うしろに

この半月ほど、意味も無くほぼ毎日走っていた。
トラック一周550メートルの運動場で、約一時間、多いときは14周ぐらい走った。単純計算でも約7キロ。まあ、別に大した距離じゃない。ただの数字だ。

別に大会に出るとか、そういう予定も無いし、誰が褒めてくれるわけでもない。誰も感心してはくれない。


自分でも「最近すごく走るけど何でかな?」思ってしまうが、答えは自分ではなんとなくわかっている。


でも、言葉にすると嘘になってしまう気がするので(だが、それこそ本当のことになるということかもしれない)自分でもそれを言語化しないように気をつけているのだが、油断するとそのスットボケ野郎は僕の背後に立っている。
そしてそいつは火を点けたばかりのマルボロ・ライトを地面に落とし、僕の方を見ずにこう言う。「なるほど、そうやって君は自分に言い聞かせているわけだね。でも考えてみなよ。誰だろうと、走りつづければそりゃぁいつかは足がもつれて、いつかは止まってしまう。でも走ってればまだいいほうだ。走ることもなくもつれちまうやつだっている。でもいいかい?それもこれもすべて君が望んだことなんだよ。」

でも、ほかに何ができたというんだ?

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

いろいろと話題になっていた『ユリイカ』4月号を最近になってやっと読む。
「ブログ作法」と題されたユリイカのブログ特集号。
このはてなダイアリー内でもずいぶんと話題の本のようだが、正直にいって、ぜんぜん何の話なんだか分らなかった。
ミクシィトラックバックSNSクリッピング
自らの不勉強もあるが、まったくわからない。

でも、ただひとつ共感できたのは南陀楼綾繁さんがつぎのように述べているところだ。

ぼくはブログの特性を理解していないし、その機能の数十パーセントしか使いこなしていないのだろう。しかし、そんなコトはどうでもいい、という気がする。
 固有名詞がたっぷりと含まれた日記を、専用データベース付きで更新できる。いまのところそれに最適なツールが、ブログであるコトにすぎない。(『ユリイカ』4月号、p.172-173)


もちろん南陀楼綾繁さんは、そうは言っても僕なんかよりはずっとブログというものを使いこなしているだろうから(僕はその機能のきっと1パーセントも使いこなしていないだろう)、無邪気に「オ、オレも同じ!」とは言えないが、ここの部分を読んでちょっと安心した。

内田樹さんは自らを「史上最弱のブロガー」と呼んでいるが、いやー、そんなこと絶対にないっすよー。

しかし、内田さんが書いていることはブログ作法にとどまらず、いろんな意味で、思い当たるとことがあるというか、自分も古傷を突かれる気がする。

自分に贈られた豊かなコミュニケーション資源に対する感謝をこめて「応答する義務」によって言葉を差し出す人と、キーボードの前にいる自分を「発信する権利」をもったある種の全能者のように思いなして発言する人の間には、深く越え難い亀裂が穿たれる。(『ユリイカ』4月号、p.110)

音楽

先日、中古屋で偶然に発見。今までなぜだか持っていなかった。

 グレン・グールド(ピアノ)
 ジェイミィ・ラレード(ヴァイオリン)
 レナード・ローズ(チェロ)
ちなみに現行盤は

Sonatas for Violin, Viola Da Gamba & Harpsichord

Sonatas for Violin, Viola Da Gamba & Harpsichord

だが、僕が購入したのはグレン・グールド・エディション以前のもののようだ。


グールドの演奏は、ときどきヘンテコ(いい意味で)なものがあるが、今まで聞いてきた中でいちばんヘンテコな感じ。普段、バッハのヴァイオリンソナタシェリングとヴァルヒャのものを愛聴していたので特にそう思ったのかもしれないが。

でも、ゆっくり目のテンポと、グールドのノン・レガードなポツポツ感が際立つ隠れた名盤だ(と思う)。

ヴァイオリン・ソナタ4番はメニューインとの録音も存在する。

Gould Meets Menuhin :Violin Sonatas

Gould Meets Menuhin :Violin Sonatas

こちらのほうは2人のスリリングな対話とライヴ的な勢いを感じる。