異なる入力を一つの記憶内容として出力すること

 朝。今日僕は何をしようか。
「こんにちわ」
 こんにちわ。
「久しぶりですね」
 あなたから現れましたが。
「何か、本を読みたいのでしょう。ほら、手元に一冊、『小説、世界を奏でる音楽』、これを読みたいのですね」
 何を読もうかと、本の山から取り出した一冊です。一度、全てではないですが、箇所によっては何度も読んだ本です。ぱらぱらめくってみたらp27の10行目にこう書いてありました。

そもそも科学的にみれば、同一性(異なる入力を一つの記憶内容として出力すること)とは、並列分散的な神経網の産物ゆえに、原理的には確率的ー熱力学的にしか作動せず、局所的な作動域では、常にソジー錯覚的な擬似記憶(同じ入力に異なる諸出力が応じ、逆に異質な諸入力に単一出力が応じること)が生じるはずである。

 次の箇所には線が引いてあります。

程度の差こそあれ、太陽がいつもと違って異様に見え、ときには複数個に増殖し、あるいは逆に、死んだはずの男が道の通行人として現れるような、シュレーバーの体験は、ローカルな記憶回路ではおそらく常に生じており、

 そして残りの2行。

それを補正ー圧縮するのは、より広域的なアルゴリズムで、それは世界への創造的な信頼ー幻想、他者への依存的な対象関係に帰属する(ないしそれと同値である)と思われる。

 この箇所は、おそらく何度も読んでいるはずなのに、今初めて読んだかのような驚きがあります。本を読む気がしなくなったら、この本に立ち返るといいのかもしれません。