強いて目的とするものをあげるのならば
久々の好天陽気、仕事が正午で終わったので、朝刊で知った三吉神社の例大祭へ妻を誘う。
厚岸焼牡蠣やポンポチ串を食す。うまし。
昼から淡麗200円。うまし。
気分よく境内を脱し、ハンズ、狸小路8丁目とゆっくり歩く。FAB cafeでコーヒーと紅茶とアンチョビのブルスケッタ。うまし。写真なし。
その後、東区のスポーツデポで妻のグローブを購入、からのモエレ沼公園、今季初。
桜の咲くほうへ行くのはほぼ初めてである。
ロフト色の遊具。
林の向こうに噴水。沸く人々。
キャッチボール充。うれし。
麻生で晩飯。うまし。
仕事も私事も生活であり人生であり、わけることのないひとつづきのものであり、そこに目的も手段もなくて、一日いちにち、すべてひっくるめてのストリームである。が、何のために働き、何のために生きているのかと、あえていわなければいけないとしたら、例えば今日のような一日のためである。