのはあくまでも景品であって、現金ではないからだという。だが、景品を取るためにパチンコをやる人などほぼいない。大半の客は、お金を目当てにパチンコ店に足を運んでいるのだ。ところが、パチンコ業者と換金業者が別の事業体であるという理由で、『パチンコ店はギャンブル場ではない』という詭弁がまかり通っている。その結果、ギャンブルに対する規制をいくらつくろうとしても、日本最大のギャンブル場であるパチンコ店がそれをすり抜けてしまうのだ」



「自死現場から見えてくるもの」では、現在の日本で起こっている「自死」の多くには通底する要因があり、それを短い言葉で表現すれば「経済効率を最優先する社会」であるとして、著者は以下のように述べます。
「人は太古の昔から『効率』のよいものを求めて前進してきた。交通についていえば、2足歩行にかわって馬車を考えだし、さらに蒸気機関車や自動車へと進化させてきた。限られた時間しか生きられない人間にとって、『効率がよいこと』は極めて重要だと思うし、文明は、「効率のよさ」を求める人々の心と不可分に結びついて発展してきたのだと思う。だが、過度に『効率』を追い求めることには必ず副作用がある。例えば、人間の身体能力をはるかに超えたスピードで走行する自動車という乗り物ができるまで、交通事故による死者など数えるほどしかいなかったはずだ。『効率』が『経済効率』と同義語になった現代、『効率』を追い求めることに伴う副作用はさらに増大している。『自死』の増加もそのひとつだと思う」



「『あとがき』にかえて」の最後では、作家の故・寺山修司氏が日本を評して言った「私たちが問題にすべきは『幸福』の不在ではなく、『幸福論』の不在なのだ」という名言が紹介されます。そして、著者は「私たちは、目先の利害だけでなく、自分たちの生きる社会をどうしてゆくべきなのか、真剣に考えなければならないときにさしかかっていると思う。毎年、『自死』によって失われてゆくおびただしい数の命は、私たちにそのことを伝えようとしている」と述べるのでした。



非常に重苦しい内容でしたが、「小児科の収益率」とか「向精神薬の危険性」とか「生命保険の歴史」とか「パチンコ産業の背景」とか、これまで知らなかったことがたくさん書いてあって勉強になりました。「自死」は日本全体で取り組むべき最重要テーマであると思います。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月27日 一条真也

2016-07-26

『玄冬の門』

玄冬の門 (ベスト新書)


一条真也です。
『玄冬の門』五木寛之著(ベスト新書)を読みました。
国民作家である著者が「老い」を正面からとらえた最新作です。
ブログ『下山の思想』ブログ『嫌老社会を超えて』で紹介した本と同じく、「いかに老いるか」を考えた内容になっています。

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本書の帯



本書の帯には著者の上半身の写真とともに、「元気に老いるレッスン!」「青春、朱夏、白秋に続く人生の4番目の時期を、自由で最良のステージにする生き――」「やがて老いる準備、老いてからの覚悟」「この門をくぐれば新しい世界が開ける!」と書かれています。

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本書の帯の裏



また、帯の裏には以下のような著者の言葉が紹介されています。
「人間はオギャーと生まれたその日から、
死のキャリアとしてこの世に生き、
約束された死は必ず実現する。
いわば死を抱えながら生きる病人としてこの世に生まれ、
再び『大河の一滴』となって海に帰る。
肉体としての自分は消えてなくなるけれど、
大きな生命の循環の中に、命のエネルギーは溶け込んでいって、
そこで永続する。だから、天上天下唯我独尊。
犀の角のごとく独り歩めというブッダの言葉のように、
孤独死、結構ではないかと思うのです」



さらにカバー前そでには、「孤独の楽しみを満喫する7つのすすめ」として、「玄冬の門をくぐれば、それまでの人生のあらゆる絆を断ち切り、そして、孤独の楽しみを発見する。そこに広がる軽やかで自由な境地を満喫するために」と書かれています。「7つのすすめ」は以下の通りです。
(1)同居自立のすすめ
(2)非相続のすすめ
(3)再学問のすすめ
(4)妄想のすすめ
(5)趣味としての養生のすすめ
(6)楽しみとしての宗教のすすめ
(7)単独死のすすめ



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
第1章 未曾有の時代をどう生きるか
第2章 「孤独死」のすすめ
第3章 趣味としての養生
第4章 私の生命観
第5章 玄冬の門をくぐれば

死ぬまでにやっておきたい50のこと

死ぬまでにやっておきたい50のこと



第1章「未曾有の時代をどう生きるか」の冒頭で、著者は青春、朱夏、白秋、玄冬というものを紹介します。じつは、わたしも『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)で同じことを紹介していました。
古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられていました。すなわち、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」です。それによると、人生は冬から始まります。まず生まれてから幼少期は未来の見えない暗闇のなかにある。そんな幼少期に相当する季節は「冬」であり、それを表す色は原初の混沌の色、すなわち「玄」です。玄冬の時期を過ぎると大地に埋もれていた種子が芽を出し、山野が青々と茂る春を迎えます。これが「青春」です。この青春の時期を過ごす人を青年といいます。そして青年が中年になると夏という人生の盛りを迎えます。燃える太陽のイメージからか色は「朱」が与えられています。中年期を過ぎると人生は秋、色は「白」が与えられ、高齢期は「白秋」とされるのです。



また、それぞれの季節には「四神」と呼ばれるシンボルとなる霊獣がいて、東西南北を守護しているとされました。北を守る亀と蛇の合体は「玄武」、東を守る龍は「青龍」、南を守る雀は「朱雀」、西を守る虎は「白虎」です。このように、古代中国には四季と方角と色と動物と人生とを対応させ合う、じつに壮大な宇宙観がありました。そして、その宇宙観のフレームのなかに玄冬、青春、朱夏、白秋という人生観、すなわちライフサイクルがあったのです。



ここで、著者とわたしは紹介する「人生の四季」は順番が違うことに気づきます。すなわち、著者の場合は「玄冬」が最後に来ますが、わたしの場合は「玄冬」から始まります。この件に関して、著者は以下のように述べます。
「これには2説あって、まず玄冬から始まるという説もある。たまたま私の父親が国語と漢文の教師をしていたので、そのことをよく言っていました。玄冬というのは、生まれたばかりの、まだ何もわかっていない幼い子供のことで、生命の芽生えがそこから生まれてくる、というのがひとつの説です」



以上は、わたしの説ですが、著者は以下のように述べています。
「ただ、私はやはり、玄冬というのは高齢期、老年期だと考えます。最初に玄冬をもってくるよりは、最後にもってきたほうが落ち着くような気がするからです。玄冬の『玄』という字は『黒い』という意味ですが、単純な黒ではない。『幽玄』とか、『玄妙』とか、いろいろな熟語があるように、『黒光りしている、奥行きのある黒』、『深みのある黒』で、その中には何かほのかな、未知の世界へ向けてのかすかな予兆も宿している黒です。ただ『黒い冬』という意味ではありません。道教の国際的な学者でいらした福永光司さんも、『玄冬は、ただ黒いだけではない。そこにほのかな赤味が感じられる微妙な色だ』と言っておられました」



また、古代インドにも「老い」をテーマにしたライフライクルがありました。
これも『死ぬまでにやっておきたい50のこと』で紹介したのですが、ヒンドゥー教の「四住期」という考え方です。これは理想的な人生の過ごし方というべきもので、人間の一生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つの段階に分けて考えます。学生期には師に絶対的に服従し、ひたすら学び、厳格な禁欲を守らなければなりません。このような学びの期間が過ぎると次は家住期で、親が選んだ相手と結婚して、職業について生計を立てなければなりません。そして子どもを育てるのが大切で、このことによって子孫を確保し、祖先への祭祀が絶えないように心がけなければならないのです。この時期は世俗的なことが重要とされるのです。



現代日本人であれば、これで人生が終わりとさえいえますか、ヒンドゥー教の場合にはさらに二段階が加わります。第三の林住期は、これまでに得た財産や家族を捨て、社会的な義務からも解放され、人里離れたところで暮らします。こうした過程を経て、最後の遊行期は、この世へのいっさいの執着を捨て去って、乞食となって巡礼して歩き、永遠の自己との同一化に生きようとしたのです。あるヒンドゥー教の文献によれば、この四住期は必ずしもこのとおりの順序でやらなくてもいいそうですが、いずれにしても、理想的な人生のあり方というものが見て取れます。こうして歴史をひもといていくと、人類は「いかに老いを豊かにするか」ということを考えてきたといえます。「老後を豊かにし、充実した時間のなかで死を迎える」ということに、人類はその叡智を結集してきたわけです。

林住期 (幻冬舎文庫)

林住期 (幻冬舎文庫)



著者は以前、『林住期』(幻冬舎文庫)という本を書いています。そこでは、社会人としての務めを終えた人びとに、「これからは自分の好きなことをしましょう、この時期こそが人生の収穫期なのですから」というメッセージを届けています。著者は述べます。
「この古代インドと古代中国の人生の分け方を、年齢に当てはめていけば、20歳までが学生期、青春期。30、40、50が家住期、いわゆる朱夏ということになるでしょう。あとは、白秋があり、玄冬がある。つまり林住期があり、遊行期がある。現代日本人の年齢に引きつけて考えると、25歳までが学生期、25歳から60歳までが家住期でしょうか。リタイアしてから75歳くらいまでが林住期、その後が遊行期にあたりそうです」



また、著者は現代日本人の玄冬期について以下のように述べます。
「野球で言うと、6回以後の後半戦。この後半戦に大きな不安があるというのが大問題です。そこをなんとか生きていくためには、言い古された言葉ですが、自己責任というか、自分で考えてやっていかないと仕方がないというのが結論になると思います。政治や社会保障は、あれば有り難い、当たり前のことです。たしかに憲法25条で『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とありますが、いまの憲法も頼りにならないという状態の中で、どのように玄冬期を生きていくか」



さらに著者は、3・11後の世界にも言及しています。
「3・11の東日本の大災害のあと、「絆」ということが盛んに叫ばれましたが、私は、絆という言葉にはある種の抵抗感があります。もともとの言葉の意味は、『家畜や動物を逃げないようにつなぎとめておくための綱』という意味でした。我々、戦後に青年期を送った人間は、家族の絆とか、血縁の絆とか、地縁の絆とか、そういうものから逃れて自由な個人として生きるということが1つの夢だった。ですから絆というのは、自分を縛る鬱陶しいものという感覚が強かったのです。いまになって『絆』なんて言われても、という気分がある。そういうことではなくて、私は、これからの人は孤立しても元気に生きていくという道を考えるべきだと思うのです」



著者は「望んで『下流老人』になった人はいない」で、藤田孝典著『下流老人』(朝日新書)を紹介し、現代日本の高齢者の過酷な現実について述べますが、そこで「いま出ている、高齢者に対するハウツー本というか、生き方指南の本は、基本的には、年を取ってもオシャレを忘れるなとか、運動は大事、とか、そういう内容のものが多い。しかし、本当は宗教というのも大きな要素なのです。若いときは考えなかったことを考え得る時代に入っているわけですから」と述べています。
この言葉には大いに共感できました。確かに人生を卒業する時期が迫ってくるにつれ、宗教というのは生きる上で最高のソフトになるでしょう。



著者は「現代の『楢山送り』」として、以下のようにも述べます。
「安楽死を合法化した国もありますが、いずれこの国でも、そのことが問題にされる日が来るに違いありません。『もう、この辺で疲れましたから、失礼します。いろいろお世話になりました』と皆さんに別れを告げて、非常に気持ち良く去っていけるのなら、それでいい。まわりも気持ち良く送れるのなら一番良いと思っています。ですが、それはなかなか言いづらいことですし、ちょっとタブーになっている部分がありますね」



著者は以前、『林住期』という本を書き、「老後に好きなことをしよう!」と呼びかけましたが、いま玄冬の門をくぐろうとする人に同じメッセージを届けようとしても、いささか無理があるとして、以下のように述べます。
「実際問題として、体が不自由になっていきます。行動半径も小さくなるし、旅をしてお寺回りをしようなどというのは、白秋期・林住期にできることです。ある意味では、心の世界に遊ぶということしかできなくなってくる可能性がある。私も10年前は、百寺巡礼とか言って、室生寺の700段の階段も平気で上り下りしていたのですが、いまはまったくそういうことは不可能になりました」



それでは、高齢者はどういう生き方をするのが幸せなのでしょうか。
著者は、高齢者の幸福について、以下のように述べています。
「一括りにはできないけれども、結局、想像の世界に生きるというか、精神世界に生きるというか、そこでの遊び方をいっぱいもっているということが幸せなのではないか。本を読むことは体が不自由でもできるのです。私の楽しみというのは、夜中に目覚めて本を読む。こんなに貴重に思われる時間はないと思うぐらい面白いのです。本を読んで知識を増やそうとか、どこかで何かの資料に使おうとか、そういう気は全然ありません。活字を読む快楽というか、これはもう、いまの私にとっては他に代え難い楽しみの1つです」



第2章「孤独死のすすめ」では、「妄想に遊ぶ楽しさ」として紹介されている以下のくだりが強く印象に残りました。
「昔の中国では、ある年齢に達すると、老人はアヘン窟に行く人が多かった。高齢の老人がゴロゴロしながらキセルでアヘンを吸っている。ずっとアヘンを吸うと食欲がなくなって、枯れるようにしてそこで死んでしまう。それは、ある意味で良いかたちの楢山だと思います。羽化登仙というか、うっとりと陶酔しながら、気持ち良く死んでいけるわけですから。アヘン窟というのは一種のマイナス尊厳死の施設だったと言っていいと思います」



続けて、著者はこの「マイナス尊厳死」について語ります。
「高齢者にとっての幸福感というのは、精神世界というか、空想なり妄想の世界に遊ぶということです。それが、ものすごく大事だと思うのです。先ほど言った、アヘン窟でアヘンを吸っている人たちというのは、人工的にそういう世界をつくっているのだと思いますが、それと同じように、自分で空想の幅を広げていく。空想の中でなら、どんなに恋をしようと不倫をしようと、何の文句もないわけだから、想像力の翼を無限に広げて、妄想に遊ぶということはすごく面白い。『妄想に遊ぶ』というのは悪いことのように思われるけれども、そうではないです。なにも人に害を及ぼすわけではないですから」



第3章「趣味としての養生」では、著者は以下のように述べています。
「誤嚥の起きる原因は、無意識にやってしまうことなんです。カプセルの薬を飲むときでも、何のときでも、ほとんど無意識にやってしまう。そうではなくて、『いまからこれを飲み込むぞ』と、脳からしっかりと指令を出して、喉の気管を閉じる動作をきちんとしないといけません。
床に落ちているものを拾うとき、無意識にやるとぎっくり腰になります。『いまから腰を曲げて、床に落ちているものを拾うぞ。膝をできるだけ深く曲げて、腰は曲げないようにして拾おう』と、1つひとつの動作を意識的にやっていくことがすごく大事です」



わたしは最近、ぎっくり腰をやりましたので、著者のアドバイスが心に沁みます。今では、床に落ちているものを拾うとき、「いまから腰を曲げて、床に落ちているものを拾うよ」と脳に何度か合図をしてから拾います。すると、体のほうもダメージを追わないように構えてくれるわけです。腰といえば、著者はずっと腰痛に悩まされていたそうで、以下のように述べています。
「いつも机に向かって、うつむいて仕事をしているので、何十時間も仕事をしていると、頸椎がずれていくのではないかと感じました。頭と同じ重さのボールを手に持ってみますと、『えっ、頭ってこんなに重いの?』というぐらい重いです。我々はそれを一番上に載せているわけでしょう。それを頸椎で支えている。ものすごいことですよね。ですから、きちんと良いかたちで頭の重さを支えるようにしないと、頸椎から脊椎、腰部のほうにかけて負荷がかかり過ぎて、腰痛になるのは当たり前のこと」



続けて、著者は腰痛について以下のように述べています。
「ですから、姿勢をよくする、呼吸をよくする。腰を曲げずに膝を曲げると気をつけていたら、なんとか腰痛はなくなりました。ところが、腰痛がなくなったら今度は脚が痛くなってしまった。腰痛については、これは必ず人間にはあるものだと覚悟して、できるだけそれが出ないようにする。一般的には、病気を『治す』と書きますが、私はあれを『なおす』と読まずに『おさめる』と読むのです。病気は根本的に治すことはできない。病を治めるということだけを考えるべきでしょう」



第4章「私の生命観」では、著者は「不自由でもできるだけ介護されずに生きていく」として、以下のように述べています。
「不自由でも、できるだけ介護されずに生きていく方法を見つける。介護されるに至らないように、やはり70ぐらいから気をつけて、自分の生活をコントロールしていけば、人生の楽しみや喜びというのは無限にあるような気がしますね。不測の事故で半身不随になった人は仕方がないけれども、それでも、障害をかかえながらオリンピックに出る人もいる時代ですから、気持ちの持ちようひとつで自分でできることは自分でして、そこに見いだす楽しみはあると思います。図書館だって、どしどし本を貸し出してくれるわけですから。そういう、ありとあらゆることを全部自分でエンジョイしてみるということは、すごく大事ではないでしょうか」



また、日本の高齢化の現状について、著者は以下のように述べます。
「2015年の9月20日、敬老の日にちなんで総務省が発表した資料では、80歳以上の人口が初めて1千万人を超えたそうです。100歳以上が約6万人。65歳以上が26.7%、総人口に占める割合は、4人に1人を超えました。ただ、上野千鶴子さんは、高齢者の人口増加というのは、もう峠を越したと言っておられます。地方では高齢者が激減していると。ほとんどが子供を頼って都会に出てしまったから、大都市は高齢者が激増し、地方では激減するような状況になっていて、大都市の激増状態も、片っ端から死んでいくから、いずれ、何十年か後には問題は解決するだろうというような見方をされていますね。ただ、このあとの数十年が大変なのだと」



そこで、「死に方の作法」として、著者は以下のように述べます。
「死んでいく作法、昔は行儀と言いました。死の行儀というものをきちんと確立しないといけない。家庭の中で部屋に余裕があれば、一部屋、離れでももらって、そこで暮らしていて、『きょうは、おじいちゃん全然顔見せなかったね。どうしたんだろう』と行くと、『あっ、死んでた』と。それもいいのではないかな。救急車を呼んで大騒ぎしなくてもいい、と思いますけどね」



さらに、「私の生命観――大河の一滴として」で、著者は述べています。
「自分の流転を信じているのではなくて、生命エネルギーの永久運動ということを考えています。自分がいなくなれば無になるけれども、それは大きな海の中で海水に溶け込んでしまって、そこでもう自分はなくなる。でも、その海水はまた水蒸気となり、雲となり、雨となって降り注いで、また1つの命になるのではないかと思う。そう考えて、自分が大海で消滅するということは確実に納得します。
自分が消滅するのです。消滅してどこへ行くかというと、海のような大きな世界の中に溶け込んでしまうのだと考えると、自分が死ぬから希望がもてる。生きている限り輪廻を繰り返さなければいけないというのは、非常にイヤなのです。同じ人間が生まれ代わり立ち代わりするのは」



また著者は、以下のようにも述べています。
「自分はそこで消えるわけです。自分は消えるけれども、『自分』という固有名詞がついていない、何かのエネルギーみたいなものは、透明なかたちで、大きな広い生命体の中に溶解していく。そこからまた新しい生命が生まれますが、それは『自分』ではない。自分ではないけれども、生命の永続性というか、そういうものがあると考えます。個人の消滅と、生命エネルギーの永続性というのは別だろうと思います」



そして、著者は「生命の永続性」について以下のように述べます。
「生命の永続性というのは、溶け込んでいくということです。地下水になって、小川から大河の一滴となったときには、ありとあらゆるところから流れ込んでくる汚染水も清流も全部ひっくるめた大河の一滴になる。やがて海へ流れ込んでいったときには、もう海の水になってしまう。その中で自分がどんどん消えていく。自分はもう大きな海の中に溶け込んでしまう」



続けて、著者は「自分の死」について以下のように述べるのでした。
「そう考えると、自分の死というものが、単なる無意味な死でもなく、そうかと言って、立派な死でもなく、浄土へ行くとか、そういう物々しいことでもなく、自然に納得がいくような気がしますね。自分が消えるということが、大きな海の中に溶け込んでいくわけだから。ですから、海は生命のふるさとのアナロジーであって、そういうところから、太陽に熱せられて新しい水蒸気が雲になり、雨を降らせてまた一滴となる。でもそれはもう自分ではないわけです。自分の生命は、大河の一滴で海へ流れ込んだときに終わっています」



第5章「玄冬の門をくぐれば」では、著者は自身の経験に照らして、以下のように述べています。
「両親の亡くなった歳を超えたときに、一番ホッとしました。生きているときに親孝行はできなかったけれども、両親よりは長く生きてあげるのが孝行かと思いました。母親が死んだ歳より長く生きたときも一山越えたような気がしたし、父親が死んだ歳を超えたときもそうでした。『あんたたちの分も自分が生きるから』みたいな気持ちです」



続けて、著者は、「死」をどう見ていくかという問題について述べます。
話を戻すと、日本人は何となく、100歳を過ぎても死なないつもりでいるような節があります。ですから、「死」をどう見ていくかという問題がどうしても出てきます。それに対する自分の確固たる覚悟がなければ、明るく生きられない。自分の死生観が問われるということです。明朗に生きていくことはすごく大事だけれども、元気に生きていくことの背景には、自分の人生もどこかで終わりが来るのだということを、しっかり覚悟していないといけません。ダラダラと長く、いつまでも生きるだろうと思っているのでは具合が悪いのです」

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)



最後に、臨床医の大井玄氏の著書『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)という本を紹介し、著者は以下のように述べます。
「大井さんは、痴呆というのは、ある意味で、人間への神の贈り物かもしれないと言っています。不思議なことに、痴呆の人は癌で苦しむことがないそうです。だいたい人間の半分は、最後は癌で死にますが、末期に痴呆の人は癌であまり苦しまない。癌に罹らないという意味ではなくて、罹っても命を終えるとき、意外なほど苦しまない。痴呆というのは、神の与えたもうた贈り物かもしれないと書かれていました」

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わたしが主催者として挨拶しました
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登壇した五木寛之



さて、ブログ「五木寛之講演会」で紹介したように、今年の3月3日、小倉紫雲閣の大ホールにおいて、著者の講演会が開催されました。サンレー創立50周年記念の「サンレー文化アカデミー」の第一弾イベントです。
国民作家の講演会とあって、大ホールは超満員になりました。開会に先立って、主催者として登壇したわたしは、以下のように挨拶しました。
「わたしは中学時代に『青春の門』を夢中で読み耽ったのですが、その影響で早稲田大学に進学することを心に決めたほどです。その他、『戒厳令の夜』や『四季・奈津子』なども愛読書でした。五木さんの本はほとんど読ませていただきました。現在、五木さんとは『サンデー毎日』で一緒に連載をさせていただいており、とても光栄に思っております」
『青春の門』に夢中になったわたしが、まさか同じ著者の『玄冬の門』を読むとは夢にも思いませんでした。

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じつに興味深い講演でした
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わたしも聴き入りました



そして、ついに五木寛之氏の講演会がスタートしました。
五木氏は冒頭で「わたしの父は小倉師範の出身でした」と小倉との縁を述べられてから、「シルバー川柳」の話などをされて、会場を笑いを呼ばれました。わたしも講演する機会が多いのですが、五木氏は日本でもトップクラスの講演の名人であると思いました。さまざまな話題で会場を沸かせたかと思うと、本居宣長柳田國男の考えなどを紹介しつつ、「泣くこと」の大切さを訴えられました。涙、ため息、猫背・・・・・・これまで多くの人がマイナスであるとして蔑んできたことに光を当てて見直すという五木節が炸裂しました。わたし自身、大変勉強になった講演会でした。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月26日 一条真也