ボランティア活動に行ってきました。(その3)

到着2日目の午後の出来事です。

午前中のPTSDのトレーニングが終わった後、参加者のお一人の案内で名取へ連れて行ってもらいました。

電車で仙台駅から名取へ着くと、震災があったとは思えませんでしたが、車のある場所まで20分ほど歩く道すがら、ガラスが割れていたり、ボランティアセンター、避難所の場所を通り過ぎると、徐々に震災があったことを感じるようになりました。

車で名取の津波の被害にあった地域に近づくと、屋根瓦が崩れ、ブルーシートが張られている住宅を多くみるようになりました。

そして、道路の脇にいろいろなものが乱雑に積み重なっている姿が見えはじめ、津波の跡の風景が広がる場所へ出ました。

車を止められるスペースがあった場所で、車から降りました。


見えたものは、テレビで映し出される津波の跡の映像そのものでした。
車や船が転がっていたり、残っている家に突き刺さっていました。
また残っている家も柱だけが残っていたりという現場でした。

とにかく凄い状態になっている名取の海岸沿いの広さに驚きました。
そして、東北の太平洋の海岸沿いに、同じような光景が広がっているのかと思うと、悲しい気持ちを通り越して、言葉にならない、涙もでない状況でした。


空気とその場の臭い、妙な静けさがある現場は、人生で体験したことがない場所でした。


妙な静けさは、津波が人の叫びまで飲み込み、全てをさらったあとの静けさなのだと気づいたとき、全身にショックのような、なんともいえない、感覚が走りました。


悲嘆を超えた悲嘆。


それが名取の津波の跡でした。


写真は小学校の遊具の上に津波で流された船がのってしまったものです。



仙台空港の側も通りました。



名取の避難所やボランティアセンターの中まで入ることはなかったのですが、東京に住んでいる私には、避難所での生活は想像できません。
寒い中、ライフラインも復旧せず、余震がある毎日の生活は、人の気持ちを萎えさせてしまうだろうと思わずにいられませんでした。

被災の現地に必要なもの。
物質的援助とともに精神的サポートも同時に受け取る必要があると切実に思いました。

後回しにしてはいけない、物質的なものと同時に受け取らないと、心にどんどん積み重なるものがあると思います。


また、この津波跡の現場で作業をしている救援、復興に関わっている人々にも精神的サポートが必要だと思いました。
流されたものを片付ける。
その作業での体験も、避難所の生活と同じで、想像を超えた体験があったはずです。


名取に行くまで、精神的サポートは、優しい感覚にフォーカスしていました。
しかし、本当は、この状況から、一歩踏み出すための、生きる気力がなによりも必要なことです。

このことに気づいたとき、自分の認識の甘さを感じ、それと同時に、私にできることをやろうという気持ちにもなりました。


心のケアという言葉が、震災後、メディアで流れています。
心のケアというより、心が立ち上がるケアなんだろうと、この現場を見て思いました。


Davidが行っているPTSDのケアのトレーニングは、心が立ち上がるケアと言い換えることができます。
特別な人ではなく、震災に関わった人、全てに受け取って欲しいトレーニングだと思う体験でもありました。

その4へ続く。