現地の取材にあたって


この血と骨の上映会をするにあたり多くの人に話を聞いてもらった。
それによると実際の街や人物と映画の中の状況はかなり食い違っており、映画制作にあたって協力的であった住民たちはイメージタウンに対して不満の声も高い。
もちろん映画だからシナリオによっていくらでも色付けすることができるので大衆に対して大きな影響力をあたえる。さらにそれが、特定の場所が舞台になったときはもっと大きいでしょう。
映画というものは自分の知らないことについて偏見や差別心をうえつけることもできる。
幼なじみの話によると実際には作家がこの街に住み始めたのは10歳ごろ(1945年末)であり、李英姫が俊平に犯されたという家はここではないと住民達は主張している。調べてみたら確かに母は玉造あたりで飲み屋をやっていたということがわかった。映画の中では舞台作りの難しさか同じ場所として捉えている。
一方東成区では松下幸之助は勿論作家梁石日もこの町で生まれた有名人であるからこれをもっとアピールして東成区の町興しにしたいという思惑を持っているようだ。
住民の気持ちとしては恥ずかしいというマイナスとイメージもあるが作家を肯定的に評価し町興しに有効的に活用したいと考える人も多い。

この研究で学んだこと

 私はこの論文を作成する間に、たくさんの本を読み、実に多くの人達(主として在日の人達)と話を聞く機会を持つことができた。
 その中で日本に渡ってきた韓国・朝鮮の人達は、本国での生活苦のあまり、職を求めてきた人達であること、しかしよい仕事などあるはずもなく、日本人がいやがる仕事をしながら最低限の生活を余儀なくされてきたことを学んだ。
 確かにお金を儲けることが目的であったにしてもその犠牲はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。 
 私達留学生のように事前に言葉の勉強をしてきたわけではなく、いきなり言葉の通じないところに放りだされ一日一日を生き延びなければならなかった心情を思うと胸が痛くなる。しかしその中でもこつこつと努力を重ね生き延びてきた多くの人がいることも知った。
 コリアタウンにはそのような人達が多くいてインタービューも直接することができた。
 さらに猪飼野にゆかりのある文化人と言われる多くの人達とも今回のことでお会いすることができ、様々な話を聴くことができたことは私にとってこの上ない喜びであった。と同時の在日の人達の努力をみて、韓国人の私は誇らしい気持ちさえ持つことができた。
 こうした在日の人達の歴史はぜひとも、日本人にも韓国人にも学んでもらいたい。そのために今回の論文の中でフィールドワークとしてゆかりの地をめぐるコースを設定してみた。特に大阪に観光にきた本国の韓国の人達に知ってもらいたいと思っている。
 在日韓国人にとって、自分達が日本人から理解されないことは悲しいことである。しかしもっと悲しいことは本国である韓国の人達から理解されないことである。
 在日の人達は一時は祖国から忘れられた存在であった。ソウルオリンピックの頃よりようやく振り返られるようになり今では多くの人がその存在を知るようになった。しかしまだまだ十分に理解されているとは言い難い。こんな話を聞いたことがある。ある在日の人が久しぶりに祖国韓国に里帰りすることとなった。久しぶりに親戚の人達に出会うわけであるから、それ程豊かでない生活の中でも見栄えのよい服を着、たくさんのおみやげを持って行った。そして日本での苦しかった過去は語らずよいことを並べ立てる。そうなると当然韓国の親戚は里帰りした人を日本で金儲けをし、豊かに暮らしているものと錯覚する。そこで物質的、金銭的な要求をする場合がある。しかし実際にはその要求に応えることなどできない。そうなると同胞でありながら情の薄い人間と思いやはり日本に行ってしまった人間はこうなのだと錯覚する。お互いに不幸なことである。
 言葉の問題もそうである。一般に在日の人達の中で韓国語を習得している人は少ない。在日の人達が母国を訪問した際、ショックを受けるのは言葉のことだと聞いたことがある。苦労して憶えた韓国語を使うと韓国人なのにどうしてそんなに下手なのかと言われる。しかしこれは残酷な問いかけである。在日の人達が日本で生活するのに韓国語は必要ではなかった。必要でなかったと言うよりもむしろ有害であった。韓国人であることを隠すことが生きる術であった。だから親も子どもに母国の言葉を教えなかった。このようなことを多くの韓国人は知らない。
 私は論文作成にあたり韓国人にも日本人にも在日の歴史や立場を知ってもらいたいとさらに強く思うようになった。そしてこの猪飼野はまさにその学習の場だと感じた。何と言っても韓国と日本は歴史を共有する国同士であり、切っても切れない間柄である。両国が国際社会の中で協力し合い、友情で結ばれる関係が築けるよう私も可能な限り微力を尽くしたい。

参考文献・引用文献


『ふれあいのまち大阪・在日外国人とともに生きる』大阪市人権  推進協議会発行
『“歴史・人権・共生のまち”東成・生野ウォーク』大阪市職員組合東部支部発行
「古代ロマン『摂津百済郡』探検!」塩川慶子著・御幸通り東商店街振興組合発行・平成14年(二〇〇二)
『大阪鶴橋物語』藤田綾子著・株式会社現代書館発行・平成17年(二〇〇五)
『御幸森天神宮御社殿 国の登録有形文化財指定記念誌』棒祝祭実行委員会発行・平成12年(二〇〇二)
猪飼野郷土誌』猪飼野保存会発行・平成9年(一九九七)
『越境する民 近代大阪の朝鮮人史研究』杉原達著・新幹社・平成十年(一九八五)
『異邦人は君ヶ代丸に乗って』金賛汀著・岩波新書発行(一九八五)
『コリアン世界の旅』野村進著・講談社発行(一九九七)
猪飼野・者智鉉写真集』者智鉉著・新幹社発行(二〇〇三)
松下幸之助起業の地』松下幸之助起業の地顕彰会(二〇〇五)
『在日&在外コリアン』高賛侑著・解放出版社(二〇〇四)
『100人の在日コリアン』良知会編・三五館(一九九七)
済州島』1号耽羅研究会・新幹社(一九八九)

これからの計画


私は大学で様々なことを学ぶことができました。このまま勉強を終えるのは惜しいと思います。引き続き勉強を続けるために研究生として残りたいと思っています。
 研究の大きなテーマは「日韓国際観光交流」です。様々な問題があるにしても日本と韓国は切り離すことのできない隣国同士であり、お互いの観光交流が活発になっていくことは間違いません。
 日本人にはもっと韓国を知ってもらいたいと思うし、韓国人にはもっと日本のことを知ってもらいたいと思います。そのためにはどのような観光の仕方があるのか研究することはとても有益なことだと思います。
 私は「猪飼野とそこに生きる人々」という題目で卒業論文を書き古代において稲作文化、鉄器文化、土木技術などの先進技術がこの地にもたらされ大阪の文化と歴史の土台が作られ、特に百済に関する遺跡が多く残されていることを記しました。
 そのような善隣友好とは別に、近代においては、職を求めて多くの朝鮮人がこの地に渡り筆舌に尽くしがたい苦労を重ねながら生きてきた様子についても記述しました。
 今猪飼野は多くの韓国・朝鮮の人達が日本人と共に生活している場所で、今後の共生社会を考えていく上では非常に参考になる地域ではないかと思います。
 今後も猪飼野についての研究は続けていくつもりです。
 又、善隣友好といえば、江戸時代の朝鮮通信使が思い浮かびます。これは江戸幕府が莫大なお金をかけて行った大イベントでした。朝鮮の文化を吸収しようと多くの」日本人が訪れました。このような素晴らしかった友好関係について再度振り返り、今後のことを考える土台にしたいと思います。