IMEについて(1)
26*2+αくらゐの文字數しか使はない英語圈と違って多種多樣な文字を使って文章を綴るからにはの日本語入力システム(IME)の力を借りることは避けてとほれないのが日本語の宿命*1。そのシステムにも雲泥の差があり、できるだけストレスなく求める文字を打出せるIMEがより良いといふことがいへます。これを滿たすために多くのIMEでは、
- 文章を適切な品詞に切分け、自然な日本語になほす(形態素解析)
- 切分けられた文章に適切な文字を宛てる(辭書)
といふプロセスを經てゐます。このうち「辭書」變換の部分を省略することは難しい(*2)のですが、「形態素解析」は人間の側から切分けて打てばいいので必ずしも必要はありません。
昔はそのどちらもが未熟で、DOS時代はさまざまな會社の日本語入力システムがありましたが、WindowsになりMS-IMEなんかがそこそこ使へるやうになると、それらは次第に淘汰されました。現在では「入れたてのお茶」で賢いことをアピールした一太郎添付のATOKぐらゐしかありません。
しかし面白いことに、ここ數年で「松茸」「VJE」「うんぬ」「書院」などDOS時代の入力システムが再び息を吹返してATOKと同じ土俵に立つといふ事態が起こってゐます。それはなぜでせう。