アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ』

  • 演じられているのは彼らの日常を綴る、大きく分けて六つくらいのストーリー。見て衝撃を受けた。まず、生活を構成する要素が我々と全然違う。学校で子供の発する言葉は「マシンガン」「炸裂弾」など血なまぐさいものばかり。東京でプレゼントといったら洒落たアクセサリーや時計なんかが相場。しかし(やや脚色があるとしても)パレスチナでは催涙弾の空き瓶や銃弾。「吹き抜け」の屋根の下をミサイルが飛んでるなんて、マンガで主人公がラーメン大好き小池さんの家を横断して逃げるのと同じくらい日常茶飯事。
  • 生活のモーメントは我々と変わらないから、いかに彼らが戦争と隣り合わせに生きているかをひしひしと感じざるを得ない。彼らにとっての日常は、我々にとっての非日常(ニュース)である。その意味で、彼らにとっての「ニュース」は、もはや存在しない。

ペピン結構設計『東京の米』

  • そして舞台は東京。米屋の主人がなくなり、跡取りの三人兄弟と米を産む女、その妹の「米」をめぐる物語。
  • ペピン結構設計はいつも胸キュンやせつなさを描くのがすごく上手だ。『東京の米』はそれに加えて、人間の体温を感じた。大袈裟に言えば、人が生きるってことをすごく感じた。その意味では彼らにとってこの作品が現在のベストバウトなのではないか。
  • 『東京の米』とは毎日クソみたいに生み出される「情報」に埋もれる「作品」でもあり、ならば僕が感じた体温とは、実は作家のものなのかもしれない。(いや、申し訳ない。)