Hatena::ブログ(Diary)

一条真也の新ハートフル・ブログ

2016-05-31

古代エジプト人の「死」の文化に学ぶ

一条真也です。
わたしは、 終活WEB「ソナエ」で「一条真也のハートフル・ライフ」を連載しています。「日本の心」や「心ゆたかな生き方」をテーマに月に2回、コラムをお届けしてきました。ちょうど、5月も今日で終わりですが、当コラムも第34回目となる今回が最終回となります。

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終活WEB「ソナエ」



最終回となる第34回目のタイトルは、「古代エジプト人の『死』の文化に学ぶ」です。終活WEB「ソナエ」HPのTOPに掲載されています。最近、ツタンカーメン王墓の「隠し部屋」が発見され、古代エジプトが熱い注目を浴びています。そんな中、とても興味深い本を読みました。『古代エジプト 死者からの声』大城道則著(河出書房新社)がそれで、「ナイルに培われたその死生観」というサブタイトルがついています。著者の大城氏は1968年兵庫県生まれ。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学を専攻し、修了。現在は駒澤大学文学部の教授で、専攻は古代エジプト史です。

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「古代エジプト人の『死』の文化に学ぶ」



古代エジプトといえば、ミイラ、ピラミッド、極彩色に彩られた壁画や巨大な石造りの神殿など、そこにはどこまでも「死」のイメージがついて回ります。古代エジプトは大いなる「死」の文化が栄えていました。万人に必ず訪れる「死」を古代エジプト人たちはどのように考え、どのように受け入れていたのでしょうか。同じ多神教の国である日本をはじめとするほかの文化・文明との比較によって、大城氏は古代エジプトの死生観・来世観の独創性を浮かび上がらせています。

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「古代エジプト人の『死』の文化に学ぶ」



同書で最も興味深かったのは、古代エジプトには「死者への手紙」という風習があったことです。同書のプロローグには以下のように書かれています。
「古代エジプト人たちの感覚として、この世で生きている者とあの世で生きている者(死した人物)との間には障壁はなかったのだ。手紙のやり取りさえできたのである。このようないわゆる『死者への手紙』と呼ばれる遺物は、古代エジプト人たちの墓から出土し、現時点で十数例が知られている」
この死者へ手紙を送るという古代エジプト人たちの行為は、なんと千数百年にわたってエジプトの伝統として継続されたそうです。古代エジプト人たちは、この世だけでなくあの世でも生きたのです。古代エジプトのさまざまな葬礼文化は「人が死なない」ためのテクノロジーの体系でした。

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また、いつか、お会いしましょう!



拙著『唯葬論』(三五館)にも書いたように、わたしは葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。その意味で、古代エジプトこそ人類史上最大の「唯葬論」社会であったと言えるのではないでしょうか。空前の多死社会を迎える現代日本人にとって、死者と生者が幸福なコミュニケーションを築いた古代エジプトから学ぶことは多いはずです。
というわけで、これでお別れです。これまで、長きにわたって「一条真也のハートフル・ライフ」をご愛読いただき、本当にありがとうございました。

唯葬論

唯葬論



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年5月31日 一条真也

2016-05-30

『茶道と中国文化』

茶道と中国文化



一条真也です。
『茶道と中国文化』関根宗中著(淡交社)を読みました。
著者は、昭和21年京都生まれで、大谷大学文学部仏教学科卒業。現在は、裏千家事務総長、(一社)茶道裏千家淡交会副理事長、(学)裏千家学園理事・教頭、(公財)松下政経塾理事などを務めています。茶道月刊誌「淡交」の連載を書籍化したものですが、茶道と中国文化の関係をわかりやすく説明した好著でした。帯には「禅だけではない、茶の湯には中国の諸思想が息づいている。」「儒教、道教、易・・・。」と書かれています。

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本書の帯



ベスト50レビュアー」こと不識庵さんがアマゾンのレビューで本書を取り上げ、「150頁に満たない本書の過半に赤線を引くほど充実した内容」として絶賛しているのを読み、早速本書を取り寄せました。じつは、父である サンレーグループ佐久間進会長が、小笠原家茶道古流の全国団体である「未得会」の会長を今年から務めることになりました。それで会社をあげて茶道を勉強することになり、わたしも良いテキストがないかと探していたのです。また、次回作である『儀式論』(弘文堂)の資料にしたいという狙いもありました。茶道とは儀式文化そのものですから・・・・・・。

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本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「前書」
一、「藝」について(一)
二、「藝」について(二)
三、酒掃・應對・進退
四、東洋的な藝について――中国の六藝――
五、『論語』と茶道――稽古と温故知新――
六、『論語』と茶道――茶道修行位階論源――
七、茶道と禮
八、茶道と禮――常と五常――
九、茶道の美
十、易と茶道のかかわり
十一、澤庵和尚の茶道観(一)
十二、澤庵和尚の茶道観(二)
十三、不老長生の妙薬――茶道と道教――
「あとがき」



「前書」の冒頭には、以下のように書かれています。
「綜合文化や綜合藝術である茶道の全容理解のためには、禅の立場からの学問研究だけではなく、易経や儒教、道教はじめ、我が国の神道やキリスト教に至るまで、多種多様な宗教や思想の影響を考える必要がある。
茶道の大成者・千利休は臨済宗の堺の南宗寺や京都の大徳寺で参禅し、当時の高徳の僧と厚誼のあったことは周知のことであり、勿論、茶道への禅の影響の大きいことは事実である。しかし、当時の南宗寺や大徳寺などの仏教寺院では、内典としての仏教経典以外に四書五経等の外典の研究も行われ、内典よりも外典研究のほうが盛んであったと伝えられる」



続いて、著者は以下のように述べます。
「特に、我が国では早くから四書五経の中でも『論語』と『易経』の影響が、個人の人格形成から社会や国づくりにも及んでいる。このように考える時、当然のことながら、当時の日本の諸思想や諸宗教を背景にして、我が国を代表する固有の文化である茶道も大成されたと考えられる。茶道の開祖・珠光は、浄土宗の称名寺の僧でありながら、『山上宗二記』に「孔子をも学びたる」とあり、『南方録』はじめ多くの茶道古典や、また茶室や道具、点前から禅以外の諸思想からの姿や形を見ることが出来る」



一、「『藝』について(一)」の冒頭では、著者は以下のように述べています。
「日本の伝統文化の分類には様々な呼称がある。例えば『藝道』『藝能』、あるいは『遊藝』『藝事』などであるが、その違いを明らかにすることはなかなか難しい。辞書によると、藝能及び遊藝とは『娯楽性の強い大衆的な藝の総称』とある。一方、藝道とは『技藝・藝能を修業する道』とあり、藝能に比べ、藝のあり方とその人のあり方を結合するもの、換言すれば藝そのものがその人の生き様でなくてはならず、修行性を伴う高い精神性を有しているものである」



二、「『藝』について(二)」の冒頭では、著書は「茶道は綜合藝術といわれているが、西洋的な藝術の概念を超えた東洋的な『藝』の意味を合わせもっている」と述べます。
それから、「空間藝術について」として、以下のように述べています。
「茶道は四畳半という茶室空間にありとあらゆる藝術作品としての茶道具が飾り置かれる。それらは陶器、磁器、漆芸、裂地、木工、竹芸、金工、書、絵画などのあらゆる藝術ジャンルの作品の数々である。その他、露地や茶室も藝術作品である。これらの造形藝術は一定の空間を占めることから空間藝術といわれる。茶道では茶室という空間にこれら諸道具を取り合わせ、綜合させている。ここでいう綜合とは藝術作品である諸道具をただ寄せ集めているだけではなく、茶道の最高の理念である『侘(わび)』に基づいて体系化されることをいう」



茶事そのものは二時、今の時間でいう4時間を要します。
このように一定の時間を経た後に藝術としての評価ができるものを時間藝術といいます。音楽や詩、文学、舞踏などが時間藝術であると説明した上で、著者は「茶道は、このように空間藝術と時間藝術の両者によって構成される。そこに、茶道が綜合藝術といわれる所以がある。一般的には茶道の他、映画や舞台藝術などが綜合藝術と称されている」と述べています。

茶の本 (岩波文庫)

茶の本 (岩波文庫)



著者によれば、この綜合藝術としての茶道は、西洋的な藝術と比べていくつかの特質を持っているといいます。まず、綜合藝術としての茶道は、多様な藝術的ジャンルを包摂していますが、単にそれらを寄せ集めたわけではありません。茶道の理念である「侘」でもって一体的に体系化されることをいうのです。
次に、『茶の本』を書いた岡倉天心が「藝術家以上のものすなわち藝術そのものとなろうと努めた」と述べたように、茶人そのものも藝術であり、綜合藝術を構成する重要な1つの要素であるという点です。



これらの茶道の特質を紹介して、著者は以下のように述べます。
「このことは綜合藝術としての茶道が単に美を追求する営みとその所産だけではなく、人間の人格形成に大きな影響を与えていることである。それは、日本人が日本人であるための精神的な基盤をなしているともいえる。もっというならば、茶道が人間の実生活と具体的かつ精神的に深く結び付き、茶道が日本人と日本社会を規定しているとか、支配しているといっても過言ではないであろう」



三、「酒掃・應對・進退」では、「中国・周代の教育」が紹介されます。
周の時代とは、夏・殷の後、春秋戦国時代までの紀元前11世紀から紀元前2世紀までを指します。初代の文王、その子・武王や同族封建制として魯に封じられた周公旦などにより、国家の諸制度や文物が大いに備わりました。官制度の整備はもちろん、教育が重んじられ、天子の都、諸侯の都から田舎の村里まで学校が設けられました。村里には小学、諸侯の郡には国学、天子の都には大学があり、およそ7、8歳から小学に入り、貴族の子弟や一般国民の俊才なる者は15歳頃には大学に入り、国家、天下の人材養成が行われました。



ここで、著者は以下のように述べています。
「この各段階の学校では洒掃(水を撒き掃き清めること)、應對(人の呼ぶに応じて問いに答える)、進退(立居振舞い)の小さな儀禮から始まり、士が学ぶべき、禮(禮節)・樂(音楽)・射(弓術)・御(馬術)・書(書法)・数(算法)の六藝を学んでいた。これが周の国の国民普通教育である。周代は我が国ではまだ縄文時代であり、農耕らしいこともなく、狩猟、採集、漁労などで日々の暮らしが営まれていた。勿論、天下や国家などもなく、学校教育なども到底考えられない時代である。しかし、その頃の中国では、学校制度が整備され学問と教育科目が体系化されていたことになる」



また、「小さな儀禮」として、著者は以下のように述べます。
「儒教では家族や社会、国の成立は1人の良き人間、即ち人間本来の相を体得している1人の人間がベースになる。そしてこの良き人間同士の関係を円滑にする潤滑油の役割を果たすものが禮である。洒掃、應對、進退もすべて良き人間関係を築くために必要欠くべからざる禮と捉えられている」



続いて、著者は以下のように述べています。
「茶道は点茶と喫茶の二者を機縁にして成り立つものである。点茶は亭主の、喫茶は客の役割である。一座建立も直心の交わりという亭主と客の仕え合う良き人間関係がなくては成立するものではない。そのためにまず『洒掃・應對・進退』の禮の基本を稽古や修行により会得しておくことが大切になる」



そして、著者は以下のように述べるのでした。
「禅道や茶道・華道、また武道などの日本の伝統的な道の世界全般の稽古や修行の過程に、この洒掃・應對・進退や点前の三要素的な事柄を見ることができる。しかし、茶道ほどこれらの小さな儀禮を明確に且つ具体的に位置づけているものはない。「禮に始まり禮に終わる」という茶道の特色を物語るものであろう」



四、「東洋的な藝について――中国の六藝――」では、茶道をはじめ、我が国の藝道の修行や稽古が「洒掃・應對・進退」から始まることが紹介されます。「洒掃」とは掃除と水撒きであり、「應對」とは人の問いに応じて答えること、また「進退」とは動作・立居振舞いをいいます。
周では教育制度が整備され、小学、中学、大学が設置され、士から万民に至るまで幅広く教育を施していました。その大学での教育内容が、東洋の「藝」の根本となる「六藝四術」でした。



「六藝四術」とは何を指すのでしょうか。六藝とは禮(禮節)・樂(音楽)・射(弓術)・御(馬術)・書(書法)・数(算法)の六科目でした。次に、四術とは詩・書・禮・樂の四科目でした。『史記』によれば、四術よりも実践色の強い六藝を体得することの方が困難であったようです。



六藝にも四術にも「禮」がありますが、著者は以下のように述べます。
「現代の日本では、長く続いた封建制の下で、禮というと形ばかりを重んじる形式ばったものであり、個人としての自由を束縛したり、人間関係を窮屈にするものとして捉えられている。しかし、人間は個人では生きてゆくことのできない存在であり、家庭や社会の中でこそ生きられるのである。禮の本来は、決して堅苦しいものでなく、その家庭や社会における人間関係をより良好にし、正しい秩序を築くための潤滑油的な存在であった筈である。禮は自然の理に基づく正しい秩序と考えられている。この禮の本来の姿を教えるのが茶道といえる」

礼を求めて

礼を求めて



「禮の本来の姿を教えるのが茶道」という著者は、以下のように述べます。
「茶室の中の人々は全て平等であることを同席の客は理解しているものの、年齢や社会的な立場などの違いによって正客からお詰まで、着座する順序が自ずと決まってゆくのである。つまり、茶室の中は平等の精神であることには違いないが、そこには自ずと違和感のない秩序が生まれていく。特に洋装の多い昨今では、衣服で身分的上下、また社会的位置関係は判然としない。しかし、自然と茶室の中は正しい姿、秩序が体現される。この秩序が即ち『禮』である」



続いて、著書は茶室の禮について、以下のように述べます。
「このような茶室の中の秩序を生む禮は、身分差による差別区別のために生じる詳細な禮の決まりごとによるものではなく、禮が『より良い人間関係』を築くという本来のあり様を踏まえた茶人の「はたらき」によって生み出される。儒教の影響を色濃く受ける茶道ではあるが、真行草、点前の三原則、洒掃・應對・進退など、実にシンプルな禮の姿が臨機応変なはたらきを生み出している。このことが、茶道の禮が日常生活に息づき、そして日本全体が礼儀正しく、秩序のある国と国際的に評価される要因であろう」



そして、茶道の本来の意義について、著者は以下のように述べるのでした。
「茶道は綜合文化、綜合藝術と評され、多様な側面を持つ藝道である。そして、喫茶や点茶、また、道具の鑑賞等に止まるものではなく、倫理や道徳に基づく真の生活の実践を通じて高い精神的境地に達することこそが、茶道人の目標であり、茶道の本来の意義といえる」

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)



五、「『論語』と茶道――稽古と温故知新――」では、著者は『論語』について以下のように述べています。
「仏教も『論語』もまた日本人の精神的支柱であった。加えて茶道が中世の禅林の影響を受けて形成されてきたことを考えると、儒教聖典の代表格である『論語』と茶道の関係を看過することはできない。その証左として茶道では今もなお『論語』に見られる稽古や束脩などの言葉を使い続けており、茶道の道のあり方及び禮や藝の考え方もまさしく『論語』の影響を受けているといえる。この他、床の掛物にも『論語』からの出典も多くみられることから、『論語』は茶人にとって身近な存在である」



六、「『論語』と茶道――茶道修行位階論源――」では、その冒頭で、著者は茶道の禅の関わりについて以下のように述べます。
「茶道が形成される過程で禅林の影響には大きいものがあることは周知の通りであり、一般的に茶禅一味と称されるようになったものの、禅だけではなく儒教・道教・我が国の神道など多種多様な宗教や思想・哲学の影響を受けている。特に、茶道大成期の中世の禅林では仏教だけでなく、儒教や道教の研究が盛んに行われていたこと、また、その中でも禅林での中国典籍研究の筆頭は『易経』と『論語』であったといわれる」



七、「茶道と禮」の冒頭では、著者は「禮」について以下のように述べます。
「茶道に大きな影響を与えている儒教は後世『禮教』といわれるように『禮』が思想の真髄としての位置づけがなされている。
さて、『禮』の字は、神を意味する『示』と、お酒を入れる祭器としての杯である『豊』から構成されている。つまり、禮の起源は神々の祭祀であり、飲食をともにする禮儀が原意である。後に祭祀としての宗教性が徐々に希薄となり、人間が社会で生きていく上での守るべき規範として重んじられ、人間関係全般を律する社会的な儀禮として重要視されることになる。同時に、徳の1つとして個人的にも実践されることになる」



また、茶道における禮について、著者は以下のように述べます。
「茶道における禮は、應對・進退の禮節や真行草のお辞儀の作法など、人間関係が主であるが、点前の三原則(位置の決定・順序・動作)という規範に対しても、間違いなく広義の『禮』として捉えることができるであろう。この規範=禮―私欲我欲に打ち克つこと―を守ってこそ、一盌を介して良好な人間関係を築きあげることができるのである。なお、人間関係の禮だけではなく、茶道の様々な清めの所作は、まさに天地神明やモノに対する禮と理解しても良いであろう。そして、この禮の実践は、最高の徳目である仁(汎く人を愛する)を得るための道であり、茶人の己事究明の道といえる」

茶話抄

茶話抄



八、「茶道と禮――常と五常――」では、「茶道の常とは何か」で、著者は以下のように述べています。
「茶道の成立や発展には、禅を中心にひろく仏教との関係があることは周知のことであるが、すべてを禅と結び付けて茶道理解を進めることには無理があるように思われる。現に『茶話抄』「上手下手之事」で如心斎が述べた茶道の常について、利休居士と加藤肥後守(清正)との茶事逸話にある『如心斎物語に、茶の心持とて別になし、常を茶になして、茶に臨ンて改らぬ様二、又言葉などにあやを付て虚のなき様に有りたし』の文意は、禅云々というよりも、まず思い浮かぶことは、『論語』『学而第一』にある『巧言令色鮮矣仁』という言葉であろう。茶道修習の者にとって大切なことは、いつも巧言令色のないように、虚心坦懐で人と向き合うことであろう。このような境地から、覚々斎は『茶事は元、敬禮之游ひなれハ』(『茶話抄』「茶の衆儀之事」)と述べたと考えられる。この『敬』や『禮』はまさしく儒教思想の真髄である」



九、「茶道の美」では、冒頭に以下のように書かれています。
「茶道の美については、西洋美学の視点から、1つ1つの茶器など、茶道の部分的構成要素の美について論じられることが多い。しかし、茶道は日本内外の諸文化の要素が渾然一体となっており、東洋文化の精華といわれる。この東洋文化の精華である茶道の美意識は、狭義の『芸術』という視点を持つ西洋美学からだけでは十分に記述・説明することは難しい」



また、「美の原意」として、著者は以下のように述べています。
「東洋文化のなかでの『美』の字の源意とは何であろう。
甲骨文では、『美』という字は、象形の会意字で、人が頭に羽飾を加えている字形である。この『美』は甲骨文と金文(鐘鼎文)である『毎』と同義であり、異体字といわれている。『美』は男の首を装飾し、『毎』は女の首を装飾することをいう。つまり、美の原意は装飾の意とされている」

古代漢字彙編 (1977年)

古代漢字彙編 (1977年)



『古代漢字彙編』(木耳社刊/小林博著/白川静序)によれば、美は、元来は羽飾の美しさをいう字であったそうです。そして「美」も「善」も「膳」も、さらに「義」なども「羊」の字を根として宗教的な意味を原意に、価値的な語に移行したものであることは疑いないといいます。そして「美」は神への捧げ物の意味から味のうまさの意味にもなりました。日本語の「美味しい」の語もこれに通じるものだといいます。



「儒教と茶道の美」では、著者は以下のように述べます。
「儒教の究極の目標は、仁の徳を体得してそこを離れずに住み着くことであり、仁の徳を実践することである。真の智者とは、学問を修得してさまざまな知識や理論を蓄えるだけではなく、その上に仁の徳を選び取ってそこから離れない者のことをいう。仁とは、『周禮』には『仁愛人以及物』(仁とは人を愛し、以て物に及ぶ)であると述べられている。そして、そこから離れないで居ることを『美』といっている」

礼記 (中国古典新書)

礼記 (中国古典新書)



「和=美」では、茶道の精神が四規七則で表されることが紹介されます。その四規とは「和」「敬」「清」「寂」ですが、この中で茶道精神の代表格が「和」なのです。『論語』では、禮と和の両方を用いなければならないことが説かれていますが、これについて、著者は以下のように述べています。
「禮は道徳上、身分に伴って守るべき教えであるが、差別をつけるために、ややもすれば離れる憂いがある。一方、和はあわせる力は持つが、ともすると、狎れ紊れる弊害を伴う。従って、禮と和をともに用いる必要がある。夫婦や朋友の間などの五常(先述の五倫)、その他の関係についても心得ることが大切である。なお『禮記』『儒行篇』には『禮之以和為貴』とあり、この章の用を以てと訓ずる説もある。聖徳太子の十七条憲法に『和を以て貴しと為す』とあるのは、この『論語』や『禮記』に依拠している」
「和」については、わたしも『和を求めて』(三五館)で考えを述べました。

和を求めて

和を求めて



十、「易と茶道のかかわり」の冒頭には、以下のように書かれています。
「茶道はその成立にあたり禅思想だけではなく、儒教、道教、そして我が国の神道やキリスト教などの諸宗教、諸思想の影響を受けている。その諸思想の中でも茶道の原点である『湯の創造』に火と水と風炉釜は欠かすことのできない要素である」
「湯の創造」では、著者は以下のように述べています。
「『茶経』や『南方録』にもあるように、茶の湯の『湯』は、水と火、つまり陰陽の交合、和合、感応によって創造される。そしてそれに使用される水には、陽の気が増す寅の刻(午前3時から5時の間)に汲み上げる井華水が用いられることから、茶の湯にとって陰陽の思想が如何に重要な位置を占めていたかということが理解できよう」

茶経 全訳注 (講談社学術文庫)

茶経 全訳注 (講談社学術文庫)



また、茶の大いなる秘密について、著者は以下のように述べます。
「茶は健康に良いといわれているが、その理由としてカテキンとかビタミンAなどが多く含まれているという薬理的な効能が強調されている。しかし、『茶経』では宇宙の五元素である五行のバランス良く配された風炉釜で、陰陽交合する中での『吉』の湯の創造により病気に罹らないと述べている。『茶経』が著されて約1300年が経つが、最も重要な風炉釜の製作理念は依然として『易経』の陰陽五行思想に基づいていることを知ることができる。また、風・火・水は古来、日本の宗教的儀式に欠かすことのできないことを考え合わせると興味が尽きない」

茶をたのしむ ―ハートフルティーのすすめ (日本人の癒し)

茶をたのしむ ―ハートフルティーのすすめ (日本人の癒し)

決定版 おもてなし入門

決定版 おもてなし入門



まさに茶とは神秘的な飲み物であると言えますが、茶事の舞台となる茶室も神秘的な空間です。十一、「澤庵和尚の茶道観(一)」で、著者は以下のように述べています。
「茶室は陰陽と五行思想に基づく『小宇宙』であるといえる。その小宇宙の中に台子という小宇宙がある。そしてまた、台子という小宇宙のなかに風炉釜という小宇宙が存在する。そして、その小宇宙である風炉釜は陰陽の思想である水と火の交合から湯を創造する。従って、あの小さな一碗のお茶もまた、陰陽と五行の宇宙の道理が凝縮された小宇宙として捉えることができる。つまりこのそれぞれの小宇宙とは自然の理と違うことのない東洋の『無為自然』の思想の体現である」
この小宇宙としての茶室については、わたしも『茶をたのしむ』((現代書林)や『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)で詳しく説明しました。



十三、「不老長生の妙薬――茶道と道教――」では、茶道と道教の関係が述べられます。道教について、まず著者は以下のように述べています。
「道教とは、中国土着のアニミズムやシャーマニズムなどの民間に伝承されてきた呪術的な要素に、老子を開祖とする道家の神仙思想や陰陽・五行思想、また儒教思想などを取り入れて成立している。特に、仏教からの影響は大きなものがあり、思想面の融合のみならず、教団組織の体裁までも模倣したといわれている。こうした道教の主な目的は不老長生であり、現世利益的な自然宗教である。そして、中国の現体制の中でも今なお中国の民衆のなかに生き続けている道教は、中国の中にあるのではなく『中国は道教の中にある』とまで言わしめている」

易経〈上〉 (岩波文庫)

易経〈上〉 (岩波文庫)

易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)

易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)



古代中国人は、あらゆる現象の源は万物の母である天にあり、これを「天道」といい、自然現象から人間の営みまで、「天道」という根本原理が働いていると捉えていました。著者は『易経』の内容に言及し、以下のように述べます。
「大自然(宇宙)の理は、一陰と一陽の交合、和合によって万物の消長があり、変化の窮まらない働きは、大自然(宇宙)の理であり、それを『道』という。この道によく従わせしめる(継がしめる)のが人としての善であり、よく成就・完成せしめるのが人としての本然の性である。このように『道』は、大自然(宇宙)の道理ということができ、その『道』(大自然や宇宙の道理)に従うことが善であり、己自身をその道に従って完成するのが人間の本性であるとしている」



茶室という小宇宙について、著者は以下のように述べています。
「茶室とは無為自然と照応する仙境であり、この仙境を市中に再構築した空間であるといえる。茶人は俗世間に居住しながら、茶室は仙境の精神を養生する大隠のための空間なのである。茶室が『市中の山居』とか『仏教の在家センター』などといわれる由縁であろう」



「不老長生と茶」では、著者は以下のように述べます。
「道教の考え方である不老長生のためには、苦味の茶を喫することが最も肝要なことになる。茶人はまず濃茶を喫する。食べるといったほうが良いほどの濃茶、そして薄茶を喫するという後座の一連の行為は、このような不老長生の考え方が底流にある」



さらに、茶道という文化そのものについて、著者は述べます。
「無為自然としての茶道の空間は、人間本来のあり方を究明するための仙境であり、茶人はこの空間で自らの精神を仙境に至ろうとする。このように茶道が形成される根底には道教的な発想がある。そして、この無為自然の空間と仙薬としての茶の喫茶の他に、懐石料理、点前、道具などの綜合文化としての多くの諸要素が加味されて茶事が形づくられるのである」
そして、本書の最後には以下の言葉が記されています。
「茶道は『東洋文化の精華』ともいわれ、文化の最高峰に位置づけられるものである」
わたしも、この「東洋文化の清華」であり「文化の最高峰」でもある茶道にじっくりと取り組み、心を宇宙に遊ばせてみたいものです。

                    

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年5月30日 一条真也

2016-05-29

『宗教 原始形態と理論』

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一条真也です。
『宗教 原始形態と理論』W・R・コムストック著、柳川啓一訳(東京大学出版会)を読みました。著者はアメリカの宗教学者で、本書は1972年にニューヨークで出版されました。日本では、東京大学出版会の「UP選書」の1冊として、1976年に刊行されています。
ブログ『宗教学とは何か』ブログ『祭と儀礼の宗教学』で紹介した本の著者である宗教学者の柳川啓一が翻訳しています。



本書の目次構成は以下のようになっています。
第一章 宗教研究の方法
第二章 宗教の定義
第三章 儀礼と神話
第四章 神話の解釈
第五章 未開社会の宗教――ヌエル族とディンカ族――
第六章 宗教の歴史的諸形態
「注」
「参考文献」
「訳者あとがき」



第一章「宗教研究の方法」には、「研究者の当惑」が書かれています。
「祝祭、絶望、倫理的な活動、神秘的な隠棲、積極的な社会活動、静かな修道生活、瞑想、動物供犠、苦痛と畏れで一杯の儀式、希望の表象、恐怖の象徴、生命の謳歌と死との葛藤、創造的な生長、思想をともなわない迷信、などなど、これらすべてが宗教と呼ばれる現象の中に含まれている。こんなに多方面にわたる現象を、合理的な方法論に基づいて研究し、信頼するに足る知識を得ることは一体可能であろうか。一瞥しただけでも、とても無理なように思える」



また、「宗教の起源について」では以下のように書かれています。
「19世紀には、人類学者、古典学者や言語学者の多くが、自然神話学派と呼ばれる研究方法を主張した。この学派によれば、世界の諸宗教のもつ偉大な象徴は、太陽、月、星、嵐、四季などの自然現象を人格化したものである。原始宗教に関わりをもつ人々は自然の力のうちどれが優位を占めていたかについて論争した。ある人々は、太陽神話が最も大切で、原始時代の儀礼や神話は、主として人間と太陽との関係を示していると主張した。この場合の代表的学者として、インド・ヨーロッパ語研究の先駆者マックス・ミューラー(Max Muller)があげられる」



人類学の分野では、先駆者の1人に、タイラー(Edward Tylor)がいます。著者は以下のように書いています。
「タイラーは、宗教は非物質的な霊魂への信仰に由来しており、これらの霊魂は、石、木、動物、人間の身体などの中に宿っているが、ときにはこれらの物体から独立して存在することもできると説き、これらの超経験的霊魂または精霊の存在の信仰を示す語として、ラテン語のanima(「霊魂」)からとったアニミズム(animism)という言葉を作った。タイラーは、さらにこの信仰の起源を夢にもとめた。たとえば、ある人が、最近死んだ友人の夢をみるとする。この夢のなかで、その友人は、肉体(の死)とは無関係に、霊魂として生き続けているかのように思われる。このような夢の経験によって、人間は、宗教的信念の基盤としての霊的存在が実在する領域があることを確信するようになったという」



タイラーに続き、哲学者ハーヴァート・スペンサーの名が挙げられます。
「哲学者スペンサー(Herbert Spencer)の理論は、タイラーのアニミズムによく似ている。彼は、宗教の起源は、祖先への崇敬にあり、その祖先崇拝は夢の経験に起源する精霊の信仰と結びついているとした。人間は自分の祖先の霊魂を神にするのだと説いたスペンサーの見解からいえば、『祖先崇拝は、あらゆる宗教の根元である』ことになる」



「社会学的学説と心理学的学説」では、まず社会学的な宗教研究について言及しています。
「社会学的な宗教研究の典型には、デュルケム(Emile Durkheim)の研究があるが、彼は科学としての社会学を展開させた先駆者であった。デュルケムは『宗教生活の原初形態』の中で、人間の文化には宗教的な思考と行動の体系が浸透しているのであって、宗教的思考行動様式は誤った認識の結果であるとか、ただ架空のことばかりであるとは考えられないという。デュルケムは、逆に、人間は、宗教においてきわめて現実的な経験的事象を処理していると考えた。経験的事象とは人間の社会であり、人間の社会は、人間関係のあみの目としてあらわれる具体的な人間経験の次元に存在し、かつ個々人にたいしてはその社会生活の形を決める「しきたり」を課するものである。したがって、社会は、個人的な好みに反する行動を個々の人間に要求する力として、個人と対峙する場合が少なくない。しかもなお、人間は社会に「つくられたもの」であるから、人間は自己の個人生活を共同体全体の生活に合致させなければならないことを知っている。デュルケムは、人間が社会化過程を達成するためにとるさまざまな手段の1つが宗教であるとのべた。宗教的象徴は、それを用いる信者にとっては超自然な力の領域に関するものであると考えられているが、実際には、社会と、社会の個人にたいする要求に関するものなのである。神の法は、その社会における最も重大な法律である」



デュルケムにとって、トーテミズムこそは宗教の社会的性質のみならず、その社会的起源をはっきりと明示するものでした。彼は、トーテムの像は社会的集団を顕現するものであると同時に、人々を支配する特定の神々や精霊にたいする信仰を生むものであると確信していたのです。
他方で、ジークムンド・フロイト(Sigmund Freud)は、心理学的な要素を強調する宗教理論を広めました。



宗教学の研究には、さまざまな方法があります。
宗教学者は、宗教的行為の記述、および宗教の意味の解釈の2つに重点を置いて研究を進めていますが、著者はそれを進めて宗教研究には以下の5つの方法があると述べました。
「まず第一に、〈心理学的〉な見方である。人は性欲の充足、友情、仲間の認知、威信と権力、自己の生命の重要性と価値感など、さまざまな『欲求』を処理するさいに、それぞれ個人的な問題に直面する。心理学者は、人がこれらの問題と取りくむ場合に、宗教的象徴や宗教行動が、どのように個人を助け、あるいは抑圧しているか、研究してきた」



「第二の視点は〈社会学的〉な見方である。社会学者が研究の基礎単位としているのは、個人の人格ではなく、社会という共同集団に人々を結合させている人と人とのさまざまな関係の組織網である。社会学者は社会の次元における多くの関連問題の解決にあたって、宗教がどのように作用しているかを研究する」



「第三の方法は、〈歴史的〉研究方法である。心理学的方法および社会学的方法は、特定の時点に限って、宗教が個人の人格あるいは個人が属している社会においてどのような機能を果しているかがその主たる興味となるため、非歴史的になりがちである。しかし、人間が生活している世界は、一連の時間的変化を経験して来ている。そこで、歴史学者は、人間の行動を様々な形態の生命が生成し、消滅する過程の中に置いて研究する。歴史学者は、究極の原因を求めることはしないけれども、その関心は、現に存在しているものだけではなく現存の形態がなぜ現在の形をとるに至ったのか、その歴史的展開に対しても向けられる。



「第四の方法は、宗教形態を比較する〈比較現象学的〉方法である。ここでいう宗教形態とは、それ自身明確な固有の構造を持ち、他の宗教現象と比較され対比されることができる特定の宗教的現象をいう。宗教形態には、例えば天地創造に関する物語のような特定の神話、動物供犠の儀式のような特定の儀式、あるいは巫女や祭司のような特定の宗教的職業の従事者などがある。比較研究の方法では、1つの宗教的伝統について特定の形態を調査し、つぎにこの形態とこの形態に類似しているその他の宗教的伝統における形態とを比較する」



そして、第五の研究方法は〈解釈学的〉ないしは記号学的方法とでもいうべき研究方法です。社会学者や人類学者は、文化を研究するには、その象徴的表現を見失わないことが重要であると強調しました。たとえばウェーバーは、社会を「意味の体系」とみなして研究したのです。
さらにはブログ『人間』で紹介した本の著者である哲学者エルンスト・カッシーラーの名も挙げます。
「カッシーラー(Ernst Cassirer)やランガー(Susanne Langer)などの哲学者は、人間の文化は象徴的形態がそれを通して表出される媒体であり、またそれを解釈することこそ学者の義務であると考えて、文化の研究を進めた。カッシーラーは、特定の神話など個々の形態にはあまり関心をもたず、むしろ個々の神話がその形式に従って表われる『神話的思考形式』のような一般的な象徴構造の問題に深い関心を寄せた」

人間 (岩波文庫)

人間 (岩波文庫)



カッシーラーの『人間』は、拙著『唯葬論』(三五館)でも引用しています。
さらに象徴の研究は専門化し、フランスの人類学者レヴィ=ストロースの構造主義でも取り上げられました。著者は以下のように述べます。
レヴィ=ストロースは、宗教的な神話や儀礼は盲目的な感情やとりとめのない想像の表現などではけっしてないと確信していた。彼によれば、神話や儀礼は文化のあらゆる要素の間に整合的秩序と緊密な相関関係を保つための類型と構造を示していると確信した」

唯葬論

唯葬論



第二章「宗教の定義」では、まず「宗教の語義」が問題となります。著者は、宗教(religion)という語の語源について以下のように考察しています。
「W・C・スミス(Wilfred Cantwell Smith)は、その著書『宗教の意味と目的』(The Meaning and End of Religion)の中で、この言葉の歴史を説明している。英語のreligionは、ラテン語のreligioから出ている。古代帝国時代のローマ人は彼らの神々に対して数多くの儀式をとり行なったが、これらの儀式は、まず個々の家族、ついでより広い親族集団、後には国家の行事とされるようになった。ローマ人は神は『適当な尊敬』(debitas honores)を受けるべきであるというきわめて強い義務感をもっていた」



続いて、著者は以下のように非常に興味深い事実を述べます。
「儀式そのものもreligioと呼ばれていた。ラテン語のreligioという言葉は、儀礼や、特定の慣習の外面的な遵守という意味をわからずにもっていた。それは、恐らく、ローマ人がわれわれなら聖なるものと呼ぶものを、神像とか擬人的な「神」として捉えるよりもむしろ規格化された一連の行為としてとらえたという彼ら固有の特質に関連している。・・・・・・そこでは特定の神のreligioが、その神の社において伝統的な祭式を示すことになったのであった」
これは、わたしもまったく知りませんでした。
こんな大事なことが書いてあるから、読書はやめられません。

聖なるもの (岩波文庫)

聖なるもの (岩波文庫)



著者は、ドイツの哲学者・宗教学者であるルドルフ・オットーの思想に言及し、ブログ『聖なるもの』で紹介したオットーの主著の中で「神聖性」ないし「聖なるもの」の体験の特徴として挙げた3つの特質を紹介します。
「第一は恐ろしいという感情につながる『畏怖』(tremendum)および、圧倒的な力を示し促されているという感情を含む『壮大』(majestas)の感覚である。第二は神秘(mysterium)で、これもまた神聖性の体験には必ず浸透している不可思議と幽玄の感覚を示している。最後に、聖なるものの体験は魅惑(fascinans)の要素を持っている。これは究極的な価値に向う動きに加わる感じであるという。聖なるものの体験の感情は、このように反対感情が両立するような構造をもっている。神秘と畏怖(mysterium tremendum)は脅迫や反撥という消極的な効果を特徴とするが、これと同時に、魅惑の感情が接近と希求という積極的な運動を促進する。オットーは特にこのような体験を表わすために『ヌミノーゼ』という単語を用いた」



さらに著者は、オットーのいう「ヌミノーゼ」について以下のように述べます。
「オットーはヌミノーゼが情緒であるとは言わなかった。しかし多くの人類学者は――必ずしもオットーの学説に従っているわけではないが――、この種の激しい情緒的反応の中に、人間文化のうち特に宗教と言われるものを定義する手懸りを得た。たとえばローウィ―(R.H.Lowie)は、宗教的反応は『驚愕と畏敬であり、その原因は超自然的なもの、異常なもの、不思議なもの、神秘的なもの、聖なるもの、神のようなものにある』と言う。ラディン(Paul Radin)は、宗教は『歓喜、昂揚および畏敬の感情および・・・・・・内面に向う感覚に完全に沈潜すること』であると言っている。またゴールデンワイザー(Alexander Goldenweiser)は、『宗教的な興奮』という言葉を使っている。
他方、聖なるものは、一種の人間行動ないし文化的行為であると考えることもできる。ギアツ(Clifford Geertz)は、『象徴の諸形態の構成、理解、利用は、何ごとにもまして社会的な行為である。これらは結婚と同じ位公開的で、農業と同じ位観察可能である。』という見方をしている」



さて、著者は「宗教の定義」の難しさについて以下のように述べています。
「聖なるものを指標とする宗教の定義は、さらにむずかしい問題を含んでいる。聖なるものの感情と、その他の驚きとか尊敬とかの感情とを区別することがきわめて困難であることのためである。W・ジェイムスはじめ、多くの心理学者は、『宗教的感情』という特別の感情の存在を疑っているし、すぐれた人類学者たちが、聖と俗の区別は曖昧なものであると考えている」
人類学者のウォーレス(Anthony Wallace)は、儀礼的行動を強調して、宗教とは、「神話によって合理化された儀礼の全体であって、それは超自然的な力を人間および自然の状態の変化を実現ないし妨害するために動員するものである」と定義しています。この定義など、わたしには最もしっくりきます。



第三章「儀礼と神話」では、儀礼の本質について述べられています。
「儀礼は、文化全般、とくに宗教においてきわめて普遍的であり、かつ深い意味をもつので、儀礼を詳細に考察しないと、文化や宗教を正しく理解することはできない。ロス(Ralph Ross)の定義によると儀礼は『形式に従った儀式(ceremony)の実演であり、一般に特定の機会に全く同じやり方で繰り返される』ものである。この定義は、儀礼の2つの重要な特色、すなわち、行為のきわだった『形式』と、その定期的な『反復』とを強調している。しかし、『儀式』(ceremony)という言葉は、広い意味に解釈すべきであって、手の込んだ公的な儀礼もさることながら小さな社会単位で行なわれる簡単な動作、例えば、食事の前に家族が互いにお辞儀をかわすこととか、2人の友人が出会うと握手をすることなどの所作をも含んでいると考えるべきである。さらに、儀礼は神々や超自然界に関わる聖なる祭典と結びつけて考えられがちであるが、世俗的、あるいは非宗教的な儀礼もあるということを忘れてはならない。例えば、或る共同体でかつての英雄がきまった朗唱やその他の象徴的な行為によって定期的に記念されあるいは祝福されるというのは、世俗的儀式の一例である」



一方、著者は神話についても以下のように述べています。
「英語のmyth(神話)という言葉は、ギリシア語のmythosからきているが、mythosは字義通り『物語』という意味で、元来、神々についての多くの物語を指して用いられていた。しかし――哲学者は合理的な『ロゴス』ないしは哲学的思想の名の下に、キリスト教神学者は信仰の名の下に――ギリシア宗教の『物語』(ミュトス)を捨ててしまった。その結果、myth(神話)という言葉は、西洋においては侮蔑する意味内容と結び付けられ、通俗的な言葉づかいでは殆んど、『真実でない』、『虚偽の』または『ばかばかしく空想的』などと同義語になってしまった」



著者は「儀礼の重要性」として、神話と儀礼の関係について述べます。
「神話は、すでに指摘したように、通常の場合儀礼と関連がある。この『関連』が正確にはどのような性格であるかが、研究者の注目を惹いたものであった。このことに関して、儀礼と神話とは本質的な相関関係のあるもので、1つの文化における神聖な神話はつねにその文化における儀礼の言葉による表現、解釈になっているという理論が行なわれている。一部の極端な説では、つねに儀礼が神話に先行するという因果関係が成立していて、本来神話はその文化の基礎にある儀礼行為の言語的表現とみなすべきであると主張されている」



また、神話と儀礼について、著者は以下のようにも述べています。
「神話と儀礼とは、すべての文化において、互いに影響し合っている。時間的に一方が先にあって他方がでてきたという仮説は、不必要でしかも確証不能である。要するに、この理論は、実証的な調査よりも先験的な説明といえる」
「事実に基づいて言うならば、儀礼が神話の『原因』であるとか、または逆に、神話が儀礼の『原因』であるという仮説を普遍的に一般化することは不可能である。神話と儀礼との関係は、むしろ、複雑な相互依存の関係であって、それは相異なった文化においては、あるいはまた同じ文化においても異なった時期には、異なった構造をもつものである」



そして、著者は以下のように「儀礼の重要性」について述べます。
「儀礼は、宗教的文化的諸現象の中でもとくに強調すべきものであり、その重要性を低く評価する誤りよりは、むしろ儀礼を過大評価する誤りの方が好ましいくらいなのである。西洋の知識人は、文化や生活の中の観念的要素を重く考える習慣の中で育っているので、儀礼という現象を軽視する傾向がきわめて強い。したがって、宗教現象を考察するときにも、まず第一に宗教の思想的内容を重視し、その民族ないし宗教集団の『信仰』を知ろうとする傾きがある。もっと幅広い経験によって研究対象の枠が拡げられて、神話やその他のイメージなど、より『具体化』された要素を含むようになっても、宗教のありかたはこれらの観念的要素に対する信仰であると考える傾向から抜けきれない。彼らがどのような神話を信じているかによって、人々の宗教的な存在論の本質を明確にしたがる傾向がある。儀礼を重視するならば、或る宗教のありかたが決定されるにあたっては、観念的要素と同じように、いや観念的要素以上に、行為、行動、活動などが重要な要素であることを明らかにすることができるのである」



そして、ともに「religio」を語源とする宗教と儀礼の関係はどうなのか。
著者は、宗教と儀礼について以下のように述べています。
「宗教の主要な現象は、儀礼である。儀礼は、宗教の活動面であり、それは切れる刃である。信仰は――それが朗唱されるときは儀礼の一部ないしそれ自体儀礼ではあるが――儀礼行動の活力を説明し、合理化し、解釈し、方向づけるためにある。儀礼と信仰とは、発生的にどちらが先行するかという問題ではなく・・・・・・人間行動を観察するかぎり、共存している。儀礼が制定され、ついでそれを説明するために神話が創作されるということは、たとえあるにしてもきわめて少ない。儀礼の優位は構造上の問題であって、ナイフの刃が柄よりも、鉄砲の銃身が銃床よりも優位にあるのと同じように、儀礼は構造上神話よりも優位に立つ。宗教が目指していることを実施するものは、儀礼なのである」



「宗教の生理的・心理的機能」では、儀礼について述べています。
「儀礼は、社会秩序を代表し、記述し、維持するだけでなく、社会秩序の形成と発展に資するものである。儀礼は、適応的機能を持ち、さらに構造的機能をも持つことができる。儀礼は、公けの役割を引受ける機会を与えることによって、この役割を解釈し変更する機会を与え、さらにすすんで社会の秩序を再構成する機会を与えるのである」



さらには、神話と儀礼の持つ機能について、以下のように述べています。
「最後に、われわれは、儀礼および神話に『宥和的』(mitigative)機能を見出すことができる。これは、微妙なものではあるが、社会の統一を促進するうえで、おそらく大きな価値を持っている。儀礼や神話という間接的な表現をとらなくても、社会関係の事実は明白かつ率直に表現すればよいではないかという疑問を出す人があるとすれば、この人が正直であることを示しているが、同時にこの人は人間的な感情に対する敏感さに欠けていることを示している。孔子が指摘したように、儀礼は、当事者の敏感な自我を保護する緩衝器の役割を果たすのである。たとえばある人が他の人よりも出世するという不愉快な事実を、両者の気分を損わずに両者に受け入れられるような仕方で言うことができるようにするのである。真理の鋭い刃は、儀礼の遊びの多い複雑さによって宥和される。ファースが指摘しているように、儀礼をもってすると、通常の言語に比べて、『それほど直截でなくそれ以上に迂遠で、それ以上に身振り手振りの多い仕方で』、『陳述』を行なうことができるのである」



儀礼と神話は、人間にとって、どのような意味ががあるのか。
「宗教の深層心理的機能」では、以下のように書かれています。
「儀礼と神話を媒介として、人間は、自分の生活の決定的な矛盾を犯す危険を避けて、説明も容認もできない要素に意味を持たせることができるようになる。それでも彼の苦しみは、激しく悲痛なものだろうが、最終的には何とか耐えることのできるものになる」



さらには病気を治すような儀礼も存在します。著者は述べます。
「特に病気治療を目的としない儀礼でも、それは一般にレヴィ=ストロースの描写しているような機能を果たしている。ほとんどすべての神話には、闘争と敗北の記述があり、儀礼には、苦しみと犠牲の要素がある。これらの形式に参加することによって、当事者は自分が悲劇に出会うときのための準備をする。彼は、自分の試練を逃がれないし、逃がれるふりもしない。しかし、苦しみは、より広い秩序あるパターンとの結合によって和らげられる。難儀なこの世からの疎外は、超克される。苦しんでも、人間はまだこの世に属しているのである」



そして、著者は神話について以下のように述べています。
「神話は、人間の共通の運命である出生、欲情および死による敗北の物語である。神話の究極的な目的は、世界の白日夢的な倒錯ではなく、世界の根本真理の真面目な表出であり、道徳的な志向であって、逃避ではない」



第四章「神話の解釈」では、アラスカのすぐ南に居住するチムシアン・インディアンの神話である「アズディワルの物語」が取り上げられ、著者は次のように述べています。
「ユングは、神話や夢に表われる多くの象徴は、人類の集合的無意識の一部分を成す原型の形象であると考えた。ユングによれば、これら原型の形象は、事象や精神力の共通類型を現わしており、その共通類型にはすべての人間が包括されている」
「他方、エリアーデは、神話は神々の神聖な世界と人間の世俗の世界とが根本的に結合している、という確信を表わすために、文字のない社会や古代の文明において語り伝えられている例示的な神聖な物語であると看做している」



いったい、神話とは何なのか。著者は以下のように述べます。
「神話は、要するに、宇宙の始めの時に起ったことに関する『真の歴史』であって、それが人間行動の原型を与えるのである。神や神話的英雄の模範的な行為の『真似をする』ことによって、あるいはただその冒険談を繰返すことによって、昔の社会の人々は、世俗の時間から離れて、魔法にかかったように『大いなる時間』、つまり聖なる時間に入り直すのである」



第六章「宗教の歴史的諸形態」では、さまざまな宗教が取り上げられますが、その中で著者はギリシアの宗教に言及し、以下のように述べます。
「古代文明から目を転じると、ギリシア人の宗教が特に注目される。ギリシア人は素晴らしい文明を産みだしたが、それが西欧文明に与えた影響は、その繁栄期における物質的な実力よりもさらにはるかに大きなものであった。ギリシア文明は、文明とは道理と人道に適った人間生活を養成する社会形態である、という理念を策定した点でことに重要である。トインビー(Arnold Toynbee)がいうように、『文字通りに解釈すると、「文明」(civilization)という語は、ギリシアやローマの都市国家の市民(ラテン語でcivis)が作り上げた文化と同じような文化を作ろうとする営みという意味であるはずである』」



また、古代ギリシアの宗教について、著者は以下のように述べます。
「古代ギリシアの宗教は、プラスギ族という土着民の宗教と北方から侵入してきた征服民の宗教との融合の産物である。西欧の学生諸君がよく知っているギリシアの神々の名前の背後には、部族社会の思考や行為に結びついていた儀式や習慣がある。儀礼に結びついていた、その当時の多様な儀礼と信仰を材料として、神々にそれぞれはっきりした個性を与え、神々の体系としてのパンテオンを取りまとめた人物は、おそらく叙事詩『イリアッド』および『オディッシー』の著者ホメーロスであったと考えられる」



ギリシアに続く偉大な西洋文明はローマです。
著者は、ローマ文明について以下のように述べています。
「ローマ文明は、古代西欧社会発生の苗床であったということから言っても、ローマの諸宗教はことに重要である。古代ローマ人の宗教生活は、家庭生活と市民生活を中心として実施されるものであった。古代ローマ人たちは、儀礼や象徴を通じて、自然現象や家、特に暖炉などに存在する神々に対して畏敬を示した」



古代ローマ人の信仰について、著者は以下のように述べます。
「始めの段階では、古代の儀礼や象徴において漠然と『力』として感じ取られていたローマの神々は、その後ギリシアの神々を模範にして個別的な神々の形をとるようになり、ローマのパンテオンにおいて固有の地位を占めることになっていった。こうして天上の神はジュピター(Jupiter)、その妻はジュノ(Juno)、月の女神はディアナ(Diana)、海の神はネプチューン(Neptune)、戦争の神はマルス(Mars)などというローマのパンテオンができ上がったのである。
ローマ人の宗教観は、紀元前1世紀にローマ帝国が出現したことによって、大きな影響を受けた。ローマ人が、その周囲の諸民族を次々と征服し、異種の諸文化と接触する機会を増大したために、彼らの宗教観もコスモポリタンな要素を強めたのである」



コムストックは、宗教思想というものは人間の行為との関連においてのみ重要な意味を持つと考えました。彼は、儀礼を神話や教義の意味を維持強化するものとして捉え、儀礼を中心として宗教が果たす諸機能を指摘したのです。本書は、人類学、社会学、心理学、さらには記号論の視点をも援用しながら、実証的な宗教研究のあり方を示した、優れた宗教学入門でした。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年5月29日 一条真也

2016-05-28

種をまく 

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花は突然咲くわけではない。
毎年、種をまき続けたから咲いたのだ。
種をまき、枝や幹が空に伸びていき、
やがて春になって、ようやく花は咲く。
花という美しい結果だけを見るのではなく、
そこまでの過程を見つめなければいけない。
(『拾遺雑集』)




一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
昨年2015年は、高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーでした。
高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われました。この記念として、わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。



空海は「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉



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2016年5月28日 一条真也

2016-05-27

オバマ大統領の広島訪問に思う

一条真也です。
いま、新幹線で小倉駅に帰り着きました。ブログ「羽田空港を脱出!」に書いたように、大韓航空機の事故によって羽田空港が大混乱となり、急遽、飛行機から新幹線に変更したのです。いやもう、大変疲れました。






本日夕刻、バラク・オバマ大統領は現職の米国大統領として初めて被爆地・広島を訪問。安倍晋三首相と共に平和記念資料館を見学後、原爆死没者慰霊碑に献花し、第2次世界大戦のすべての犠牲者を追悼しました。

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慰霊碑前で安倍首相と握手するオバマ大統領



オバマ大統領は献花後に所感を読み上げて、広島への原爆投下について「空から死が落下し、世界が変わった。原爆投下は人類が自らを滅ぼす手段を手に入れたことを意味した」と述べて核兵器なき世界への決意を強調し、さらに「広島と長崎が核戦争の夜明けとして知られる未来ではなく、わたしたち自身の道義的な目覚めとなる未来」の実現を呼びかけました。

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原爆犠牲者に献花するオバマ大統領



オバマ大統領は今回の広島訪問について、キューバとの国交回復やイランとの核合意などと並ぶ在任中の「レガシー(政治的な遺産)」と位置づけているそうです。読み上げられた声明では核廃絶への決意を強調し、第2次世界大戦末期に原爆を投下した広島や長崎をはじめ全ての犠牲者を追悼するとともに、戦火を交えた日米両国の和解の軌跡と揺るぎない同盟関係も力説した内容でした。

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「核のない世界」を訴えたオバマ大統領



オバマ大統領は、2009年4月にチェコの首都プラハで「核兵器なき世界」を実現する決意を表明し、ノーベル平和賞を受賞しています。核兵器を使用した唯一の国として核軍縮へ行動する道義的責任について言及しており、今回の声明もこのプラハ演説の骨格を踏襲したものでした。




今回のオバマ大統領の行動は意義のあるものであり、わたしは深い敬意を表します。しかし、あえて言わせていただきます。
オバマ大統領には、ぜひ長崎も訪問していただきたかった。
「核兵器を使用した唯一の国」として世界中で日本に2か所しかない被爆地である広島と長崎への慰霊を行う「歴史的な機会」を逃してしまったのは遺憾ですし、本当に残念でなりません。
日本としても強く長崎への訪問を要請していたのでしょうか。

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オバマ大統領の来日スケジュール



広島の原爆は長崎の原爆より重いとでも言うのでしょうか? 
人類最初と2番目、14万人の犠牲者と7万4000人の犠牲者という差はありますが、「最初だからとか、死者の数が多いからといって偉いわけではないだろう!」といつも憤慨していました。そこには占領国のアメリカ側による「記憶の選択と集中」という政策があったことをずいぶん後になって知り、やっと長年の疑問が解けました(もっとも、納得はしていませんが)。

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オバマ大統領の広島での予定



広島に原爆が投下された「8月6日」の記憶について、終戦まで広島の被害の詳細は日本政府によって隠蔽され、その後の占領期にはアメリカ軍による厳しい情報統制の対象となりました。8月6日の「朝日新聞」社説で原爆について言及されたのは、占領末期の1949年になってからです。つまり、戦後日本で原爆の記憶はローカルなものにとどまっていました。その意味では、「8月6日」は占領終了後に、国民的記憶として新たにつくられたと言えます。わたしたちは、「8月6日」同様に「8月9日」を絶対に忘れてはなりません。オバマさん、できれば長崎にも来てほしかった!




ブログ「北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に書いたように、昨年の8月9日、70回目の「長崎原爆の日」、わたしは小倉の勝山公園で行われた式典に、ただ1人の民間企業の代表として参列しました。
わたしにとって、8月9日は1年のうちでも最も重要な日です。
わたしは53年前に小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。
小倉とは、世界史上最も強運な街です。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。

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70回目の「長崎原爆の日」に犠牲者に献花
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原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水をかける



長崎型原爆・ファットマンは65年前の8月6日にテニアン島で組み立てられました。8日には小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、9日に原爆を投下する指令がなされました。9日に不可侵条約を結んでいたソ連が一方的に破棄して日本に宣戦布告しました。
この日の小倉上空は視界不良だったため投下を断念。
第2目標の長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。この原爆によって7万4000人もの生命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでおられます。
もし、この原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。
広島の原爆では約14万人の方々が亡くなられていますが、当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、想像を絶する数の大虐殺が行われたであろうとも言われています。そして当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。

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犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました
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心を込めて礼拝しました



死んだはずの人間が生きているように行動することを「幽霊現象」といいます。考えてみれば、小倉の住人はみな幽霊のようなものです。
それにしても都市レベルの大虐殺に遭う運命を実行日当日に免れたなどという話は古今東西聞いたことがありません。普通なら、少々モヤがかかっていようが命令通りに投下するはずです。当日になっての目標変更は大きな謎ですが、いずれにせよ小倉がアウシュビッツと並ぶ人類愚行のシンボルにならずに済んだのは奇跡と言えるでしょう。
その意味で、小倉ほど強運な街は世界中どこをさがしても見当たりません。
その地に本社を構えるサンレー のミッションとは、死者の存在を生者に決して忘れさせないことだと、わたしは確信しています。

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「毎日」「朝日」「読売」「西日本」新聞 昨年8月9日の朝刊広告



小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。なぜなら、長崎の方々は命の恩人だからです。しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多く存在しました。そこで、10年以上前から長崎原爆記念日にあわせて、サンレーでは毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「毎日新聞」「読売新聞」「朝日新聞」「西日本新聞」に意見広告を掲載しています。

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万感の想いで長崎の鐘を鳴らしました



そもそも、7万4000人の犠牲者よりも14万人の犠牲者のほうが上などという馬鹿な話はありません。そもそも、1人の人間の死は大事件です。東日本大震災の直後に、ビートたけし氏が「2万人の人間が死んだんじゃない。1人の人間が死ぬという大事件が2万回起こったんだ」という名言を残されていますが、まさにその通りだと思います。それなのに、現代日本では通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」が流行し、さらには遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0葬」も登場。あいかわらず葬儀不要論も語られています。

永遠葬

永遠葬

唯葬論

唯葬論



そういった風潮に対して、わたしは、『永遠葬』(現代書林)および『唯葬論』(三五館)を書きました。わたしたちは、死者を決して忘れてはなりません!

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オバマ大統領の広島訪問を伝える各紙



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2016年5月27日 一条真也

G7の伊勢神宮訪問

一条真也です。東京にいます。
これから北九州に帰ります。26日、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に参加している先進7カ国(G7)首脳らは伊勢神宮を訪れました。




同日の討議の中で安倍晋三首相に「素晴らしい教訓と経験を与えてくれた」「聖なる場所に行くことができて感動した」などの感想を寄せたそうです。他にも「日本文化を学べた」「伝統の継続性と悠久の歴史を感じた」「感動を伴うものだった」「精神的によい経験をさせてもらった」との声が相次いだとか。各国の首脳に日本の一番良い場所を見ていただき、日本人の一人として嬉しい限りです

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伊勢神宮を歩く米国・オバマ大統領と安倍首相



ブログ「伊勢神宮」にも書いたように、わたしが最初に伊勢神宮を訪れたのは、1990年の12月17日でした。その日、わたしは伊勢市で講演をしました。当時、プランナーとして翌年に伊勢市で開催される「世界祝祭博覧会」のイベント企画の仕事をしていました。

遊びの神話

遊びの神話




伊勢神宮と東京ディズニーランドの共通点について書いた拙著『遊びの神話』(PHP文庫)を読まれた伊勢市市議会議長(後に伊勢市長となる)の中山一幸さんのお声がけによるものでした。その流れで伊勢市での講演の依頼もお受けしたわけです。そのとき、中山さんのはからいで普通は絶対に入れない最奥部まで入れていただき公式参拝させていただきました。
かつて神宮に参拝したイギリスの歴史家アーノルド・トインビーは、「この聖地において、わたくしは、すべての宗教の根底に潜む統一性を見出す」と述べましたが、わたしもトインビーと同じ感動を味わいました。

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伊勢神宮にて



いま、神社が非常に見直されています。特に若い人たちの間で、「パワースポット」として熱い注目を浴びています。
いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。
神道研究の第一人者である宗教哲学者の鎌田東二先生によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。

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玉砂利の道を歩きました



数多くのパワースポットの中でも、日本最大・最強の聖地が伊勢神宮です。
「お伊勢参り」で有名な伊勢神宮ですが、この名はじつは通称です。
正式には単に「神宮」と呼ばれます。神宮といえば伊勢神宮。
特徴は天皇が主宰者という点で、古代は、個人参拝は禁止。皇室や国家に関わる祈願だけがなされていました。その伊勢神宮には、2つの正宮があります。内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)です。内宮では天照大神と、そのご神体である八咫鏡(三種の神器のひとつ)をまつり、外宮では、天照大神の食事の世話をする豊受大御神をまつっています。また内宮では、天手力男命と万幡豊秋津姫命もいっしょにまつっています。じつは、伊勢神宮は、この他に数多くの別宮、摂社、末社、所管社からなっています。その総数は125。これらすべてを合わせて伊勢神宮なのです。

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伊勢神宮の外宮にて



伊勢神宮の魅力、なかでも内宮の魅力は、社殿などの建物よりも、正殿までの道のりにあります。もう、何とも言えない気持ちになります。
かつて伊勢神宮を訪れた西行法師は、その気持ちをこう歌いました。
「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさになみだこぼるる」
たしかに、ここには「ありがたさ」を感じる何かがあるのです。

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参拝すると清々しい気持ちになります



五十鈴川に架った宇治橋を渡って下をみると、清らかな流れのなかに真紅の鯛が泳いでいます。真っ白な鳥居をくぐると、右折したところに御手洗場があります。ここで手を清めると、心の中まで清々しい気分になります。さらに、玉砂利をさくさくと踏んで参道を進みます。周りには樹齢600年以上の大きな杉が立ち並び、地面には真っ白な神鶏が群れています。
そして神苑の一番奥には、ヒノキの素木造りで、カヤぶきの屋根という、唯一神明造りの正殿が立っているのです。ここまで歩いてくる間に、参拝者は、まさに西行法師が感じたように、何か壮重な気持ちにさせられます。

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ここは、日本人の「こころ」のふるさとです



伊勢神宮に限らず、わたしは疲れたときなど、よく神社に行きます。
何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。
ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。
また、神社はさまざまな願いをかなえてくれる場所でもありますね。
わたしは、しばしば志を短歌に詠み、神社に奉納します。不思議とその後は物事が順調に進み、願いがかなうような気がしています。
八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。まったく神社ほど平和な場所はありません。
伊勢神宮出雲大社には心御柱がありますが、すべての神社は日本人の心の柱だと思います。神社さえあれば日本人は大丈夫です!

開運! パワースポット「神社」へ行こう (PHP文庫)

開運! パワースポット「神社」へ行こう (PHP文庫)

              



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2016年5月27日 一条真也

『人間と聖なるもの』

人間と聖なるもの


一条真也です。
『[新装版]人間と聖なるもの』ロジェ・カイヨワ著、塚原史・吉本素子・小幡一雄・中村典子・守永直幹共訳(せりか書房)を読みました。著者は1913年生まれのフランスの作家、社会学者、哲学者です。神話、戦争、遊び、夢など、多岐にわたる研究・著作を残し、1978年に逝去しました。

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本書の帯



本書の帯には「《聖なるもの》への憧れと魅惑の根源を求めて禁止と侵犯の理論構築をくわだて、祭り・性・遊び・戦争など共同体の熱狂に関する数多くの人類学的資料に新たな光をあて人間の本質に迫る、若きカイヨワの知的冒険の書」と書かれています。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「第三版への序文」
「第二版への序文」
「初版への序文」
第一章 聖なるものと俗なるものとの一般的関係
第二章 聖なるものの両義性
(1) 聖性と穢れ
(2) 聖なるものの極性
(3) 結合と解体
第三章 尊敬による聖なるもの――禁止の理論
(1) 世界の構成
(2) 聖なる掟と冒瀆行為
(3) ヒエラルキーと王殺し
第四章 侵犯による聖なるもの――祭りの理論
(1) 祭り――聖なるものへの訴求
(2) 世界の再創造
(3) 放埓の機能
第五章 生の条件と死の入口としての聖なるもの
付録1 性と聖なるもの
付録2 遊びと聖なるもの
付録3 戦争と聖なるもの
(1) 戦争と祭り
(2) 戦争の神秘
「原注・付論」
「参考文献」
ロジェ・カイヨワの年譜と著作」
「訳者あとがき」



本書は、1939年にP・U・F社から『神話と宗教』叢書の第3冊として刊行された初版に「聖なるものとの関連における性と遊びと戦争についての3つの付論」を加えて出版されています。「初版への序文」には、以下のようにバタイユの名前が登場します。
「最後に、私はジョルジュ・バタイユにたいして感謝の気持ちを表わしておきたい。聖なるものという問題をめぐって、われわれのあいだである種の相互浸透が成立していたように思われる。このような関係においては、何度となく議論がかわされたので、われわれが共同で追求していた研究のどこまでが彼の持分で、どこからが私の持分なのか、私にははっきりと区別できないほどである」



じつは、カイヨワは第一次世界大戦前の一時期は、反ファシズム闘争などの左翼的政治活動に関わっています。パリの前衛的な知識人とも深くかかわり、36年にはジョルジュ・バタイユを発起人とする社会学研究会にミシェル・レリスやピエール・クロソウスキーコジェーヴらとともに参加しました。この研究会の運動は20年代に支配的であったシュルレアリスムへの返答でもありましたが、彼はシュルレアリストたちの関心事である個人の「無意識」などには関心を寄せず、「儀式」あるいは「共同体」などに焦点を当てて追究するものでした。カイヨワの人類学や社会学、あるいは「聖なるもの」への関心などがこのアプローチを例示しています。



第一章「聖なるものと俗なるものとの一般的関係」の冒頭は以下のように書かれています。
「世界についてのあらゆる宗教的概念は、聖なるものと俗なるものとの区分を含むものであり、信者がそこでは自分の関心事に自由に専念して、みずからの救済のためにささやかな活動をおこなっている世界にたいして、もうひとつの領域を対置する。すなわち、恐怖と希望が代わるがわる信者を麻痺させ、深淵の縁に立っているときにも似て、些細な動作のちょっとしたずれが彼をとりかえしのつかない破滅へと導くことになるような領域である」



H・ユベールは「それ(聖なるもの)は宗教を生み出す根本的観念である」と述べました。著者はユベールの「もろもろの神話と教義は、それぞれのやり方で聖なるものの内容を分析し、儀礼はその特性を利用し、宗教道徳はそこから派生する。聖職者たちはこの観念と一体化し、聖域や聖地や宗教的モニュメントはそれを地上に固定し、根づかせる。宗教は聖なるものを管理する制度である」という言葉を紹介した後、以下のように述べています。
「聖なるものの経験が宗教的生活の多様な形態全体をどれほど生き生きとさせているかを、これ以上力強く示すことはできないだろう。宗教的生活は人間と聖なるものとのさまざまな関係の総体として現われ、信仰はこの関係を外にむかって示し、かつ保証する。儀礼はこの関係を実践において確保する手段である」



また、著者は以下のように儀礼の機能について述べています。
「一方で、聖なるものの伝染性は、聖なるものが俗なるものの上に注がれると瞬時にして破壊され、何の利益ももたらさずに失われることになりかねない。他方で、つねに聖なるものを必要としている俗なるものは、聖なるものを貪欲にわがものとせずにはいられず、こうして聖なるものを堕落させ、みずからも破壊する危険を負うことになる。したがって、聖なるものと俗なるものとの相互関係は厳しく規制されねばならない。このことがまさしく儀礼の機能である」



続いて、著者は儀礼について以下のように述べます。
「肯定的・積極的な性格をもつ儀礼は、俗なるものや聖なるものの性質を、社会の必要に応じて変換するのである。反対に、否定的・消極的な性格をもつ儀礼は、聖なるものと俗なるものが不用意に接触してどちらも失われてしまう事態を招かないように、両者をもとのままで維持することを目的としている。前者の儀礼には、聖なるものの世界に人や物を導入する聖別の儀礼と、逆に清浄あるいは不浄な人や物を俗なる世界に返してやる脱聖化あるいは贖罪の儀礼がある。これらの儀礼は聖俗2つの領域のあいだに不可欠な往復運動を創りだして、この運動を確実なものとする。これに反して、禁止はこれらのあいだに同様に不可欠な障壁を打ち立て、2つの領域を切り離して、災厄から保護するのである。こうした禁止は、ふつうポリネシア語の名詞であるタブーという単語で示される」



さらに著者は、タブーについて以下のように述べます。
「ポリネシア語で、タブーの反意語はノアである。ノアとは、世界の秩序を問い直すことなく、また不幸と災難を引き起こすことなく、いかなる異常な、またとり返しのつかない結果をももたらさないよう自由に行動することだ。その反対に、この宇宙の配置(それは自然と社会の配置でもある)を損なわずには達成できない行為はタブーなのである。侵犯行為がひとたびなされると、全体の配置が混乱する。大地はもはや収穫を生まず、家畜は子を孕まず、星々はもはやいつもの運行に従わず、病いと死があたり一帯を襲う危険が生じるのである。タブーを犯した者は自分自身の身体を危険にさらすばかりではない。彼が世界に導き入れた混乱は、彼の身体の周囲からにじみ出て少しずつ拡大してゆき、もし悪がその拡散の過程で毒性を失わないのであれば、とりわけ悪を封じこめ、悪を償うための手段が講じられ、ただちに実行に移されないのであれば、宇宙全体が変調をきたすことになるだろう」



「供犠の本性」においては、著者は以下のように述べています。
「個人または国家が、世界の秩序の根拠とみなされる神々や人格的あるいは非人格的な諸力から獲得しなければならないのは多くの恩寵である。そこで、依頼者である社会は、この恩寵の付与をこれらの諸力に拘束するためには、先手をうって自分のほうから贈与つまり供犠をおこなうしかないと思う。すなわち、依頼者に属している何ものかを手放して、あるいは彼が自由に処分できるすべての権利を放棄して、依頼者の費用で聖なるものの領域に奉納し、導入するのである。こうして、聖なる諸力はこの法外な贈り物を拒否できないので、受贈者としての債務を負うことになり、それらが受けとったものに束縛される」



続いて、著者は供犠の本性について以下のように述べます。
「借りを返さないわけにもいかず、結局要求されたもの、すなわち物質的利益や効能あるいは罰の免除を依頼者にあたえざるをえないのである。このとき、世界の秩序は回復する。供犠によって信者はみずから債権者となり、彼の崇拝する諸力が願いを叶えてくれることによって、彼にかんする負債を返済することを期待する。そうすることで、聖なる諸力は、あらゆる一方的〔片務的〕行為が要求する代償を提供し、計算ずくの気前の良さによってこれらの諸力のために断ち切られた均衡状態を回復させるのである」



「禁欲と奉納」では、割礼や尿道切開について以下のように述べます。
「よくおこなわれている割礼や尿道切開〔陰茎の下部にそって尿道を切開する割礼〕は、男性を結婚に適合させ、生殖力を増大させること、あるいはただ結婚による結合がもたらす神秘的な危険にたいして、彼の性器に免疫をあたえることを目的としている。こうして、いずれの場合にも、適度な苦痛に耐えることで、人びとは求める利益の代償をあらかじめ支払うのだし、同じように何らかの財や善をすすんで放棄することで、恐れている悪や病いから解放されようとするのである。ポリュクラトゥス〔サモス島の僣主〕は幸運すぎてかえって不安になったので、逆運を方向転換させるために、自分の指輪を海中に投げ捨てる。親族の死は近親者たちの生命に不安をもたらす。死の穢れが今度は彼らにとりついて、彼らを滅ぼしてしまうかもしれない。そこで、彼らは自分の身体を傷つけ、ふつうは指を1本切断して、死の代償を支払う。部分を提供して全体を維持するのだ」



また、「初物の儀礼」として、「初物〔その年の最初の収穫物〕を聖別〔奉納〕する儀礼も、同じ心理に依拠していると思われる。この場合、部分を放棄するといっても、それは全体を保存するためではなくて、獲得するためである」と述べた後、さらに著者は以下のように書いています。
「最初の項は、当然の権利として神に属しており、最初のものであるというだけの事実によって聖別〔奉納〕される。それが事物の新たな配置を開始し、変化の原因となるからだ。したがって、収穫物が成熟期に達すると、消費に供される前にそれを解放してやることが重要な問題となるので、人びとは刈り取った穀物のいちばん重い初穂を、果樹園のいちばんみごとな最初の果実を、菜園のいちばん大きい最初の野菜を、神々のためにとっておくのである」



そして、著者は「初物の儀礼」について、以下のようにまとめます。
「あらゆる状態の変化は、この変化の危険を吸収するよう定められた初物の奉納をともなう。結婚の前に、若い娘はその処女性の象徴である初物を河あるいは神に捧げる。結婚のずっと前から処女性を失うことが通例であるような民族においては、新婦が婚礼時に夫と性交渉をもつ以前に、他の男と関係することが義務づけられている場合もある。結婚したばかりの女すなわち新たな社会状態と新たな種類の生活をはじめる人間を最初に抱擁することの危険から、夫を守るためである。
新築の建造物を取得することも、これに類似した危険をともなう。しばしば、供犠執行者たちの踊りが住居の土地を解放する。呪術師が新築の家に入る者の魂を抜き出して、安全でいられる場所に魂を置くこともある。その者が新築の家の敷居によって示される、これまで越えられたことのない恐るべき境界を越えたとき、呪術師は彼に魂を返すのだ。悪魔が教会や橋の建築に、そこに最初にやって来る者の魂と引き換えに協力するという寓話は、たいへん広範囲にひろがっている」



「聖なるものの研究」では、著者は「贖罪の儀礼、穢れを追放する厳粛な儀式、洗い清めるためのさまざまな慣行などは、たえず攻撃にさらされている世界の秩序を修復するものだが、それらによって効能が回復しても、それはけっして無垢なものではないし、用心深く取り戻された健康も、まだ病いに冒される前の勝ち誇った無邪気な健康ではもはやありえない」と述べています。



さらに、著者は「聖なるものの研究」で以下のように述べます。
「自然と社会は、定期的に若返らせて再創造するための予防策を怠るならば老化はさけられず、必ず破滅へと導かれるので、この避けられない老化を何とかしなければならない。こうした新たな拘束は、聖なるものの研究において新たな1章を開くものである。世界の秩序の働きを説明し、聖なるものの諸力がこの秩序の凝集を助けるか、それとも解体を急がせるかによって、吉とも凶とも見なされることを指摘するだけでは十分ではない。その他にも、世界の秩序を維持するための人間の働きのありようと、この秩序が衰退し、崩壊しつつあるときに、人間がおこなう秩序修復のためのさまざまな努力を示しておく必要がある」



第二章「聖なるものの両義性」の(1)「聖性と穢れ」では、「穢れと聖性にたいする防御」として、著者は以下のように述べています。
「穢れを防ぐのと同種の禁止が聖性をも隔離し、また聖性との接触を防ぐのは注目すべきことである。ミカド型の君主=神は、月経時の女性と同様、大地に触れたり、太陽光線に身をさらしたりしてはならない。こうした例は、日本の天皇ばかりでなく、ザポテク族の最高聖職者や、ボゴタの王位継承者などに見られる。この王位継承者は、16才から暗い部屋で暮らすのである。同様に、ミカドが使った食器も、だれか軽率な者がたまたま後でそれを使って、口や喉がはれたり、発熱したり、要するにそれで毒されるようなことがないように壊される。同時に、神格化された王はどんな穢れからも、自分の神聖なエネルギーのどのような無駄な消耗からも免れていなければならないし、そうしたエネルギーを不意に放出するあらゆる機会からも遠ざけられる必要がある。神聖なエネルギーは、ゆっくりと規則的に放射されることによって、ただ自然と国家の良き運行を保証することにむけられるべきなのだ。ミカドが特定の方向にいくらか力をこめて目を向けると、その視線が強く神秘的な力を『恵み』すぎた地域に、最悪の災禍を解き放ちかねないと考えられていた」



(2)「聖なるものの極性」では、「聖なるものの二極対立」として、著者は以下のように述べています。
「宇宙には、二極対立を形成しないもの、清浄と不浄のように一対に組み合わされた対立関係の多様な表現を象徴し得ないものは存在しない。生命をあたえるエネルギーと死の力とがそれぞれの側に結集し、宗教的世界において魅惑する極と拒絶する極とを形成する。前者には、日中の光と乾燥が、後者には、夜の闇と湿り気が属している。東方と南方は、太陽を昇らせ、熱を増大させる成長力の座と見なされる。西方と北方は、生命を与える天体である太陽を沈ませ、その光を消す喪失と破壊の力の住まいである。高所と低所も同様に規定される。――すなわち、空は死の入りこむことのできない神々の住まいと見なされ、地下の世界は死が絶対的な支配力を持つ闇の世界と考えられるのである」



続けて、著者はブログ『右手の優越』で紹介したR・エルツの研究を持ち出し、「左右の対立について、深く掘り下げている」と高く評価した上で、以下のように述べます。
「左右の対立は、儀礼、占い、習慣、信仰などにおいて、ごく細かいことがらにまで広がっているのが認められる。イスラム教徒は、右足から聖所に入り、魔神が出没する場所には左足から入る。左利きの人間はとかく魔術師や悪魔に憑かれた者とみなされる。ところがキリスト教の聖人たちについては、赤ん坊の頃から早くも母親の左の乳房を吸うことを拒んだと伝えられている。右手は王権、権威、宣誓、善意の手であり、左手は不正行為や裏切りの手である」



また、左右の対立について、著者は以下のようにも述べます。
「右(droite)手は、器用な(adroite)手でもあり、武器をその目標に、正しく(droit)導く手である。このようにして単に戦士の巧妙さ(adresse)ばかりでなく、彼の正当さ(bon droit)、彼の公正さ(droiture)を証明することによって、右手は神々がこの戦士を守っていることを証明する。中国では、高貴さを試す重要な手段は弓を射ることである。マルセル・グラネが指摘するところでは、これは巧妙さや勇敢さを競う闘いではなく、『バレエのように段取りを決められた音楽的な儀式』なのである。矢を正しい調子で放たなければならない。射手の動きは核心に触れる(toucher au coeur)ものでなければならない。儀礼の規則と、身体の正しい姿勢に結びついた魂の正しい態度も、同様に的の中心を射る(toucher au coeur)ために必要だろう。『このようにして徳性が確認される』と、『礼記』は結論している」
ここでいきなり『礼記』が登場して驚きました。著者は古今東西の文献を渉猟して、本書を書き上げたようです。



「清浄と不浄の可逆性」では、以下のように書かれています。
「清浄と不浄とは、ある見地からはそれらが等しく対立している世俗の世界によって同一視され、それらに固有の領域ではたがいに根源的に敵対しあっているが、どちらも自由に利用し得る力であるという共通点を持っている。ところで、力が強烈になればなるほど、その効能が期待できるので、この事実から、穢れを祝福に変え、不浄を浄化の手段にしようとする欲望が生まれる。このために、ひとは聖職者の仲介に頼る。つまり聖性を保持しているので不安なく不浄に近づき不浄を消すことのできる人間に頼るのである。いずれにせよ、聖職者は不浄によって傷つけられることから自分を守ってくれる儀礼を知っている。彼は汚染の有害なエネルギーを善へ向け、死の脅威を生の保証に変える能力を持ち、そのための手段を知っている。
 


続いて、著者は「死の穢れ」について、以下のように述べます。
「服喪期間の最後になされる浄化儀礼は、ただ死者の親族を穢れから解放するばかりでなく、死者が、ゆがんだ聖性のあらゆる特徴を伴う、不吉でひどく恐ろしい力から、尊敬と崇拝の念で祈願される守護霊へと変化する時点をも表示する。これと平行して、死体のうちでこの世に残った遺骨は聖遺物となる。恐怖が信頼に変わるのだ」



(3)「結合と解体」では、「清浄と不浄の社会的配置」について以下のように述べられています。
「王者と死骸は、戦士や月経の血にまみれている女性同様、清浄と不浄の敵対する諸力を最高度に具現している。穢れをあたえるものは死であり、穢れから解放するのは君主である。両者のあいだではいかなる接触も許されない。ポリネシアの首長のように聖性を付与された人間、オーストラリアの『チュリンガス』のように聖性の貯蔵庫と思われる事物は、汚染の源とみなされるすべてのもの、すなわち遺体や月経の血からきわめて厳格に遠ざけられる。この点に関しては古代ローマの大司祭の自由を制限していた宗教上の規則を思い起こさなければなるまい」



続けて、著者は葬儀に関するタブーについて以下のように述べます。
「死骸に触れるばかりでなく、さらに火葬場に近づくことも、葬儀の笛の音を聞くことも、死者たちに関する儀式で一定の役割を演じる植物や動物の名を口にすることも彼には禁じられている。彼の靴は自然死をとげた動物の皮で作られてはならない。同様に、カフラーリア〔アフリカ南部の非イスラム地域〕の大神官は墓地を訪れることも、死骸が朽ち果てる戦場に通じる小径を横切ることも禁じられている。人が死んだ部屋に入ることも、死者の像がそこに掲げられ、死者が恩恵をあたえる尊敬すべき力となったことが証明されるまでは禁じられる」



さらに著者は、「死の穢れ」が良き方向へ変換されるさまを述べています。
「月経や出産の際の女性の血の喪失、そしてとくに、死体の腐敗が恐れられる。それは、避けがたい最終的な解体のもっとも雄弁なイメージ、生命体の生存のみならず自然と社会の健全さを徹底的にゆるがす破壊的エネルギーの勝ち誇るイメージなのである。死によって生者たちの社会から切り離された者を埋葬と葬儀が死者たちの社会へ導き入れないかぎり、死者もまたさまよう者、罰を受けている魂である。ひとたび新たな結合状態に組みこまれてはじめて、死者は吉兆の力となる」



第三章「尊敬による聖なるもの――禁止の理論」では、(1)「世界の構成」の「相互補完的な力」として以下のように述べられています。
「政治は一対の君主によって執行される。すなわち、主権者は『天』の力を体現し、職務の執行者は『地』の力を具現するのである。執行者は主権者に従属するが、一定の年齢に達して儀礼的な試練をくぐり抜けることによって『天』の力を得たのちに、主権者にその地位を自分に譲りわたすよう強いることもできる」



また、「力=徳の性・季節・社会に関する基体」として、著者はブログ『宗教生活の原初形態』およびブログ『贈与論』で紹介した名著の著者の名をあげて、以下のように述べています。
「デュルケムとモースは、中国の『天』と『地』の概念が、彼らがトーテム社会に関して検討してきた分類項目とたいへん類似していることに、かなり前から気づいていた。実際、『天』と『地』とは男性的な性質と女性的な性質、光と闇、北と南、赤と黒、君主と大衆、等々に対応している。彼らはとりわけ、空間、時間、それに神話上の動物との結びつきを予想し、実際に見出すことになった。すなわち、『天』と『地』の力=徳は『陰・陽』の諸原理の諸相を形象しているが、中国においては社会生活全体や世界の表象までもが、陰・陽の原理によって統括されている。2つの原理によって統括されない対立は存在しない」



著者は「冬の祭り」を取り上げ、以下のように述べます。
「冬の祭りのあいだ、男たちの家に集まる農夫は、踊ることによって暑い季節の到来を促そうとする。これらの儀式には、『儀式執行者が向かいあう対立』と『種々の動作の交互の繰り返し』とが含まれている。参加者たちは、対立する2つの組に分かれて競いあう。一方の組は太陽・暑さ・夏、つまり陽を体現し、他方の組は月・寒さ・冬、つまり陰を体現する。ところが、女性たちはこれらの祭りから排除されていた。したがって、2つの原理とそれが表象する季節とは、どちらも男性によって表現されることになる。したがってこの場合、少なくとも性の対立は2次的なものへと移行するので、性の対立に代わって役割を果たしている対立の規定を試みる必要がある。グラネは儀式執行者である2つの集団がそれぞれ主人の側と客の側とから形成されていたことを示唆しているので、胞族社会における儀礼的な戦闘や闘争的競技のことが当然想起される。中国の季節の祭りにおける対になって踊る舞踏は、胞族社会の儀礼にちょうど対応しているように思われる」



「尊敬の原理」についても述べられ、著者は以下のようにトーテム社会に言及しています。
「トーテム社会の組織構造は、権利・義務のシステムとして現われ、それぞれの禁止は相互補完的な義務に対応しており、この義務によって説明される。トーテムの動物を殺したり食べたりすることは、その氏族の構成員には禁じられているが、他の構成員はそれを殺して食べる。一方、前者は後者のトーテムの動物を殺して食べる。自分の氏族の女性との結婚が厳格に禁じられているのは、自分たちが結婚すべき女性の属する氏族の男性のために、この女性たちが取っておかれているからである。万事がこんな具合なのだ。そしてそれこそが、トリントキット族やハイタ族にかんしてスワントンによって定式化された尊敬の原理なのである。儀礼、食料、経済、裁判、婚姻、あるいは葬儀といったいずれの領域においても、各胞族は他の胞族のことを考慮に入れて行動する」



また、「性に関する給付」として、著者は以下のように述べています。
「性、食料、あるいは儀礼に関する給付はたがいに協力しながら機能し、これらのいわば銀行の口座から口座への人間による振替が途切れることなくからみあうことによって、人間社会の部族を形成する2つの集団の連帯が織りなされる。一方、これらの集団の対立する諸力は、不可視なものの領域において宇宙の有機的な全体性を構成する。この全体性こそは、事物の秩序であると同時に人間の秩序でもあるのだ」



(2)「聖なる掟と冒瀆行為」では、「維持と創造」として、著者は以下のように述べています。
「力は秩序の内部に存在し、みずからの場所にとどまる。その運命を逸脱することはせずに、許可されたもののなかに位置し、禁止されたものを勝手に処分しないように努めるのである。こうして、宇宙はその秩序の内部に維持される。それは同時に、宇宙に従属している者のためでもある。祭儀の諸規則において宇宙の秩序を維持することこそが、さまざまな禁止の果たしている役割なのである。『礼記』には、『堤防が洪水を予防するように、祭儀は無秩序を未然に防ぐ』と記されている」



ここでまた儒教の「四書五経」の1つである『礼記』が登場しましたが、続けて著者は以下のように述べます。
「しかし、時の経過とともに、堤防は浸食され、禁止の機構の働きは低下し、その歯車は磨滅する。人間は年老いて死ぬが、子孫において再生する。自然は、冬が近づくとその豊穣を失い、衰弱していくように見える。世界を再び創造し、システムを若返らせなければならない。禁止は、世界の終末が偶発的に生じるのを防ぐことができるだけだ。禁止によっては、世界をその不可避的な破滅、その寿命が尽きることから守ることはできない。禁止は世界の衰退を止めることはできず、ただ引き延ばすだけである。やがて、世界の再創造が必要となる時が到来する。積極的な行為によって、秩序に新たな安定が確立される必要がある。創造のシミュラークルによって、自然と社会とが一新されることが求められるのだ。そのために用意されるのが、祝祭である」



第四章「侵犯による聖なるもの――祭りの理論」では、(1)「祭り――聖なるものへの訴求」で、著者は以下のように「聖なるものの到来」について述べています。
「祭りは、生彩を欠いた日々の連続と、断続的な感情の爆発を対立させる。祭りは、いつもかわらぬ物質的な関心事にとらわれた繰り返しの日々にたいして激しい狂乱を、各自がばらばらに持ち分をこなしている平穏な労働にたいして共同での熱狂〔=沸騰〕の力強い息吹を、社会の拡散にたいして集中を、無気力な生活の静かな労苦にたいして絶頂の瞬間の熱情を対立させる。さらに、祭りの際に執りおこなわれる宗教儀式が信者たちの魂を揺さぶる。こうした祭りは歓喜の時間であるが、また苦悩の時間でもある。最後にたがをゆるめる前には、かならず絶食や沈黙を守らなければならない。習慣的な禁止は強化され、新たな禁制が課される。ありとあらゆる横溢や放埒、儀礼の厳粛さ、祭りに先立つ制約の厳格さ、こうしたものすべてが、祭りの雰囲気を例外的な世界へと作り上げることに寄与する」



また、「放埓――衰弱を癒すもの」として、著者は放埓について述べます。
「放埒は、祭りに付きものであるというだけではない。放埒は祭りの喧噪のたんなる付随現象ではない。放埒は、儀式が成功裡におわるために必要とされ、儀式の聖なる力に参与し、儀式とともに自然や社会の再生に貢献する。さしずめ祭りの目的とは、こうした自然や社会の再生にほかならない。時間は疲弊や衰弱をもたらす。時間は老いをもたらし、死へと歩ませる。時間は『擦り減らす』。擦り減らすことが、時間を意味するギリシア語やペルシア語の語源の意味にほかならない。毎年、植物は生え変わる。そして自然と同じく社会生活も年ごとに新しいサイクルを開始する。1年ごとに、存在するものすべてが若返らなければならない。世界の創造をやり直すことが必要なのである」



続けて、著者は以下のように「世界の掟」について述べます。
「普遍的な秩序に支配され、規則正しいリズムに律されるコスモス(宇宙)として世界は運行される。節度と規則が世界を維持する。万物がしかるべき場に位置し、あらゆる出来事がしかるべき時に起こる。それが世界の掟である。聖なるものは、もっぱら、コスモスの規則性を脅かすかもしれない一切のものにたいする禁止や防止か、あるいは規則性を乱しかねない一切のものにかかわる贖罪や補償として現われるが、そのこともこれで説明がつく。人びとは不動性〔=現状の維持〕を目指す。というのは、あらゆる変化や刷新は宇宙の安定性を危険にさらすからであり、できることなら万物の流転を食い止め、死の可能性を排除することが人びとの願いなのだ。しかし、世界の消滅の芽は、まさしく世界の運行そのもののうちにある。なぜなら、その運行が廃物を堆積させ、メカニズムの衰退を導くからである」



ここでコスモス(宇宙)が持ち出されましたが、「原初のカオス」として、著者は「実際、祭りには、まるで最初期の宇宙を再現しているかのような印象がある。この太古(Urzeit)、原初の時代は、すべての存在、すべての生命、すべての制度が、伝統的かつ決定的な形態のうちに固定された、すぐれて創造的な時代であった。それは神話に語られている神なる祖先が、まだ生きて活動していた時期にほかならない」と述べています。



(2)「世界の再創造」では、著者は祭りが果たしている機能を紹介した後、以下のように述べています。
「すでにわれわれは祭りを、創造の時代を現在化するものと定義した。デュメジルの適切な表現を用いるなら、祭りとは『大いなる時代』にむかって開かれた開口部であり、人間たちが生成流転の過程を離れ、原初の時代という、全能でつねに清新な力の貯蔵庫に近づく瞬間である。同様に祭りがおこなわれる神殿や教会や聖所といった場所は、『大いなる空間』にむかって開かれた開口部を象徴している。『大いなる空間』とは、神なる祖先たちが動きまわっていた空間であり、聖なる地点や岩山は、われわれにも知覚できるその目印として、世界を決定していった創造者たちの身振りと結びついている」



続けて、著者は祭礼について以下のように述べます。
「祭礼が執りおこなわれるのは、季節のリズムの変わり目においてである。つまり、自然が生まれ変わるように思われる時期、誰の目にも確かな変化が自然の中にあらわれる時期であり、寒帯や温帯では冬の始まりと終わり、熱帯では雨季の始まりと終わりである。人びとは不安と期待の入り混じった強い感情にかられて、その昔、神話のなかの祖先たちが経めぐった場所へと巡礼に出かける。オーストラリア人は、敬虔な心で祖先たちの足跡を辿り直し、かつて彼らが休んだところに来て立ち止まっては、入念に祖先たちの身振りを繰り返す」



著者はまた、「祖先=創造者の受肉」として、祭りにおける神話と儀礼について以下のように述べています。
「祭りは、神話の時空の中で執りおこなわれ、現実の世界を再生させるという機能を果たす。そのためには、植物の再生の時期や、ときによってはトーテム動物の繁殖が進んだ時期が好んで選ばれる。神話の祖先が、自分たちの部族の祖となる生物を作り上げた場所へと人びとはおもむく。部族は、彼らが受け継ぎ、彼らだけがうまく執りおこなうことのできる創造の儀礼を繰り返す」



続けて、祭りの中の祖先について、著者は以下のように述べます。
「演技者たちは、英雄の行動と身振りを模倣する。彼らは、自分たちを半獣半人の祖先に同一化させる仮面をつける。この仮面という小道具は、しばしばいくつかの側面をもっており、必要に応じて、突然第二の顔をむきだしにし、仮面をつけている者は、そうすることで原初の時代におこなわれた瞬時の変身を再現することができる。つまり重要なことは、創造の時代を生きた祖先たちを現在化し、再び活動させることである。こうした祖先たちだけが、望ましい効力を儀礼にあたえる魔法の力をもっているのだ。さらにいえば『根拠としての神話と現実の儀礼細目』との間には、明確な区別など存在しない」



著者は、さらに以下のように述べています。
「威光に満ちた祖先たちの豊饒の時代を復活させるために、さまざまな方法が競って用いられる。神話を朗読するだけでこと足りる場合もある。神話とは、定義上、種の創造や制度の創設を語る、秘められた力強い物語なのである。神話は、呪文のように効力を発揮する。神話に記された行為の反復を引き起こすには神話を朗読するだけで十分である」
ときには、まぎれもない演劇的表象が用いられることもあります。オーストラリアのヴァラムンガ族では、各氏族が自分たちの神話上の祖先の生涯を模倣するといいます。



著者は、「豊饒儀礼と加入儀礼」について、以下のように述べています。
「豊饒儀礼のほかにも、若者を男たちの社会に仲間入りさせ、男たちの集団のなかに加える目的をもった儀礼がある。すなわち加入儀礼である。加入儀礼は、まさしく豊饒儀礼と比較可能だと思われるが、豊饒儀礼と同様、事物や制度の起源に関する神話の再現=表象化にもとづいている。これら2つの儀礼の間には絶対的な対応関係をみることができる。豊饒儀礼は自然の再生を保証し、加入儀礼は社会の再生を保証する。2つの儀礼は一体となっていることもあれば、別々に執りおこなわれることもあるが、いずれにせよ、両者はともに、神話上の過去を再び現在に復活し、若返った世界をこの過去から導き出そうとする目的をもっている」



儀礼の意味とは何か。著者によれば、それは原初のカオスへの回帰にあるとともに細部にわたる宇宙秩序の正当性の確立にあります。秩序の世界への到来は、一度にしてなったものではありません。秩序の到来は、それ自体、また順序に従っているのです。
まずは原初の時代を現在に復活することが重要です。祭りとは、新たに発見され創出された「カオス」なのです。著者は以下のように述べています。
「祭りの季節が細かく分かれ、一年中に散らばっている場合にも、やはり死者たちが生者の社会のなかに姿を現わすことが許される一定の期間がみとめられる。死者たちの侵入に当てられている毎年恒例の期間の終わりには、死者たちは、明確なかたちをとるお祓いによってしかるべき場所に追いやられる」



(3)「放埓の機能」では、以下のように祭りの本質が述べられます。
「祭りとは全面的な混乱状態としての幕間の時間であり、事実上、世界の秩序が中断される期間として現象する。だからこそ、祭りではあらゆる放埒が許されるのである。そこでは規則に背いて行動することが重要なのだ。すべてが逆さまにおこなわれねばならない。神話時代には時間の流れは逆向きだった。ひとは老人として生まれ、子供として生を終える、とういわけだ。こうした祭りの状況において性的放埒と狂気が勧められるのには2つの理由がある。ひとつは、神話に語られる太古の生をより確実に再発見するために、日常と反対のことをやろうとあらゆる工夫がこらされることである。他方、あらゆる放埒は、来るべき再生の季節に豊饒と繁栄をもたらす活力の増大のしるしである」



本書で、著者は「祭り」について延々と述べます。つまるところ、祭りとは何か。著者は「浪費と熱狂状態」として、以下のように「祭り」を定義します。
「結局のところ、祭りとは、その十全なかたちをとるとき、社会の熱狂状態として定義されねばならない。そして祭りは社会を浄化し再生させる。祭りが社会活動の絶頂点であるということは、宗教的観点からばかりでなく、経済的観点からも言える。祭りこそは、一瞬のうちに富を循環させる時間、もっとも重要な市場をつくりあげ、蓄積された富を威厳をもって配分する時間なのである」



続けて、著者は「祭り」について以下のように述べます。
「祭りは集団の栄光を示すとともに、集団の存在を鍛えなおすひとつの全体的現象として現われる。祭りにおいては、集団の繁栄の証拠であり、未来への保証である新しいものの誕生が祝われる。集団は、新たな成員たちに精力を授ける加入儀礼をとおして、彼らを自分たちの内部に迎え入れる。集団は死者に別れを告げ、彼らへの忠誠を厳かに誓う。これはまた、階層化された社会において、さまざまな社会階級が歩みより、おたがいを同胞と認めあう機会となる。また、胞族に分かれた社会においては、相互補完的集団と敵対的集団が混じりあって連帯を立証し、普段は交じわらないよう気をつけているそれぞれの集団に受肉した神秘的諸原理を、創造の営みのために協働させる機会となる」



さらに著者は、祭りの機能について以下のように述べます。
「さまざまな祭りがどれほど異なるものと想像され、また異なっているように見えようが、また1つの季節に集中したり、一年中に分散していたりしようが、いたるところで祭りは同じような機能を果たしている。祭りとは労働の義務の一時的中断であり、人間の条件であるさまざまな制限や束縛からの解放である。それは、神話が、夢が、生きられる時である。消尽すること、自分の力を消尽すること、それだけが義務となる時間と状態を生きるのである。何かを買うとか買わないとかいった動機などもはや通用せず、ただただ浪費しなければならない。各自が競って自分の富を、食糧を、性的能力や筋力を浪費する。しかし、社会は発展の過程で、無個性化、画一化、階層の均等化、緊張の緩和へとむかってゆく。社会機構の複雑さがきわ立つにつれて、生の通常の流れの中断は認められにくくなる。すべてが昨日と同じように今日も続き、また明日も今日と同じように続くことが必要とされる」



第五章「生の条件と死の入口としての聖なるもの」の冒頭で、著者は普遍的秩序の維持について以下のように述べています。
「社会と自然は普遍的秩序の維持にもとづいて存続しているとみなされるが、この秩序は諸制度の統一性と諸現象の規則性を確実なものとする多くの禁止によって保護されている。社会と自然の健康と安定を保証すると思われるあらゆるものは、聖なるものとみなされ、それらを危険にさらすと思われるものは、冒瀆的なものとみなされる。両者の混合と過剰〔=放埒〕、改革と変化はひとしく恐れられる。こうしたことがらは衰弱や破滅の要素として現われるからだ」



続いて、著者は儀礼の機能について以下のように述べます。
「多様な儀礼がそれらを償おうとする。つまり、それらによって混乱した配置を復活させ、それらをこの配置に組みこむのである。そのさい、危険な力は中和される。すなわち、自己保存のみを目的とし不動性のみを保証する世界にこのようなことがらが侵入したというだけの事実によって、有毒性の存在が暴露され、中和される。凝集をうながす聖なるものが、解体をもたらす聖なるものと対立するのはこのときである。前者は俗なる世界を支え、持続させる。後者はこの世界を脅かし、動揺させるが、それを更新し、緩慢な滅亡から救う」
ここは非常に重要な部分であり、「礼」の力について語っています。
わたしは何度も読み返し、大いに納得しました。



付論1「性と聖なるもの」では、著者は「宇宙の保存法則」について、以下のように述べています。
「万事がしかるべき時と場所で生じるよう定めた『世界の秩序』でも存在するかのように、すべてが継起している。この秩序が遵守されるのは極度に重要なことである。それは宇宙の保存法則そのものであり、何であれ激しい力をともなう現象は、この保存法則に害をおよぼす。なかでも他界が現世に流入するようなことが生じると、保存法則が侵害させ、均衡が崩れることになりかねず、有害なエネルギーを無秩序に氾濫させ、隔離されたままであるべきものが危険なまでに混入してくる恐れがある。だからこそ、出産と臨終があれほどの恐怖をひきおこすのであり、また、あれほど用心を重ねる必要があるのだ。出産と臨終は混乱をもたらす。とりわけ死の穢れがそうだ。炎によってそれを破壊してもよい。川に流しても、大地の奥深くに追いやってもよい。だが、それにしくじったら、そのときは死の穢れが一切を汚染しようとやってくるだろう。つづいて、微妙で複雑な手順にしたがい、穢れの源を浄め、殺菌する必要があり、そのときようやく万事が落ちつきと秩序を取りもどすことになる」



著者は「聖なるもの」の顕現の仕方に触れた後、以下のように述べます。
「性と死の暗黒界から発するものであるにせよ、それは生の源でもあり、効験あらたかなもの一切の源であり、すばやく放電し、遮断するのが困難な力、変質することもなく、危険ではあるが欠くことのできない力なのである。この力をとらえ、飼いならし、恩恵をもたらすようにし、その攻撃性が手にあまるようなら骨抜きにしてしまうこと。そのために儀礼がある。この万能で目に見えない電気エネルギーに人間は畏敬の念をいだき、それをわがものにしたいと思う。宗教とは、この段階では、こうした電気エネルギーを制御する役割をはたすにすぎない」

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

ホモ・ルーデンス (中公文庫)



付論2「遊びと聖なるもの」では、「遊び」について語られます。
ロジェ・カイヨワといえば、ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』に影響されて執筆した『遊びと人間』が有名です。同書において、著者は「遊び」を4種類に分類して考察しました。すなわち、アゴーン(競争:徒競走など)、アレア(偶然:ルーレットなど)、ミミクリー(模倣:演劇やRPGなど)、イリンクス(眩暈:絶叫マシーンなど)です。これは画期的な「遊び」論として有名になり、わたしも大いに影響を受けました。
遊びの神話』(東急エージェンシー、PHP文庫)および『リゾートの思想』(河出書房新社)などの拙著でもカイヨワの「遊び」論を紹介しています。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)



さて、著者は本書でもホイジンガの「遊び」論を紹介しつつ、「遊びと聖なるものを同一視する」という立場について以下のように述べます。
「宗教についても事情はおなじだとホイジンガは結論する。聖域や礼拝や儀礼は、遊びと似た役割をはたす。閉じた空間は結界をなし、現実の世界や生活から一線を画されている。その内部で一定の時間のあいだ、規則にしたがう象徴的な動作がとりおこなわれ、儀式がすすむにつれ、この動作は神秘的な実体を再現し現実化してゆく。遊びの場合と同様に、この儀式では活力と規律、恍惚感と思慮分別、熱狂的な錯乱と念入りな正確さという、対立しあう諸力が同時にせめぎあい、ついに人は日常生活の外へ運び去られる」



また、著者は「儀礼の秩序」と「遊びの起源」について述べます。
「儀礼の秩序が単純な取りきめからできているのを認める必要があるのと同様に、つぎのことを認める必要がある。すなわち、儀礼の秩序によって俗世界のうちに厳格な法が支配する特定の場所が画定されること、また、この厳格な法がもたらそうとするのは、それに寄せる信仰心があるかぎりで意味や価値が付与されるにすぎぬ、空想の産物にほかならないこと、これらを認めねばならない。中世の専門家であるホイジンガが民族学的資料にもっとよく通じていたなら、ただでさえ実り多いその論証をさらに豊かにしてくれるような、いっそう多くの論拠を集めることもできただろうと私は思う。というのも、ごく普通の遊びをふくめ、多くの遊びが聖なるものを起源としているからだ」



付論3「戦争と聖なるもの」では、「祭り――未開社会の発作」として、著者は「儀礼と神話」について以下のように述べています。
「人びとの想像力をほぼ完全に神話が支配する社会では、儀礼のかたちをとった神話が人生においてなすべきことを定めている。そのような社会での神話の役割を考慮するなら、神話が表にあらわれていない社会でも現実には何かがその役割をはたしているにちがいないと確信できる。が、それを暴くのは容易ではない。なぜなら神話のはたすべき役割とは儀礼行動に重みをあたえること、人にそれを信じこませ、必要なもの、あって当然なものと思わせることにあるからだ」
それでは、神話と祭りの関係はどうなのか。著者は述べます。
「神話と深い関係にあり、折おりめぐってきては未開社会を徹頭徹尾撹乱する沸騰状態、それこそが祭りにほかならない。祭りは持続的、暴力的で、規模の大きな現象であり、より複雑な文明における数えるばかりの束の間の休日とはほとんどくらべようもない」



(2)「戦争の神秘」では、「持続の節目としての戦争」として、著者は祭りについて以下のように述べています。
「祭りは神々の世界への扉をひらき、人はそこで変容し、超人的な存在になる。祭りは「大いなる時」へと通じ、労働の時を定める。つぎの祭りまではもっぱら停滞した平板な日々がつづく。これらの日々はより印象の強い日付とのかかわりにおいてのみ存在するにすぎない。祭りがその現実味をほとんど失った今日でもいまだに、あれは復活祭のあとだとか、クリスマスのまえだったとか人びとは口にする」



続けて、著者は戦争について以下のように述べます。
「同様に戦争は持続的な流れを区切る目じるしとなるように思える。戦争は国民の生活の節目となる。戦争はそのたびごとに新しい時代の発端となる。戦争が始まるとき1つの時代が終わり、また戦争が終わるとき別の時代が始まる。あとの時代とまえの時代が区別できるのは目に見えて性質がちがうからである。戦前と戦後では生活はおなじではない。国家が戦争から立ちなおる時期か、戦争を準備している時期かによって一切が弛緩したり、一切が緊張したりする。それゆえ、戦前と戦後が注意深く区別されるのを目にするのである」



著者は、すべての騎士道的な要素、規律正しい要素が次第に排除されつつあるのを確認できるとした上で、以下のように述べています。
「現代の戦争においては、それらの要素がいわば純化され、完璧な精髄に達する。戦争はその真のありかたとは無縁な外観をすべて剝ぎとられ、遊びごころや競争心との無理な結びつきから解放される。とういのも『まぎれもない犯罪と暴行』である戦争は、まったく逆説的なことではあるが、かつては敵にたいする誠意や敬意を認め、ある種の兵器・策略・作戦行動を採用することを禁じてきた。複雑な礼式や厳密な礼儀作法が慣習化されており、そこでは武勇と豪胆を競うと同時に良き作法を競うことにも関心が注がれていたのである」



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年5月27日 一条真也