チョーひも

井の頭線で渋谷までの道すがら車内でチョコレート色のスニーカーの靴紐を一回全て抜いて通し直している女性がいる、いま、目の前。
深いグレーのトートバックからはファー生地の何か、というか茶色の毛が飛び出しているけど何かまではわからない。
襟元にファー、こちらは明るい灰色、の紺のジャンパーに同じ色のハイネックを着込みかなりインディゴがどっかいったジーパンをはいている。
メッシュがかった頭を上げると、やや濃いめの化粧で服装よりも歳が上のようだ。でも電車が陰に入ると整った顔立ちだってのがわかる。印象変わって若い感じ、だいたい25歳行かないくらい。

メモ

斉藤美奈子が言ってた「カラオケ化する文学」はネット個人サイト(自分語り、創作、その他テクスト全般)でさらに裏打ちされたようだ。斉藤美奈子は受容→参加の流れとして「カラオケボックス=新人文学賞」という関係を考えたけど、それでもまだ賞応募は敷居が高い、モー娘。オーディションぐらいだけど。個人サイトこそがカラオケボックス、特に同盟だの同人誌だのっぽくくると、まさにそう。
すると「文学カラオケボックス」の元祖は同人誌だったわけか。

メモ

どこまで深読みすればいいのだろう。わざとやってるのかどうか、釣りか真性かっていうところが非常に曖昧にされている。明確にしたらしたで、またわざとやってんじゃないか、という疑いが生まれる。
2ちゃんねるで「釣り/釣られ」って構造ができてもうどれくらい経つんだろう。少なくとも2000年あたりのころは、間違った知識披露やアホな発言はそれがわざとであろうがなかろうが(そんなのわかんねぇけど)、厨房扱いだった。でも今となりゃ間違えた発言を指摘されてもid変えるなりして「釣りだよ」ということにできてしまう。んでもちろん意図的な釣り師ももちろんいるわけで、どこまで深読みすればいいのかって話になってくる。
「釣り」に対してわざと釣られて「本気」っぽいレスポンスを返す「多段釣り」とも言えるような状況もありえるし、さらにそれに「釣り」を重ねていく多段釣りに私たちはどう触れていけばいいのだろう。