啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

 

2016-10-01

[][] 「啄木の歌を聴いたことがありますか?」コンサート 10/8

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[コマツナギ]


啄木生誕130年、相模原で8日に短歌のコンサート

  • 若き日の石川啄木(1886〜1912年)を励ました政治家がいた。「憲政の神様」として知られる元東京市長(現東京都知事)の尾崎行雄(咢堂(がくどう))だ。今年は啄木生誕130年。相模原市出身の尾崎と岩手出身の啄木とのつながりをひもといた同市の郷土史家、山田真也さんが「記念すべき年に啄木の歌を多くの人に知ってもらう機会にしたい」と、企画したコンサート「啄木の歌を聴いたことがありますか?」が8日、同市の相模原女子大学グリーンホール大ホールで開かれる。
  • 啄木は明治37年、処女詩集を出版するために上京。尾崎に詩集出版の協力を申し出るが、正業に就くよう説諭される。翌38年、啄木念願の処女詩集「あこがれ」が出版され、その巻頭言に啄木は「この詩集を尾崎行雄先生と故郷の山河に捧(ささ)げる」と記している。
  • また、日記「啄木日記」には「尾崎先生に寄付をもらった」という記述があり、山田さんは「尾崎が啄木の処女詩集の出版に協力した可能性が高いことが推定される」という。
  • 山田さんは、岩手県雫石町出身で啄木の短歌を歌うソプラノ歌手、田中美沙季さんを知り、尾崎と啄木のつながりを知ってもらいたいとコンサート開催を思い立った。啄木の短歌には、多くの作曲家が曲を付けており、田中さんはレパートリー約50曲の中から著名な20曲を選ぶ。首都圏では初めてのコンサートだという。

「啄木の名歌・名曲コンサート」

  • 会場 相模女子大学グリーンホール大ホール(相模原市南区相模大野4の4の1)
  • 2016年10月8日 14:00 〜
  • 費用:1000円(当日は1200円)
  • 問い合わせ (電)090-4709-5585(山田さん)


(2016-10-01 産経新聞)

記事


2016-09-30

[][] 国際啄木学会 東京支部会 明大 駿河台校舎 10/15

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[ヤマボウシ]


国際啄木学会 東京支部

  • 2016年10月15日(土)14:00 〜
  • 場所 明治大学駿河台校舎 研究棟2F 第9会議室
  • 発表
    • 木内英実 「中勘助の「銀の匙」の諸点」(仮題)
    • 池田 功 「韓国における日本文学研究の現状─石川啄木を中心に」

 

○ 終了後、支部会をおこないます

 ☆ 初めての方のご参加も歓迎 ☆



[][] 短歌募集……啄木コンクール 応募〆切 1/31

2017年度「啄木コンクール」作品募集! 新日本歌人協会

◎ 応募要項

  • 作品 20首
  • テーマ 主題、内容は自由
  • 表現形式 定型、口語・自由律を問いません
  • 応募資格 どなたでも
  • 応募〆切 2017年1月31日
  • 応募先 新日本歌人協会「啄木コンクール」係 

     〒170-0005   東京都豊島区南大塚2-33-6-301

記事


2016-09-29

[] 石川啄木が愛したコーヒーを再現「啄木ブレンド」など 盛岡市産業まつり 9/28~10/3

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[秋]


盛岡の食品、工芸品が一堂に 産業まつり開幕

  • 第36回盛岡市産業まつり(実行委主催)は28日、同市菜園のカワトク7階で始まった。今年は旧玉山村との合併10周年と盛岡手づくり村の開業30周年を記念した食品や工芸品を集めた。10月3日まで。
  • 今年初参加で、石川啄木が愛した味を再現したコーヒー「啄木ブレンド」などを販売する喫茶緑青(ろくしょう)(同市渋民)の花坂洋介店主は「玉山の味を堪能してもらう機会にしたい」と話した。
  • 午前10時から午後7時(最終日は同5時)まで。入場無料。

(2016-09-28 岩手日報

記事


2016-09-28

[] 自分の “ことばの柄杓” ですくい取る 「短歌甲子園

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[彩雲]


みちのく随想 この夏を汲む

「新聞に潜む声と表情」

  • 歌人石川啄木生誕130年記念の「短歌甲子園2016」に勤務校の特設文芸チームは出場した。
  • 対戦の舞台は、啄木にならい三行書きで紅対白の二首が並び映される大スクリーンの前だ。「天然」の題で詠んだ、二年男子の歌。「描く空/いくら直せど程遠く/天然ものの色は創れず」─ふるさとの空を描こうとして描ききれないもどかしさを、自分の「ことばの柄杓」ですくい取っている─客席からスクリーンを仰ぎ、その歌から降りかかる清冽さにわたしは洗われていた。
  • 9月初旬、今夏の全国大会報告を一面とし月刊学校新聞を発行した。記事の一つ、「短歌甲子園2016」には出場生徒の短歌と声を掲載した。緊張の中で感受し、歌として伝える苦しみと喜び。大舞台を踏んだ満足と自信に輝く彼らの表情も、そこには潜んでいる。

(第9回岩手日報随筆賞受賞者・盛岡市 菊池久恵)

(2016-09-25 岩手日報


2016-09-25

[][] 秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <7>

7 錦木塚歴史公園 啄木は伝説を聞き作品をつくる


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「錦木塚歴史公園」の広い敷地を区切るこの門が「錦木塚」への入口


錦木塚伝説

今から千数百年前のこと、錦木のあたりに政子姫という娘がいた。錦木を売る若者が政子姫を見て心の底から好きになってしまった。毎日毎日、男は求婚のしるしの錦木を姫の門の前へ立てた。若者は雨の降る日も風の吹く日も、雪の降る日も一日も休まず錦木を立てた。しかしあと一束で千束になるという日、体がすっかり弱っていたため門の前に降りつもった雪の中に倒れて死んでしまった。姫もその二、三日後、あとを追うように死んだ。姫の父は二人をたいそう哀れに思い、千束の錦木といっしょに一つの墓へ夫婦としてほうむった。その墓のことを錦木塚という。

鹿角市発行「鹿角市史」)




 

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左に「錦木塚伝説」の掲示板・右奥の石囲いが「錦木塚」

 

◉1901(明治34)年7月下旬、啄木は友人たちと秋田県鹿角地方へ旅行した。このことからいくつかの作品が生まれた。


◎盛岡中学校校友会雑誌3月号(第3号)明治35.3.24

 にしき木 <短歌>二首

◎「明星」 1904(明治37)年2月号

 錦木塚 <詩>

(一) 槇原に夕草床布きまろびて

(二) 長の子の歌  わが恋は、波路遠く丹曽保船の

(三) 政子の歌   さにずらひ機ながせる雲の影も

◎詩集『あこがれ』1905(明治38)年5月3日

 錦木塚<古伝承に取材>昔みちのくの鹿角の郡に女ありけり

 にしき木の巻        槇原に夕草床布きまろびて

 のろひ矢の巻(長の子の歌) わが恋は、波路遠く丹曽保船の

 梭の音の巻(政子の歌)   さにずらひ機ながせる雲の影も

◎「明星」 1906(明治39)年1月号

 「鹿角の国を憶ふ歌」 <詩> 青垣山を繞らせる 天さかる鹿角の国をしのぶれば

◎『紅苜蓿』 1907(明治40)年2月号

 「鹿角の國を憶ふ歌」 <詩> 青垣山を繞らせる 天さかる鹿角の国をしのぶれば







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「錦木塚伝説」の掲示板



◎盛岡中学校校友会雑誌3月号(第3号)明治35.3.24

 にしき木 <短歌>二首

  夕雲に丹摺はあせぬ湖ちかき草舎くさはら人しづかなり

  甍射る春のひかりの立ちかへり市のみ寺に小鳩むれとぶ    

                   白蘋(はくひん)     

  (丹摺=にずり、草舎=くさや、甍=いらか)



◎「明星」 1904(明治37)年2月号

錦木塚

(一)

槇原に夕草床布きまろびて

淡日影旅の額に射し来る丘、

千秋古る吐息なしてい湧く風に

ま白雲遠つ昔の夢と浮び

彩もなき細布ひく天の極み、

あゝ今か、浩蕩なる蒼扉つぶれ

愁知る神立たすや、日もかくろひ、

その命令の音なき声ひゞき渡り、

枯枝のむせび深く胸を憾れば、

窈冥霧我が瞳をうち塞ぎて、

身をめぐるまぼろし、そは百代遠き

辺つ国の古事なれ。こゝ錦木塚。

(後略)


(二)長の子の歌

わが恋は、波路遠く丹曽保船の

みやこ路にかへり行くを送る旅人が

袖かみて荒磯浦に泣きまろぶ

夕ざれの深息にしたぐへんかも。

夢のごと影きえては胸しなへて、

あこがるゝ力の、はた泡と失せぬ。

(後略)


(三)政子の歌

さにずらひ機流せる雲の影も

夕暗にかくれ行きぬ。吾が希望も

深黒み波沈まる淵の底に

泥の如、また浮き来ずほろび行きぬ。

(後略)


≪未完≫

(秋田県鹿角郡、花輪より小坂に至る途上、毛馬内の南十町許にして路傍に錦木塚あり。悲愁鎮魂の伝説今に伝はりて、心ある旅人の幾世かこゝに涙を濺ぎけん。我十六歳の年友とこの古跡を探りて、故老の情けに古記を抄録し帰りける者、今猶蔵して篋底にあり。この吟をなしえたる、それ或は多少の縁あるか。

此詩、五六六を一句とする新調の試作なり。識者の高誨を待つ。)

石川啄木全集 第二巻 筑摩書房 昭和59年)











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錦木塚の石柱 後ろの石囲いが「錦木塚」


◎詩集『あこがれ』1905(明治38)年5月3日

錦木塚

(昔みちのくの鹿角の郡に女ありけり。よしある家の流れなればか、かかる辺つ国はもとより、都にもあるまじき程の優れたる姿なりけり。日毎に細布織る梭の音にもまさりて、政子となむ云ふなる其名のをちこちに高かりけり。隣の村長が子いつしかみそめていといたう恋しにけるが、女はた心なかりしにあらねど、よしある家なれば父なる人のいましめ堅うて、心ぐるしうのみ過してけり。長の子ところの習はしのままに、女の門に錦木を立つる事千束に及びぬ。ひと夜一本の思ひのしるし木、千夜を重ねては、いかなる女もさからひえずとなり、やがて千束に及びぬれど政子いつかなうべなふ様も見えず。男遂に物ぐるほしうなりて涙川と云ふに身をなくしてけり。政子も今は思ひえたえずやなりけむ、心の玉は何物にも代へじと同じところより水に沈みにけり。村人共二人のむくろを引き上げて、つま恋ふ鹿をしぬび射にするやつばら乍らしかすがにこのことのみにはむくつけき手にあまる涙もありけむ、ひとつ塚に葬りて、にしき木塚となむ呼び伝へける。花輪の里より毛馬内への路すがら、今も旅するひとは、涙川の橋を渡りて程もなく、草原つづきの丘の上に、大きなる石三つ計り重ねて木の柵など結ひたるを見るべし。かなしとも悲しき物語のあとかた、草かる人にいづこと問へばげにそれなりけり。伝へいふ、昔年々に都へたてまつれる陸奥の細布と云ふもの、政子が織り出しけるを初めなりとかや。)


  にしき木の巻        槇原に夕草床布きまろびて(後略)

  のろひ矢の巻(長の子の歌) わが恋は、波路遠く丹曽保船の(後略)

  梭の音の巻(政子の歌)   さにずらひ機ながせる雲の影も(後略)

 

(甲辰の年一月十六、十七、十八日稿。この詩もと前後六章、二人の死後政子の父の述懐と、葬りの日の歌と、天上のめぐり合ひの歌とを添ふべかりしが、筆を措きしよりこゝ一歳、興会再び捉へ難きがまゝに、乍遺憾前記三章のみをこの集に輯む。)


石川啄木全集 第二巻 筑摩書房 昭和59年)



〈音読・現代語訳「あこがれ」石川啄木〉17 望月善次

〔現代語訳〕

錦木塚(にしきぎづか)全4回の1:前文

〔昔、陸奥の鹿野に女性がおりました。由緒ある家筋であることもあり、その辺りの国はもとより、都にもいない程の優れた容姿でありました。毎日織っている(その地方名産の)「細布(ほそぬの、幅の狭い布)」を織る際の「梭(オサ)」の音にも勝って政子という名は、色々なところで高かったのです。隣村の長(おさ)の息子が、いつか見初めて、強く強く恋したのですが、女性の方は、気持ちが無かったわけではなかったのですが、由緒ある家でしたので、父親のガードも堅く、気にかけながら過ごしておりました。……〕(2010-09-09 盛岡タイムス)






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千束の錦木といっしょに夫婦として一つの墓に葬る



近世ではこの地は「歌枕の地」とされており、菅江真澄や古川古松軒および松浦武四郎がそれを記録しているほか、幕府巡見使がここに巡見所を設け、地元民に塚の縁起を聞き、細布の献上をしている。石川啄木金田一京助から錦木塚の伝説を聞き、この地に足を運び、「鹿角の国を懐う歌」をつくり歌っている。また、長詩「錦木塚」を雑誌明星に発表している。

塚は現在小公園の隅にあり、菅江真澄が犬の伏せた形と表現した大きな置き石がある。

(ウィキペディア「錦木塚」)










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公園の周囲はニシキギの垣根


錦木塚のあるこの地は、古歌に詠み込んだ名所「歌枕の里」として末の松山や象潟と並ぶ多くの歌人たちの憧れの場所でした。菅江真澄の遊覧記「けふのせば布」の中で錦木として5種類の木が出てきますが、この公園にはこれらを中心に植栽しています。


①楓の木(ハウチワカエデ)

②まきの木(マユミ)

③酸の木(ヌルデ)

④かばざくら(オオヤマザクラ)

⑤苦木(ニガキ)






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ニシキギ


幾種類ものニシキギが枝を伸ばし葉を広げている。

秋深くなれば、この錦の葉がいっそう鮮やかになることだろう。




  • 錦木塚歴史公園

(つづく)


2016-09-24

[] 石川啄木は変幻自在に姿を変え、どこへでも飛んでいく……

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[ゲンノショウコ]


◯酔狂道中記

凡人が「天才」になれる時

 ○めっちゃ関西

  • 独創的な芸術家や科学者とは、「いまだ存在せざるものを心の中で見たり聴いたりした人」なのだろう。たとえばゴッホの「星月夜」−−あんな風景は、ゴッホ以前には誰も目にしたことがない。それを彼の「天才」は、いつか確かに「見た」のだ。
  • これと似たことが、夢の中ではぼくら凡人にも時に可能になる。夢を見ている人は誰もが「天才になっている」のかもしれない。
  • そんな自由な想像力には誰もが憧れる。中でも、それを希求した石川啄木は、変幻自在に姿を変え、どこへでも飛んでいく空の雲に託して「雲は天才である」という小説を書いた。ただ、この小説は未完の失敗作で、啄木自身も、「くだらない小説を書きてよろこべる男憐れなり初秋の風」と詠んだ。
  • その啄木が短歌にはすばらしい作品を残した。寝入りばなの夢のような、のどかで懐かしい田舎の夕暮れ風景がほうふつするこんなのが、私は好きだ。

  「宗次郎におかねが泣きて口説き居り大根の花白きゆふぐれ」

  • やっぱり「雲より夢」こそが「天才」なのだ。

  <ものがたり観光行動学会副会長 高田公理>

(2016-09-23 毎日新聞>大阪夕刊)

記事


2016-09-22

[][] 啄木の曲を歌い継ぐ歌手のコンサート -盛岡 11/20

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[啄木コンサート(チラシ 表)]


石川啄木記念館 企画展

 啄木生誕130年記念 啄木コンサート

  • 2016年11月20日(日)  13:30開演 (13:00開場)
  • 料金:前売 1,000円 (当日 1,300円)
  • 場所:渋民文化会館(姫神ホール)岩手県盛岡市玉山区渋民字鶴塚55

今年、石川啄木が生誕130年を迎えることを記念して啄木の曲を歌い継ぐふたりの歌手によるコンサートを開催します。

○ 第1部 ソプラノの調べ  出演:田中美沙季(ソプラノ)、南澤佳代子(ピアノ)

○ 第2部 テノールの響き  出演:森田純司(テノール)、平井良子(ピアノ)、伊藤八重子(ナレーション)

○ 第3部 ソプラノとテノールの競演

主な曲目 竹田伊三郎作曲「かの浜なすよ」 越谷達之介作曲「やはらかに柳あをめる」 新井満作曲「ふるさとの山に向かひて」ほか


記事


2016-09-21

[][] まもなく『補輯・石川啄木文献書誌集大成』出版

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[『補輯・石川啄木文献書誌集大成』]


啄木関連文献 一覧に

 湘南文庫(神奈川)主宰の佐藤さん

  • 湘南啄木文庫主宰、国際啄木学会理事の佐藤勝さんは10月、「補輯(ほしゅう)・石川啄木文献書誌集大成」を出版する。石川啄木生誕130年を記念し、啄木関連の文献の目録をまとめた労作。研究者はもちろん、愛好者にも貴重な一冊となりそうだ。
  • 佐藤さんは1999年「石川啄木文献書誌集大成」を出版し、2000年に第15回岩手日報文学賞啄木賞を受賞している。
  • 新たに出版するのは、その続編で1999年1月以降の文献目録。本や新聞記事だけでなく、企画展のチラシやテレビ番組なども網羅した。点数は1万数千点に上る見通し。
  • 佐藤さんは福島県いわき市出身。中学卒業後、集団就職で上京する際、担任の先生に歌集「一握の砂」をもらったのが、啄木との出合い。以来、啄木が心の支えとなり、関連のものを集め始めた。啄木の文字が入っているものは文鎮や箸置き、お菓子の包み紙に至るまで収集する。
  • 「ネット上にだけ発表される文献や、外国語版などをどうするのかが今後の課題」と語る。

(2016-09-20 岩手日報



『補輯・石川啄木文献書誌集大成』

・佐藤勝著 桜出版

・B5判函入上製本 約450頁 定価 本体3,000円+税

・2016(平成28)年10月刊行予定!

特典:予約者にのみ、著者特製(検索などに便利な)CD−Rをプレゼント。(特典は「桜出版」に直接申し込まれた方のみ)

予約は桜出版へ

『補輯・石川啄木文献書誌集大成』

 桜出版

 ・〒028-3312 岩手県紫波郡紫波町犬吠森字境122番地

 ・電話:019−613−2349 

 ・FAX:019−613−2369

 ・E‐Mail:sakuraco@leaf.ocn.ne.jp


[] 啄木は『彼女は嫌い』と、あからさまに書いた

キーン氏、柏崎で対談 センター開館3周年

  • 日本文学者のドナルド・キーン氏を招いた対談が19日、柏崎市文化会館アルフォーレであった。約900人の聴衆の前で、近著の評伝「石川啄木」を素材に国際啄木学会長の池田功・明治大学大学院教授と語り合った。
  • 「啄木は『彼女は嫌い』とか自分の心の底をあからさまに書いた。正岡子規など『私』のことを言わない同時期の詩歌とは違い、現代性を強く感じる」と啄木観を語った。
  • 東日本大震災をきっかけにキーン氏は日本永住を決め、日本国籍をとった。原発事故で全町避難となった双葉町の伊沢史朗町長は、「キーンさんは原発事故の惨状にも心を痛めているそうだ。対談を聞いて、日本人以上に日本的な心情の人だと実感した」と話す。(渥美好司)

(2016-09-21 朝日新聞)

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[] 「(啄木の妻)節子さんみたいな人と結婚したい」と川島の姿を絶賛

川島海荷、美しい白無垢姿に絶賛の声「こんなお嫁さん欲しいわ〜」

  • 女優の川島海荷が16日、自身のインスタグラムアカウントにて白無垢の嫁入り姿になった姿を公開。
  • この写真は16日に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『歴史秘話ヒストリア』にて、川島が明治の文豪・石川啄木の妻、節子役で出演の際に着用した時のもの。川島は真っ白の白無垢姿で笑顔を見せている。
  • これを見た絵ファンからは「こんなお嫁さん欲しいわ〜」「節子さんみたいな人と結婚したいと思いました」と川島の姿を絶賛する声が多く寄せられている。

(2016-09-20 アメーバニュース)

記事


2016-09-20

[] キーンさん「啄木は最初の現代的な日本人である」

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[マユミ]


柏崎キーンセンター3周年  BSN新潟放送

  • 日本文学の研究で知られるドナルド・キーンさんの業績を紹介する柏崎市の施設が開館3周年を迎え、記念講演会が開かれました。
  • ドナルド・キーン・センター柏崎は、日本文学や日本文化の研究を海外に伝えてきたキーンさんの業績を紹介していて、ニューヨークの書斎を復元したスペースも人気です。
  • 柏崎市の名誉市民でもある94歳のキーンさんは、今年生誕130年の詩人、石川啄木(いしかわ・たくぼく)の評伝を出版し、また記念対談でも「啄木は最初の現代的な日本人である」と評価していました。

(2016-09-20 BSN新潟放送

記事


2016-09-19

[] 啄木役・溝端淳平「どれぐらい惚れさせたら、ああいう男を許せるのか」

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[ヘラオオバコ]


NHK総合テレビ

溝端さん、川島さんが語る啄木夫婦の"愛"

9月16日放送の歴史秘話ヒストリア「妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子」にご出演の、石川啄木役・溝端淳平さんと、その妻・節子役の川島海荷さんの、特別のコメント。


溝端淳平さんのコメント

  • 石川啄木といえば、若くして亡くなった天才というイメージで、教科書で一度は目にする方だという認識しかありませんでした。今回演じるに当たり、啄木の作品を読んだり映像で舞台を見たりして調べましたが、啄木って壮絶な人生を送ったんだなと思いましたね。
  • 妻である節子については、単純になんでこんな男を好きになったんだろうって思いました。いったいどれぐらい惚れさせたら、ああいう男を許せるんでしょうか。でもそれぐらい魅力的だったんだろうなと。それは自分へのプレッシャーでもありますけど。
  • 特に若い人たちにとってこの番組を見ることが、何かのきっかけになればいいなと思います。石川啄木というギリギリで生きてきた人の人生を知り、それを見て自分がどう考えるか、どう解釈するかが一番大事だと思います。

◎川島海荷さんのコメント

  • 石川啄木については、学生時代名前は聞いたことがあったのですが、詳しい人生は知らなかったので、あまりしっかりとしたイメージは持っていませんでした。このお仕事をいただいて台本を読んで、こんな波乱万丈な人生送ってきたんだ、現代では信じられないような価値観を持っていたんだということを知りました。
  • 個人的には啄木の性格の面とか生活感というか、そういうところは共感できませんね。ただ節子は、才能に惚れこんで才能を開花させるために妻として支えたい一心だったのだと思います。 
  • 私の目線では、歴史上の人物として啄木は有名だと思うんですけど、その裏に彼を愛し続けて支えていた妻がいたことはそれほど有名ではないと思うんです。その妻が無条件の愛で支え続けたからこそ、啄木は何度転落しそうになっても這い上がってこられた。ぜひこの愛の物語をたくさんの人に知ってもらえたらなと思います。

記事


[] 「たはむれに 母を背負う・・」とは全く逆!

<水たまり> 閑古鳥(社説)<名寄新聞

  • 「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず」。明治の歌人、詩人、そして評論家でもあった石川啄木の歌。26歳という若さで他界した啄木だが若さ故か、あまり親孝行ではなかったようだ。
  • 啄木が生まれたのは岩手県。その岩手県岩泉町は先の台風10号で甚大な被害を受けた。務台(むたい)俊介内閣府政務官が今月初め、豪雨被害地を視察する際、水たまりを渡るのに職員に「おんぶ」されていたという。その時の写真が広まっているが、啄木の「母を背負う」イメージとは全く逆。

(2016-09-17 名寄新聞)

記事


 
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「本家 啄木の息」は、下記のリンクでご覧になれます。

・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。(文字化けする場合あり)


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