Hatena::ブログ(Diary)

一条真也の新ハートフル・ブログ

2018-09-03

ブログ引っ越します!  

一条真也です。
いつも、当ブログをご愛読いただき、ありがとうございます。
今日は、大切なお知らせがございます。8月30日、「『はてなダイアリー』2019年春にサービス終了」というニュースが流れました。当ブログも「はてなダイアリー」です。近いうちに終了するのではないかと予想はしていましたので、わたしは「ついに来たか・・・」と思いました。

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2010年2月14日、「一条真也のハートフル・ブログ」を「はてなダイアリー」にオープンし、8年7か月の歳月が経ちました。これまでに「一条真也のハートフル・ブログ」を2013本、「佐久間庸和の天下布礼日記」を2000本、「一条真也の新ハートフル・ブログ」を2670本、合計で6683本ものブログ記事を「はてなダイアリー」で公開してきました。
その「はてなダイアリー」が来春に終了すると知り、この際、ブログを止めようかなとも思いました。西南戦争に敗れ自決を覚悟した西郷どんのように、「もうここらでよかろう」という心境になったのです。
しかし、当ブログには多くの読者の方々がいます。ブログ「カメラを止めるな!」で紹介した大ヒット映画ではありませんが、「ブログを止めるな!」というメッセージがわたしのもとに多く寄せられました。

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そして本日、「一条真也の新ハートフル・ブログ」は、「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に引越しいたします。これまで、当ブログをお楽しみいただいた読者の皆様には引き続き、引越し先の“はてなブログ版「一条真也の新ハートフル・ブログ」”をお楽しみいただければ幸いです。ブックマークやお気に入り登録をしていただいていた読者の皆様には、移転先で再登録して下さいませ。よろしければ、「読者になる」のご登録をお願いいたします。引っ越し先は以下の通りです!

*はてなブログ版「一条真也の新ハートフル・ブログ
https://shins2m.hatenablog.com/


2018年9月3日 一条真也

お彼岸について  

一条真也です。
ブログ「8月は死者を想う季節」で紹介したように、先月からWEB「ソナエ」で「一条真也の供養論」というコラムの連載がスタートしました。

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お彼岸について考える



一条真也の供養論」の第2回タイトルは、「お彼岸について考える」です。9月にはお彼岸があります。20日に彼岸入り、23日が「秋分の日」で、26日が彼岸明けです。彼岸は浄土思想に由来する。阿弥陀如来が治める極楽浄土(西方浄土ともいう)は、西方の遥か彼方にあると考えられていました。そのため、真西に太陽が沈む春分・秋分の日は夕日が極楽浄土への「道しるべ」となると考えられていたのです。



春彼岸は、3月18日〜24日、秋彼岸は9月20日〜26日というふうに、3月の「春分の日」と、9月の「秋分の日」の前後3日間の計7日間、もしくはこの期間に行われます。この7日間にも理由があります。すなわち、最初の3日は父方の供養、後の3日間は母方の供養、中の1日は水子、子供の供養をする日なのです。わたしは、『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)の内容なども織り込みながら、「お彼岸」についての思いなどを書きました。
ご一読いただければ幸いです。

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門



2018年9月3日 一条真也

2018-09-02

『未来の年表2』

未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること (講談社現代新書)


一条真也です。
日々、猛烈なスピードで時代が変化しています。
8月30日、「『はてなダイアリー』2019年春にサービス終了」というニュースが流れました。当ブログも「はてなダイアリー」です。近いうちに終了するのではないかと予想はしていましたので、「ついに来たか」と思いました。
そんな中、『未来の年表2』河合雅司著(講談社現代新書)を読みました。
ブログ『未来の年表』で紹介したベストセラーの続編です。
著者はわたしと同年齢で、1963年名古屋市生まれ。産経新聞社論説委員、大正大学客員教授(専門は人口政策、社会保障政策)。中央大学卒業。内閣官房有識者会議委員、厚労省検討会委員、農水省第三者委員会委員、拓殖大学客員教授など歴任。2014年、「ファイザー医学記事賞」大賞を受賞。主な著作に『日本の少子化 百年の迷走』(新潮社)があります。

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本書の帯



帯には「45万部ベストセラーの第2弾!」「高齢者が『高齢化』し、街にあふれる」「少子高齢化で、『灯油難民』が続出する」といった情報がイラスト付きで紹介され、「10年後、20年後、あなたの身に迫る事態を一覧にしました」と書かれています。

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本書の帯の裏



また帯の裏には、「少子高齢社会のリアルな脅威は、何気ない日常にこそ潜んでいます」として、「やる気のない万年平社員急増」「親が亡くなると、地方銀行が消滅」「東京や大阪の繁華街に『幽霊屋敷』出現」「デパートの売り場が大混乱」といった情報がイラスト付きで紹介されています。さらには「今からあなたにできる『メニュー』8つも提案」「●働けるうちは働く●1人で2つ以上の仕事をする●ライフプランを描く●家の中をコンパクト化する●年金受給開始年齢を繰り下げる ほか」と書かれています。



アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「本書は、『未来の年表』の続編である。ベストセラーの続編というのは大抵、前著の余勢を駆った『二匹目のどじょう狙い』である。しかし、本書は決して二番煎じをしようというものではない。『人口減少カレンダー』だけでは、少子高齢化という巨大なモンスターの全貌をとらえるには限界があった。だから今回は、全く違うアプローチで迫る。今回は、少子高齢化や人口減少が人々の暮らしにどのような形で降りかかってくるかを、あなたの生活に即しながら明らかにする。言うなれば、これからあなたに起きることを、お中元やお歳暮のギフトカタログのように一覧してみようというのだ。
前著『未来の年表』が年代順というタテ軸を用いて俯瞰したのに対し、本書は起きる出来事を『ヨコ軸』、すなわち面としての広がりをもって眺める。
少子高齢化や人口減少で起きることを、家庭、職場、地域社会といったトピックスに分けてカタログ化すれば、さまざまなシーンを『あなた自身の問題』として具体的に置き換えることができる。そしてそれは、10年後、20年後の日本でうまく立ち回っていくための指針となる」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「人口減少カタログ/庄子家の一日に起きたこと」
「はじめに」
第1部 人口減少カタログ
序 国民の5人に1人が、古希を超えている
1 あなたの住まいで起きること
1−1 伴侶に先立たれると、自宅が凶器と化す
1−2 亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる
1−3 東京や大阪の繁華街に、「幽霊屋敷」が出現する
1−4 高級タワマンが、「天空の老人ホーム」に変わる
2 あなたの家族に起きること
2−1 食卓から野菜が消え、健康を損なう
2−2 小中学校の統廃合が、子供を生活習慣病にする
2−3 80代が街を闊歩し、窓口・売り場は大混乱する
2−4 老後資金が貯まらず、「貧乏定年」が増大
3 あなたの仕事で起きること
3−1 中小企業の後継者不足が、大企業を揺るがす
3−2 オフィスが高年齢化し、若手の労働意欲が下がる
3−3 親が亡くなると、地方銀行がなくなる
3−4 東京の路線が縮み、会議に遅刻する
4 あなたの暮らしに起きること
4−1 若者が減ると、民主主義が崩壊する
4−2 ネット通販が普及し、商品が届かなくなる
4−3 ガソリンスタンドが消え、「灯油難民」が凍え死ぬ
4−4 山林に手が入らず、流木の犠牲となる
5 女性に起きること
5−1 オールド・ボーイズ・ネットワークが、
定年女子を「再就職難民」にする
5−2 高齢女性の万引きが、刑務所を介護施設にする
第2部 今からあなたにできること
序 「戦略的に縮む」ほど、ポジティブな考えはない
【個人ができること】
(1)働けるうちは働く
(2)1人で2つ以上の仕事をこなす
(3)家の中をコンパクト化する
【女性ができること】
(4)ライフプランを描く
(5)年金受給開始年齢を繰り下げ、起業する
【企業ができること】
(6)全国転勤をなくす
(7)テレワークを拡大する
【地域ができること】
(8)商店街は時おり開く
おわりに「『豊かな日本』をつくりあげてきた“大人たち”へ」
「結びにかえて」

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人口減少カレンダー



「はじめに」で、著者は以下のように書いています。
「日本は劇的に変わっていく。例えば、25年後の2043年の社会を覗いてみよう。年間出生数は現在の4分の3の71万7000人に減る。すでに出生届ゼロという自治体が誕生しているが、地域によっては小中学校がすべて廃校となり、災害時の避難所設営に困るところが出始める。20〜64歳の働き手世代は、2015年から1818万8000人も減る。社員を集められないことによる廃業が相次ぎ、ベテラン社員ばかりとなった企業ではマンネリ続きで、新たなヒット商品がなかなか生まれない。
高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は36.4%にまで進む。高齢者の数が増えるのもさることながら、80代以上の『高齢化した高齢者』で、しかも『独り暮らし』という人が多数を占める」



こうした高齢者が街中に溢れる社会とは、一体どんな様子なのでしょうか。著者は以下のように述べます。
「いま、東京や大阪といった大都会では、ラッシュアワーには5分と待たずに電車やバスがやってくる。なぜ、そんな過密ダイヤで運行できるのかといえば、乗客の大多数が人の流れについていける『若い世代』だからだ。
たまに、車いすを使う障害者や杖をついた高齢者が、駅員の手を借りて乗降する場面に出くわす。ただ、それはあくまで少数派であり、駅員の手際よい作業でそんなに多くの待ち時間を要するわけではない。
しかし、2043年とは、総人口の7人に1人が80歳以上という社会だ。独り暮らしであるがゆえに否応なしに外出する機会は増えるが、若い世代の『流れ』についていける人ばかりではない。こんな過密ダイヤはとても続けられない」



また、著者は「ダチョウの平和」として、以下のように述べます。
「皆さんは、『ダチョウの平和』という言葉をご存じだろうか?
危険が差し迫ると頭を穴の中に突っ込んで現実を見ないようにする様を指した比喩だ(実際のダチョウの習性とは異なるとの指摘もあるようだが)。日々の変化を把握しづらい人口減少問題こそ、この『ダチョウの平和』に陥りがちな難題である。それは切迫感が乏しいぶん、どこか人ごととなりやすい。何から手を付けてよいのか分からず、現実逃避をしている間にも、状況は時々刻々と悪くなっていく。そして、多くの人がそれを具体的にイメージできたときには、すでに手遅れとなってしまう――」



さらに著者は、「『具体的な変化』に置き換える」として、高齢者たちが求めているのは高画質ではなく、むしろ「音」にあると述べます。耳が遠くなり、ボリュームを大きくしてテレビを見ている人は多く、聞き取りやすい小型スピーカーを搭載したテレビを安く手に入れたいという声は少なくないはずだというのです。著者は述べます。
「荷物を運ぶ人手は少子化に伴って減りゆく。“買い物難民”対策だと言って普及させればさせるほど需要が掘り起こされ、トラックドライバー不足はより深刻になる。無人のトラックが走り回る時代も遠くないとされるが、トラック自らが荷棚から個別のお届け物をより分け、重い荷物を玄関先まで運んでくれるわけではあるまい。少子高齢社会において、ネット通販が遠からず行き詰まることは簡単に想像できよう」



第1部「人口減少カタログ」の序「国民の5人に1人が、古希を超えている」では、「高齢者の3人に1人が80代以上」として、こう書かれています。
「日本の高齢社会の特徴として、(1)高齢者の『高齢化』に加え、(2)独り暮らしの高齢者、(3)女性高齢者、(4)低年金・無年金の貧しい高齢者――の増大が挙げられる。このうち、すぐに社会に影響を及ぼしそうなのが、『高齢化した高齢者』および『独り暮らしの高齢者』の増大であろうと考える」



「笑えない実話」として、著者は親の葬儀の問題を取り上げます。
「親の葬儀も大変だ。高齢社会の次には『多死社会』がやってくる。前著『未来の年表』では火葬場の不足を取り上げたのだが、足りなくなるのは火葬場だけではない。私の知人には、火葬場の予約はできたものの住職の都合がつかず、結局は10日待ちとなった人もいる。
少子化の影響は、お寺も例外ではない。跡取り不足による廃寺や、住職がいないがために、1人の住職が複数のお寺を掛け持ちする場合もあるという。今後、葬式も法事も、自分たちが思い描いたスケジュール通りには進まないというケースが増えるだろう」



1「あなたの住まいで起きること」の1−2「亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる」では、「女性の役4割が90歳まで生きる」として、以下のように書かれています。
「高齢者の『高齢化』が進んできた。75歳以上人口が1770万人となり、65〜74歳の1764万人をついに超えた(総務省の2018年3月1日時点の人口推計)。『高齢化した高齢者』の増大は、大死亡時代につながる。2017年に134万人を数えた年間死亡数は、団塊世代が90代となる2040年頃に、167万9000人でピークを迎えるまで増え続ける(社人研の推計)。その後は、総人口の減少によって多少の下り坂となるが、おおむね160万人水準で推移する」



子供に先立たれる可能性も小さくありません。
「親が100歳、子供が70代」というケースを考えれば分かりやすいとして、著者は以下のように述べています。
「70代にもなれば、がんや心臓疾患などに倒れたとしても不思議ではないだろう。『高齢化した高齢者』が増える社会とは、『自分が死んだら、子供に葬儀を出してもらう』という、これまでの常識が通用しない社会でもある。連れ合いを亡くし、子供にも先立たれるといったケースの増大だけでなく、そもそも生涯シングルで身寄りのない高齢者も増え続けていく。誰もが独りぼっちの老後を送る可能性がある。こうした漠たる不安が、『終活』ブームを後押ししている側面はあるだろう」



「高齢化した高齢者」の増大は、葬式の在り方にも変化を及ぼしているとして、著者は以下のように述べます。
「残された人も少ないから、参列者も小規模となる。親族にすれば簡素に済ませようという意識が働きやすくなる。家族葬や直接火葬場に運ぶ「直葬」も珍しくなくなった。高齢者の孤独死が話題となるが、引き取り手がなく、名前さえ分からない人も多数に上る。最終的に自治体が火葬し、『無縁遺骨』は市民霊園の共同墓に納められるといったケースはすでに珍しくない。法事に関しても簡素化の流れにあり、執り行わないという人もいる。お布施に対して『料金体系が不透明』と考える人が増えたためか、料金明瞭で安価なインターネットによる僧侶派遣サービスも登場している」



「土地所有者の住所が『満州国』」として、著者はこうも書いています。
「子供は1人だけという人が亡くなれば、残された世代は争う相手が存在しないことになる。子供のいない人が亡くなったならば、相続人そのものが不在だ。“争族”に代わって増えそうなのが、相続の手続きを敬遠し、相続登記を行わない人である。現金などに比べて流動性の低い住宅や土地にその傾向が見られるが、人口減少に伴って、あなたの身近なところで起こる問題の1つに『所有者不明土地』の増大がある」



日本の場合、不動産登記が義務化されていないため、登記にともなう労力やコストを嫌って故人名義のまま放置することとなります。「ウソのような話だが」と断って、著者は「登記簿上の所有者の住所が『満州国』となっている極端な例まで見つかったという。こうした土地が長期間にわたって放置されると、相続人がねずみ算式に増えて、さらに問題を複雑化させる」と述べています。



続いて、人口減少に伴う土地需要の低迷は、すでに空き家の増大として大都市部を含む全国的な課題となっているとして、著者は、「総務省の『住宅・土地統計調査』(2013年)によれば、全国の空き家は約820万件に上る。野村総合研究所の試算(2016年)では、2033年の空き家数は2167万戸弱、空き家率は30.4%まで上昇する。全国の約3戸に1戸が空き家になる計算だ。利活用が見込まれない空き家は、やがて取り壊されて空き地となり、さらに不明土地の増大につながっていく」と述べています。



さらに「すでに九州の面積を上回る」として、国土交通省が地籍調査(2016年度)を実施した1130地区の約62万筆を調査したところ、20.1%が所有者不明土地であったことが紹介されます。「所有者不明土地問題研究会」(顧問・加藤勝信厚生労働相)がこれらのデータを元に、一定の条件下で相続登記されなかったり、所有者の住所が変わって連絡がとれなくなったりした土地を推計したところ、所有者不明と考えられる土地面積は全国で約410万haに及ぶといいます。これは九州本島(約367万ha)を上回る面積です。



3「あなたの仕事で起きること」の3−3「親が亡くなると、地方銀行がなくなる」では、「捨てられる銀行」として、以下のように書かれています。
「マーケットの規模が縮小する人口減少は、地域に密着して営業してきた地元の名門企業の状況を特に不利にする。地域に密着してきたが故に事業を縮小しづらく、商売替えも難しい。社名に都道府県名を掲げる企業ともなれば、東京などの大都市部に営業エリアを拡大するのも限界がある。これまでは強みだった『暖簾』『看板』という地域ブランドが、むしろ足枷となるのだ。都道府県の名前を掲げている企業の代表格といえば、金融機関である」



金融庁「地域金融の課題と競争のあり方」という資料が、東京都を除く46道府県の地方銀行の2016年3月期決算をもとに、各行が本店を構える道府県で本業で稼いだ金利や手数料によって、人件費などの営業費用を賄えるかどうかを分析しています。それによれば、「1行単独になっても不採算」というところが、群馬や石川、奈良、宮崎など23県に上りました」
このデータをもとに、著者は以下のように述べます。
「融資先が減るとは、雇用の受け皿が減るということだ。地域に働き口がなくなれば、若い世代は仕事を求めて都会などに流出する。これが『東京一極集中』の大きな要因であるが、東京一極集中を人の移動だけで捉えるのは誤りだ。人が動けば、それに伴って預金も動くことになる。少子高齢化は『預金の東京一極集中』も引き起こしているのである。



なぜ、遺産マネーは、東京に流出するのでしょうか?
その「からくり」について、著者は以下のように説明します。
「政府税制調査会の資料によれば、2013年に亡くなった人(被相続人)の68%が80歳以上であった。亡くなった親の相続遺産を受け取るのは50〜60代あたりだろう。この世代が若者であった1970年代後半から1980年代前半にかけては大都市圏、とりわけ東京圏への人口流入が活発な時期であった。地方から東京圏(1都3県)に移り住んだこれらの世代の多くは、今でも老いた親と別居している人が少なくない。その分、遺産マネーが東京圏に集まりやすくなっているのだ」



3−4「東京の路線が縮み、会議に遅刻する」では、「パイロットが不足する『2030年問題』」として、著者は以下のように述べています。
「『2030年問題』という言葉を聞いたことはあるだろうか。国交省の資料によれば、国内には約6400人(2017年1月1日現在)のパイロットがいる。だが、その多くはバブル経済期に採用されたベテラン機長で、40代後半に偏っている。彼らが、2030年頃から大量に定年退職し始めるということである。国交省は訪日客の増加を織り込めば、2030年の新規採用数を現在の1.4倍の430人まで増やさないと追いつかないというが、勤労世代が減りゆく中では決して簡単ではない。パイロット不足は世界共通の課題であり、外国人パイロットも当てにしづらい」



4「あなたの暮らしに起きること」の4−2「ネット通販が普及し、商品が届かなくなる」では、「訳7割の運送業者が人手不足」として、宅配便の取扱数は1987年の7億6000万個から、2015年には37億5000万個に膨らんでいることが紹介されます。自宅にいながら買い物をしたり、食事を宅配してもらったりするライフスタイルが増えていると見られます。さらにトラックドライバーの需要を伸ばす要素がある。「買い物弱者」の増加です。



内閣府がまとめた報告書「地域の経済2016」によれば、2040年時点での人口規模が2万人以下の地域ではペットショップや英会話教室が、1万人以下では救急病院や介護施設、税理士事務所などが、5000人以下になると一般病院や銀行までもが、姿を消すといいます。著者は、「ネット通販の普及は、この予測をさらに深刻なものとしかねない。利益率の高い衣料品をネット通販に奪われ、『一番大きな影響を受けている』とされる百貨店が、むしろネット通販に力を入れ始め、店舗の縮小、再編へと踏み出しているからだ」と述べています。



5「女性に起きること」の5−1「オールド・ボーイズ・ネットワークが、定年女子を『再就職難民』にする」では、定年女子の再就職を厳しくしている要因の1つに、「オールド・ボーイズ・ネットワーク」の存在があることを指摘し、著者は以下のように述べます。
「『オールド・ボーイズ・ネットワーク』とは、排他的で非公式な人間関係や組織構造のことだ。伝統的に男性中心社会であった企業コミュニティーにおいて、暗黙の内に築き上げられてきた」



社内派閥や飲み仲間、業界の勉強会、経営者の親睦団体など、ネットワークの形態はさまざまです。多くの男性はこうした人脈を通じて情報交換をしたり、仕事上の便宜を図ったりしています。女性たちは、ほとんどが蚊帳の外に置かれているため、組織の文化や暗黙のルールも伝わりにくいのではないでしょうか。



第2部「今からあなたにできること」の序「『戦略的に縮む』ほど、ポジティブな考えはない」では、著者は「いまだ多くの人が『戦略的に縮む』というキーワードをネガティブに捉えている。ある講演では、『演題から“縮む”という言葉を削除してください』と、主催者から要請されたこともあった」と述べています。



さらに著者は、以下のように述べます。
「高度経済成長を実現させ、豊かになった社会を目にしてきた私と同年代以上の世代には、拡大して数字が伸びることが良いことで、『縮む』のは悪いことだという観念が根強いのだ。しかし、『縮む』ということは、決して『衰退』や『負け』を意味するわけではない。要は、その“やり方”なのである。多少縮んだところで現状より豊かにもできるし、日本が世界からより尊敬される国になれるという、すぐれてポジティブな考えである」



【女性ができること その1】の(4)「ライフプランを描く」では、「ダブルケアというリスク」として、著者は以下のように述べています。
「晩婚・晩産は、夫婦を思わぬ問題に巻き込んでいく可能性もある。30代後半から40代で出産となると、50代になっても“子育てまっただ中”という人が増えよう。ところが、50代といえば自分の親の介護が重くのしかかってくる頃だ。育児が一段落する前に、年老いた親が要介護状態となり、育児と介護を同時に行わざるを得ない“ダブルケア”になるリスクが高くなる。こうした状態に陥っている夫婦が増えている」



さらなる問題があります。
親の晩婚・晩産が世代を超えて子供に影響を及ぼすというのです。著者は、「50歳と40歳の両親から生まれた子供が20代後半で結婚したとしよう。その子供は自分が晩婚でなくとも、結婚時に両親が高齢化しているために、ダブルケアに直面する可能性が大きい。これは、夫が晩婚で妻との年齢が大きく離れた『年の差婚』でも起こり得る」と述べます。



おわりに「『豊かな日本』をつくりあげてきた“大人たち”へ」では、著者は以下のように述べるのでした。
「残念ながら日本の少子化は止まりません。2017年には総人口が40万人減りましたが、2050年代には毎年90万人規模で減っていくと推計されています。そこまで先の話をしなくとも、社会の激変は避けられません。これから10年も経たないうちに国民の3人に1人は高齢者となります。増えるのは80歳以上で、しかも独り暮らしが多数を占めるようになります。若者が減れば自衛官や警察官、消防士といった職種も人材確保に苦労するでしょう。国防や治安、災害救助といった『社会の基盤』まで崩れてしまう可能性があるのです」



非常に残酷というか、怖ろしい未来が、わたしたちを待っています。
しかし、わたしたちが悲観的になってはさらに悲惨な未来が待ち受けることになります。この手の未来予測本では、高齢者が多くなることは社会にとって良くないことだという前提で書かれることが多いように思います。
しかし、高齢者が増えることは必ずしも悪いことではありません。高齢者を尊重することを「敬老」思想といいますが、これは古代中国に生まれた儒教に由来します。わたしは古今東西の人物のなかで孔子を最も尊敬しており、何かあれば『論語』を読むことにしています。

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「サンデー毎日」2016年9月25日号



その『論語』には、「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という孔子の有名な言葉が出てきます。
60になって人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても反発しない。70になると自分の思うままに自由にふるまい、それでも道を踏み外さないようになった・・・・・・ここで、孔子は「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえています。ブッダは「生老病死」を苦悩としましたが、孔子は大いに「老い」を肯定したのです。この孔子の思想をベースに、わたしは「人は老いるほど豊かになる」という老福社会の実現について考え、かつ実践していきたいと考えています。



2018年9月2日 一条真也

2018-09-01

『送り火』

送り火


一条真也です。
『送り火』高橋弘希著(文藝春秋)を読みました。
芥川賞を受賞した話題の小説です。わたしは芥川賞や直木賞の受賞作品をすぐに読まない主義なのですが、今回だけは「送り火」というタイトルに惹かれて、早速読みました。重松清氏の傑作短篇集『送り火』を連想したのと、「先祖供養をテーマとした作品かな?」と思ったからです。

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本書の帯



著者は2014年、「指の骨」で新潮新人賞を受賞し、同作で芥川賞と三島賞の候補となっています。17年、『日曜日の人々(サンデー・ピープル)』で野間文芸新人賞受賞。本書の帯には、「第159回 芥川賞受賞作!」と大書され、「東京から山間の町へ引っ越した中学三年生の歩。あの夏、少年たちは暴力の果てに何を見たのか――」

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本書の帯の裏



また帯の裏には、以下のように書かれています。
「これはいったい何だろうと思う。夢の芽がすくすくと成長し、緑葉を茂らせ撓わに暴力を実らせている。でも歩にはもう、目の前の光景が暴力にも見えない。黄色い眩暈の中で、ただよく分からない人間達が蠢き、よく分からない遊戯に熱狂し、辺りが血液で汚れていく――本文より」



アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「春休み、東京から山間の町に引っ越した中学3年生の少年・歩。新しい中学校は、クラスの人数も少なく、来年には統合されてしまうのだ。クラスの中心にいる晃は、花札を使って物事を決め、いつも負けてみんなのコーラを買ってくるのは稔の役割だ。転校を繰り返した歩は、この土地でも、場所に馴染み、学級に溶け込み、小さな集団に属することができた、と信じていた。夏休み、歩は家族でねぶた祭りを見に行った。晃からは、河へ火を流す地元の習わしにも誘われる。
『河へ火を流す、急流の中を、集落の若衆が三艘の葦船を引いていく。葦船の帆柱には、火が灯されている』
しかし、晃との約束の場所にいたのは、数人のクラスメートと、見知らぬ作業着の男だった。やがて始まる、上級生からの伝統といういじめの遊戯。
歩にはもう、目の前の光景が暴力にも見えない。黄色い眩暈の中で、ただよく分からない人間たちが蠢き、よく分からない遊戯に熱狂し、辺りが血液で汚れていく。豊かな自然の中で、すくすくと成長していくはずだった少年たちは、暴力の果てに何を見たのか――」



この小説を読み終えたとき、正直言って不愉快でした。
「圧倒的な文章力がある」「完成度の高い作品」と高く評価されて芥川賞を受賞したそうですが、確かに文章力はあるかもしれません。主人公が田舎の中学校に転校して、級友たちの心の闇に気づいてゆくさまは、谷崎潤一郎の『少年』や『小さな王国』、さらには三島由紀夫の『午後の曳航』を連想しました。明らかに、著者は、少年の心に潜む残虐性を描いたこれらの作品の影響を受けていると思います。



ともに『文章読本』を著した谷崎や三島ほどではないにしろ、本書『送り火』に「圧倒的な文章力がある」という評価が寄せられることは、まあ不問としましょう。しかし、もう1つの評価である「完成度の高い作品」というのは納得がいきません。この小説は尻切れトンボというか、非常に幕切れの悪い、「完成度の低い作品」であると思うからです。主人公は「歩」という少年ですが、誰に視点で物語が綴られているのかもわかりにくかったです。
関心のある方は、ぜひ実際に読んでみてられて下さい。



さらに、ラストで延々と展開される残虐な暴力描写は、読んでいて「グロいなあ」としか思いませんでした。ここまで残虐な表現を連ねる意味がわかりません。ラストシーンも、主人公の歩からすれば、「どうして、何も悪くないこのボクが、こんな目に遭わなければいけないの?」といった心境でしょうが、なにぶん後味の悪さしか残りません。この本、じつは読む前は125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」に連載中の書評コラム「ハートフル・ブックス」に取り上げようかと思っていたのですが、読んだ後はそんな気は失せました。とても他人に薦めるような小説ではないからです。



どうにも救いようのない小説ですが、明るいエピソードとして、中学校の終業式で好調がウォルト・ディズニーを引き合いに出し、夢を持つことの大切さを語ったという場面が出てきます。もうすぐ廃校になる中学校だけれども、校長は「ここから巣立っていく皆さんは先生からすると夢の芽です」と熱っぽく語るのでした。ディズニーの言葉というのは、“If you can dream it,you can do it.” (夢見ることができるなら、それは実現できる)ではないかと思われます。



この言葉は、アメリカはフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド内にある「エプコット・センター」の「イマジネーション!」というアトラクションの入口に掲げられていました。大学4年生のときに初めて同所を訪れ、この言葉を目にしたときは魂が震えるほど感動しました。それ以来、わたしの座右の銘のひとつになっています。人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもありません。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。こういう前向きな言葉を中学生に贈る校長はえらいと思います。



しかし、いくら校長の話は立派でも、それを聴く側にも資質が問われます。このとき、校長が熱っぽく語りかける中、晃という少年は歩の隣で眠そうに欠伸をしていました。晃は中学3年生のクラスの学級委員であり、男子のリーダー的存在です。いじめっ子でもあって、稔という少年をさまざまな方法で攻撃します。あるとき、晃は稔に「コーラを買ってこい」と命令しますが、稔は「嫌だ」と答えます。それで平手で打ちますが、それでも従わないので、拳で殴ります。それでも従わない稔の頭上に晃は鉄鋼を振り下したのでした。



稔以外の他の男子にもいろいろと威嚇的な行動を取る晃ですが、じつは臆病者だったことが最後にわかります。かつて、彼は上級生からいじめに遭っており、その腹いせに同級生をいじめていたのです。
このくだりを読んだとき、わたしは高校の同級生であるAを思い出しました。Aとは高校、大学、社会人を通じて付き合いがありましたが、とにかく傍若無人な男で、飲めばみんなに一気飲みを強制するし、諌めるホステスに暴力をふるうような最低のクズでした。あまりのクズぶりにわたしも愛想を尽かして付き合いを止めましたが、攻撃的な性格で口が立つこともあって、Aを恐れている者は多かったです。



しかし、そのAは小学校時代にいじめられっ子だったことを後に知りました。彼は、いじめられないために強くなって、今度は他人をいじめてやろうとしたのでしょうか。『送り火』に出てくる晃という少年はきっとそのAのような大人になるのではないかなどと思いました。他人をいじめたり、ハラスメントを行うような根性が曲った者の正体は「臆病者」であることが多いはず・・・・・・『送り火』を読んで、そんなことを思いました。

送り火

送り火



2018年9月1日 一条真也

『人生はあなたに絶望していない』  

一条真也です。
今日から9月です。早いものですね。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。連載中の「ハートフル・ブックス」の第125回が掲載されています。『人生はあなたに絶望していない』永田勝太郎著(致知出版社)を取り上げました。

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サンデー新聞」2018年9月1日号



「V・E・フランクル博士から学んだこと」というサブタイトルがついています。
著者は昭和23年千葉県生まれの医師です。慶應義塾大学経済学部中退後、福島県立医科大学卒業。千葉大学、北九州市立小倉病院、東邦大学浜松医科大学付属病院心療内科科長、日本薬科大学統合医療教育センター所長を歴任。公益財団法人国際全人医療研究所代表幹事。慢性疼痛などの全人的医療を研究。平成18年には、ヴィクトール・フランクル大賞を受賞しています。



フランクルとは、世界的名著として知られる『夜と霧』の著者であり、ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医です。著者はそのフランクル博士の薫陶を受け、心療内科医として自らの医療活動に役立ててきました。心療内科といえば、わたしの父は、かつて財団法人・日本心身医学協会の会長を務めていました。同協会の理事長だったのが、九州大学名誉教授で「日本の心身医学の父」と呼ばれた故・池見酉次郎先生でした。池見先生とタッグを組んだ父は、心療内科の普及に努めました。その池見先生こそは著者のもう一人の師です。その関係で、わたしは学生時代に著者にお会いしたことがあります。



本書の表紙には、フランクル博士の顔写真とともに、彼の「人間、誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。しかし、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。あなたを待っている誰かや何かある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」という言葉が紹介され、「柳澤桂子さん推薦!」として、「一人の医師が、血の滲む苦しみの末、多くの患者のために難病から立ち直る感動の書」と書かれています。



著者は、50歳を迎えようとしていた頃に、病に倒れました。主治医にも見放されました。寝たきりになり、死に直面したとき、著者には絶望という言葉しかありませんでした。著者が生き延びるためには、フランクルが説いた「自己超越」せざるを得ませんでした。「一介の医師でしかない私にそんな力は備わっていない」とも思ったそうですが、「そうした力がなければ、私は死んでいただろう。私にその力を与えてくれたのが、フランクル博士の残した言葉であった」といいます。



精神の病は、フロイト流の「快楽への意志」やアドラー流の「権力への意志」といった根拠でのみ論じることはできなくなりました。
フランクルによれば、精神の病の主要原因は、もはや「意味への意志」であり、人間の生きる意味の探究であるといいます。最後に、フランクルに質問をしたガン患者のエピソードには感動します。まさに、「人生はあなたに絶望していない」と思いました。




2018年9月1日 一条真也

2018-08-31

「輝ける人生」

一条真也です。
ブログ「CORI座談会」で紹介したイベントの後、西新橋から銀座に徒歩で向かいました。猛暑で汗だくになりましたが、木村屋の「桃のパフェ」で生き返りました。その後、銀座での2つの打ち合わせの間に、シネスイッチ銀座で英豪米加合作のロマンティック・コメディ映画「輝ける人生」を観ました。




ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「『ヴェラ・ドレイク』などのイメルダ・スタウントンらが出演したヒューマンドラマ。専業主婦の主人公が、ダンス教室に通い始めたのを機に、自分らしい生き方を見つける。監督は『リチャード三世』などのリチャード・ロンクレイン。『ターナー、光に愛を求めて』などのティモシー・スポール、『マリーゴールド・ホテル』シリーズなどのセリア・イムリーらが共演する。1950年代から現在までのダンスナンバーが作品を彩る」

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また、ヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「専業主婦のサンドラ(イメルダ・スタウントン)は、イギリスのサリー州にある屋敷に暮らし、州の警察本部長の夫マイク(ジョン・セッションズ)は爵位を授与されるなど、幸せの絶頂にいた。だが、夫と親友の浮気現場を目撃し家を飛び出して、ロンドンの団地で生活している姉のビフ(セリア・イムリー)のもとに駆け込む。自分の部屋で酒ばかり飲んでいるサンドラを心配したビフは、彼女をダンス教室に連れていく」




この映画、なかなかユニークな作品でした。とにかく老人がたくさん登場し、いろんなことをするのです。たとえば、老人が浮気する。老人が嫉妬する。老人が家を出る。老人が荒れる。老人が離婚する。老人が踊る。老人が恋する。老人が恥じらう。老人が笑う。老人が泣く。老人が歌う。老人が食べる。老人が飲む。老人が病む。老人が死ぬ。老人が旅する。老人が走る。老人が叫ぶ。そして、老人が船に飛び乗る・・・・・・。
主人公の娘や孫を除いては、ほとんど老人しか出てこない、てんこ盛りの老人映画でした。正直、胸焼けするほどに。もちろん、老人が主人公の映画というのはたくさんありますが、この「輝ける人生」のように超アクティブな老人映画というのは初めて観ましたね。

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「サンデー毎日」2017年11月12日号



でも、老人たちがダンスという趣味を得るのは素敵だと思いました。ダンスに限らず、高齢になって趣味を見つけることは「生きがい」につながります。
ブログ「老いてこそ文化に親しむ」にも書きましたが、人は老いるほど豊かになるというのが、わたしの持論です。わが社はセレモニーホールのコミュニティセンター化を図っています。これから必要なのは、「葬儀をする施設」ではなく、「葬儀もできる施設」だと考えているのです。そこで、キーワードとなるのが「文化」です。

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老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)



一般に、高齢者には豊かな時間があります。時間にはいろいろな使い方がありますが、「楽しみ」の量と質において、文化に勝るものはないでしょう。さまざまな文化にふれ、創作したり感動したりすれば、老後としての「グランドライフ」が輝いてくるはずです。文化には訓練だけでなく、人生経験が必要とされます。また、文化には高齢者にふさわしい文化というものがあるように思います。わたしは、それを「グランドカルチャー」と呼んでいます。2003年に上梓した拙著『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)で初めて提唱した言葉です。



長年の経験を積んでものごとに熟達していることを「老熟」といい、経験を積んで大成することを「老成」といいます。「老」には深い意味があるのです。わたしは「大いなる老いの」という意味で「グランド」と名づけています。これは、グランドファーザーやグランドマザーの「グランド」でもあります。この「老熟」や「老成」が何よりも物を言う文化が「グランドカルチャー」です。グランドカルチャーは、将棋よりも囲碁、生花よりも盆栽、短歌よりも俳句、歌舞伎よりも能とあげていけば、そのニュアンスは伝わるでしょう。



輝ける人生」で主人公たちが取り組むダンスは若者向けです。激しすぎて心臓にも負担がかかります。これは、グランドカルチャーではありません。この映画は「老い」を肯定しているというよりも「老い」を否定するアンチエイジングの物語ではないかと思いました。
輝ける人生」を観て、わたしは、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩を思い出しました。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う」で始まるこの有名な詩は、多くの高齢者たち、とくに高齢の経営者たちに人気があります。肉体に対する精神の優位をうたい上げ、ものごとをポジティブにとらえるという点では、わたしも大いに共感しています。





しかし、ウルマンの詩には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がその根底にうかがえます。ウルマンの「青春」は「老い」そのものを肯定するものではないのです。
おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生という大きなフレームのなかでとらえる必要があります。



文化の話に戻ります。もちろん、どんな文化でも老若男女が楽しめる包容力をもっていますが、特に高齢者と相性のよい文化、すなわちグランドカルチャーというものがあります。わが社では高齢者向けの文化教室「グランドカルチャー教室」を運営しています。グランドカルチャーは高齢者の心を豊かにし、潤いを与えてくれます。それは老いを得ていくこと、つまり「得る老い」を「潤い」とします。超高齢社会を迎えた今こそ、高齢者は文化に親しもうではありませんか。その生き方が、「後期高齢」を「光輝好齢」に変えてくれるはずです。

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人生の修め方』(日本経済新聞出版社)



いま、無縁社会を克服しようと、わが社では地縁、血縁以外の新たな「縁」の再生・再構築に取り組んでいます。たとえば、好きなものを求めて集まる趣味仲間の「好縁」などに注目しています。実際、最近の葬儀で会葬者が集まるのは、俳句や囲碁やカラオケやダンスなど趣味が縁の仲間たちというケースが非常に多いです。同じ趣味を持った仲間たちが、同じ趣味に打ち込んだ思い出の会場(セレモニーホール=コミュニティセンター)から見送ってくれれば、こんなに贅沢で心ゆたかなことはありません。
まさに、「輝ける人生」の修め方ではないでしょうか。



2018年8月31日 一条真也

2018-08-30

CORI座談会

一条真也です。
30日の朝、スターフライヤーで東京に来ました。
羽田空港に到着して、iPad−miniを開いたら、ヤフーのTOPニュースに「『はてなダイアリー』2019年春にサービス終了」という記事を見つけました。当ブログも「はてなダイアリー」です。近いうちに終了するのではないかと予想はしていましたので、「ついに来たか」と思いました。その後、“株式会社はてな”からオフィシャルサイトに、「2019年春『はてなダイアリー』終了のお知らせと『はてなブログ』への移行のお願い」というメールも届きました。想定内の出来事であり、準備も進めていましたので、来月早々に「はてなブログ」に移行する予定です。時代はつねに変化しますからね。

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COMS虎ノ門の前で



さて、わたしが東京に来た理由は、冠婚葬祭総合研究所が発行する「CORI」の座談会に出席するためです。会場は西新橋にある「COMS虎ノ門」です。メンバーは全互協の杉山副会長(政策委員会担当)、若手の会の吉田代表、そして小生です。わたしは、全互協の副会長(儀式継創委員会担当)として参加しました。司会は、研究所の兼松副社長でした。

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座談会に参加しました



研究所の図書室に椅子を並べて、14時から座談会が開始。基本的にフリー・ディスカッションでしたが、3人に共通して、(1)現状の問題点・課題、(2)『つながり(縁)の再構築』という点からの考え、(3)今後の業界としての進むべき方向性(業界の将来像)についての質問が出されました。
まず、(1)現状の問題点・課題については、わたしは以下のように答えました。価値観の多様化といえば聞こえはいいですが、自由気ままに結婚し、子育てもいい加減にやり過ごした挙句、「価値観」の相違を理由に離婚してしまう。そんな日本人が増えているように感じます。
「ナシ婚」の三大理由は4年連続で、「経済的事情」「さずかり婚」「セレモニー的行為が嫌」となっていいます。これは、冠婚葬祭に代表される儀式の意味を子どもに教えることが出来なかった「この親」にして「この子」ありとでもいえばいいでしょうか。
また、「荒れる成人式」が社会問題となって久しいです。
毎年のように検挙される「若者ならぬ馬鹿者」が後を絶ちません。成人式で「あれこれやらかす輩」が登場するのは1990年代の半ば以降といいます。いまの40歳以降の世代です。



結婚式も挙げず、常軌を逸した成人を持つ親たちを待っているのは「直葬」という遺体処理です。この親たちは自分の両親を「家族葬」や「直葬」で送っていますが、次は子どもたちから「直葬」されるか、死んでも遺体処理もされず「生きていること」にされ、年金の不正受給の盾にされかねないでしょう。
いまや、葬儀さえもがインターネットで手軽に依頼できるという時代となりました。家族以外の参列を拒否する「家族葬」という葬儀形態がかなり普及しています。この状況から、日本人のモラル・バリアは既に葬儀にはなくなりつつあることは言を待ちません。家族葬であっても宗教者が不在の無宗教が増加しているのではないでしょうか。通夜も告別式も行わずに火葬場に直行する「直葬」も、都市部を中心に広がっています。さらには、遺骨を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。日本人の儀式軽視は加速する一方であり、暗澹たる思いです。

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「つながり(縁)の再構築」について語りました



それから、(2)「つながり(縁)の再構築」という点からの考えについては、以下のように答えました。葬儀の簡略化は進んでいますし、さまざまな縁の希薄化が巡り巡って会葬者の減少につながっていると感じます。そうした現状を克服しようと、私どもでは地縁、血縁以外の新たな「縁」の再生・再構築に取り組んでいます。たとえば仕事仲間の職縁、同窓生の学縁、趣味仲間の好縁、ボランティアなど志をともにする道縁です。
実際、最近の葬儀で会葬者が集まるのは、俳句やダンスなど趣味が縁の仲間たちというケースが非常に多いようです。弊社が目指しているのは、セレモニーホールのコミュニティセンター化です。
かつて、寺院は地域のコミュニティセンターであり、宗教としての本来の機能の他に、学び・癒し・楽しみという機能がありました。その機能をセレモニーホールが肩代わりしていこうと考えているのです。これから必要なのは「葬儀をする施設」ではなく、「葬儀“も”できる施設」。北九州紫雲閣では「盆踊り大会」を開催し、小倉紫雲閣では「友引映画館」を開催しています。また、弊社では「隣人祭り」をはじめとする「隣人交流イベント」も2008年以来行っており、北九州だけで年間650回開催しています。

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業界の将来像についても大いに語りました



そして、(3)今後の業界としての進むべき方向性(業界の将来像)については、以下のように答えました。いま、日本人に広く儀式を提供する冠婚葬祭互助会の社会的役割と使命が問われています。たしかに、互助会というビジネスモデルが大きな過渡期にさしかかっていることは事実でしょう。その上で、互助会の役割とは「良い人間関係づくりのお手伝いをすること」、そして使命とは「冠婚葬祭サービスの提供によって、たくさんの見えない縁を可視化すること」に尽きると考えます。そして、「縁って有難いなあ。家族って良いなあ」と思っていただくには、わたしたちのような冠婚葬祭業者が参列者に心からの感動を与えられる素晴らしい結婚式や葬儀を提供していくことが最も重要であるのではないでしょうか。



冠婚葬祭の「アップデート」について、わたしは以下のように考えています。
■冠婚葬祭1.0
(戦前の村落共同体に代表される旧・有縁社会の冠婚葬祭)
■冠婚葬祭2.0
(戦後の経済成長を背景とした互助会の発展期における冠婚葬祭)
■冠婚葬祭3.0
(無縁社会を乗り越えた新・有縁社会の冠婚葬祭)



互助会が儀式をしっかりと提供し、さらには「隣人祭り」などの新しい社会的価値を創造するイノベーションに取り組めば、無縁社会を克服することもできるはずです。「豊かな人間関係」こそ、冠婚葬祭事業のインフラであり、互助会は「有縁社会」を再構築する力を持っています。これからの時代、互助会の持つ社会的使命はますます大きくなると確信します。
今後ますます経営的にも、社会的にも大きな比重となる葬儀についていえば、遺族の方々の死別の悲嘆に対処する「グリーフケア」の普及こそ、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題であると考えています。
弊社でも早くからグリーフケア・サポートの重要性を説き、2010年からご遺族の自助グループである「月あかりの会」を立ちあげてサポートさせていただいてきました。



葬祭業界において、グリーフケアの重要性は高まってゆく一方です。わたしは、互助会の葬祭スタッフがグリーフケアを実践することによって、日本人の自殺やうつ病患者の数を減らせるとさえ考えています。葬儀という互助会の主軸となる事業を「グリーフケア」という視点で「再構築」することを通じて、「儀式」というシステムの有効性のアップデートを図ることも可能ではないでしょうか。



いわゆる「儀式」は、「人生儀礼」と「年中行事」に大別されます。
人生儀礼は一度限りで、年中行事は繰り返されるものだが、どちらも「時間を肯定する」という思想が共通していると言えます。世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。儀式文化の継承と創新をめざす全互協の「儀式継創委員会」の役割と使命は非常に大きいと考えます。



何よりも大切なのは、次の世代、子どもたちに儀式の意味と重要性を伝えることではないでしょうか。わたしは、そう考えます。数年前から、弊社では「婚礼本来の意味」を伝える新プロジェクト「親子でウエディング体験会」を始動させています。地元の小学生とその親を対象に、経験豊かなウエディングプランナーを講師として、「結婚式」本来の意味を伝え、また「チャペルウエディング」や「披露宴」などを通じ、結婚式の模擬体験を行なっていただく内容となっています。今年も大好評でしたが、ぜひ継続的かつ充実を図り、「結婚式」の意義を訴えていきたいと考えます。小学生を対象に「葬儀」の意義を訴えるイベントも企画しています。



全互協では、子ども向けの儀式コミック本を製作し、非常に好評でした。
また、本年から一般財団法人・冠婚葬祭文化振興財団が取り組んでいる小学生対象とした「私のしたい結婚式」「のこしたい日本の儀式」をテーマとした絵画コンクールも有意義な企画ではないでしょうか。儀式継創委員会では、「土曜学習応援団」に取り組み、「子ども霞が関デー」などの行事にも参加しましたが、これからも子どもたちへ儀式の重要性を伝える企画を続々と実行していく予定です。何よりも「こころのインフラづくり」が最重要です。

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汗ビッショリで疲労困憊・・・



座談会の終了後、わたしは銀座で打ち合わせが控えていたので、COMS虎ノ門を後にしました。西新橋から銀座まで徒歩で向かったのですが、時間にすれば15分ほどですが、スーツを着込んでいるものですから、ものすごく暑くて、滝のような汗が流れてきました。脱水症状のようになりながら、命からがら打ち合わせ場所である「木村屋」2Fの喫茶店に辿りつきましたが、もう疲労困憊です。ノックアウト寸前・・・・・・。

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メニューに「桃のパフェ」(期間限定)を発見!



ふとメニューを見ると、期間限定の「桃のパフェ」という、まるで地獄に仏のようなスイーツがあるではありませんか。なんと、白桃山梨県産シャーベットがトッピングについています。わたしは迷わず、「桃のパフェ&アイスコーヒー」のセット(1400円)を注文したのでした。
冷たくて、甘くて、美味しかったです。生き返りました。

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「木村屋」の桃のパフェが美味しかった!



2018年8月30日 一条真也