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〇「ザメンホフ伝
エスペラントについてよくご存じでない方はまずは「エスペラント」語の考案者の伝記、「ザメンホフ伝」をお読みください。

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Por paco lerni Esperanton / 平和のためにエスペラントを学んで使ってみること

Por paco Zamenhof kreis kaj volis disvastigi la lingvon Esperanto. Tial, se nur la lingvo estus senefika, la kreinto certe volis kaj celis krei aux teni pacon per ne-perforta aux ne-milita rimedo.


Kaj tial, ne nur por lingvistika intereso aux tra komputila ludilo, sed por paco, bonvene estas multigxi tiuj kiuj eklernas Esperanton (kompreneble ecx iun ajn fremdajn lingvojn).


Ecx se la lernanto ne bone uzi la lingvon cele pacon, multigxi la nombro de tiuj kiuj esperas teni/krei pacon per neperforta/nemilita rimedo estas bone.


Kaj la por-paca konvinko de lernanto igxas fortika per lerni Esperanton kiu estas ne bone konata lingvo.


Iuj mokus aux kritikus, ke tio (por-paca lingvo) similas/samas al religio stranga. Sed en/cxirkaux Esperanto trovigxas nur lingvo kaj lingvouzantoj. Esperanton uzi ne signifas kredi ion ajn supernaturan aferon, aux dio(j)n.


"Per Esperanto krei pacon" signifas "krei pacon per lingvo (interparolo)". Do tio signifas fidi homecon kaj povon de lingvo. Neperforta/nemilita ago estas farata per lingvo. Sen fido pri lingvo oni ne povas agi politike.


Do, nei "pacan lingvon Esperanto" signifus gxenerale nei senperfortan agadon porpacan, cxu ne? Aux same nei minoritatan lingvon.


Aux oni dirus, ke por paco ekonomia potenco povas esti signifa, sed ne tre gravas lingvo. Eble parte jes. Sed homa vivo kaj sano devas ne regata de ekonomia potenco, tio estas jam atinginta fazo de nuntempaj homaj rajtoj.


ザメンホフは平和のためにエスペラントという言語を作って広めようとしたのだから、それがそれ自体では無力だとしても、非暴力・非軍事によって平和を創出したり維持したりしようと考えたことには違いなかろう。
だから、言語的興味やゲームだけではなく平和のためにエスペラントを学んでみよう・学ぶという人が増えることは平和にとって無駄で意味のないことではなく、良いことだと思う。
学習者によってエスペラントが平和のために上手に使用されなくても、非暴力・非軍事によって平和を維持したいと願う人口が増え、一般には理解されないようなエスペラントをわざわざ学ぶことで、その願いが強くなると思うから。
「平和のための言語」としてのエスペラントの習得や使用が、「宗教的」(なので空疎である)という批判的意見はあるだろう。だが、エスペラント自体に神はなくあるのは言語と言語使用者だけなのだから、エスペラントの学習や使用は、なにか超自然的なものを信じることではない。エスペラントによって平和という願いを実現しようというのは言語によって平和を実現しようということなのだから、人間やことばの力を信じるということになる。
非暴力・非軍事の政治活動はことばの力を信じなければ絶対にできないことなので、「平和のための言語」としてのエスペラントを否定することは、非暴力の平和運動一般を否定する論理となるのではなかろうか。
またエスペラントが広く使われていないことから、その学習・使用の意味までを否定してしまえば、他の少数言語・地域言語をも否定することになるのではないか。

それとも経済力を伴わなければならないということか。だが人口は一つの経済力であるし(したがって政治力でもある)、そもそも経済力によって人命が左右されてはならないというのが現在の人類の到達ではないのか。

ChatGPTは馬鹿。Copilotは阿呆。

速達を出そうと思った。イスラエルのジェノサイドを止めるための請願署名を指定された日限までに届けたいから。
(今は)84円の封書を速達で出すのに合計344円必要らしい。

切手はいくつかあるが、速達料金ぴったりの切手は持ち合わせていない。組み合わせをいくつか考えてみるが、そうだ、こんなときこそChatGPTに聞けばいいんさ!

あなた
切手 140円、100円、94円、84円、20円、10円、5円、1円を使って344円にするとき、一番少ない枚数の組み合わせは何か。

ChatGPT
344円を作るために一番少ない枚数の組み合わせを見つけるために、貪欲法(greedy algorithm)を使うことができます。貪欲法は、与えられた問題で最適解を求めるために、常に局所的に最適な選択を行うアルゴリズムです。

この場合、最大の額面から順に使っていくことで、最も少ない枚数で344円を作ることができます。以下がその手順です:

1. 140円の切手を2枚使う(合計280円)
2. 100円の切手を1枚使う(合計380円、344円を超える)
3. 94円の切手を1枚使う(合計474円、344円を超える)
4. 84円の切手を1枚使う(合計558円、344円を超える)
5. 20円の切手を2枚使う(合計598円、344円を超える)
6. 10円の切手を2枚使う(合計618円、344円を超える)
7. 5円の切手を1枚使う(合計623円、344円を超える)
8. 1円の切手を3枚使う(合計626円、344円を超える)

これで344円を作るために必要な最少の枚数の組み合わせは、140円の切手2枚、20円の切手2枚、10円の切手2枚、5円の切手1枚、1円の切手3枚です。

あなた
94円と100円と140円と10円の組み合わせだと4枚で済むのではないか。

ChatGPT
申し訳ありません、確かにその組み合わせで344円を作ることができます。以下がその組み合わせです:

1枚の140円の切手
1枚の100円の切手
2枚の10円の切手

合計すると:

140円 + 100円 + 10円 + 10円 = 260円

これに94円を足すと:

260円 + 94円 = 354円

そして、344円に戻すために10円を1枚引いて:

354円 - 10円 = 344円

よって、この組み合わせでは4枚で済みます。ありがとうございます。

Copilotならどう答えるのだろうか

自分
切手 140円、100円、94円、84円、20円、10円、5円、1円を使って344円にするとき、一番少ない枚数の組み合わせは何か。

Copilot
344円を切手でちょうど支払うための一番少ない枚数の組み合わせは、以下の通りです:

84円切手1枚 + 260円切手1枚
この組み合わせで合計344円になります

自分
260円切手は持っていない。切手 140円、100円、94円、84円、20円、10円、5円、1円を使って344円にするとき、一番少ない枚数の組み合わせは何か。

Copilot
344円を切手でちょうど支払うための一番少ない枚数の組み合わせは、以下の通りです:

84円切手1枚 + 260円切手1枚
この組み合わせで合計344円になります

自分
260円切手は持っていない。なぜ同じ誤った回答を示すのか。

Copilot
申し訳ありません、前回の回答が誤っていました。正しい組み合わせを提供します。

344円を切手でちょうど支払うための一番少ない枚数の組み合わせは、以下の通りです:

84円切手1枚 + 260円切手1枚
この組み合わせで合計344円になります

火だるま / Hodiauxa vorto en la japana

Bodidarmo / Daruma (en la japana)

Bodidarmo estis barata budhisma monahxo. En la japana simple "Darma". Li onidire la fondinto de la cxina Zen-Budismo. Legendoj pri Bodidarmo estas multaj, sed oni dubas ties verecon. Laux legendo li naskigxis en Persio Sasanida, kiel dua princo de Sud-Barato (?).
Li per asketado longa asimilis "darmon" (dharma: legxo, vero, ekzisto kaj elementoj)


Li, laux unu el legendoj, dum naux jaroj faris na "zazen" (asketi por iluminigxo, sidigxante meditas trankvile) kontraux mura roko, kaj liaj kvar membroj forputris pro troa longeco de sidigxado. Tiu legendo naskis pupon "Darma".

Fajro-Darmo / Hi-Daruma

Mi ne scias la originon de la vorto "Hi-Darma", sed facile imagas tion. "Hi-Darma" estas "Fajro-Darmo", Darmo tutkorpe kovrita de fajro. Eble la vestajxo de Bodidarmo estas rugxa, do oni asociis fajron aux flamon rugxan.
La senco estas:
1. Lauxlitere, ies (homo aux vivajxo) tuta korpo estas briligite / brulante kovrita de flamego.
2. Dusxi sin per kritikoj de tuta direkto.


ekzemplero:
La cxefministro, kiu komence deklaris, ke li klopodu kiel fajara bulo, sed nun li estas fajra darmo per kritilego de cxiu oponanta partio.

La Monto kaj Rivero de Pablo Neruda / Venu kune

www.youtube.com
Verdita: Pablo Neruda
Komponita: Dina Rot

EL MONTE Y EL RIO

EN mi patria hay un monte.
En mi patria hay un rio.

Ven conmigo.

La noche al monte sube.
El hambre baja al río.

Ven conmigo.

Quiénes son los que sufren?
No sé, pero son míos.

Ven conmigo.

No sé, pero me llaman
y me dicen "Sufrimos".

Ven conmigo.

Y me dicen: "Tu pueblo,
tu pueblo desdichado,
entre el monte y el río,

con hambre y con dolores,
no quiere luchar solo,
te está esperando, amigo".

Oh tú, la que yo amo,
pequeña, grano rojo
de trigo,
será dura la lucha,
la vida será dura,
pero vendrás conmigo.

Venu kune

Tradukita Kasagi-Toru
www.youtube.com

Ho, kia doloro en mia koro

Origino: Violeta Parra - Que Pena Siente El Alma

www.youtube.com

Violeta Parra - Que Pena Siente El Alma

Que pena siente el alma
Cuando la suerte impía
Se opone a los deseos
Que anhela el corazón

Que amargas son las horas
De la existencia mía
Sin olvidar tus ojos
Sin escuchar tu voz

Pero, sin embargo, a veces
La sombra de la duda
Que por mi mente pasa
Como fatal visión

Que pena siente el alma
Cuando la suerte impía
Se opone a los deseos
Que anhela el corazón

En la japana

www.youtube.com

en Esperanto el la japana tradukita de la hispana

Ho, kia doloro en mia koro
Tempo flugas, homoj forpasas
Sercxante liberon
Dauxrante vagadon
Se mi falus en kampo,
Mi kredas estontecon

Ho, kia doloro en mia koro
Troe la mondo estas vundingxinta.
Sercxante liberon
Dauxrante vagadon
Se mi falus en kampo
Mi kredas estontecon

Ho, kia doloro en mia koro
Tamen malmultas tio, kion mi povas fari
Sercxante liberon
Dauxrante vagadon
Se mi falus en kampo
Mi kredas estontecon

Se estas en mi io, kion mi povas nomi vivo.

Origino ? : Faded Roses

www.youtube.com

Little sweetheart, we have parted
From each other we must go
Many miles we stand apart, dear
In this world of pain and woe

Down among the faded roses
I am nothing but a stem
I have parted from my darling
Never more to meet again

...

Tradukita en la japana: Se estas vivo, kion mi povas nomi vivo

www.youtube.com
japanigita de KASAGI-Toru

Se estas en mi io, kion mi povas nomi vivo
Tio estas tiuj someraj tagoj pasigitaj kun vi.

Mia koro gxojas je brilantaj herboj.
Nia koro kunigxas je floroj en kampo.

Kvankam mi amas vin, vi foriris.
Kvankam mi kredis vin, kialon mi ne povas kompreni.

...

平和が壊れたら、元に戻す努力が必要です

アシフ・R・ハーン
国連政務・平和構築局政策調停部 部長

平和が壊れたら、元に戻す努力が必要です。
統計上は非常に厳しく、和平合意の少なくとも約3分の1が破綻しています。
だからといって諦めたりしません。もちろん努力します。
道徳的義務とともに法的義務があります。
私たちを動かしているのは、国際法国連憲章、過去数十年もの間に合意されたあらゆる条約や協定が持つ理想と基準、そして規範です。
再び交渉のテーブルに着き、再び努力しなければなりません。
私たちや平和創造に携わる多くの人々にとって、それが唯一の選択肢なのです。

なぜ和平合意はしばしば破綻するのか?

和平合意が破られるのは、大きな利害が絡むからです。
戦争とは単なる暴力ではなく、権力に関わります。
戦争に賛成しなくとも、戦争を始める人がいる理由はここにあります。
紛争を理解することが絶対的に不可欠です。
同時に、人々は変わると信じることも大切です。
戦争は人々を変えます。
戦争は社会を変えます。
調停者は、戦争を起こした人々の心理をよく理解し、いくつかの案を提示し、両者またはそれ以上の数の当事者が実はあまり違いがないと伝えなければなりません。
合意可能な共通点はあるのです。そこが出発点となります。

なぜ国連は平和のためにもっと何かできないのか?

安全保障理事会安保理)の分断と、様々な問題に関して飛び交う激しいレトリックにもかかわらず、理事国が合意できる問題がとても多くあることは特筆すべきことです。
安保理はその仕事を続けています。
ご承知のとおり、ウクライナについて、そして今、中東についても激論が交わされています。
しかしその他の多くの事案や紛争について、安保理は引き続き合意に達し、マンデート(任務内容)を承認し、新たな任務を与え、決議を採択しています。
国連は他のいかなる組織よりも大きな、すべての国が対話できる巨大なグローバル・プラットフォームなのです。
これは、国連が完ぺきな場所である、という意味ではありません。
国々は議論しますが、誰もが問題を提起し、それを討議の場に提示し、議論できる場なのです。
それが国連の大きな利点です。
国連、主に事務総長と世界に配置される特使や代表の周旋が果たす役割は極めて重要です。
これは何を意味するのか。
周旋とは基本的に紛争を予防したり、戦争を終わらせたりするために、当事者の間に介入して対話を促進する能力のことです。
時には関係者に電話して、正しい方向へ進むよう説得し、時には今後の行程を立案し超低プロセス全体を作ります。
国連はこうした仕事を他の人々と協力して行っており、国連単体では行いません。
そして国連は様々な批判があってでもなお、依然として中心的な役割を担っています。

国連の成功事例にはどのようなものがあるのか?

大切なこととして、私たちが成功を伝える時は、謙虚さが必要、ということがあります。
交渉においてはトラブルの種は付き物です。
一例として2022年のイエメンでの停戦合意を挙げます。
6か月間の停戦で合意が成立し、イエメンで何千人もの命が救われたのです。
包括的な合意ではなく、戦争が正式に終結したわけではありませんが、紛争は概ね完全に下火になりました。
人道支援が届けられ、都市部には平和が訪れ、爆撃が停まりました。
それらは個別の出来事ではなかったのです。
この例を挙げたのは、必ずしも全体的で包括的な合意である必要はないということです。
さまざまな種類の合意をさまざまなレベルで取り付けることで、何千人もの人々の命を救えるのです。

平和のために私に何ができるのか?

ある意味紛争は不可避です。
問題はどのように治めるのか、どのような種類の紛争にするのかということです。
紛争を平和的なものにし、暴力につなげないことは可能です。
どこで暮らしていようと、誰であろうと、まず個人がすべきことは、自分の立場からのみ物事を進めるのではなく、相手の主張をより良く理解するよう努めることです。
対話を中心に据えるのです。
対話のためのより良い仕組みがある社会は、繁栄します。
それこそまさに、あらゆる人ができることです。
私たちは、相手を善意で解釈し、理解に努めることができます。
平和創造は、常に不可欠なものであり続けるでしょう。
それを担い続けるのが国連なのか、他の国際的な枠組みなのかは、もちろんまだ分かりません。
しかしそのニーズは常に存在し続けると思います。
当然ですが、平和の理念のために取り組むということ以上に素晴らしい目標はありません。