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コミック「あそびあい」新田章

青春モラトリアムモノの創作物として、ひとつの漫画を紹介したいと思います。

今のところ2巻が出たばかりです。どんな話かというと、高校生の恋愛ものなんですが。ヒロインの娘が、無自覚にビッチ。年齡や立場を問わず、もう誰とでもやっちゃいます。主人公はその娘に一途な思いを持っている男の子です。思春期真っ盛りですし、当然心や体は引き裂かれます。

援助交際というと90年台の匂いがしますが、このヒロイン小谷さんは、ビジネス的な開き直りや痛々しい承認欲求とは無縁なところにいて、性依存症って感じもないし、まぁ、漫画だからだとは思いますが、見た目だけは髪も染めてない爽やかで明るく幼い高校生だし、不思議な清潔感もあったりします。

ただひとつ倫理的にはバカなんですが、彼女のフリーセックス感は男性的というよりも、どこか仏教的なニュアンスも感じます。自分の周りにいいる自分を求める人に対して感情的にフラットで、セックスまで平等、というところが面白いです。

しかしこれだけフラットに楽しそうに生きている彼女の姿を追っていると、苦しむ自分達側がだんだんバカらしくなってきて、フツーの人が自分やその相手を縛っている倫理観や行動ってなんなんだろうなという話にもなるわけです。倫理観が異なっていて苦しいなら、苦しい側が身を引くしかないだろうという冷静な判断もありつつ、それでもあくまで誰にでもフラットに楽しそうな行動を続ける彼女に、繰り返しまた心と体が引き裂かれます。

そもそも倫理観ってぴったり重なることの方が少ないと仮定すると、どの恋愛にも多かれ少なかれ同じ問題はつきまとっているはずで、その点において「あそびあい」はある種の普遍性を獲得する話しなのだと思います。それはつまり恋愛関係において惚れてしまった方、心が揺れてしまう方が、自分の心を鍛えるか、自分が苦しくならない距離を自分で見つけるしか方法がないのだ、という悲しい事実を突きつけています。

恋愛じゃなくても他人はコントロールできませんよね。かと言って他人に傷つけられる自分の毎日も事実だし、苦しい。それでももしいっしょにいたい誰かがいるとすれば、「我慢」じゃない方法で自分を変えていくしかなくて、それはとてもしんどい成長の痛みを伴うし、誰も手伝えない茨の道なんだよなぁ。と40過ぎのおっさんは思うのでありました。



鹿児島の飲み屋の姉ちゃんが「男は心が入ってなくてもセックス出来るけど、女は少しも心が入ってないと出来ないから女の浮気の方が罪深い」って云ってた

http://ksk2u.tumblr.com/post/92833285364