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LoS (Locus of Scent)

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sunasand

人生を少し豊かにするための実験室。

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2017-03-08

その時、夜

| 08:03


陰口、とは、本人がいないところでその人のことを悪くいうこと。
本人がいるところでその人のことを悪くいうことは。
悪くいうこと。非難すること。恥をかかせること。
みんながいないところで。

てっ、てっ、てっ、纒々脳、

シングル・ループ問題、ダブル・ループ問題。
トリプル・ループ問題?

なにかが、カラになる。なに、かが、底をつく。
あるいは、気力。あるいは、時間。あるいは、お金。
それぞれを、交換しながら、くるくると、交換しながら、
パラメータは増えたり、減ったり、増えたり減ったり挙動する。
積み重なってき、擦り減ってく。
少しずつ、とりかわってく。

浮浪浮遊

しっかりした、言葉を、言葉に、囲まれていると、
それがすべてのような、気がするが、
もちろん、そんなことはなく、言葉ははるかにじゆうで、
言葉の外も、もっともっとはるかに、じゆうで、
好きに使えばいいのだと、それを口にしてもいいのだと、
書いてもいいのだと、人にさらしてもいいのだと、

いつの間にかできているルールに、従うことの甘さ、きゅうくつさ、
その同居、あいまって、ゆっくりと、締め付ける、肉にくい込む、糸、

ぱちん

と、

暗黙知、を暗黙にとどめる力動がどうやら、ある。
やらなきゃいけない宿題ほかって大掃除を始めてしまうほど、
その力動はありふれている。
その力動を、ないことにすることはできない。
ないことにしようとするほど、むしろ、それは力を強める。
そんなパラドクスがある。
その力動は、見えないが、ある。
その暗黙を開いていくことには、痛みが生じる。
痛みを避けていては、新しいことを知ることはできない。
世界が変わることはできない。

意地悪な、笑みを。

にたり。

それは、非常な縦スクロールで転がっていって、
縦スクロール、横スクロール、斜めスクロール。
転がっていって、ぴたっと止まる。

そこに書かれている文字を見る。

そこに刻まれたメッセージを、心に刻む。
ああ、あああ。

眠けに駆られて、頭のふたがパカッと開いて、
中身がじゃぶじゃぶ漏れ出して、もこもこ中身が漏れ出して、いく。

それは、それはとても甘美な時間、
とり返しのつかない時間

2017-02-19

スズキとヨシダのトリセツ

| 23:29

あんまり面識はないけど気になっている人の主催するイベントに参加した。

スズキとヨシダのおいしい話。#1 「トリセツ」

ぼくのニセモノをつくるには」という絵本の、自分についていろいろな側面から掘り下げていくストーリーにインスピレーションを受けて、参加者が自分のことをワークシートに書き込んでいき、自分の「トリセツ」を作るというワークショップ。
自分を知る切り口は、好き嫌い、できるできないといった表面に表れていることから、感覚過敏やその逆、視覚優位・聴覚優位、継時処理・同時処理、注意など、療育の分野で使いそうな概念を、かみ砕いて説明していた。
内容はかなり盛り沢山だったので、個人的に十分に煮詰められない部分もあったけど、コンセプトも明確で、雰囲気もよく、あと会場やケータリングがおしゃれで、よいイベントだったと思う。

それと、直接関係あるわけではないのだけど、考えたこと。

○インターフェイス
コンテンツがいかに素晴らしく、自分にとって有益であっても、それの入手に大きなコストがかかったり、インターフェイスがとっつきづらいと、享受しにくいし、その前に諦めてしまうことも起きやすい。
ユニバーサルデザインのように、誰にとってもとっつきやすいものを目指すことも可能ではあろうが、誰かにとってとっつきやすいものが、別の誰かにとってとっつきにくいことや、どれだけ資源を投入できるかという制約もある、だから、ターゲットの射程と優先度を意識しておき、どういうデザインにすると、その人たちに上手く刺さるかを考えることが大事なんじゃないかと思う。

2017-02-14

Feel Like Zombie

| 07:17

ゾンビ状態というものが、最近気になっている。
それは、極度に疲労していて、頭が回っていない状態を指していて、私が勝手にそう呼んでいる。

どうなったら、ゾンビ状態になるのか。
ゾンビ状態になると、なにができなくなるのか。逆に何はできるのか。
ゾンビ状態を脱するにはどうするのが効果的か。
ゾンビ状態になるのを回避するには、何に気をつけて、何をするといいか。

人というものは、生きているシステムなので、状態を一定に保とうという、仕組みが動いている。
環境の変化は、私たちの状態を変える方向に働くことが多々あるけれど、それを感知して、それに逆らって、それを取り戻す方向に調整する仕組みが動いている。
外が暑ければ汗を掻いて体温を下げ、血が出たら止める成分が出てくる。
それでも私たちは、くるくると変わりゆく状態の中を生きている。
我が家には現在、生後もうすぐ500日くらいの生き物がいるのだが、それはもう鮮やかに、秒単位で全く違う感情の色を爆発させる。
すやすやと眠っていた次の瞬間にけたたましく泣き叫び、お気に入りのおもちゃを見つけるや否や一心不乱に手中に収めようとする。そして満面の笑みを浮かべる。
大人はそんなにわかりやすくないことが多いけれど、それでも刻一刻と移ろっていく状態の中を生きている。
状態を制御しようと試みたり、状態に振り回されたりしながら、生きている。
そんな無数の状態のうちの、ある一群のことを私はゾンビ状態、と呼んでいる。

私はこのゾンビ状態と、ゾンビな私とうまく付き合っていきたいと思っている。

2017-02-04

組織学習あたり

| 23:42


仕事の疲れでへろへろな身で、組織学習関係の会合に参加させてもらった。財布を忘れたことに駅で気づいたり、2駅乗り過ごしたりと、ポンコツになっているのを感じながら、時間をかけて取り戻していくプロセスがそれ自体治療的に思える。仕事のときは、アウトプットをどう挽回するかに注力するあまり、自分の状態に意識を向けることがなかなか疎かになりがち。
先週に引き続き、見聞きしたこととそこから考えたことをごちゃ混ぜにすることを気にせずに書く。

○今のわたしはグローバルに関心がない
トランプ政権の話が、たとえそれが日本社会や教育問題まで引きつけられたとしても、まだ自分としてはピンと来ないことを再確認した。システム思考ができるようになると、一見遠いところにあるものを、自分の大切なものとつなげて捉えることができるのだろうが、今のわたしにはそれができない。なりたいと思っているかも正直微妙だが、そういうことができるようになることに関心を持っているとくらいは言っていいだろう。

○なんとなく困っているということ自体がフラグ
システム思考というのは、さまざまな要因が複雑に絡み合って、時には時間をかけながら、ある状態や問題を引き起こしている、維持していると想定する考え方だ。世の中には単純な因果関係で説明できるものももちろんあるだろうが、原因がよくわからない問題や、原因と思われるものに対処してもなぜか解消しない問題は、システムが働いていることを疑ってみてもいいのかもしれない。

○目的と手段
なにかの活動は、大体の場合においてなにかの目的であり、なにかの手段なのではないか。だから、目的であると同時に手段でもあるので、手段と目的を取り違えるという言葉も本当は少し修正すべきなのでは。目的性を否定する必要はなくて、ただ手段であることを忘れてしまったことに気づけばいいのでは。ある取り組みを否定するのも、手段として捉えるならば、状況や目的との兼ね合いで評価すべきで、ある人にとって表層的で役に立たない方法でも、別のある人にとっては関心を持つきっかけになる有用な方法かもしれない。問題をツールの改善で対応しようとする人がいるが、マインドセットや、ベースとなる組織のあり方がボトルネックになっていると意味がない。大事なのは、わたしたちがそれぞれどんな目的というフィルターを通してそれを見ているかという、構造構成主義的な視点なのだ。本に書いてあるのは抽象化されたモデルであり、それを仕事や個人の活動に生かしてはじめて役に立つという話。道具を集めたいという目的のこと。

2017-01-28

慶應義塾大学SFC井庭研最終発表会の感想とか

| 21:31

今年最初の記事になる。前回からは3か月も感覚が開いてしまった。
仕事が忙しくなって余裕がなくなってきたのをきっかけに、考えを整理する時間が取れなくなって、まとまらないまま書かないようになってしまった。

それはわたしはあまり良い状態だと思っていない。自分の考えを振り返ったり、整理したりする時間を日常の中に細かく織り込んでいくことは、自分が望む生き方を実現するために欠かせないことだと思うが、今の状態はそこからだいぶ遠ざかってしまっている。

やりたいけどできないことがあるときは、ハードルを下げたり、タスクを細かく切り分けてみると、乗り越えられることがある。だから私も、自分の考えについて振り返ったり、整理して、言葉にする(ついでにブログの形で公開する)ために、ハードルを下げてみる。どう下げるかというと、なにか整理したことを書こうとするのではなくて、なにかについて考えたことを、まとめようともせず、断片なら断片でもよく、問いまでなら問いまででもよく、一定程度考えたところまでで書いて公開する。時間制限を設けないとキリがないので、仮に30分くらいとしてみる。

なにについて書くかというと、標題のとおり、本日午前中だけ参加した、井庭研最終発表会についてとしよう。

井庭崇のConcept Walk|2017年1月28日(土)に井庭研 最終発表会を開催します!プログラム公開!

このイベントは、慶應義塾大学SFCの准教授で、創造に関することやパターン・ランゲージをテーマに活動する井庭崇さんという研究者の研究室が企画し、主に研究室のメンバー(学生)が、自身が携わったプロジェクトについて報告を行うもの。
午後から予定があり、午前中しか参加できなかったのだけど、井庭先生が今面白いと思っていることについての基調講演や、気になっているオープン・ダイアローグのパターン・ランゲージについての発表など、片道1000円&2時間かけても惜しくないことを聞けた。
本当は、内容と対応している方が感想文としては上等なのだろうけど、いかんせん頭の中がぐっちゃぐちゃにこんがらがっているので、思いつきのきっかけにはなっていはすれど、直接的にはあまり関係のない内容だったりもするが、今回はそれでよしとしよう。

○自分の関心に敏感になりたい
 大なり小なり誰でもそうなのだろうが、わたしにとっては興味が持てるかどうかということは、すごく重要なことのようなので、扱われていることの内容に自分が興味を持っているか、いるとしたらどこになのか、持っていないのか、に敏感になった方がいい気がする。そしてそれを鍛えるには、意識して口にして確かめる、フォーカシングみたいなやり方がいいんじゃないかと思っている。
 特に、同一の対象に対して興味を持っている部分と興味を持てない部分があり、それらが混然一体としているときに、より分けていく作業が大事だと思っている。わたしはオープン・ダイアローグ・パターンやその作成プロジェクトには興味を持っているが、おそらくどうやらオープン・ダイアローグ自体にはまだ興味を持てていない。となると、興味を持てていないものに関するパターン・ランゲージになぜ興味を持っているのか?ということが次のポイントになってくる。
 わたしは他人の望むことを正確に理解して、それを提供したりそれを実現する手伝いをすることに関心があるので、この意味でわたしは仕事にけっこうな割合で興味を持つことができるのだが、意図がわからなかったり、不条理丸出しだったりすると、興味が持てなくてストレスが急上昇する。逆フロー状態だ。

○わからないことを地にするか、図にするか
 ある話を聞いたり、ある本を読んだりしているときに、どこまでは自分が理解できているのか、どこは怪しくて、どこはちんぷんかんぷんなのかを、その理由も含めてわかっておくことが大事。ただ、わかっていないというものについての捉え方も乱暴に言うと2つあって、「わかっていること+ではない」という、否定形としてわからなさを取り扱う姿勢と、そのわからなさについて積極的探求していく、探求対象としてわからなさを取り扱うという姿勢があるような気がする。

○楽しみとモチベーション
 基調講演の中で、先日ブログに載ってたシラバスにも書いてあった「ファン・ランゲージ」という、楽しみ方を言語化する方法論の話があって、もっと中身を聞きたいと思ったのだが、わたしは楽しいかどうかというより、単発にしろ継続的にしろ行動を動機づけるモチベーションを生じさせ、あるいは途切れさせるものについての方が興味があって、自分の場合は「楽しむ」というのはその一要素として位置づけると整理できる。心理学で行動変容に関するトランスセオレティカル・モデルを学んだときや、今まさに「Fearless Change」を読んで組織や人を動かすことを学んでいること、動機づけに裏打ちされた行動が生み出す成果について、見通しが持てたら面白いな。

○わたしは英語が苦手
 英語なんて、義務教育から学んでいて、習い事もしていて、大学までやって、院試でも使ったのだが、できてもよさそうなのだが、やっぱりわたしは英語が苦手で、英語で話しているのを聞いたり、英語で書かれているのを読んでいるとみるみるげっそりしてしまう。だから、グローバルと名の付くものからは避けるようにするのが生存率を上げる方法かなと思っていて、それによって失うものの大きさにもげっそりしている(3月のAsianPLoPなんて、きっと英語まみれなんだろうな、ううう)。アレルギーさえ抑えてしまえば、できはしなくても今ほど足かせにはならないだろうか、ショック療法を考えてみてもいいかもしれない。