第8回 まちあるき 東京スカイツリーだけじゃない
10月3日、錦糸町公園ではすみだまつりが開催されており、とってもとても賑わっていました。
キノコ騒動もあり、更新が遅くなってしまいましたが、久しぶりのまち歩きです。
今回の東京班のまちあるきは錦糸公園からです。
この公園は昭和初期に帝都新三大公園の一として数えられた、公園でした。
そして、関東大震災と深い関係があります。
関東大震災の被害はとても大きなもので
死者・行方不明者数10万人以上
住家全壊 : 12万8266戸
住家半壊 : 12万6233戸
住家焼失 : 44万7128戸
(Wikipediaより)
であったといいます。
この震災は、倒壊よりも火災による被害が大きかったことがわかります。
とはいえ、石造、煉瓦造の建物も多くが倒壊しました。
しかし特に、住宅が密集していた下町一帯はその火災によって火の海となります。
当時の下町一帯は住宅密集地で長屋が所狭く建ち並んでいたために、どこかで火災が起これば次々と燃え移っていき、被害が瞬く間に大きくなってしまいました。
さらに、追い打ちを掛けるように9月1日の関東地方には能登半島に接近していた台風の影響で強風が吹いていたといわれています。
この錦糸公園のある隅田川の東側一帯も焦土と化してしまいました。
震災後、帝都復興計画が後藤新平を中心に進められます。その計画事業のひとつに防災や避難所とすることを目的として震災復興公園がつくられます。
そのひとつが錦糸公園です。これが帝都新三大公園といわれ、他に浜町公園、隅田公園が整備されます。
錦糸公園は昭和3年7月18日に開園し、当時は中央に大広場があり、その東南になモダンな噴水がもうけられていました。
その姿は、戦後時代を経るごとに面影を消していき、現在では当時の様子をうかがう事は出来ません。
どうして、なくなってしまったんでしょうか、噴水。。
前置きが長くなりましたが、先に進ませていただきます。
すみだまつりには地震体験車が来ていました。
震度7を体験することができます。
やはり震災復興公園ですから、震災忘れざるべからずということでしょう。
少し歩くと3面を建物で囲んだ、前庭空間がありました。
お昼と云う事もあり、お店は閉まっていて人の気配がありませんでしたが、
どんな感じで使われているのか夜に来て、
様子を窺ってみたいものです。
スナック、スナック、、、居酒屋、、
是非この前庭活用したいです。
この路地は直線ではなく途中で折れ、先が分からなくなっています。
建物の表側が大通りの角地にあるため、このような路地になったと思われます。
立ち飲み、「安月給」
玄関には何があると思いますか。
知っている人がいたら是非教えてください。
なんか背が高いような、
普通なんでしょうか。
エレベーターシャフト、格納庫、吹抜空間
我ら東京班の見解も様々です。
この近くには、こんな家も建っていました。
セカンドハウスでしょうか。
堅川河川敷公園改修工事
カルバートの撤去作業をしていました。
カルバートを開いて、その周りの河川敷を公園として整備するそうです。
カルバートによって隠されてしまっていた水辺を開いて、親水公園になるのでしょうか。
カルバート研究者のOさん、是非ぜひ研究対象にどうです。
やはり、下町と言えば町工場の存在は忘れてはいけません。
最近では数が減ってきているということを耳にしますが
まだまだ、終わりません。
町工場の底力を感じながらさらに南へ進みます。
江戸時代、材木蔵だったこのあたり、
今ではその敷地がそのまま受け継がれ、公園として使われています。
こちらでも、イベントが開かれていました。
そろそろお昼です。
おなかがすきました。
カレー屋を探し、前編をこの辺で失礼したいと思います。
ではでは、後編へ続きます。
金谷