11/7(金)、筑紫哲也氏が亡くなったこと

 仕事。毎週金曜日は通し勤務なので草臥れる。
 筑紫哲也氏が亡くなったそう。「ニュース23」はほとんど見ていなかったので、私にとっては「朝日ジャーナルの名物編集長」というイメージのほうがつよい(「朝ジャ」そのものはそのあとの伊藤正孝編集長時代のほうが好きだったけど)。
 TV時代の筑紫氏について印象に残っているのは阪神大震災のときの「温泉場」発言でもオウムのときの「TBSは死んだ」でもなく(どっちも見てない)、そのずーっと前のふたつのニュースについてのコメントである。
 1991年に複数の大学の入試で替え玉受験が発覚し、筑紫の母校の早稲田大学でも同様のことがあったのを「ニュース23」が取りあげたときに、在学生へのインタヴューのビデオのあと「みんな他人事みたいなことを言ってるけれど、自分の学校のことなんだからもっと怒んなきゃだめだ」というようなことを言った。たぶんかつての学生運動の時代のように、学生が大学の幹部をひっぱりだして吊るし上げたりして欲しかったのだろう。
 で、その後わりとすぐ、今度はバブル崩壊後の株価の暴落に伴って証券会社が大口の顧客にたいして損失補填をしていたということがあきらかになって、証券会社も顧客の各社も批判を浴びたのだけれど、その補填をうけた企業の中にTBSが入っていたことについて筑紫は「これはひとりTBSだけの問題ではなく日本のジャーナリズムの問題で云々」なんぞと言いいだしたので、私は思わずTVにむかって「このあいだ言ってたこととちがうー」と突っこんでしまったものだ。早稲田の学生に他人事みたいなこと言うなと文句をつけるのなら、この場合はTBSの看板キャスターとしてまずひとこと謝罪すべきだろうという気がしたのだ。こりゃダメだと私は思い、これ以後意識的にこの番組を避けるようになった。
 ネットかいわいの評判をみていると、なんだかこの人が日本の左翼の代表みたいな物言いが多いけれど、新聞記者時代はともかくTVのキャスターとして正直そんなに大した人だったんだろうかと思う。クリントン大統領のタウン・ミーティング企画を成功させたり、SMAPの「世界にひとつだけの花」(だっけ)を反戦歌と呼んで社会現象みたくしたりと、なんというか皮相な意味までふくめて「ジャーナリズム」を体現した人、という印象が強いのだけれど。ジャーナリストなんてそんな大層なものではないよということを教えてくれたと言っては言いすぎでしょうか。
 持ち上げる人も貶す人も、どちらもなんだか過大評価が多すぎる気がしたので書いてみました。