啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

 

2016-05-24

[][] 「あまちゃん」出演の渡辺えりさんの講演も 「啄木祭2016」6/4

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[オリーブ]


盛岡渋民で「啄木祭2016」開催へ 今年は啄木生誕130周年

  • 盛岡市渋民文化会館「姫神ホール」で6月4日、「啄木祭2016〜母を背負ひて〜」が開催される。啄木生誕130周年を迎える今年は、ドラマ「あまちゃん」にも出演した女優の渡辺えりさんを講師に迎え、「わたしと啄木・賢治・光太郎」という演題で講演を行う。渡辺さんは舞台で啄木の母カツを演じたこともあり、「啄木の母」というテーマで、石川啄木記念館の館長、森義真さんと対談も行う。
  • 森さんは「渡辺さんは東北出身で、岩手にもゆかりのある方。女優の目線からどのように『啄木の母』を捉えたのか、そういった話を聞くのがとても楽しみ。この機会をきっかけに、たくさんの人に啄木についてあらためて知ってもらえればうれしい」と話す。また「郷土の先人として啄木を知っている人は多いが、作品について知っている人はまだ少ない。啄木の歌は誰もが心に持っている気持ちを表現しているので共感しやすい部分もある。このイベントを通して啄木についての見方を変えてほしい」と呼び掛ける。

(2016-05-24 盛岡経済新聞)

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2016-05-23

[][] 高知市・初! 啄木公開セミナー 6/18

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[クスノキ]


啄木 研究セミナー 参加者を募集 6月18日

  • 「一握の砂」などで知られる岩手県出身の歌人、石川啄木の研究などを目的に活動する国際啄木学会は6月18日、高知市丸ノ内の県立文学館で公開セミナーを開く。同学会は参加者を募集している。
  • 啄木の父で歌人でもあった一禎(いってい)は高知市で生涯を終えており、2009年にJR高知駅南側に父子の歌碑が建立されるなどの縁があることからセミナーを初開催することになった。
  • 午後2時、開会式。高知ペンクラブ高橋正会長の講演「石川啄木と高知のえにし」、近藤典彦群馬大元教授や田口道昭立命館大教授らによるシンポジウム「啄木と大逆事件幸徳秋水」などを予定している。
  • 参加費は500円。
  • 申込、問い合わせは、電話:088・847・2330 (岡林一彦セミナー実行委員長)へ。

(2016-05-22 高知新聞)

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2016-05-21

[][] 原敬石川啄木、新聞記者としての活躍も紹介 6/3~7/24

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[フキ]


◎岩手県立図書館

企画展「岩手の新聞人たち」

岩手県で初めての新聞「巖手新聞誌」の発行から140周年を迎えるのに合わせ、日本と岩手の新聞の歴史を所蔵資料でたどります。併せて、原敬石川啄木など、新聞記者としても活躍した岩手の先人たちを紹介します。

  • 開催期間 平成28年6月3日(金)〜7月24日(日)
  • 会場 アイーナ(いわて県民情報交流センター)4階 岩手県立図書館 企画展示コーナー

  • 岩手県立図書館

岩手県立図書館

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2016-05-20

[] 現代人は石川啄木を読むといい  キーンさん

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[タラノメ]


ドナルド・キーンさん「啄木は私たち現代人と似ている」

  • 現代人は、石川啄木を読むといい。日本文学研究者のドナルド・キーンさんはそう話す。「啄木は、私たち現代人と似ているのです」。
  • 「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる」。歌集『一握(いちあく)の砂』が有名だが、「啄木の最高傑作は日記だ」とキーンさんは言う。特に「傑作」とみなすのは、啄木がつづった、いわゆる「ローマ字日記」。
  • 「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ」。啄木はローマ字でそう記し、買春を繰り返す日々を赤裸々につづっていく。

(2016-05-20 朝日新聞)

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2016-05-19

[] 実物の啄木&節子のツーショット写真 石川啄木記念館

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[カエデ]


啄木の妻 節子の生涯解説…盛岡・啄木記念館

  • 石川啄木(1886〜1912年)の生誕130年を記念した企画展「啄木の妻 節子」が、盛岡市渋民の石川啄木記念館で開かれている。啄木の妻・節子は啄木と同じ年生まれ。当時としては珍しい恋愛結婚だった。生涯にわたり啄木の才能を強く信じた。
  • 企画展では、節子の生涯をパネルで解説。啄木と節子のツーショット写真の実物や、節子が知人に借金返済の延期を求める直筆の手紙などを展示している。同館の中村晶子学芸員は「啄木の才能を若い頃から見いだし、支え、そして亡くなった。啄木が焼くように言い残した日記を守るなど、啄木が世に見いだされるために節子が担った役割を見てほしい」と話している。

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(2016-05-19 読売新聞)


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2016-05-18

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑳ 東京(上))

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[サクランボ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑳ 東京(上)

  「文学で成功」に挫折

  • 啄木は、3度にわたり東京で暮らした。
  • 1度目は「明星」に歌が掲載された後の1902(明治35)年10月。16歳で盛岡中学校(現盛岡一高)を中退し、文学で身を立てるべく上京する。甲南大学(神戸市)文学部教授の木股知史(きまたさとし)さんは「日露戦争の前、富国強兵策により東京には軍需工場などが建ち、人口が一極集中していた」、「啄木は、実業界で成功するがごとく、東京に出て文学で成功しようと考えていた」と背景を解説する。しかし、11月下旬からの日記には体調不良を思わせる言葉が目立ち、翌年2月、迎えに来た父一禎とともに渋民村へと帰る。
  • 恋人で後の妻となる節子や鉄幹に励まされ病と心の傷が癒えた啄木は1903年5月、「岩手日報に評論「ワグネルの思想」を連載。また、最初の詩稿ノート「EBB AND FLOW」を作成し、さまざまな雑誌に詩を発表するようになる。
  • 2度目は、1905年10月、詩集を出版して節子との結婚費用を捻出するために再び東京へ赴く。翌年5月、第一歌集「あこがれ」が発行された。しかしほとんど売れなかったという。啄木は盛岡へと帰り、1906年4月からは母校、渋民尋常高等小学校(現渋民小)代用教員となる。
  • 3度目の上京は1908年4月のこととなる。

☆不自然な欲望見抜く 作品に見る啄木

   考へれば、

   ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。

   煙管をみがく。

  • 「悲しき玩具」に収められたこの歌の初出は1911(明治44)年の「早稲田文学」。「本当にほしいと欲求するものは、あるようでいてない」と、煙管を磨きながら考える様子を表現している。
  • 木股さんは「この歌は平易ながら、思想はとても深い」と鑑賞する。
  • 啄木が上京した明治中期から大正中期までの約30年間は、山手線内側の人口は約300万人で「経済テイクオフ」とも言われる。そうした時代の中、啄木は都市の人々の欲望を見つめる。
  • 「商品として販売されているものには消費の欲望をかき立てられる。しかし、それが本当にほしいものかというと、どうもそうではないような気がする。生活に備わっている理性のようなもので、市場社会によってつくられた欲望の不自然さを見抜いている」と、啄木の視点の鋭さを読み取る。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-05-18 岩手日報

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2016-05-14

[][] 啄木最大の理解者・節子の生涯と功績に光を当てて ~9/4

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[ドウダンツツジ]


啄木の妻節子の生涯たどる 盛岡で企画展

  • 石川啄木記念館(森義真館長)の第5回企画展「啄木の妻節子」は9月4日まで、盛岡市渋民の同館で開かれている。啄木と同じ1886(明治19)年に生まれた節子も、今年生誕130年。啄木最大の理解者であった節子の波瀾(はらん)万丈の生涯と、その功績に光を当てている。
  • 13歳ごろからの恋を実らせ1905(明治38)年、啄木と結婚するが、結婚式に啄木は現れなかった。2人の結婚を反対する友人に宛て節子は「吾れはあく迄愛の永遠性なると言ふ事を信じ度候」と手紙を書いている。
  • 会場には節子が盛岡女学校(現盛岡白百合学園高)時代に友人と撮影した写真や啄木との写真、履歴書、啄木が亡くなったことを友人に知らせる手紙、節子が亡くなったことを報じた新聞記事など51点を展示。幼少期から女学校時代、結婚してから貧苦、病苦にも耐えた人生を紹介している。

  • 関連行事
    • ギャラリートーク(同館展示室で午後2時から)5/29、6/26,7/31,8/28。
    • 講演会「啄木の妻節子〜貧苦に耐えて」5/28 (午後2時・渋民公民館)

(2016-05-13 岩手日報

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2016-05-13

[][] 切り絵「石川啄木の世界」 群馬 ~5/30

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[シロヤマブキ]


石川啄木生誕130年記念し生涯表現 切り絵百景館 /群馬

  • 群馬県川場村谷地の日本切り絵百景館で「生誕130年記念 石川啄木祭」が開かれている。館長の後藤伸行さんが、30年前に生誕100年を記念して5年かけて啄木の短歌からイメージした栄光と流転の生涯を表現した作品50点が展示されている。30日まで。
  • 後藤館長は「私が表現した作品を見た人がどう感じるか楽しみです」と話している。【米川康】

(2016-05-13 毎日新聞)


  • 「日本切り絵百景館」

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2016-05-12

[] 「「渋民といふ文字…」啄木祭全国俳句大会 受賞句

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[モチノキ]


啄木祭 盛岡で俳句大会

  • 石川啄木生誕130年・盛岡市玉山村合併10周年・第58回啄木祭全国俳句大会は8日、渋民公民館で開かれた。約90人が参加し、投句。古志・草笛同人川村杳平さんが「俳句の楽しさと苦しさ―私の俳句時評―」と題して記念講演した。
    • 「渋民といふ文字にさへ春愁ふ」啄木祭賞 沼田和子
    • 「色あせた切手舐めたる啄木忌」啄木祭賞高校生の部 岩瀬花恵

(2016-05-10 岩手日報

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[] 「啄木の丘」感慨一層 岩山公園30周年で記念式典

  • 盛岡市新庄の岩山の中腹に盛岡観光協会(現盛岡観光コンベンション協会)が中心となって石川啄木の銅像の周囲一帯に設けた「啄木望郷の丘」の30周年記念式典は8日、岩山公園展望台で行われた。市内外から出席した約150人が岩手山や姫神山、啄木が愛した盛岡の街並みを眺め、郷土の歌人に思いをはせた。
  • 丘は1982年、市民からの寄付を募って建てた啄木の銅像とともに開設。周辺には歌碑などもある。啄木の生誕130周年に合わせ式典を行った。

(2016-05-09 岩手日報


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2016-05-11

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑲ お金)

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[ヤマツツジ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑲ お金

  多額借金 メモに詳細

  • 「嘘つき、甘ちゃん、借金王、生活破綻者、・・・泣き虫、生意気、ほとんど詐欺師、・・。石川啄木という人物は、じつにさまざまな不名誉きわまりない異名の持主です」。作家・劇作家の故井上ひさしさんは啄木について、エッセーでこう表現している。
  • 国際啄木学会名誉会員で元会長の近藤典彦さんは「啄木は父一禎から、金を持つと後先構わずに使うといった金銭感覚をはじめ、生業(会社勤め)の軽視、家族扶養義務の軽視、人間観、責任と直視の回避、といった影響を受けた」とみる。借金を正当化するために「自分こそは子どものように清らかな心を失わずに生きていく、という『小児の心』に、『天才主義』を取り込み、多額の借金や踏み倒しを実行した」。その結果、啄木は「金にだらしのない男」と称されることとなる。
  • 一方で近藤さんは「全借金を返済することも、真面目に考えていた」と、啄木が残したいわゆる「借金メモ」の存在を挙げる。63人分、総額1372円50銭にも上る詳細なメモには1904(明治37)年から1909年までの記録が残されている。
  • 金を貸していた親友の金田一京助は「啄木は、払える機会が来たら払おうとしたから、一々これを書き並べているのだと、私には、この一枚の借金表に泣けたのである」と感心している。
  • 冒頭のエッセーで井上さんは、晩年の啄木のすごさをこう記す。「どんな時代の人間も、人間であるかぎり、必ずぶつかるにちがいない実人生の苦しみのかずかずを、すべてはっきりと云い当てて列挙して行ってくれた人」

☆生活の不安 恐怖心に 作品に見る啄木

   わが抱く思想はすべて

   金なきに因するごとし

   秋の風吹く

  • 「一握の砂」に収められているこの歌が書かれたのは1910(明治43)年9月9日のこと。近藤さんはこの歌を「私が抱く日本の社会制度、経済制度、政治制度などに関するもろもろの見解は、すべて金のないことに原因するようだ。秋の風が吹いている」と解釈する。
  • 日記を読むと、この年12月には東京朝日新聞の賞与や稿料などで収入が165円65銭あった。啄木は一家5人の生活費だけではなく家族の病院や薬代、10月に生まれ24日後に亡くなった長男の出産や葬式代、滞納していた下宿代返済といった、収入を上回る支出があった。
  • この頃に宮崎郁雨に宛てた手紙には「生活の不安は僕には既に恐怖になった。若しかうしてゐて老人でも不意に死んだらどうして葬式を出そう、そんな事を考へて眠られない事すらある」と、金がないことからくる恐怖心を明かしている。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-05-11 岩手日報

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

◉ 「本家 啄木の息」のトップページ ……………… アーカイブです。(文字化けする場合あり)


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