名花


ピアニストの中村紘子さんが、今秋デビュー50周年を迎える。
「凄い!」としか言いようがない。
国内の玄人筋から厳しい見方をされた時期もあったようだが(嫉妬か?)、一方で、海外の各地で成功をおさめ続けたことは紛れもない事実で、昭和30年代の半ばから現在に至るまでの半世紀の間、彼女が日本のピアニストの第一人者であり続けたことは、衆目の一致するところであろう。
女性の年齢を書くのは失礼だが、中村紘子さんは今年65才。50年前といえば、まだ子供である。1960年には、N響初の海外公演にソリストとして同行して各地で好評を博したし、10代にしてわが国では空前絶後ヴィルトゥオーゾであったことが窺える。
最近の音楽の友誌で、柴田龍一氏が「脂が乗り切った」と中村さんを評していたが、60代半ば、普通のピアニストなら衰えも見られる時期に「バリバリ現役」でいるパワーにも圧倒される。彼女自身、「ピアニストは万年受験生」と冗談めかして語っているが、おそらく血がにじむ努力の日々を今も送っておられるのだろう。
しかも、中村さんはピアノ演奏だけに生きている人ではない。
世界中のコンクールの審査員、後進の指導、ベストセラーになるほどの執筆活動、さらにはなんと、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演したこともある!そんな中で、いつ、いかにして自分磨きをしているのか、凡人では計り知れないものがある。
いつも思っていたのだが、何かをなす人というのは、短期間ですごい量の作業をこなすことができるのである。読書量ひとつとっても半端ではない。
中村紘子さんも、幼少の頃から本が大好きだと聞いたことがあるが、結婚後もご主人から「もっと本を読みなさい」と口を酸っぱくして言われるそうである(中村さんのご主人は、芥川賞作家の庄司薫氏)。
私は、中村さんのアルバムをほとんど持っている。長年聴いてきた率直な感想だが、若い頃は、胸を“想い”でいっぱいに膨らませて、曲に体当たりしていくような風情があった。
ここ数年は、曲を掌中で愛撫していとおしむような優しさが感じられる。
一貫しているのは、この人が持つ、先天的な「うたごころ」である。
不世出の名花、中村紘子。名ピアニストの円熟期は、「枯淡の境地」などと評される人が多いが、中村さんには、決して色褪せることなく、身上である「華麗なるピアニズム」をいつまでも瑞々しく保ってほしいと願っている。