Media Pointと連続性・同一性:同一性構造について

Media Pointと連続性・同一性:同一性構造について


テーマ:メディア・ポイントMedia Point


輪廻転生問題がうまく解明できない。問題点は、連続性・同一性の形成の意味にある。言い換えると、構造の問題である。Media Point(差異)から、連続化して同一性が発生するが、それ以前に、同一性構造が発生すると考えられる。問題は、同一性構造がどこに存するのか、である。
 不連続的差異論から考えると、メディア界と現象界の境界に同一性構造が属するのである。これから類推すると、同一性構造は、Media Pointと連続的同一性の境界に存することになる。
 Media Pointと連続的同一性の境界とは何だろうか。それは、実軸のゼロではないだろうか。乃至は、±0ではないだろうか。
 とりあえず、そう仮定した上で、実軸の0とは、何を意味するのだろうか。当然、実軸0とは同一性構造である。通俗的イデアである。あるいは、形相である。
 問題は、この同一性構造とMedia Pointの関係であろう。Media Pointは、連続化するとき、同一性構造を形成し、そこから、同一性を発現させると考えられる。しかし、先に述べたように、差異からの変換として同一性が発生するが、この同一性は差異を否定するという点があることを考えないといけない。だから、同一性構造とこの同一性の否定作用はどう関係するのかということが問題である。
 簡単に思いつくのは、同一性構造と同一性の否定作用が一つではないかということである。同一性のもつ否定作用が同一性構造を形成しているのではないだろうか。言い換えると、連続化の否定作用が同一性構造を形成しているのではないのか、ということである。差異(Media Point)が自己否定して、連続化=同一性化する。
 問題は、この連続化=同一性化は構造なのか、それとも、同一性(現象、物質)なのかである。これは、後者ではないだろうか。すると、構造とは、差異の自己否定作用にあると言えるのではないだろうか。
 そうすると、

1.Media Point・差異⇒2.実軸の0(ゼロ)・同一性構造⇒3.同一性(±1)

となる。ここまでは、明快、明晰であるが、問題は、差異と同一性との関係である。私は、差異と同一性とが連関していると言った。つまり、差異が深層構造・基盤・土台・「無意識」ないしは本体であり、同一性が表層構造・顕現面・現出面・「意識」ないしは現象である。
 つまり、同一性構造を介して、差異と同一性とは、矛盾・相反的に連絡しているのである。これで、一応、本件の問題は説明がついた。

 ここでさらに輪廻転生問題に関係させよう。同一性=物質は、当然、生成消滅するものであり、同一性個体は死滅する。つまり、差異自体は永遠であるが、同一性発現には、有限のエネルギーが使用されて、それが、滅するということになる。連続化エネルギーが使用され、それが消滅するということである。しかしながら、同一性構造があるから、同一性個体は、なんらかの時間、保持される。生存である。
 それでは、同一性個体の死とは何だろうか。それは、同一性構造の消滅も意味するのか、それとも、端的に、それ自体だけなのか。ここが、実に核心的論点である。
 見方を変えよう。生存している際、同一性個体=自我は、差異・他者への否定によって、自己の差異・Media Pointに対して、損傷を加える。(問題は複雑である。同一性形成における差異否定と、同一性自我における他者としての差異の否定について区別する必要がある。これは置いておく。)差異・Media Pointへの否定的刻印があると考えられる。言い換えると、差異・Media Pointの記録・記憶がある。これを確認しておこう。
 そこで、同一性構造の保持か消滅かの問題に返ると、同一性構造は、連続化の過程において形成されるのであり、死滅の場合は、やはり、消滅されると考えられる。
 そうすると、これまで、輪廻転生仮説で考えた、同一性構造の保持は否定されなくてはならない。ここでの考察からは、差異・Media Point自体が記録を保存すると考えられるのである。言わば、Media Point Record、ないしは、Media Point Memoryである。
 そして、これが、魂ということになるだろう。これは、不死であり、不滅であろう。そう、Media Point Memoryは、特異性、特異点であり、イデア界・超越界の叡知の超光(善のイデア)を浴びることになるのだろう。これが、死後の裁判・審判なのだろう。(キリスト教最後の審判は、これが、直線的時間の下に置かれたものであろう。)
 以上の仮説に従えば、霊界とは、どうなのだろうか。Media Point Memoryが魂であるが、それが存する場とはどこになるのだろうか。イデア界・超越界なのか、それとも、Media Point Fieldというものを考えるべきなのか。これまた、難問である。
 Media Point Memoryは、確かに、イデア界・超越界・霊界に存するだろう。しかし、Media Point Fieldというような領域は考えられないだろうか。物理学で言えば、量子領域であろう。そうならば、考えられるだろう。Media Point FieldにおけるMedia Point Memory=Soulということになる。そして、Media Point Fieldは、イデア界・超越界・霊界の特異な領域ということになる。結局、霊界という言葉は、イデア界・超越界には使用しない方が適切である。霊界は Media Point Fieldに当てはまるだろう。だから、

1.イデア界・超越界⇒2.Media Point Field・霊界⇒3.現象界・物質界

となるだろう。つまり、魂は霊界に存するということである。天国は、イデア界・超越界のことであり、神とはイデア界・超越界の存しているということになるだろう。しかしながら、エネルゲイアは、霊界にあるのであり、創造神はここに存するということをどう考えるのかということになる。しかしながら、やはり、創造神はイデア界・超越界に存すると見るべきだろう。その神の創造エネルギーがMedia Point Field・霊界にあるということではないだろうか。
 今はここで留めておく。