北朝鮮を追いつめた金融制裁

takase222013-05-22

ハナショウブが風に揺れていた。
アヤメ、カキツバタと似て紛らわしいが、花びらの弁元が黄色いからたぶんハナショウブだろう。
季節がどんどん移っていく。
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きょう、テレ朝の昼、「ワイド スクランブル」で、蓮池薫さんが「日本人はどのくらい拉致されているんですか」という質問にこう答えていた。
いくつかの時期があって、ある時期をとれば、同じところにいて顔を知っている人もいて、何人くらいとわかる。ただ、そういう時期が3回くらいある。(居住地が変更されたことを差すのだろう:高世)
かなりの数の拉致被害者がいる。
「めぐみさんは生きていますか」
拉致被害者は、 医療や食事などで優遇されていて、若くして亡くなることは考えられないので、今でも生きていると思う。
ここまで踏み込んだ発言は初めて聞いた。
「かなり」とは何人くらいなのか。いま、拉致被害者たちはどんな思いでいるのか。一日でも一時間でも早い解放を!
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10日ほど前、「中国が北朝鮮に金融制裁か?」を書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20130510
「私は7年前の出来事を思い出していた」(つづく)と終わって、そのままになっていた。以下、その続きです。
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北朝鮮がミサイル発射をちらつかせながら激しい恫喝と挑発を展開したここ数ヶ月の状況は、7年前の2006年に似ている。当時、北朝鮮が「暴れた」のは、金融制裁がからんでいたことを思い出したのだ。
前年の05年9月、アメリカは北朝鮮への金融制裁を強め、マカオの「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)を「マネーロンダリングの主要懸念先」に指定、その結果、BDAは北朝鮮の口座を凍結した。
これに対して北朝鮮が「暴走」し、06年7月ミサイル(テポドン2)を発射、10月には核実験を強行した。そのときの能書きは「米国の反共和国孤立・圧殺策動が極限点を越えた最悪の状況へと突き進んでいる諸般の情勢に鑑み、我々はこれ以上。手をこまねいて事態を傍観するこおはできなくなった」というもの。まるで今回はそれの焼き直しだ。
ところが11月1日、北朝鮮は一転して「軟化」姿勢を示し、アメリカと金融制裁解除を話し合う作業部会を設置するなら、これまでかたくなに拒んできた六カ国協議に復帰すると発表した。北朝鮮が「暴れた」のは金融制裁を解除してくれというアピールで、制裁が体制をぎりぎりのところまで追い詰めているのは明らかだった。
私は、金融制裁が北朝鮮に与えた打撃の大きさに注目して『金正日「闇ドル帝国」の壊死』(光文社)を06年12月に緊急出版した。このまま金融制裁が続けば、体制瓦解の可能性も出てきたと思ったからだ。
ところが、ちょうどその出版に前後して、年末からアメリカは一転、北朝鮮との接触を開始。翌07年の3月にはブッシュ政権が金融制裁解除を決めてしまった。
さらに08年には「テロ支援国家」の指定もはずす。これに北朝鮮は核施設の原子炉の冷却塔を爆破するというパフォーマンスで「お返し」した。
この一連の経過は非常にドラステイックで、こうやって振り返ると、ああ、そういえばそんなこともあったな、思い出す人も多いだろう。いつか時間ができたら、この時期の北朝鮮の外交パターンを分析してみたいものだ。
北朝鮮はその後も約束を破って、核・ミサイル開発を着々と進めてきたわけで、結果的にアメリカ(とその他多くの関係国)は騙されたことになる。
今回、北朝鮮が挑発的言動をエスカレートされたあと、一転してムスダンミサイルを撤収したりと「軟化」しているのはなぜか。説得力ある分析を目にしていない。
7年前に、北朝鮮アメリカの金融制裁に苦しんで「やめてくれ!」とアピールするために「暴れた」。そして結果的にアメリカと取引して収まったのだった。
今回の動きも金融制裁に関係しているのではないか。そうだとしたら、日本との拉致問題の駆け引きの今後もそれに連動してくるのではないか。
(つづく)