乙女のワルツ


先日の「NHK歌謡コンサート」で、伊藤咲子さんの「ひまわり娘」を聴いて以来、“咲子狂い”になってしまった。
もう少し私が早く生まれるか、咲子さんの人気がもう少し長く続いていたなら、私にとっていちばん大切な歌手は、中森明菜さんではなく、伊藤咲子さんだったかもしれない。
私の世代では、音楽の嗜好の方向は、中学生のときに決まるのが普通だったように思う。大きく分けて3つあった。
1.ユーミンオフコース等、シンガーソングライターやグループへ向かう。
2.洋楽へ向かう。
3.アイドル歌手へ向かう。
私は、明らかに3だった(クラシックも好きだが)。
小学生の頃、山口百恵さんと伊藤咲子さんがなんとなく好きだった。
しかし、私が中学に入る頃、咲子さんの人気はすでに下火になっており、百恵さんは絶頂期だった。
その頃、ザ・ベストテンが始まったこともあり、私は咲子さんのことを忘れて、ベストテン常連の百恵さんへと向かった。
もちろんその後、咲子さんのことを懐メロ番組等で拝見したことはあるが、今回の「歌謡コンサート」で私が受けた感動というか衝撃はただ事ではなく、まさに約30年ぶりの咲子さんとの邂逅といってよかった。
なにがそんなにすばらしかったのか?言葉ですべてを表現するのは、まず不可能だ。ひとつ言えるとしたら、「すごく伝わってきた」のである。陳腐な言葉で言えば、咲子さんの深みが増したといえようか。う〜ん、駄目だ。なぜなら、誤解を恐れずに言えば、私は、咲子さんの「目尻のシワ」でさえ、すばらしいと思ったのだから。「存在自体が音楽」と言ったらいいだろうか・・・。
クラシックの演奏家もそうなのだが、音楽表現者の年の重ね方には二通りある。
ひとつは、年齢や練習不足による技術や声の衰えに比例して、表現力も落ちるタイプ。日本の芸能界には、このタイプのベテラン歌手が結構おられる。
もうひとつは、じっくり熟成させたワインのように、深い味わいが出てくるタイプ。クラシックピアニストでいうと、指は若い頃のように回らなくなっても、年を重ねるごとに、人の心の奥底に語りかけて感動を呼び起こしてくれる人は数多くいる。
日本の流行歌手でそういう人(声に多少の衰えが見られても、表現が深まるタイプ)はなかなかいない。余談だが、改めて美空ひばりさんの早世が惜しまれる。
伊藤咲子さんは、数少ないワイン熟成型である。彼女は、声量があるとか、音程がしっかりしてるとか、リズム感があるとかいった、一次的な音楽的愉悦のレベルを、この30年間で見事に突破したようだ。いまの咲子さんの歌は、魂が強く揺さぶられる。宇宙的といってもいいようなスケールの大きい感動がある。しかも、声量等のレベルにおいても、若い頃と遜色がない。
歌謡コンサート以来、私は、YouTubeで咲子さんばかり見ているのだが、とくにすばらしいのは「乙女のワルツ」だ。
この曲、作詞の阿久悠さん、作曲の三木たかしさん、それぞれの最高傑作ではないだろうか?
奇を衒ったところが全くなく実に自然で、それでいてインパクトに欠けることもなく、詩情豊かである。あの頃の創作者の心って、本当に豊かだったんだなぁとしみじみ思う。
さて、咲子さんの歌唱。
1番は、全体にファルセット気味に抑えて歌っているが、曲のもつ詩情の表現が見事。
2番に入ってから、徐々にギアを上げていき、サビの部分からは朗々たる歌唱となる。2番の最後の「それで愛が悲しく消えてしまった」という箇所は、この曲の最大の聴きどころであろう。ここで咲子さんは、実にすばらしいロングトーンを聴かせてくれる。はじめはマイクを離してノンビブラートで。これでかなり長く伸ばし、それからマイクを近づけてビブラートをかけ、サッとマイクを離す。この一連の流れが、決して効果を狙ったようなわざとらしいものではなく、音楽としっかり結びついていて、誠に素敵なのである。
そして、繰り返しでキーを上げて壮大なフィナーレへと向かっていくあたりも、文句のつけようがない。
ひとりのけなげな乙女の初恋という、一見小さく見える出来事が、実は、宇宙大の広がりをもっていること、人の心というのはかくも大きいのだということ、若さや恋への讃歌・・・。仮に、咲子さんの持ち歌がこの曲だけだったとしても、十二分に歌手としての存在価値を持ち得ている。本当にすばらしい。
ウダウダと書いたが、こんな理屈は全く不要であろう。咲子さんの歌だけが、真のすばらしさ、すごさを伝えてくれるのだから。
http://www.youtube.com/watch?v=d29WbqYb3oI

歌手活動を本格再開されているようでもある。いまの咲子さんを聴ける幸運に感謝したい。