あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

都響 第997回定期演奏会

 新年度一発目の都響は(A定期がない関係で)C定期を聴きに出かける。(東京芸術劇場小泉和裕指揮でシューベルトの未完成とグレイト。一昔前の超定番的な名曲シリーズ。去年は札響&バーメルトの東京公演や外山雄三の最後のコンサート(外山が途中退席ではあったけど)もこの曲。飯守泰次郎もグレイトを予定していたが、残念ながら聴けずじまいであった。(今年はN響ブロムシュテットもこの曲を振る。果たして!?)
 ここ数年の小泉の演奏からすると、もっとズッシリとスケール雄大な曲になるかと思えばグレイトに関しては思いっきり予想を裏切る展開に。未完成は深く沈降していくような晩年のベームかくやと思わせるオーソドックスな演奏。とてもシューベルト25歳の作品だと思えない。もっと老大家の晩年の作品のような響きさえ漂う。
 グレートは逆にファウスト的若返りか!?というテンポで序奏部分から始まっている。とにかく推進力が強烈で音楽が前へ前へと進んでいく勢いに満ちている。ショルティ盤はウィーンpo.との穏やかさが、トスカニーニ盤は歌心溢れるが、小泉のグレイトはしっかりコンバス8人や山本首席ら勢揃いのチェロが土台をしっかりと刻み全く揺るがせにしない音の構築物を作り上げながら快速のテンポで進んでいく。だからテンポが速くても全く軽い感じはしなくて、重量ある大型車が疾走していく印象だった。弦の扱いも歌って歌って、というよりは新古典派的な響きではないか。だからこそ、オーボエクラリネットのニュアンスが対比的で際立っていた。都響の機能美を存分に味わうと共に、オーソドックスながら平凡な演奏に陥らないあたりが現在の小泉の力量であるなと感じた次第。
 もっとも、もっとできそうな気もするんだけれど、それはきっと贅沢なのだろう。
次回は井上道義ショスタコーヴィチである。チェロ協奏曲も含め楽しみ。

 

都民芸術フェスティバル2024 東京シティフィル公演

指揮/高関 健

ピアノ/小山実稚恵
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
ベルリオーズ幻想交響曲 作品14

都民芸術フェスティバルのラストはシティpo.&高関健、そしてピアノに小山実稚恵という質実剛健な組み合わせでモーツァルトの協奏曲20番、ベルリオーズの幻想である。
ほぼ、成功が確約されたプログラムだ。

モーツァルトの伴奏はとても真面目。
「悲しさは疾走する」感じではない。そして小山氏のピアノも硬質な鉛筆でしっかりと書いている楷書体の演奏という感じ。彼女のピアノ協奏曲というのも結構珍しいのでは?下手に感情に流されない分、曲の構成がハッキリと聴き取れる。アンコールはショパンノクターン
ゆうめい!今日の聴衆的にはバンザイだと思う。ときどき聞くといい曲だなー、と。
後半のベルリオーズは感情爆発系ではなく、爪の先まで高関氏の意思が貫徹している演奏。方向としてはクレンペラーのCDに近い。テンポは2楽章まで溌剌だ。

2楽章まではハープが指揮台の前に置いてあって、さながらソリストである。3楽章は木管群が総じて素晴らしいソロを披露している。こんなにシティ・フィル上手かったか!?(←失礼)と感嘆。
4楽章以下はどっしり構えて微動だにしないスケール感と弦も管もバスを効かせて、かつ、管楽器の旋律が立体的に聴こえるように処理されているので、聴いていてハッとする瞬間が多々あった。そして「ここぞ」というところでのダイナミズムがハマっているので極めて聞きごたえがある演奏だ。個人的には去年のロトやデュトワが好みだが、今日はベクトルが違えど完成度の高い演奏であったのは間違いない。音源があったら聞き返したいくらいだった。それほどに個性的な演奏。
やっぱり、指揮者だな、と今回の芸術フェスティバルを聞いていて認識を新たにした次第。(もっとも、誰もが若手の時期はあるし、経験は必要)

フィルハーモニックアンサンブル管弦楽団 第75回演奏会

指揮    小林 研一郎
合唱指揮    中村 拓紀
独唱    澤畑 恵美
山下 牧子
コンサートマスター    永峰高志(元N響首席奏者)
合唱    大久保混声合唱
同志社混声合唱団 東京
合唱団LAb
洗足学園音楽大学OB合唱団
歌劇派*サラスヴァティ
マーラー / 交響曲第2番「復活」

フィルハーモニック・アンサンブル管/小林研一郎指揮によるマーラーの「復活」を聴く(サントリーホール)。
コバケンの指揮はコロナ以来なのでとても久しぶりだ。
その間にコバケンも80代に突入し、力演から匠の技へと変化するのか?と思っていたら、案外そんなことはなく。2024年のトレンドとは異なる旧世代のマーラー演奏だった。聴きながらクレンペラーとかテンシュテットとかかな、なんて思ってしまったもんな。後期ロマン派の大輪としてのマーラー

アマオケだから技術がどうか、とかは意味をなさない。でも、フルートはじめ、木管は非常に上手。危なげない演奏だった。コンバスも8人いて1楽章はゴリゴリ鳴る。ちゃんと1楽章→5楽章で「レスレクション」が明確に描かれたのはさすが。コバケンはいつもより冷静に・明確に・丁寧に指揮していたように思う。アマオケ相手に破綻させずに最後までマーラーのカタチを作っていて「コバケン先生と生徒たち」とでもいうような印象だった。
5楽章コーダの熱量は圧巻。さすがであった。

 

ブラタモリ(レギュラーシリーズ)終了

ブラタモリのレギュラー放送が終了。
タモリの年齢を考えると仕方がないとは言え、自然地理に人文地理の知見を加えたような番組は「さすがNHK」という作り方だった。
学校の授業じゃないけれど「分かることは面白い」という人間の好奇心に信頼を置いた番組だったと思う。

教養とエンタメの絶妙なバランスがブラタモリの面白さだった。昔は民放でも「たけしの万物創世記」みたいな優れたコンテンツがあったけれど、今はもう無理だろう。
ただ、メインどころを巡ってしまったので今後も番組作るとなると、事前調査が大変というのはあるかも。

ともあれ、ブラタモリで分かったことはタイパ全盛や娯楽が多様化しても製作スタッフが志高く、好奇心を掻き立てる番組作りをすれば視聴者はそれなりについてくると言うことだろう。
ただし、TV局にかつてほどの資金が無くなった現在は苦しいかも知れないね。

都響スペシャル インバルのマーラー10番

指揮/エリアフ・インバル
マーラー交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)

都響&インバルのマーラー・ツィクルス第1回の交響曲10番、クック版を聴いた。
演奏そのものは圧巻。この曲がこれだけ説得力のある曲だということを今回初めて認識できた。と、同時に8番→9番→10番と位置付けた時にやはり未完の曲だなという印象はインバルをもってしても覆らなかった。9番の完成度が高すぎるのか、多分そんなことじゃなくて、指揮者・マーラーは実際演奏してみてそれが自らの創作にフィードバックするウェイトが他の作曲家より格段に大きいんじゃないかと思ったり。
もちろん、鳴っている曲はマーラー以外の何物でもないし、クックの献身は素晴らしい。ifはないんだけれど、仮にマーラーが最後まで完成させて、何度も他の作品のように修正を加えることが出来たなら、この曲は「向こう側」の音楽になったような気がする。

 

2024 都民芸術フェスティバル 都響公演

指揮/大井 駿

フルート/上野星矢
メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》作品26
モーツァルト:フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313(285c)
チャイコフスキー交響曲第4番 へ短調 作品36

都民芸術フェスティバル(都響)を聴いてきた。
大井駿指揮、上野星矢フルートで、メンデルスゾーンモーツァルトチャイコフスキーと極めて健康的なプログラム。
天気が影響してか、告知が不足してか、両方かわからんが6割程度の入りだった。
モーツァルトのフルート協奏曲1番は上野の確かな技術に裏付けられた良い演奏。ランパルの録音で聴いていたけれど、上野は立ち姿が舞台映えもするので実演を聴くと、とても華がある。
惜しむべきは国内の名手が協奏曲のソリストを務める機会と録音が極めて少ないこと。全盛期の彼等の協奏曲や室内楽を残しておけないものか。

チャイコフスキーの4番は1、2楽章は詩情に欠けたり、弦の表情不足からか、聞いていて単調な場面もあったが後半は曲に勢いがあることもプラスに作用して非常にエネルギッシュな演奏になった。
都響くらいのオケが良いホールでガッツリ鳴らすと迫力がある。

N響 第2004回 定期公演

ヨハン・シュトラウスII世/ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
ショスタコーヴィチ/舞台管弦楽のための組曲 第1番 -「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」
ショスタコーヴィチ交響曲 第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」*
指揮 : 井上道義
バス : アレクセイ・ティホミーロフ* ※
男声合唱 : オルフェイ・ドレンガル男声合唱団*

 

井上道義N響ショスタコーヴィチ「バビ・ヤール」ほかのプログラム。
ちょっと言葉が出ないくらいの演奏者。先月は都響ジョン・アダムズが「事件」だったが、今日のショスタコーヴィチも間違いなく事件である。13番はオケの機能性、バス、男声合唱いずれも高水準であり、さすがはN響定期。

N響とはまだ演奏の機会はあるが、定演はこれがラスト。10番、11番と深まっていく曲を両者で演奏してきて最後に13番「バビ・ヤール」である。自分も都響/インバルを聞きそびれているので、生で聞くのは初めて。期待が高まるというもの。

ヨハン・シュトラウスポルカ「クラップフェンの森で」はショスタコーヴィチプロなのになぜ?と思いきや、もとはパヴロフスクなのだそうな。
ウィーンっ子が感じるパヴロフスクってこうなんだ。とそのギャップが面白い。ニューイヤー・コンサートでも出てきた鳥笛が微笑ましい。ショスタコーヴィチの舞台管弦楽のための組曲 第1番は曲が曲だけに非情に聞きやすい。前プログラムならもっと積極的に採り上げられても良いような。親しみやすいメロディラインだった。サックスやアコーディオンも出てきて視覚的にも面白い。
ああいうとき、呼んでくるんだろうか?

後半の13番「バビ・ヤール」は1楽章から気合い充分。鐘と金管がおどろおどろしい雰囲気を讃えている。それに続くバス :独唱のアレクセイ・ティホミーロフも素晴らしい。オルフェイ・ドレンガー (スウェーデン王立男声合唱団)もキレイではない上手さだ。プログラムに載る歌詞の邦訳は亀山郁夫だし、N響ソリスト、合唱、邦訳と贅沢なことこの上ない。
ただ、詩の内容が内容なので字幕をつけて欲しい気もする。意図しない世相のため、この曲を受容するコンテクストも変化しているし、奏者・聴衆ともにこの演奏会に向かう想いもあって、特別な演奏会になった。
2月8日(木)?にFM放送があるという。これもまた大変楽しみ。ともあれ、日本のショスタコーヴィチ演奏史上の一つの到達点と言うべき演奏じゃないかなぁと思った。(日比谷での全曲演奏会と共に)
どうなんだろう、記録として残るんだろうか。残すべきだと想うんだけど。

こうしてみると朝比奈=ブルックナー、渡邉=シベリウス山田一雄マーラー、小林=チャイコフスキーとそれぞれ特別な想いを持つ指揮者=作曲家の系譜に井上道義もいて、それが日本のクラシック音楽の演奏・受容の歴史を豊かにしたことは素晴らしいことだと想う。
遠征したいなぁ。