食肉報告@ 世田谷・一龍

世田谷通りを下り、弦巻あたり、神社の向かいにある。
特筆すべきは肉自体の上質さ。珍しい部位をいろいろ食べるとかそういう店ではない。今風の焼肉ではない。


松阪牛を使っているから、ある程度のお値段で、直球で本当に唯々、カルビとロースを食べにいくのが正解。
上ロースのおいしさ、それはある意味高級しゃぶしゃぶを食うのと同じおいしさ。
柔らかい肉。ご飯と一緒に食べる。上質さの追求。


しかし、それなら叙々苑で贅沢するのと同じ土俵だともいえる。
その証左に、シニア層の芸能人のサインがいっぱいあった。冒険ではなく、お食事の店。
心理的には、叙々苑のほうがブランドなので贅沢感はあるかもしれない。


【俺たちのそこでの会話】
・物心付いて、いろいろ学習した分、
損得を覚え、勝てる戦(いくさ)しかしないようになった。
ビッグマウスは影を潜めた。


・女子だって、遠慮がちに顔色を伺う男に、
魅力を感じるのだろうか?
敬語で話されてうれしいだろうか?
むしろ、損得抜きのビッグマウスが男らしいと思う、
と考えるのが普通。


・相手の実績とか、強さを見てから、出方を考える。
相手次第で言うことや態度が変わっている。
そんな損得勘定。
それを良かれとおもってやっているが、
完全に無駄というかマイナスの効果だ。
ダンスをやることで謙虚さを持つようになったが、
ぎゃくにそれが自己嫌悪につながっている。


・そういう戦闘意欲の低いサラリーマン体質を、
否定するものの象徴として『姫と逝くバリ島』がある。
だから、単に姫とバリに行けばいいのではない、
そのために、それにふさわしい人間性
を持たなくてはならない。*1


・よって、損得勘定や、自己嫌悪にしかつながらないような、情報収集や学習からは足を洗うべき。
知らないほうがいいことのほうが多い。知ることで臆病になるだけ。*2


(P)

*1:結局、最終的に志向するものは日々をつつがなくすることや、仕事やモテ、金銭等個別事象において部分的な勝利を挙げること自体ではなく、人間性を変えていくことなのだろう。依存心や不全感の無い精神状態に行くことが目的。また、不全感が無いひとが、金やモテや出世を手にするのであって、その逆ではないはずだ。たまたま金やモテや出世を手に入れても、不全感があったら、それでも自分の足りないものを探し、至らない部分を考えて憂鬱になるのだろう。貧乏人が宝くじをあてても、3年以内に大方破産するという事実を見よ。損得とかは生きる方便。そんなところに糸口は無い。それらは、不毛だと思う、自分が本当にやるべきこととは違うと思う。結局、本当に望ましい状況、それに向かって自分が前進しているのかどうかが唯一の基準となるべきだ。世間で評価されることでも、この基準から見て全く前進になっていないのなら、それはやはりそういうものでしかないのだ。

*2:非難されるのは、情報収集よりも、臆病さ自体であることは明白。戦闘意欲みなぎる精神状態をどのように恒常化していくか、結局これもメンタルの話になる。