啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

 

2017-01-20

[] 三島由紀夫石川啄木らが出演した文士劇が…

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[ヒサカキ]


「盛岡文士劇」東京に進出 脚本家・内館ら出演

  • 普段は表舞台に登場しない作家らが演じる「盛岡文士劇」が東京にやってくる。28、29日に新宿の紀伊国屋ホールで上演される。出演は脚本家の内館牧子や作家の平野啓一郎ら。今回は俳優だけに徹する。
  • 文士劇とは、三島由紀夫石川啄木らが出演した作家による素人芝居のこと。40年前まで東京でも開催されていたが、今は「盛岡文士劇」が唯一とされる。
  • メインの演目は「みちのく平泉 秀衡と義経」。源氏、平氏、朝廷の三つどもえの戦いを描く。後白河法皇役の日本文学研究者・ロバート・キャンベル。頼朝の妻北条政子の父・時政を演じる言語学者の金田一秀穂。(江戸川夏樹)

(2017-01-19 朝日新聞)


2017-01-19

[] 「ふるさとの山に向かひて…」かけがえのないもの

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[フヨウ]


「1月19日編集日記」【福島民友新聞

 心のふるさと

  • 「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」。石川啄木の歌をひくまでもないが、ふるさとは誰にとってもかけがえのないものだ
  • いわき市西部の中山間地域に位置する三和町の住民たちが地域を挙げて「三和ふるさと教育資料集・わたしたちの三和」の編集に取り組んでいる。教育資料とあるように地域唯一の小学校、三和小でも教材として活用できるよう分かりやすさに工夫を凝らす。同校は一昨年春、5校が統合して誕生した。
  • 「ふるさとはこれからも君たちの心の支えとなってくれるでしょう」。学びやを巣立っていく卒業生たちへのメッセージも載せた。人生で困難に立ち向かうとき、ページをめくってほしい一冊がもうすぐ完成する。

(2017-01-19 福島民友新聞

記事


2017-01-16

[][] 「生きてさへいるなら、君(啄木)は更により善く…」与謝野鉄幹 ~2/13

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◎盛岡てがみ館

 原稿に「文豪」の情熱

盛岡てがみ館で開かれている企画展「文豪たちの原稿展」は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の石川啄木に関する文章などを紹介している。啄木が世に出るのを助けた与謝野夫妻がそれぞれ別の機会に書いた回想などが見学者の目を引いている。

与謝野鉄幹は、啄木の早世について「生きてさへいるなら、君(啄木)は更に更により善く、より新しく進展して行く人(であった)」と惜しんでいる。

与謝野晶子は「石川さんの額つきは芥川さんの額つきが清らかであったやうに清らかであった」と振り返っている。


  • 開催期間 2016年10月25日(火)〜2017年2月13日(月)
  • 場所 盛岡てがみ館 展示室
  • 2017年1月21日 午後2時〜 館長のギャラリートーク

(2017-01-15 岩手日報


盛岡てがみ館


[][] 企画展「キーン 石川啄木の日記を読み解く」~2/22

釧路市立釧路図書館

企画展「ドナルド・キーン 石川啄木の日記を読み解く」

日本文学研究者ドナルド・キーン氏が、釧路にゆかりのある石川啄木について研究した成果を展示する。

キーン氏が昨年、評伝「石川啄木」(角地幸男訳、新潮社)を出版したのにあわせてドナルド・キーン・センター柏崎が企画。今回の釧路を皮切りに東京や盛岡を巡回する。

啄木の「ローマ字日記」などを基に、啄木の道内外の足取りを大きな地図で表示したほか、パネル11枚のうち釧路に関する部分では「名目上は『釧路新聞』3面の主任にすぎなかったが、実質は主筆であった」などと紹介する。


  • 会場 市立釧路図書館(釧路市幣舞町4-6 tel 0154-42-1411)
  • 2017年1月10日(火) 〜 22日(日)
  • 料金 入場無料

(2017-01-13 北海道新聞

記事


[][] 啄木が初めて釧路を訪れた当時に思いを馳せる 1/21

「第14回啄木・雪あかりの町・くしろ」

1月21日(土)、釧路で「第14回 啄木・雪あかりの町・くしろ」が開催される。石川啄木は、釧路に滞在していた頃に著名な作品を数多く生み出している。このイベントは、啄木が初めて釧路を訪れた日の1月21日を「来釧記念日」とし、啄木の足跡や当時の文化を省みる。


「啄木・雪あかりの町・くしろ」

  • 開催 2017年1月21日(土)、14:00〜20:00
  • 場所 港文館・橋南西会館・啄木ゆめ公園・南大通・入船・大町界隈の各所

◎「雪あかり講演会」 港文館 14:00〜15:00

北畠立朴(釧路啄木会会長)さんが講師となり「誰でもできる啄木研究」の講演を行う。


この他、港文館では「啄木の歌 拓本体験会」や「啄木一人百首 歌留多会」、釧路YuKiアートプロジェクト作品展「ゆきあかり」などが開催され、港文館前では点灯式や入選短歌・フォトコンテストの表彰式などが行われる。

また、各所であったか屋台やアートキャンドルなど様々な催しが行われ、啄木を体感できる1日となる。

記事


2017-01-13

[] 石川啄木来函110年記念 文芸誌「視線」

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[「視線」 表紙]


◎文芸誌 「視線」第7号 2017.1

 (「視線の会」発行 坂の町 函館から発信する 新しい思想 新しい文学 新しい生活)


特集 II  石川啄木来函110年記念

◯ 啄木調短歌 ──その誕生と確立──

  近藤典彦

《はじめに》

  • 1902年(明治35)10月から約七年間の文学的・思想的遍歴の後、石川啄木はかれの根源的弱点となっていた天才主義を克服した。1909年(明治42)秋のことである。
  • 啄木はこの世のあらゆることを直視する人となった。まず何よりも先に自分自身を徹底的に直視した。その結果、自分は「天才」でも「詩人」でもなく、普通の「人」であると認めた。そして長い間馬鹿にしてきた、自分と家族が生きてゆくための勤め(職業)が生活上の最優先事項であり、家族の扶養こそもっとも重要な「責任」であることを、誠実に再確認した。これまでの自分を「空想家──責任に対する極度の卑怯者」と規定した。(「弓町より」)。
  • それはとりもなおさず、「生活」の発見であった。世の中に無数にいる「生活者」の発見でもあった。「生活者」の発見は「民衆」の発見でもあった。
  • 啄木は新生した。かれが「天才」を捨てた時、天才石川啄木が誕生した。そして詩論「弓町より(食(くら)ふべき詩)」を書き、その詩論に基づいて口語自由詩を創作。明けて1910年(明治43)には小説「道」を書いた。詩も小説も立場としては自然主義に拠っていた。
  • しかし短歌については自然主義的短歌とはどういうものか、探りあぐねていた。

以下に考察するのは、前田夕暮の短歌を摂取すると同時に一気に啄木調を独創して行く過程である。


(以下略 「啄木調の誕生」、「啄木調の確立」、「啄木調とはなにか」)



◯ 文学を求めて ──啄木の北海道──

  山下多恵子

  • 「函館から札幌へ、札幌から小樽へ、小樽から釧路へ(略)食を需めて流れ歩いた」(弓町より)──北海道での日々を振り返って、啄木はこう書いた。
  • 石川啄木の人生と文学に、決定的な影響を与えたのは、彼の父が住職を罷免されたことではないか、と思う。そのときから、両親に溺愛されてのびのびと育ってきた苦労知らずの啄木が、一家の主人となって生活の全てを負うことになったのである。それ以後の啄木の文学と思想は、いつも「食=せいかつ」というものを意識させられる中で、深まっていったといえるだろう。

《文学を求めて》

函館:明治40年5月5日〜9月13日

<函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花>

  • 函館の文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」の歌会を通して、その頃短歌から遠ざかっていた彼に五七五七七のリズムがよみがえったことは、特筆すべきである。この経験がなければ、啄木は数々の名歌を生み出し得なかったかも知れない。
  • 友人・宮崎郁雨の功績の一は、啄木上京後の家族の生活を引き受けたこと、であると思う。それは言葉を換えれば、啄木にひとりの時間を与えた、ということであろう。つまり自分をしっかりと見つめる時間である。
  • 8月25日夜に函館の街を襲った大火に遇い、啄木は職を失い、北海道を転々とすることになった、と言われている。だが、それがきっかけにはなったであろうが、それがなくても彼はこの街を出て行ったであろうと思われてならない。啄木は漂泊への衝動を、もとから胚胎していたと思うのである。

(以下略 札幌・小樽・釧路 《小説の中の北海道》)




◯ 啄木歌「肺が小さくなれる」考

  栁澤有一郎

「肺が小さくなれる」歌をめぐって

  • 1911(明治44)年、結核性腹膜炎を発症した石川啄木は、2月、東京帝国大学付属病院に入院する。体力の消耗ははなはだしかった。その後、病状は安定し退院するが、梅雨時から悪化し8月までほとんど寝たきりの生活が続いた。
  • 8月7日、一家は小石川区久堅町へ転居。啄木の病状は小康状態を保つ。

  何がなしに

  肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ──

   秋近き朝。

  • 『悲しき玩具』の最後部に置かれた一首である。
  • 岩城之徳は「胸を病む者の実感をしみじみと伝えた秀作」と定義し「『肺が小さくなれる』』は病状が進んで肺が圧迫され、小さくしか呼吸できなくなったのでこのように歌ったのであろう」と解した。しかしそれは誤ったものと言わざるをえない。

八月二十一日(啄木日記 明治44年)

歌十七首を作って夜「詩歌」の前田夕暮に送る。

朝に秋が来たかと思う程涼しかりき。

  何がなしに

  肺の小さくなれる如く思ひて起きぬ

   秋近き朝

妻の容態も漸くよし

  • 己の身体が快方に向かいつつある喜びと、妻の容態が持ち直したことの安堵感に包まれて、日記は編まれているのである。
  • 気象庁東京測候所の観測記録によると、明治44年8月20日、急に気温が下がる。最低気温は21度と、この月でもっとも低い。また、20日夕方からまとまった雨が降り地表の温度を下げた。雨によって洗われた空気は秋の到来を感じさせ、その冷気は清々しさを与えたことだろう。「肺が小さくなれる」歌は、それゆえに、この実感の延長線上に解釈されなければならないのである。

(以下略 《「電燈の球のぬくもり」歌との関係》)




[] 啄木の警鐘が 遊座さんの語りが 天上からこだまする

「風土計」【岩手日報

  • 「その音とは、樹上から発するキツツキの木霊であった。その瞬間、少年は警告するキツツキに自己をなぞらえ、詩『啄木鳥』を編み出す。詩人啄木の誕生である」。
  • 元国際啄木学会会長の遊座昭吾さんが6日、死去した。あたらめて著書「啄木と賢治」(2004年)を読む。盛岡大教授当時、有無を言わせぬ迫力に満ちた啄木や賢治文学の講義が思い起こされる。
  • 数ある啄木と賢治論で「垂直と水平」の対比は鮮やかだ。樹上の動物が下の人間に警告を投げつける啄木の「垂直の意想」。一方の賢治には、セロ弾きのゴーシュと動物の交感に見られるような、共生の原理とも言うべき「水平の意想」。
  • 閉塞感が強まる現代。分断を超えて、共生をいかに見いだすか。啄木の警鐘が、遊座さんの語りが、天上からこだましている。「岩手の地から意想せよ」と。

(2017-01-13 岩手日報) 

記事


2017-01-12

[] 「あの啄木の写真は片方の耳が大きすぎ」-写真が蘇るまで

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[『石川啄木』の表紙]


石川啄木の古い写真を蘇らせた!

  • 一昨年の暮れにドナルド・キーン先生とお会いし、そのご縁で書籍『石川啄木』(新潮社)の表紙の写真をソニー・デジタルエンタテインメント社でリマスターさせてもらった。いまから100年以上前(1908年)に撮られた集合写真(実寸にして1円玉)を時代考証や撮影環境を考え抜き、現代によみがえらせたのだ。
  • どう考えても、あの有名な啄木の写真は、片方の耳が大きすぎ、片方の眉が太すぎ、など違和感があった。他の画像を見続けるうちに、我々の頭の中で新しい啄木像が出来上がってきた。(福田淳・ソニー・デジタルエンタテインメント社長)

(2017-01-10 ソニー・デジタルエンタテインメントCEO's room)

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2017-01-11

[] 「啄木を生かし、啄木に生きた生涯」遊座昭吾さん追悼

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岩手日報

啄木に生きた生涯

 「遊座昭吾さんを悼む」

   望月善次(前国際啄木学会会長、岩手大学名誉教授)

  • 私共の敬愛おくあたわざる遊座昭吾先生がこの世での生涯を終えられた。
  • 「啄木を生かし、啄木に生きた生涯」であったと思う。その四つを記して先生の恩に感謝したい。

一つは、先生が生まれた宝徳寺の縁を生かしたことである。 宝徳寺に育った先生は、その縁を見事なまでに生かし切ったのである。

二つは、啄木研究の地平を開拓したことである。生育の地「渋民」に基づいた『啄木と渋民』、啄木の全体像を通観した『石川啄木の世界』、『啄木秀歌』、晩年の最後の著書『鎮魂〜石川啄木の生と詩想』(2013年)に至るまで啄木研究に関わる基本的問題を解明し続けたのであった。

三つは、その研究を個人の範囲にとどめず、「学会」として組織したことである。啄木研究の巨人岩城之徳先生による「国際啄木学会」の発足(1989年)は、初代事務局長としての先生の働きなくしては考えられないものであった。95年からは会長も務めた。

四つは、啄木顕彰についての働きである。石川啄木記念館の開館(70年)と現在の百年記念館開館(86年)も先生がおられたればこそ可能であったのである。

  • 先生の研究や、お聞きする度に心に沁みるような講演は、こうした生涯を潜らせながら残してくださったのである。先生に感謝し、及ばずながら、残してくださった道をたどりたいと思う。

(遊座昭吾さんは6日死去、89歳)

(2017-01-11 岩手日報


[][] 「第14回啄木・雪あかりの町・くしろ」入選作品 〜1/21

「雪あかり短歌の入選作品を展示/港文館」【釧路新聞】

  • 釧路新聞社が「第14回啄木・雪あかりの町・くしろ」に向けて募集した短歌の入選作品の展示が21日まで港文館(釧路市大町2)で開かれている。
  • 今回は釧路、根室地方の短歌愛好者から79首の応募があった。釧路歌人会会長の駒板芳夫氏が選者を務めた。天位、片山洋子さん「渋民の母をしのんでうたをよむ凍てつく夜のトンケシの宿」。地位、米島純一さん「三行の歌に残れる傷心を声出し歌ふ雪あかりの町」。人位、菅野貴之さん「さすらひの果てに着きたる夜の宿インク凍りし嘆き歌あり」。
  • それぞれの作品とも明治時代に新聞記者として活躍しながら短歌を創作し続けた啄木の生涯を感性豊かに詠み上げている。

(2017-01-11 釧路新聞)

記事


[] 「むさぼり読んだ石川啄木に支えられた」 自分史

私の戦争、刻む一冊 朝日自分史

朝日自分史で戦争の記録を残す人は多い。共通するのは「戦争の悲惨さやつらさを伝えたい。二度と戦争をしてはいけない」という平和への願いだろう。

防空壕で出会った啄木、心の糧に 小林ミチさん

  • 「日本軍が真珠湾を攻撃し、戦争が始まりました。これからは先生の言うことをよく聞いてください」。大阪府枚方市の小林ミチさん(83)は、1941年12月8日、約2千人の生徒への校長先生の言葉を聞いた。
  • 1945年、呉服雑貨店を営む両親や兄妹らと住む兵庫県西宮市が、繰り返し爆撃を受けた。小林さんは、バリバリドシャンと家が焼け落ちる音を聞きながら逃げた。そんな中で、庭の防空壕の兄の本箱にあった石川啄木の歌集に出会った。
  • 8月6日未明の爆撃で自宅も失い、兄と妹と3人で疎開した。玉音放送は伯母夫婦が住む家の庭で、雑音混じりのラジオで聞いた。親類の家での生活は過酷で、慣れない水くみや農作業を手伝った。地元の子どもたちにいじめられもした。
  • 戦後は結婚し、夫と電話加入権販売や不動産業などを営んだ。戦争中も戦後も、むさぼり読んだ石川啄木に支えられた。なにより啄木の病気や金銭的な苦労にもへこたれなかった姿に引かれ、励まされてきた。感謝の思いを込めて、自分史を「遠き道 歩み来て 〜啄木の歌を心の糧に〜」というタイトルにした。小林さんは「戦争体験を語る人が少なくなり、平和な時代が続くことを祈るばかりです」と話す。(合志太士)

(2017-01-10 朝日新聞)

記事


2017-01-10

[] 啄木の短歌が音楽家を引きつける

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[シロナンテン]


「はがき通信」【朝日新聞】

「啄木を歌う」

  • 30日の「にっぽんの歌 こころの歌」(NHKFM)は石川啄木生誕130年の特集。啄木の短歌を彼の死後、たくさんの作曲家が歌曲にしていることを知りました。
  • ゲーテの「野ばら」のように、啄木の短歌も音楽家を引きつけるのでしょう。もっと世に知らしめていただければと思いました。(平野万里子)

(2017-01-10 朝日新聞)


2017-01-09

[] 啄木も新成人も 時代の波を受ける若者は、いつも大変

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[シロタエギク]


「(社説)スマホ世代の新成人 手中の「利器」が時代開く」 【朝日新聞】

  • 若者をとりまく状況は決して明るくはない。少子高齢・人口減少社会の到来で、将来の負担は重くなる一方だ。息苦しさを感じ、先行きに不安を抱く人、自らの無力にいらだちを覚える人も多いかもしれない。
  • だが、若い世代が秘める大きなパワーと可能性を実感させられる出来事が昨年あった。アニメ「君の名は。」の大ヒットだ。興行収入は200億円を超え、邦画では宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に次ぐ。立役者になったのは、スマートフォンという小さな「利器」を手に握り、それを自在に使いこなす若者たちだ。
  • 部屋でパソコンに向き合っていた時代と違い、手軽なスマホならば、リアルな世界で実際に体験したり他者とふれあったりしながら、同時にネット経由で見えない誰かとコミュニケーションをとることもできる。ここでもヒットの鍵を握るのは若者たちだ。
  • 時代の波頭を受けて生きる若者は、いつの世も大変だった。歌人石川啄木は1910(明治43)年、青年らを押しつぶすような当時の社会の様子を評論「時代閉塞(へいそく)の現状」に書いた。東京朝日新聞で校正係として働き、妻子と母を養っていたが、その2年後に26歳で死去。多くの優れた詩歌が残された。生前、自らの望むようには小説や評論を出版できなかった啄木に対し、新成人はスマホひとつで、知らない人や世界に発信できる世界に生きている。
  • つながる道具の力を、時に失敗もしながら、でも前向きに使ってゆこう。発見をもたらし、新しい文化をうみ、社会を豊かにする。そんな未来をスマホ世代の若者に見いだしたい。

(2017-01-09 朝日新聞)


[] 永六輔さん 旧渋民小学校で啄木についての「授業」をする

「(みちのものがたり)永六輔の旅路 東京都 知らない街をカバン一つで」【朝日新聞】

  • 人生の大半を旅して過ごした人だった。土曜日のラジオ出演が終わると旅に出て、金曜の番組打ち合わせに間に合うように帰京する。ときには金曜に間に合わず、番組直前に戻ることもあった。木綿の手ぬぐいに下着を2セット、風呂敷と手帳を入れた小さなカバンを携えた旅はほぼ毎週、50年近くにわたって続いた。
  • 昨年7月、83歳で亡くなった永六輔さん。旅の体験は独り占めせず、土曜の放送で話し、リスナーと共有した。
  • 知らない街を歩いてみたい――。永さん作詞の歌とともに始まる「遠くへ行きたい」(日本テレビ系)は、1970年から続く長寿番組だ。もとは「六輔さすらいの旅 遠くへ行きたい」として永さん1人が全国を旅する番組として始まった。
  • 記念すべき初回は「岩手山――歌と乳と」。当時の映像を見て驚く。岩手県の小岩井農場で牛や羊を追い回す。石川啄木記念館では「永六輔先生」として、誰もいない旧渋民尋常高等小学校の教壇で啄木についての「授業」をする。名所の説明はほとんどない。行き当たりばったりのような雰囲気すらある。
  • 「『僕の旅にカメラがついてくる』というのが永さんのスタンス。段取りをとても嫌がった。ディレクターが『もう1回やって』というのは禁句。言おうものなら『僕もう帰る』とどこかに行ってしまった」。(岩本美帆)

(2017-01-07 朝日新聞)


2017-01-08

[] 遊座昭吾さん肺炎のため死去  元 国際啄木学会会長

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[遊座昭吾先生]


遊座昭吾さん死去 元 国際啄木学会会長

  • 国際啄木学会会長を務めた石川啄木研究家の遊座昭吾(ゆうざ・しょうご)さんが6日午後10時15分、肺炎のため盛岡市内の病院で死去した。
  • 啄木が少年期を過ごした宝徳寺の生まれ。啄木が詩作などにふけった書院造りの同じ部屋で育った。法政大卒業後、県内公立高教諭などを経て、盛岡大日本文学科教授の傍ら啄木研究にいそしんだ。
  • 「研究と同時に顕彰も大事だ」という姿勢で1970年に開館した石川啄木記念館の建設に際しても企画、立案に関わった。89年の国際啄木学会設立では、中心メンバーとして初代事務局長、95年から4年間会長を務め、啄木研究の国際的進展と研究者の海外ネットワークづくりに貢献した。
  • この間、88年に啄木短歌100首を独自の視点で鑑賞した著書「啄木秀歌」で岩手日報文学賞啄木賞。2000年地域文化功労者表彰、09年岩手日報文化賞学芸部門を受賞。
  • 2016年11月に体調を崩し、盛岡市内の病院で療養していた。

(2017-01-08 岩手日報


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[(2017-01-08 岩手日報)]



2017-01-06

[] 啄木のひ孫の長男は 盛岡で震災復興の仕事も…

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[海]


「タイムトラベル」【読売新聞】

 遺作2首の直筆原稿を複写

  • 病、貧苦、家庭不和、親友との絶交──。「全く絶望の境にいる」と日記に記した3か月後、歌人・石川啄木(1886〜1912年)は小石川の借家で病死した。享年26歳。一昨年、終焉地に隣接する高齢者施設の一角に歌碑と顕彰室が完成。歌碑には、最後の作とされる2首の直筆原稿が複写されている。その一つ。

「眼閉づれど/心にうかぶ何もなし。/さびしくもまた眼をあけるかな」

  • 啄木が危篤の時、5歳だった長女は何も知らず、門口で桜の落花を拾って遊んでいたという。その長女の孫、つまり啄木のひ孫が東京都世田谷区の石川真一さん(51)。生後すぐに亡くなった啄木の長男と同名で、歌碑の除幕式にも出席した。
  • 東日本大震災後、啄木の故郷・盛岡の啄木祭に招かれた際に、被災者から「啄木の歌に勇気づけられた」と感謝された。「こういう時代だからこそ、歌が心のクスリになれば」と話す。真一さんの長男は盛岡で勤務、震災復興の仕事にも関わっている。(阪口忠義)

(2017-01-05 読売新聞 夕刊)


[][] 大論争「あなた啄木派?賢治派?」1/6〜4/9

◎もりおか啄木・賢治青春館

 第74回企画展「あなた啄木派?賢治派?」

  • 会期 2017年1月6日(金)〜4月9日(日)
  • 会場 もりおか啄木・賢治青春館2階展示ホール
  • 入場料 無料

≪ギャラリートーク開催≫

  • 1月28日(土) 午後2時から

 作家:佐藤竜一 「啄木賢治を語る」

  • 2月25日(土) 午後2時から

 対談:おきあんごvs坂田裕一 「二人の劇作家が啄木賢治論争」

 

〇もりおか啄木・賢治青春館
〒020-0871

  岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25

  TEL&FAX:019-604-8900

記事


[] まじめな宮沢賢治 vs 人間くさい石川啄木

「あなた啄木派? 賢治派?」IBC岩手放送

  • 岩手を代表する作家、歌人の宮沢賢治石川啄木を比較しながら、その魅力に迫る企画展が6日、岩手県盛岡市で始まりました。
  • 作品の魅力に加え、素朴でまじめな性格で人気を集める宮沢賢治。作品とともに端正な顔立ちや、人間くさい生き方も好かれる石川啄木。この企画展はそんな2人を比較して、人間像に迫ろうというものです。
  • 来館者から集めたアンケートをまとめたものは、若い世代ほど賢治に惹かれる人が多いことがわかります。また、会場には賢治が好きな人、啄木が好きな人それぞれが、自由にメッセージを残すコーナーもあります。

(2017-01-06 IBC岩手放送

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[] 好きな短歌は…

練習手帳 < 中高生新聞 < 読売新聞

 行く年 来る年…1月6日号のテーマ

 【竹内政明・読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」担当】

  • 1月1日付のコラムを毎年、どんな気持ちで書いているかをお話しします。
  • 普段の編集手帳は、その時どきのニュースを題材にしていますが、元日付に時事問題は取り上げません。年の瀬に見た風景や聞いた会話、つまり“私自身”を語ることにしています。読者の皆さんに向けた新年のご挨拶ですね。この欄もそのつもりで書きました。好きな短歌、俳句、詩を一つずつ紹介しましょう。

 〈何となく/今年はよい事ある如し/元日の朝、晴れて風無し〉(石川啄木

 〈今年はと思うことなきにしもあらず〉(正岡子規

 〈もの總て/変りゆく/音もなく/思索せよ/旅に出よ/ただ一人/鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凛と〉(辻井喬『新年の手紙』)


 いかがです、新しい年に向かうエンジンに点火できそうですか? また1年、お付き合いください。

(2017-01-06 読売新聞)

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。(文字化けする場合あり)


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