また32℃かよ…。とっとと実家帰ろうかな。

友達にメッセで「題名は皮肉?」と聞かれて初めてそういう見方をされかねない題名だなと思った。何度も言っていることですが、僕のはてダにおける題名は本当に何となくでしかつけていなくて、他人に向けたメッセージ性は皆無だと思ってください。まあ、強いて言えば今日のはむしろ僕向けです。

それとは別に「決勝で日本が大差で勝っちゃったらアンチジーコはどうするの? もちろんお前含めて」と言われたんですけど、その結果がありえるかどうかは別として実際何も変わらないと思う。

中国戦大入り、大量偽造チケットか サッカー・アジア杯

もういい加減、こういう中国のネガティブなニュースばっか取り上げて自分ウザいと思うんですが、心底「北京オリンピック返上きぼんぬ」と思ってしまっているので取り上げますよこんぬつわ。こんなこととかしてしまう国にスポーツの祭典の運営を任せられるはずがない。ああ今わざとスポーツの祭典って表現を使いましたけど、そんなん奇麗事で裏は金だよとか言う人はいい加減自分サムいことに気付いた方がいいと思うな。

スコールズがイングランド代表から引退

あわわわわ。

まあ、代表のスコールズはクラブのそれに比べるとパフォーマンスを発揮できていたとは言えないとは思うんですけど、まだ29歳だよ? シアラーのときもそうだしローレン(アーセナル)の25歳の代表引退にもびっくりしたけど、やっぱり欧州トップリーグに所属するクラブの選手の日程的な余裕のなさが原因なのかなあ。ネドベドも引退してしまったんだけど言ってることはそういうことだよな。フィジカル的限界にきた選手が代表かクラブかを選ばなければならないのならば、そりゃ生活しなきゃなんないし名誉でメシを食えるわけじゃないからクラブを選ぶよな。代表とクラブを比べたときにその選手にとって忠誠心からどっちが上だ、とかいう話は基本的に的を外れてると思う。まあ中には選手によってあるんだろうけどね、そういうのも。少なくとも恒常的な話じゃない。

さて。

わかっているのは、この帰属意識とたえまない気づかいがあってのプロ・スポーツだということである。これがあるからみんなやってくるのだ。うわべだけ見れば、プロ・スポーツ・チームのようなたわいもない、こしらえものの、商魂たくましいしろものにうつつを抜かすのは、たしかにばかげた、子どもじみたことだし、非ファンがファンに向ける優越感まじりの面白がりと、ひややかな軽蔑(あの表情をわたしは知っている―見なくてもわかる)は、理解できるし、釈明の余地もほとんどない。ほとんどである。ここで計算洩れになっているのが、心にかけるということではないかと思う。深く、切に心にかける、ひたむきに心にかける―これは現代人の日常からほとんど消え去った能力であり感情である。もうわれわれは、この感情そのものさえ救えるなら、心にかける対象がなんであろうと、それがどんなにはかないもの、ばかげだものであろうとかまわないというところまできているのかもしれない。無邪気―夜の夜中にいいとしをした男女を、遠くのボール一個の気まぐれな飛行におどりあがらせ、歓声をあげさせる、幼稚で低級なよろこび―は、それほどのたのしみに払うには安い代価ではないか。

「憧れの大リーガーたち」ロジャー・エンジェル

ラテラル:「イヌミミその140。」より

(これはむしろ選手や主催者といった「プロ・スポーツ・チーム」のあり方についての文章ですが)ロジャー・エンジェルが言うように、昨日の試合を観戦して感動する人間は釈明する余地がありません。だって感動してしまったんだもの。その事実は変えようがない。ところが同様に、ある人が現日本代表に感じている怒りや悔しさや諦めといった感情も出所は一緒なわけで、そこにどういった価値の違いもない。ジーコがいるから? 川淵の狙い通りだから? 商魂たくましいものに踊らされているから? しかし仮に日本代表がね、ロジャー・エンジェルの言うところと逆に「どんなにはかないもの、ばかげだものであろうと」、無作為に感動したり怒ったりすることについて、何をかまう必要があるのかと。ジーコとか川淵とかをいうのを二の次にしてでも、感情の何がしかを表現することはプロ・スポーツの観戦者にあって当然のものだと信じます。だから僕は、昨日の試合を観て選手の姿に感動を覚えた人間ではあるものの「感動しなければおかしい」なんて言うつもりはありませんし、同時に試合を観て生まれた感情的な何かについて「こうあるべきだ」とか「〜するのはおかしい」なんて言えません。サッカーファンたるべきもの〜〜あれなんて確固としたスタンスは存在しないものであると確信しています。*1

別にいいじゃないですか、感動しようが怒ろうが。その上でジーコを批判しようが何をしようが。そこにはルールなんて存在しないでしょ。サッカーファンはプロの物書きじゃないんだから。

*1:逆に言えばね、例えばギャルサポを嫌うのも自由なわけで、そこには「サッカーファンはこうあるべき」みたいなのが少なからずあると思うんだけど、そういうのも含めてその人の応援スタンスであって、ギャルサポに強要できるものじゃない…というか見向きもされないものなんだよね。極論すればお前ら好き勝手言おうぜ、みたいな話ではある。そう思ってないから僕はこんな文章を書き連ねてるんだと思うんだけど、まあ別に僕は仙人じゃないし、いいか!