岩槻市大字木曽良


発見日:‎2018年5月4日
発見場所:さいたま市岩槻区府内二丁目付近

府内一〜四丁目は、岩槻城大構の内部を府内と呼んだことから名づけられている。しかし、府内一〜四丁目の全区域が府内にあったかというと微妙である。

上のリンク先の地図を見ると、府内一丁目があるあたりで大構が途切れている。その先は沼地なので土塁で侵入を防ぐ必要がなかったのだろう。そして府内一〜三丁目は大構の内側の町人地だけでなく、沼地だったエリアとその外側も含んでいる。府内四丁目に至っては区域のすべてが沼地の外側で、完全に府外である。地名と実態を必ずしも合わせなければならないという訳ではないが、本丸といい府内といい、歴史をねつ造しているようで感心しない。

住居表示が実施されるまでは、町人地と沼地のエリアは大字岩槻、沼地の外側は大字村国、木曽良、飯塚となっていた。そのうちの大字木曽良(きぞら)を今回発見した。大字木曽良は住居表示実施により全域が府内二丁目の一部となり、消滅した。

府内二丁目の区域の大半は沼地を埋め立てた住宅地で、そこでは大字岩槻の表札を多く目にする。大字木曽良を見つけたのはその低地に向かって下る坂の途中である。一方、坂を上った先では大字村国を見つけており、大字木曽良だった区域はかなり狭かったようだ。