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LoS (Locus of Scent)

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sunasand

人生を少し豊かにするための実験室。

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2018-03-27

フロー(ト)

08:11

あわただしいものに乗っかって流されてもがいて乗っかって、
しばらくはこんな日が続きそう。

毎年毎年やってくるひとつづきの瞬間。それを極限まで圧縮したものとそこから無限に延びている枝について形にしたい。からっぽのままもみくちゃにされるも、大切にしているものが変わりゆく環境に撫で回されるのを味わうも、もぎ取られることに抗うも、受け入れるも。わたしにとって春ってそんな感じ。

— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月24日


ざわざわと。落ち着かない。特定のものに帰属できないから、まるっと「空気」みたいなものに押し付けてみる。でもやっぱり落ち着かない。ものごとをじっくり考えたいわたしを見失ってしまう。でも距離が遠くなっても紐のようなもので繋がっていることを信じられれば、きっとなんとかなると思っている。

— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月24日



だからこそ、ひと息つく瞬間を大切にしよう。

2018-03-13

離れて近づいて確かめる何かを

07:45

ネットにつながる端末(アイパド)を忘れて出かけたのだが、これはよいかもしれない。見すぎることがなくなる。意思の力でなかなかうまくやれないことを、物理の力で補う。ちょうどぴったりを目指さずに、多すぎたり少なすぎたりの中でバランスを取る。あとは、何かが常にあるのは視野を固定する(よくない意味)ので、はがせるものはたまにでもはがせるといいという哲学にも沿っている。これからも「アイパドを時々忘れる」ことにしよう。

出会いの機会があっても大体は覚えらんなくて繋がらない。あたりさわりのないプロフィールをなぞることはどうでもよいのかも。それは手段として割り切って、その人の思い入れがどこにあるかを知ることと、逆にこちらが伝えることをして、共鳴するか確かめてみてはどうか。そこに最短で辿り着きたい。

— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月4日

こないだこんなこと呟いたのに、今日は超絶あたりさわりのない話題で間合いを測ることに徹していたわたしだった。安定してできるようになるまでに、わかってるけどできない、時々はできる、というステージを通る道の半ばだと思おう。

— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月10日

わたしのまわりに矛盾は満ち溢れていて、その少なからずはわたし自身が生み出している。しかし矛盾はしばしばうんざりさせるから、頭の中で矛盾を消し去ってしまおうとする(物理的にもそうするならそれはそれでよい)。すると現実がどんどん見えなくなってしまう。矛盾を目の当たりにして、疲れてしまわないからだとこころを、もちたいものだ。

2018-03-08

春の雨はなみだに似ている

00:05

あふれでたものが液体になって流れている。

わたしはすっかり体力が尽きたので家に帰ることにしたのだけど、全然しごとをしないように見えるあのひとも、もしかしたらずっと疲れているからか、疲れないようにしているから、しごとをしないのかもしれない。

いろいろな声が飛び交って、インインするのだけど、それはそんなにたいしたことじゃない。たのしいことはどっさりと。長く生きないかもしれないと思って生きることを。






2018-03-03

AsianPLoP2018

| 04:02

私のタイムラインでも盛り上がっていたある件で今週の前半は潰れ気味だったけれど、なにやかにやのしがらみを無視して平日木金のイベントに参加。うるせえ行きたいものは行くんじゃいの精神、大切にするといいと思う(自画自賛)。

最近のわたしの頭の中は、小沢健二とパターン・ランゲージで8割くらいが占められていて、それはエントリを見れば丸わかりなのだけど、パターン・ランゲージというものがある。それは、世にくりかえし現れるさまざまな「よさ」の秘訣を言語化する方法論だ。その「パターン・ランゲージ」に魅力を感じた人たちが、パターン・ランゲージについて語り合う集まりを、世界中で開催している。そして今回、「AsianPLoP(アジアンプロップ)」という名前の集まり(学会)が都内で行われ、ノコノコと参加した。しかも参加のみならず、思い余ってパターン・ランゲージについて作文し、投稿をしてみた。

プロップでは、このペーパーを投稿するのが、ほかの、いわゆる「学会」と比べると、すごくしきいが低い。かといって単にレベルが低いわけではなく、みんなでそのペーパーをよくしようという様々な工夫を盛り込んでいる。
そのひとつめが「シェパーディング」というもので、投稿された論文ひとつひとつに、シェパードというメンター、アドバイザーみたいな人がつく。そのシェパードに質問や、提案や、アドバイスを受けながら、1か月くらいかけてペーパーを直していく。学校だったら、ゼミの先生に指導を受けられるのかもしれないが、学生でもなく、仕事でもないわたしのペーパーを、ここまでしっかり人に見てもらうのは初めてで、とても参考になった。シェパードは完璧な先生というわけではなく、誤解もすれば、なんでそんなことを言うんだろうというようなことを言ったりもする。そこに悶々とすることもあったけど、それは実は、わたしの書いたペーパーがわかりづらかったんだろうと、振り返るきっかけになった。
そして、ふたつめの工夫が、集まり当日に行う「ライターズ・ワークショップ」というもので、投稿されたペーパーのうち、参加者は興味のあるものを選び、あらかじめ印刷して読んでくることになっている。ワークショップでは、著者が最初にちょっとだけ説明をするけれど、そのあとは著者は「壁に止まったハエ」のようになることになっている。著者は話してはいけないし、誰も著者に話しかけない。その場にいるにもかかわらず、著者をいないものとして、みんなでそのペーパーについて語り、どうすればもっとよくなるかについて小一時間話し合う。わたしは人のペーパーに意見を言ったり、自分のペーパーに意見をもらったりしたのだけど、暖かい雰囲気の中で、時には脱線しつつ、時には掘り下げつつ、とても学びの多い濃密な空間がそこにはあった。初めてそこで出会った人が、ちょっと愛おしく思えるようになった。

わたしが作ったパターンの中身はまたおいおい書くとして、まずはこのイベントに参加してとてもよかったということを一言残しておこうと書いてみた。