「穴」と「Siedlung」

三上さんのレポートが面白かった。お住まいになっている札幌南部の土地に、かつて先住民族が岩山の壁を削って作った「穴」があるという。ふつうの住宅街と隣り合わせの場所にこうした遺跡がふつうに残っているのが人口百万人の大都市の話だということからして、北海道に行ったことがない私にはまず驚きだ。

この「穴」を私は十年来気にしてきたのだった。「アふンルパル」とは、以前、「山神」碑のエントリーで触れた、知里真志保氏が『地名アイヌ語小辞典』(4頁)の中で写真入りで説明している「あの世への入口」あるいは「極楽穴」のことである。

先住民族」すなわちアイヌの人たちが軟石の岩山に数多くの「横穴」を開けた。そのうちの一つ、恐らく一番深い穴が、100年に及ぶ軟石採掘によっても「消えなかった」のだ。その「石の記憶」に私の中の何かが10年来感応していたのだろう。もちろん、その穴が「アふンルパル」だったという確証は何もない。すべては私のつたない推理にすぎない。しかし、ありえないことではない。
■意志の記憶:「穴」とは何か(『三上のブログ』2007年2007年9月11日)


この穴を極楽への通り道と見た三上さんの調査力と直感は、さらにこの土地のありようを先日私がブログで小さく紹介したブルーノ・タウトの「アルプス建築」と重ね合わせる。

私が住んでいる土地は「支笏湖噴火溶結凝灰岩」による広大な自然の「建築物」なのだ。私はなぜか『横浜逍遥亭』の中山さんが紹介していたブルーノ・タウトのプラン「アルプス建築」のビジョンを連想する。その「補助線」はまだ覚束ないが。
(同上)

http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20070901/p1


この示唆は私にとってまた新たな刺激となった。
「アルプス建築」で功利的な価値観に対する批判的精神を前面に押し出したタウトは、その後、大衆向けの集合住宅、ドイツ語でいうジードリング(Siedlung)の建設に向かうことになる。日本では桂離宮や日本文化に対する理解者として著名なタウトだが、本国ドイツやグローバルな建築のコミュニティでは幾多の画期的な大規模ジードリングの建設者、室内ばかりではなく戸外の環境を含めた住環境のあり方をいち早く建築の問題として受け取り、仕事をした人として評価されているというのが、その後つれづれなるままに情報収集をしている中で分かったタウトの位置づけだ。


三上さんがご紹介されている先住民族の横穴の住居、タウトが設計した大規模集合住宅が私の中でダブって見えた。なぜ、クリスタルで山岳を飾る構想が庶民のための住宅設計へとつながっていくのか、その脈絡が見えずに困惑を感じていた。これ以上踏み込むには(そこまでするつもりはあまりないのだが)彼の書いたものや専門家のレポートに当たるしかないと思っていた。そんなときに思いがけない方向から考えるヒントをもらった格好だ。

■タウトの馬蹄形ジードルング(Wikipedia)