行動したのちに神様が分かる

神様よりも良心が優ります。私がすることは、神様よりも良心が先に知るのです。行動したのちに神様が分かるようになっています。なぜでしょうか。私という人間は、神様とは別の人格体です。統一教会の用語で言えば個性真理体です。神様が私と同時に知るとすれば、私は神様の一つの属性になってしまいます。相対概念がなくなってしまうというのです。(文鮮明先生の御言葉 1994年3月16日)

「行動したのちに神様が分かるようになっています」
含蓄のある御言葉です。
原理を知っても、行動しなければ神様が分からないということでしょうか。
間接主管圏と直接主管の原理を思い起こします。
「間接」と「直接」を分けるのが「人間の責任分担」という内容ですが、人間の責任分担とは、原理(神様の御言葉)を実践することだ、原理的に行動することだと悟らされます。
人間は神様の別人格体であり、個性真理体である、という事実!
「神様が私と同時に知るとすれば、私は神様の一つの属性になってしまいます」
この短い御言葉の中にすごい内容が入っています。
良心の働きを意識し、大事にする生活、これこそが真の信仰生活ではないでしょうか。
相対概念、すなわち「他我自覚」とも文鮮明先生が語られるこの概念こそ、神様が分かる第一歩なのですね。
自らの良心を持って原理を実践する生活をしなければならないと思わされます。
原理的行動の延長線上に人間の完成圏があり、直接主管圏、神人愛一体圏への道が開かれるということですね。



真の愛には敵という概念も、怨讐という概念もない
ソ連ゴルバチョフ書記長(当時)と文鮮明先生