活動報告「東京はロマンの塊だ」
こんにちは。熱いですね。
最近ご無沙汰だったので、久しぶりに更新したいと思います。
高村研の東京班では定期的に街歩きを行っています。
フィールドに出ると今まで知らなかったことや、予期せぬ遭遇が刺激を与えてくれます。
今回は、いままでの中でなかなか面白かったものを幾つか紹介してみたいと思います。
まずは目白のこちら。
道路標識や看板、さらに住宅をみてもどことなく外国的な雰囲気をかもしだすこの場所。
表札を確認してみると、テラリー・・コギャン・・みなさん外国の方のようです。
どうやらここは、徳川黎明會という団体が管理している外交人向けの宅地のようで、
この敷地の隣には、1932年建設のRC造スクラッチタイル貼りの黎明會本部の建物があります。
大きな敷地割(屋敷跡など)と、昭和初期の近代建築、これらが不意に顔を出すのが目白らしさです。
特にこの場所のように、全体の構成は踏襲されながらも新たな住人によって街が変わっていくその連続性みたいなもの、ロマンですね。
さて、次は三河島。
高村研究室では毎年アジアの都市の研究を行っていますが、アジアの都市を歩くと必ず目にするものがあります。里弄です。
里弄は華僑を合理的に収容するためにイギリスによって始められた一体型開発のことを指しますが(間違っていたらスミマセン)、上海、香港、ベトナムなどのアジアには必ずあるのに、なぜか日本にはありません。
がしかし今回、三河島で見つけてしまいました。これです。
木戸の部分に〜里とあれば完璧です。
ちなみに路地から住戸にアプローチできます。
本物はこちら。
まあ、そうかもなって思う人が一人でもいてくれれば私はロマンです。
コンドル観衆、岡田新一郎改修のいわずと知れた近代建築の代表作です。
一度は行った事があるかたが多いと思いますが昔の姿をみなさんご存知でしょうか。
ニコライ堂の敷地は元々、定火除役といういわゆる消防署のような機能を持った武家屋敷でした。
当然、市中を見渡せる小高い場所に建っており、その跡地に建ったニコライ堂は遠く九段や秋葉原の方からの容易に見られるほど、目立つものでした。
象徴的なこの建築のアプローチは、さらに象徴的です。
小高い丘に向かって延びる南側からの大階段、垣間見えるドーム天井、にくいほどに象徴的な演出です。
現在はアプローチが北側に移動しているので、そのような効果はありません。
しかし発見しました。
ニコライ堂の大階段を発見しました。
現在、日本大学の校舎が建っているかつての南側アプローチに潜入です。
建物の背後に沿って歩いていくと、
ああ、これがかつてのニコライ堂のアプローチ。
いまはコンクリートで埋められていますが、当時の姿を創造するには十分すぎる痕跡です。
都市の歴史に思いをはせます。ロマンですね。
以上、幾つか紹介してきましたが、
今回は著者のかなり強い偏見で選定しています。。
まだまだあるのですが、それはまた次の機会にとっておきましょう。
それでは。