メシアは真の父母、祝福家庭は氏族的メシア

我々になぜメシヤが必要か、その目的はどこにあるか。それは救われるのが目的である。救われる根本の基点は何か。神の愛の接触点に再び帰ることである。立ち帰るには、我々自体はどうなっているか。サタンの血統を引きずっている。一から十まで、すべてが神の血統とかかわりのない、そういう実体をもった人間になってしまった。これは神の愛とはまるっきり反対である。それを蕩減させなくてはならない。それを蕩減させるとは、原罪を取り除くことである。原罪を取り除くには、血統的問題のそれが根本的なものとしてある。これをいかに解決するかという問題、これは堕落した人間としては到底できないというんだね。
だからメシヤが必要である。この血統を、我々代々に刻み込まれているこのサタンの血統を清めるのは誰がしなければならないか。それをやるべき者がいれば、それは真の父母である。善なる神の愛と一体となり、善なる相対基準を成して、世界を愛し得る真なる父母が現れてこない以上は、絶対これを清めることはできない。だから愛を中心とする戦闘基準を通過しなければならない。どちらが強いかと比べ合いながら、そしてみんな闘って最後に残るのが、サタンの愛であってはいけない。神の愛が残ったという基準において初めて血統圏が屈服する。(文鮮明先生の御言葉 1970年10月13日 韓国・水沢里)

なぜ、メシアが必要なのでしょうか。
救いとは一体何を指していうのでしょうか。
今日まで、人類歴史の中で、この問題の答えがはっきりしませんでした。
原罪があるから救いが必要である―キリスト教はそのように考えます。
では、原罪とは何でしょうか。
人間始祖アダムとエバが犯した罪とは何なのでしょうか。
文鮮明先生は、これを「血統問題である」と断言します。
「血統問題が根本問題である」と。
神の血統と関わりがなく、サタンの血統を引きずってしまったのが堕落であり、すなわち、堕落人間とはサタンの血統を刻み込まれた者たちであるといいます。
神様の愛と一体となった善なる真の父母が現れない限り、サタンの悪の血統を清めることはできません。

メシアとは「真の父母」であるというのです。
神の愛がサタンの愛に打ち勝った基準を立てなければ、血統は清算されず、血統圏は屈服しないといいます。
真の父母を通して祝福に与って氏族的メシアとなった祝福家庭は、サタンの愛に染まった血統圏を屈服させる戦いの責任を負わなければなりません。
氏族圏を神の愛で愛し、サタンの愛を駆逐するのが氏族的メシアの使命なのです。
私たちは神の愛の勝利者にならなければなりません。



ランプの灯りの下で「原理原本」を執筆される文鮮明先生と鉛筆を削る第一弟子の金元弼先生