我々の目的は天国建設

他人も救わなくてはならない。世界も救わなければいけない。また、神も救わなければならないのが我々である。このような公的な勝利は、暖かい部屋の中では勝ち取ることはできない。喜びの日というのは、今の我々には、よほど縁が遠い。我々は、既成教会と闘ってはならない。我々は彼らが願っている天国を建設してあげるために、全力を傾けなければならない。それは我々の目的が、あくまでも天国を建設するところにあるからである。(文鮮明先生の御言葉 1971年12月5日 韓国・ソウル本部教会)

何のための御旨の道でしょうか。
何のための苦労の道でしょうか。
天国を建設するために行く道であるということです。
決して「既成教会と闘うこと」が目的ではないのです。
むしろ、キリスト教徒が、宗教者や世界の平和を愛する人々が願ってきた理想世界、天国をこの地上に建設することが我々の目的であり、それが普遍的な人類共通の願い、夢であることを理解すべきなのです。
そのために我々は苦労しているのですし、犠牲の道も喜んで行こうというわけです。
目的があるから、です。
無意味な苦労をしているのではなく、意味ある、意義あることのために血と汗と涙を流そうというのです。
その意義あることとは、他者を救うことであり、世界を救うことです。
他者のために生きる苦労、世界のために生きる苦労、神様のために生きる苦労、これが文鮮明先生が教えてくださった苦労の哲学なのです。



苦労の哲学を身をもって示され続けた文鮮明先生