啄木の息 <ブログ版>

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

     「本家 啄木の息」のリンクは、このページの最下段にあります。

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2016-05-31

[] <年ごとに肺病やみの殖えてゆく……> 石川啄木

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[サクランボ]


結核 有明抄>佐賀新聞

  • <年ごとに肺病やみの殖(ふ)えてゆく 村に迎へし 若き医者かな>。明治45年、結核により26歳で命を失った石川啄木(たくぼく)の歌である。
  • 明治後半から大正、昭和初期の日本で結核が猛威を振るい、死亡率首位が長く続いた。田舎から駆り出された女工たちは貧しい食事と過酷な労働の末、肺病に倒れ故郷の実家に戻り、感染を引き起こして近隣を巻き込んでいくのである。冒頭の歌には近代化、産業化の過程の中で、結核が地方へ蔓延(まんえん)していくさまが詠み込まれている。(福田眞人著『結核という文化』)
  • ここ日本でも毎年2万人が罹患(りかん)し、2千人以上が亡くなっている。せきやたんが2週間以上続いたら結核を疑う必要があるそうだ。消え去った病気ではない。
  • 啄木の妻や母も結核で命を落とし、2人の子どもも後に同じ病で夭折(ようせつ)している。すさまじい感染の連鎖を見るとき、この病気を侮ることの恐ろしさが浮かび上がってくるようである。(章)

(2016-05-30 佐賀新聞

記事

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[] 結核の連鎖

編集日記 福島民友新聞 5月31日付

  • 明治期の俳人、正岡子規は「血を吐きながら鳴く」といわれるホトトギスの異称「子規」を雅号に採用し、結核により喀血(かっけつ)を繰り返す自身に重ねた。
  • 子規のほかにも石川啄木堀辰雄ら結核を患った作家が明治から昭和初期にかけ、闘病体験を作品に投影している。
  • 結核は初期症状が風邪と似ているため医療機関の受診が遅れてしまいがちだ。無理せず早めに受診することが重症化と、身近な人たちへの感染を防ぐ。一人一人の心掛けで結核の連鎖を断ち切りたい。

(2016-05-31 福島民友新聞

記事

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2016-05-29

[] 啄木父子歌碑のピカピカ写真 高知駅前

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[風雨にさらされた歌碑]

高知駅前の「啄木の父 石川一禎終焉の地」歌碑。

周囲に草が生え、石の汚れも目立つ。




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[草取りをしてタワシで磨かれた歌碑]

文字が読みやすくなり、ここを訪れる方や、「国際啄木学会高知セミナー」(6月18、19日)参加の方をきれいな歌碑でお迎えできる。



【父 一禎の歌】

   寒むけれと衣かるへき方もなし

   かゝり小舟に旅ねせし夜は

          一禎

【啄木の歌】

   よく怒る人にてありしわが父の

   日ごろ怒らず

   怒れと思ふ

          啄木


◎撮影:岡林一彦氏・国際啄木学会高知セミナー実行委員会委員長

 

2016-05-28

[][] 啄木は言葉の天才 “キーン・マジック”

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[雨上がり]


文藝春秋WEB 

文藝春秋>鼎談書評

“キーン・マジック”で描く天才歌人の生涯

 石川啄木』 (ドナルド・キーン 著/角地幸男 訳)


  • 阿刀田高(作家) ドナルド・キーンさんのような世界に影響力のある日本文学者が、おそらく日本で最も人気のある歌人・石川啄木の生涯を紹介することは、我々にとって大いなる喜びではないでしょうか。啄木の短歌は、文語的表現で書かれながら、内容は極めて現代的。人生の1秒一瞬を、一つの心理で捉えることができるという点で、啄木は生まれながらにして言葉の天才でした。1人の天才が、大変に強い自我を持って生きたことが本書からはよく分かります。
  • 片山杜秀(政治学者・慶応義塾大教授) 確かに天才ですね。〈ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく〉なんて情念と写生とアクションの三位一体です。天才的に“変な短歌”であり、戦後の鬼才、寺山修司の短歌も啄木を超えていないように思えます。
  • 山内昌之(歴史学者・明治大学特任教授) 啄木を構成する大きなファクターは「北海道」。この本でも北海道での生活は事細かに描かれます。札幌は〈秋風の郷なり、しめやかなる恋の多くありさうなる都〉。啄木は自分が歩いた街を本当に良く見ている。その観察眼には地元人としても感心させられますね。

  • 阿刀田 キーンさんは本書の最後をこう結んでいます。〈地下鉄の中でゲームの数々にふける退屈で無意味な行為は、いつしか偉大な音楽の豊かさや啄木の詩歌の人間性へと人々を駆り立てるようになるだろう〉。貧乏しながら惨憺たる生活を送り、周囲に迷惑をかけながら生きた歌人の人生を通じ、日本語の深さや素晴らしさを改めて省みよう。そう思わせる1冊ですね。

(2016-05-27 文藝春秋WEB)

記事

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2016-05-27

[] 高知駅前 啄木と父の歌碑磨く

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[ザクロ]


啄木父子歌碑 ピカピカ

  • 歌人・石川啄木の研究者やファンが集う「国際啄木学会高知セミナー」が来月、高知市内で開かれるのを前に26日、同セミナーの実行委メンバーら約10人が、JR高知駅前の「啄木父子歌碑」を磨いた。
  • 歌碑は、啄木の父・一禎(いってい)が晩年、次女の夫の転勤に伴い、高知駅南東にあった官舎で過ごした縁で、駅前にファンらが2009年に設置。
  • メンバーらは雨の中、歌碑周辺の草を刈り、たわしで歌碑を磨いて「きれいになったな」と声を掛け合った。岡林一彦実行委員長は「セミナー参加者には、歌碑建立の寄付をした方もいるので、きれいにして迎えたい」と話していた。
  • セミナーは6月18、19日に県立文学館(高知市丸ノ内)などであり、研究者による研究発表や、シンポジウムなどが予定されている。

(2016-05-27 読売新聞、高知新聞)

読売新聞

高知新聞

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[][] 石川啄木/幻の映画上映 相模原で生誕130年を記念 6/16

  • 歌集「一握の砂」「悲しき玩具」で知られる石川啄木(1886〜1912)の新東宝映画「若き日の啄木 雲は天才である」が、6月16日午後1時半から相模原市南区相模原の同市立南市民ホールで上映される。
  • 啄木生誕130年を記念して同市芸術文化連盟が主催する。同連盟事務局長で相模原市民短歌会員の山田真也さんが、盛岡市石川啄木記念館から映画のDVDを借り受けた。
  • 映画は1954(昭和29)年に製作された101分のモノクロで、26歳で生涯を終えた啄木が文学を志して上京したものの貧乏にあえぎ、北海道へ流浪の旅に出る愛と貧困の物語。主演は岡田英次、若山セツ子。左幸子細川俊夫丹波哲郎山形勲らが出演した。
  • 啄木が少年期に暮らした玉山村渋民(盛岡市)の有志が、61年に映画会社からフィルムを入手。同村の数カ所で上映された後に行方が分からなくなった。89年に同村中央公民館の物置で、3巻のリールに巻かれた16ミリフィルムが見つかり、傷みを修復してDVDにした。
  • 上映後には、山田真也さんが映画解説を踏まえて、「なぜ啄木の歌は人気があるのか」と題した講演も行われる。
  • 鑑賞料700円。希望者は往復はがきに住所、氏名、鑑賞人数を明記して、「〒252−0317 相模原市南区御園2の136 山田真也」宛てに申し込む。6月6日締め切り。問い合わせは山田さん(090・4709・5585)。

(2016-05-26 毎日新聞>神奈川県)(2016-05-26 タウンニュース)

記事

神奈川県さがみはら南区版 タウンニュース

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[] 「「遠くのあなたへ」 ふるさとのなまりなつかし……

「キザ」と言われて

  • 記者1年目も終わりに近くなった40数年前。日曜日に社会部に出勤すると、デスクに「出稼ぎ者の大会の取材に行け」と命令された。当時は出稼ぎが社会的な問題になっていた。社会党本部だった社会労働会館の会場に行くと、1000人近く労働者が集まっていて、すごい熱気だった。ロビーで参加者の何人かに聞くと、出稼ぎ労働の厳しさ、家族を残した寂しさなどを、それぞれが強烈なお国言葉で話してくれた。
  • その時ふっと、ある短歌が頭に浮かんだ。石川啄木の「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」。社に戻って、デスクに「原稿に短歌を入れたいんですが」と言うと、あっさり「いいけど、表記に間違いがないように、調査部に行ってよく確認しろ」と指示された。
  • 何日かたって、その記事がちょっとした騒ぎになったと聞いた。刷り上がりを読んだ部員たちが「誰が書いたんだ」と、農水省担当の先輩記者に問い合わせるなど“犯人探し”をしたという。部員たちからは「こういう記事はキザだ」という言葉が出たとも耳にした。……(「47NEWS」編集部 小池 新)

(2016-05-25 47NEWS>日めくり>05月25日の日めくり)

47NEWS 

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2016-05-26

[][] 啄木の母カツを演じた渡辺えりさんが講演 6/4

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[メギ]


来月4日「啄木祭」 盛岡・渡辺えりさん講演

  • 今年生誕130年の石川啄木をしのぶ「啄木祭」は6月4日午後1時半から、盛岡市渋民の姫神ホールで開かれる。劇作家、演出家、女優の渡辺えりさんが「わたしと啄木・賢治・光太郎」と題して講演。渡辺さんと石川啄木記念館の森義真館長が「啄木の母」をテーマに対談する。
  • 渡辺さんは山形県出身。「劇団3◯◯(さんじゅうまる)」を主宰している。シスカンパニー公演「泣き虫なまいき石川啄木」では、啄木の母カツを演じた。森館長は「啄木は、誰でもが抱いている気持ちをうまく表現して短歌にした。盛岡が生んだ国民的詩人の作品に触れ、親しんでほしい」と期待する。

(2016-05-25 岩手日報

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[] 「芹沢光治良と岩手」紹介 野乃宮さん講話

国際啄木学会盛岡支部総会

  • 国際啄木学会盛岡支部の第221回例会は21日、盛岡市のアイーナで開かれ、近代文学研究家の野乃宮紀子さんが「芹沢光治良―人と文学」と題して話題提供した。生誕120年の芹沢の人生や作品の魅力を紹介した。エッセーの中に啄木の歌が引用されているという。
  • 例会では、盛岡大文学部助教の塩谷昌弘さんも「節子の表象をめぐって」と題して話題提供した。

(2016-05-24 岩手日報

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2016-05-25

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(㉑ 東京(下))

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[オリーブ]


「啄木 賢治の肖像」

 ㉑ 東京(下)

  孤独、望郷の念 歌に

  • 「夜、例の如く東京病が起つた。(中略)東京に行きたい、無暗に東京に行きたい。怎せ貧乏するにも北海道まで来て貧乏してるよりは東京で貧乏した方がよい。東京だ、東京だ、東京に限ると滅茶苦茶に考へる」。啄木は北海道で日記にこうつづる。自ら「病」と例えるほど、上京を切望する気持ちは抑え難かった。
  • 1908(明治41)年4月、家族を北海道・函館に残して22歳で上京。森鴎外をはじめ伊藤左千夫、長塚節、真山青果ら、当時の小説家が作品の舞台の多くに選んでいたのが東京。啄木も、中央文壇で小説を書くことにこだわった。
  • 本郷区菊坂町(現文京区本郷)にある下宿、赤心館に金田一京助と同宿し、上京1カ月あまりで「病院の窓」「菊池君」など6作品を仕上げ、売り込みに奔走するも失敗。そうした挫折を短歌を作ることで紛らわし、3日間でおよそ250首をつくったこともあった。
  • 啄木は金銭的に困窮した。甲南大の文学部教授の木股知史さんは「純文学の小説家が文学だけで食べていけるようになるのは1919(大正8)年ごろと言われている。啄木が文学だけで身を立てようとしたのは無理があった」と分析する。
  • 啄木は1909(明治42)年3月から東京朝日新聞で校正係として働き始め、6月には妻子と母が上京。本郷弓町の理髪店「喜之床」2階で暮らしはじめる。1910年、第一歌集「一握の砂」を刊行。収められている望郷や都市での孤独を詠んだ歌の数々は、多くの共感を集め読み継がれる。木股さんは「この時代、夢を持って東京に行った青年たちが大勢いた。啄木の文学は、作品に共感するそうした無名の青年たちの存在に気付かせ、照らし出している」と強調する。
  • 晩年には病のため出社できず、病魔は家族にも及ぶ。1911年、小石川区久堅町(現文京区小石川)へと転居。1912年(明治45)年2月20日を最後に、日記の記述も途絶える。母が亡くなった約1カ月後の4月13日、26歳で人生の幕を閉じた。
  • 啄木が苦悩の日々の中から生み出した作品の数々は時代や国境を越えて今なお、私たちの心を打つ。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-05-25 岩手日報

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[][] 啄木父子歌碑のもとにおいでませんか -高知- 5/26

◯声ひろば 高知新聞

 啄木父子歌碑磨き洗い 【岡林一彦 高知市種崎】

  • 平成21年9月、全国の石川啄木ファンから寄せられた募金により、JR高知駅南側のひろばに啄木父子歌碑が建立されました。啄木の父一禎は次女とらの夫、山本千三郎が高知駅長であったため、2年余り晩年をこの地で過ごし亡くなった、ゆかりの地です。この歌碑により高知県民のみならず、県外観光客にも啄木と高知のつながりが広く知られるようになってきました。
  • そうしたなかで、「国際啄木学会高知セミナー」が6月18、19日に高知市で開催されます。県外からも国際啄木学会のみなさんが50人近くおいでになります。
  • 歌碑は自然石に文字を彫り込んだもので、雨風にさらされて汚れます。今回のセミナー開催にあわせて、歌碑の磨き洗いや周辺の清掃をして、参加者をお迎えしたいと計画しました。ぜひこの機会に歌碑も身近に感じてもらえたらと、参加の呼びかけをさせていただきました。
  • 5月26日(木)午前10時からで、雨天決行です。お気軽に、タワシ等をお持ちの上、歌碑のもとにおいでませんか。

(2016-05-25 高知新聞)

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2016-05-24

[][] 「あまちゃん」出演の渡辺えりさんの講演も 「啄木祭2016」6/4

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[オリーブ]


盛岡渋民で「啄木祭2016」開催へ 今年は啄木生誕130周年

  • 盛岡市渋民文化会館「姫神ホール」で6月4日、「啄木祭2016〜母を背負ひて〜」が開催される。啄木生誕130周年を迎える今年は、ドラマ「あまちゃん」にも出演した女優の渡辺えりさんを講師に迎え、「わたしと啄木・賢治・光太郎」という演題で講演を行う。渡辺さんは舞台で啄木の母カツを演じたこともあり、「啄木の母」というテーマで、石川啄木記念館の館長、森義真さんと対談も行う。
  • 森さんは「渡辺さんは東北出身で、岩手にもゆかりのある方。女優の目線からどのように『啄木の母』を捉えたのか、そういった話を聞くのがとても楽しみ。この機会をきっかけに、たくさんの人に啄木についてあらためて知ってもらえればうれしい」と話す。また「郷土の先人として啄木を知っている人は多いが、作品について知っている人はまだ少ない。啄木の歌は誰もが心に持っている気持ちを表現しているので共感しやすい部分もある。このイベントを通して啄木についての見方を変えてほしい」と呼び掛ける。

(2016-05-24 盛岡経済新聞)

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2016-05-23

[][] 高知市・初! 啄木公開セミナー 6/18

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[クスノキ]


啄木 研究セミナー 参加者を募集 6月18日

  • 「一握の砂」などで知られる岩手県出身の歌人、石川啄木の研究などを目的に活動する国際啄木学会は6月18日、高知市丸ノ内の県立文学館で公開セミナーを開く。同学会は参加者を募集している。
  • 啄木の父で歌人でもあった一禎(いってい)は高知市で生涯を終えており、2009年にJR高知駅南側に父子の歌碑が建立されるなどの縁があることからセミナーを初開催することになった。
  • 午後2時、開会式。高知ペンクラブ高橋正会長の講演「石川啄木と高知のえにし」、近藤典彦群馬大元教授や田口道昭立命館大教授らによるシンポジウム「啄木と大逆事件幸徳秋水」などを予定している。
  • 参加費は500円。
  • 申込、問い合わせは、電話:088・847・2330 (岡林一彦セミナー実行委員長)へ。

(2016-05-22 高知新聞)

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2016-05-21

[][] 原敬石川啄木、新聞記者としての活躍も紹介 6/3~7/24

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[フキ]


◎岩手県立図書館

企画展「岩手の新聞人たち」

岩手県で初めての新聞「巖手新聞誌」の発行から140周年を迎えるのに合わせ、日本と岩手の新聞の歴史を所蔵資料でたどります。併せて、原敬石川啄木など、新聞記者としても活躍した岩手の先人たちを紹介します。

  • 開催期間 平成28年6月3日(金)〜7月24日(日)
  • 会場 アイーナ(いわて県民情報交流センター)4階 岩手県立図書館 企画展示コーナー

  • 岩手県立図書館

岩手県立図書館

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2016-05-20

[] 現代人は石川啄木を読むといい  キーンさん

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[タラノメ]


ドナルド・キーンさん「啄木は私たち現代人と似ている」

  • 現代人は、石川啄木を読むといい。日本文学研究者のドナルド・キーンさんはそう話す。「啄木は、私たち現代人と似ているのです」。
  • 「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる」。歌集『一握(いちあく)の砂』が有名だが、「啄木の最高傑作は日記だ」とキーンさんは言う。特に「傑作」とみなすのは、啄木がつづった、いわゆる「ローマ字日記」。
  • 「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ」。啄木はローマ字でそう記し、買春を繰り返す日々を赤裸々につづっていく。

(2016-05-20 朝日新聞)

記事

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2016-05-19

[] 実物の啄木&節子のツーショット写真 石川啄木記念館

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[カエデ]


啄木の妻 節子の生涯解説…盛岡・啄木記念館

  • 石川啄木(1886〜1912年)の生誕130年を記念した企画展「啄木の妻 節子」が、盛岡市渋民の石川啄木記念館で開かれている。啄木の妻・節子は啄木と同じ年生まれ。当時としては珍しい恋愛結婚だった。生涯にわたり啄木の才能を強く信じた。
  • 企画展では、節子の生涯をパネルで解説。啄木と節子のツーショット写真の実物や、節子が知人に借金返済の延期を求める直筆の手紙などを展示している。同館の中村晶子学芸員は「啄木の才能を若い頃から見いだし、支え、そして亡くなった。啄木が焼くように言い残した日記を守るなど、啄木が世に見いだされるために節子が担った役割を見てほしい」と話している。

(2016-05-19 読売新聞)


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2016-05-18

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑳ 東京(上))

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[サクランボ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑳ 東京(上)

  「文学で成功」に挫折

  • 啄木は、3度にわたり東京で暮らした。
  • 1度目は「明星」に歌が掲載された後の1902(明治35)年10月。16歳で盛岡中学校(現盛岡一高)を中退し、文学で身を立てるべく上京する。甲南大学(神戸市)文学部教授の木股知史(きまたさとし)さんは「日露戦争の前、富国強兵策により東京には軍需工場などが建ち、人口が一極集中していた」、「啄木は、実業界で成功するがごとく、東京に出て文学で成功しようと考えていた」と背景を解説する。しかし、11月下旬からの日記には体調不良を思わせる言葉が目立ち、翌年2月、迎えに来た父一禎とともに渋民村へと帰る。
  • 恋人で後の妻となる節子や鉄幹に励まされ病と心の傷が癒えた啄木は1903年5月、「岩手日報に評論「ワグネルの思想」を連載。また、最初の詩稿ノート「EBB AND FLOW」を作成し、さまざまな雑誌に詩を発表するようになる。
  • 2度目は、1905年10月、詩集を出版して節子との結婚費用を捻出するために再び東京へ赴く。翌年5月、第一歌集「あこがれ」が発行された。しかしほとんど売れなかったという。啄木は盛岡へと帰り、1906年4月からは母校、渋民尋常高等小学校(現渋民小)代用教員となる。
  • 3度目の上京は1908年4月のこととなる。

☆不自然な欲望見抜く 作品に見る啄木

   考へれば、

   ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。

   煙管をみがく。

  • 「悲しき玩具」に収められたこの歌の初出は1911(明治44)年の「早稲田文学」。「本当にほしいと欲求するものは、あるようでいてない」と、煙管を磨きながら考える様子を表現している。
  • 木股さんは「この歌は平易ながら、思想はとても深い」と鑑賞する。
  • 啄木が上京した明治中期から大正中期までの約30年間は、山手線内側の人口は約300万人で「経済テイクオフ」とも言われる。そうした時代の中、啄木は都市の人々の欲望を見つめる。
  • 「商品として販売されているものには消費の欲望をかき立てられる。しかし、それが本当にほしいものかというと、どうもそうではないような気がする。生活に備わっている理性のようなもので、市場社会によってつくられた欲望の不自然さを見抜いている」と、啄木の視点の鋭さを読み取る。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-05-18 岩手日報

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2016-05-14

[][] 啄木最大の理解者・節子の生涯と功績に光を当てて ~9/4

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[ドウダンツツジ]


啄木の妻節子の生涯たどる 盛岡で企画展

  • 石川啄木記念館(森義真館長)の第5回企画展「啄木の妻節子」は9月4日まで、盛岡市渋民の同館で開かれている。啄木と同じ1886(明治19)年に生まれた節子も、今年生誕130年。啄木最大の理解者であった節子の波瀾(はらん)万丈の生涯と、その功績に光を当てている。
  • 13歳ごろからの恋を実らせ1905(明治38)年、啄木と結婚するが、結婚式に啄木は現れなかった。2人の結婚を反対する友人に宛て節子は「吾れはあく迄愛の永遠性なると言ふ事を信じ度候」と手紙を書いている。
  • 会場には節子が盛岡女学校(現盛岡白百合学園高)時代に友人と撮影した写真や啄木との写真、履歴書、啄木が亡くなったことを友人に知らせる手紙、節子が亡くなったことを報じた新聞記事など51点を展示。幼少期から女学校時代、結婚してから貧苦、病苦にも耐えた人生を紹介している。

  • 関連行事
    • ギャラリートーク(同館展示室で午後2時から)5/29、6/26,7/31,8/28。
    • 講演会「啄木の妻節子〜貧苦に耐えて」5/28 (午後2時・渋民公民館)

(2016-05-13 岩手日報

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2016-05-13

[][] 切り絵「石川啄木の世界」 群馬 ~5/30

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[シロヤマブキ]


石川啄木生誕130年記念し生涯表現 切り絵百景館 /群馬

  • 群馬県川場村谷地の日本切り絵百景館で「生誕130年記念 石川啄木祭」が開かれている。館長の後藤伸行さんが、30年前に生誕100年を記念して5年かけて啄木の短歌からイメージした栄光と流転の生涯を表現した作品50点が展示されている。30日まで。
  • 後藤館長は「私が表現した作品を見た人がどう感じるか楽しみです」と話している。【米川康】

(2016-05-13 毎日新聞)


  • 「日本切り絵百景館」

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2016-05-12

[] 「「渋民といふ文字…」啄木祭全国俳句大会 受賞句

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[モチノキ]


啄木祭 盛岡で俳句大会

  • 石川啄木生誕130年・盛岡市玉山村合併10周年・第58回啄木祭全国俳句大会は8日、渋民公民館で開かれた。約90人が参加し、投句。古志・草笛同人川村杳平さんが「俳句の楽しさと苦しさ―私の俳句時評―」と題して記念講演した。
    • 「渋民といふ文字にさへ春愁ふ」啄木祭賞 沼田和子
    • 「色あせた切手舐めたる啄木忌」啄木祭賞高校生の部 岩瀬花恵

(2016-05-10 岩手日報

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[] 「啄木の丘」感慨一層 岩山公園30周年で記念式典

  • 盛岡市新庄の岩山の中腹に盛岡観光協会(現盛岡観光コンベンション協会)が中心となって石川啄木の銅像の周囲一帯に設けた「啄木望郷の丘」の30周年記念式典は8日、岩山公園展望台で行われた。市内外から出席した約150人が岩手山や姫神山、啄木が愛した盛岡の街並みを眺め、郷土の歌人に思いをはせた。
  • 丘は1982年、市民からの寄付を募って建てた啄木の銅像とともに開設。周辺には歌碑などもある。啄木の生誕130周年に合わせ式典を行った。

(2016-05-09 岩手日報


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2016-05-11

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑲ お金)

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[ヤマツツジ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑲ お金

  多額借金 メモに詳細

  • 「嘘つき、甘ちゃん、借金王、生活破綻者、・・・泣き虫、生意気、ほとんど詐欺師、・・。石川啄木という人物は、じつにさまざまな不名誉きわまりない異名の持主です」。作家・劇作家の故井上ひさしさんは啄木について、エッセーでこう表現している。
  • 国際啄木学会名誉会員で元会長の近藤典彦さんは「啄木は父一禎から、金を持つと後先構わずに使うといった金銭感覚をはじめ、生業(会社勤め)の軽視、家族扶養義務の軽視、人間観、責任と直視の回避、といった影響を受けた」とみる。借金を正当化するために「自分こそは子どものように清らかな心を失わずに生きていく、という『小児の心』に、『天才主義』を取り込み、多額の借金や踏み倒しを実行した」。その結果、啄木は「金にだらしのない男」と称されることとなる。
  • 一方で近藤さんは「全借金を返済することも、真面目に考えていた」と、啄木が残したいわゆる「借金メモ」の存在を挙げる。63人分、総額1372円50銭にも上る詳細なメモには1904(明治37)年から1909年までの記録が残されている。
  • 金を貸していた親友の金田一京助は「啄木は、払える機会が来たら払おうとしたから、一々これを書き並べているのだと、私には、この一枚の借金表に泣けたのである」と感心している。
  • 冒頭のエッセーで井上さんは、晩年の啄木のすごさをこう記す。「どんな時代の人間も、人間であるかぎり、必ずぶつかるにちがいない実人生の苦しみのかずかずを、すべてはっきりと云い当てて列挙して行ってくれた人」

☆生活の不安 恐怖心に 作品に見る啄木

   わが抱く思想はすべて

   金なきに因するごとし

   秋の風吹く

  • 「一握の砂」に収められているこの歌が書かれたのは1910(明治43)年9月9日のこと。近藤さんはこの歌を「私が抱く日本の社会制度、経済制度、政治制度などに関するもろもろの見解は、すべて金のないことに原因するようだ。秋の風が吹いている」と解釈する。
  • 日記を読むと、この年12月には東京朝日新聞の賞与や稿料などで収入が165円65銭あった。啄木は一家5人の生活費だけではなく家族の病院や薬代、10月に生まれ24日後に亡くなった長男の出産や葬式代、滞納していた下宿代返済といった、収入を上回る支出があった。
  • この頃に宮崎郁雨に宛てた手紙には「生活の不安は僕には既に恐怖になった。若しかうしてゐて老人でも不意に死んだらどうして葬式を出そう、そんな事を考へて眠られない事すらある」と、金がないことからくる恐怖心を明かしている。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-05-11 岩手日報

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2016-05-10

[][] 二つの渋民 儒学者・芦東山と歌人・石川啄木 ~6/12

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[レンゲツツジ]


“渋民”に優れた先人 東山、啄木を対比 大東・記念館 特別展

  • 一関市大東町渋民の芦東山(あしとうざん)記念館は、春季特別展「南の渋民北の渋民−二つの渋民と先人教育−」を開催している。県内で同じ地名を持つ事にちなみ、刑法思想の先駆者・芦東山と夭逝した歌人・石川啄木の資料を展示している。6月12日まで。
  • 盛岡市の渋民小学校の時報に使われた鐘や、啄木が代用教員を務めた渋民尋常高等小学校に提出した履歴書(レプリカ)などの貴重な資料が並ぶ。
  • 2人はどちらも教える仕事をしていたり、東山が幽閉されていた年月が啄木の生涯と近かったり、比べて初めて分かることもある」と来場を呼び掛けている。

(2016-05-10 岩手日日新聞)

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◎芦東山記念館関連イベント

 〇講演会「北の渋民-石川啄木についての小学校・記念館での取り組み-」

  • 日時 6月12日(日曜日) 13時30分〜15時00分
  • 内容  石川啄木について小学校や記念館でどのような先人教育をしているのかお話しいただきます。
  • 講師 石川啄木記念館 学芸員 佐々木裕貴子氏 中村晶子氏

 芦東山記念館

  岩手県一関市大東町渋民字伊勢堂71-17

  電話番号:0191-75-3861

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2016-05-06

[][] 啄木の妻・節子も生誕130年 啄木との出会いから終焉まで 5/28

石川啄木記念館

 企画展関連館長講演会

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[] 高校球児不思議な掛け声「空に吸われし……」

きょうのコラム『時鐘』 北國新聞

  • 以前に高校球児の練習を取材して、不思議な掛け声を教わった。ランニング中に、1人が「空に吸われし」と声を掛け、全員が「十五の心」と声を合わせる。野球部伝統の掛け声かと尋ねたら、「啄木の歌です」。「不来方のお城の草に寝ころびて」と歌い出し、掛け声の「空に吸われし15の心」と続く。「不来方の城」は、石川啄木ゆかりの盛岡の城。珍しい掛け声は、文学好きの球児の発案か、それとも国語の教師に教わったか。
  • 啄木みたいに授業をサボり、草に寝転ぶには格好の季節である。サボらなくても、休日のひととき、クローバーの群れの中に寝そべれば、心が広々としてくる。いろんな思いが、吸われるように空に向かう。

(2016-05-05 北國新聞

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2016-05-04

[] 「啄木 賢治の肖像」岩手日報(⑱ 音楽)

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[アケビ]


「啄木 賢治の肖像」

 ⑱ 音楽

  ワーグナーに「共感」

  • 啄木の日記や評論には、グノー、ハイドンロッシーニヴェルディといった西洋の作曲家が登場する。中でも最も興味を示していたのがワーグナー。天才と呼ばれながらも長く世に受け入れられなかった彼の人生に、自身の境遇を投影していたのだろうか。17歳でワーグナーについて書かれた英書や、ワーグナーを日本に紹介した姉崎嘲風の書簡批評を参考に、評論「ワグネルの思想」を岩手日報に連載した。
  • また、初めて蓄音機でワーグナーの音楽を聴いたのは2年後の1905(明治38)年、仙台の土井晩翠を訪ねた時のことだった。「生命なき一ケの機械にすぎざれど、さすがにかの欧米の天に雷の如く響きわたりたる此等楽聖が深潭の胸をしぼりし天籟の遺韻をつたへて、耳まづしき我らにはこの一小機械子の声さへ、猶あたゝかき天苑の余光の如くにおぼえぬ」。随筆「閑天地」で、その時の感動を記している。
  • 啄木は、自身も楽器を演奏したり作詞した。1907(明治40)年の渋民尋常高等小学校代用教員時代、卒業生送別会の日の日記には自身がバイオリン、同僚の堀田秀子がオルガンを弾き、作詞した「別れ」の歌を高等科の女子生徒5人に合唱させたことが書かれている。
  • 啄木に引かれる音楽家も多い。東京フィルハーモニー交響楽団名誉指揮者で東京芸術大学名誉教授の大町陽一郎さんは、啄木の詩歌に子どものころから親しんだ。「私が一番好きな作曲家のシューベルトも啄木も自然をめで、それを歌っている。ロマンチックで孤独。二人の感性は共通している」と指摘する。

☆戦後歌謡曲にも影響 作品に見る啄木

   春まだ浅く月若き

   生命(いのち)の森の夜の香に

   あくがれ出でて我が魂(たま)の

   夢むともなく夢むれば……

  • 啄木が1906(明治39)年、渋民尋常小学校の代用教員時代に書いた小説「雲は天才である」の中で作詞した歌。この歌は「春まだ浅く」という題で渋民小の校歌として歌い継がれている。
  • また、戦後の現代歌謡曲には啄木との類似性が指摘されている作品も多い。国際啄木学会会長の池田功さんは、著書「石川啄木入門」で、石原裕次郎「錆びたナイフ」、橋幸夫「孤独のブルース」、谷村新司「昴」といった曲が、啄木の影響を受けていると指摘している。

(筆者 啄木編・阿部友衣子=学芸部)

(2016-05-04 岩手日報

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2016-05-03

[] 啄木をしのぶ短歌大会 盛岡  朝日新聞

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[アケビ]


岩手)石川啄木をしのぶ短歌大会

  • 生誕130年を迎えた石川啄木をしのぶ第32回啄木祭短歌大会が1日、盛岡市の渋民公民館であった。151首の応募作品から、優秀賞、選者賞が選ばれた。(敬称略)
    • 啄木祭賞=「しばらくは空にとどまり鳴く雲雀もの落つるごと畑に下り来」斉藤玲子(滝沢市
    • 盛岡市長賞=「米余る世に存へて今年また育苗ハウス一棟を増す」菊池トキ子(奥州市
    • 県歌人クラブ賞「千年の杉の林の重き影かさねて毘沙門堂の昏れゆく」鎌田昌子(花巻市
    • 朝日新聞社賞「一族のみ墓連なる山の辺の父の墓処をつひに移さず」三浦公朗(花巻市

(2016-05-02 朝日新聞>岩手)

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[] 第32回啄木祭短歌大会 渋民・玉山で 岩手日報

5月1日、啄木祭短歌大会が盛岡市玉山区の渋民文化会館で開かれた。望月善次岩手大名誉教授による記念講演「啄木短歌の凄さ」も行われた。

   八十の選択ひとつ惜しみつつくるまの免許まづは手放す (盛岡・上野和子)

  • 選者賞 

  赤澤篤司選

   紅葉なすわたらせ渓谷目にしつつ古き足尾の駅に降り立つ (北上・川辺邦子)

  菊澤研一選

   無家畜の農家となりて野を行きぬ左右に杖をもちかえながら (奥州・安部譲)

  佐藤怡當選 

   いっぱい哭きましたから

   もう大丈夫です

   家族を流された老母から

   梅一輪の

   絵手紙  (紫波・山田武秋)

(2016-05-03 岩手日報

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[] 展望台 岩手日報

  • 石川啄木に会う機会があったら、どんなことを聞きたいですか?」先日開かれた啄木忌前夜祭で、聴衆の一人が小学生から大学生までのパネリストに問うた。「夢を追い続けるにはどうしたらいいのか」「今の17歳についてどう思うか」などの回答が飛び出した。
  • 啄木の人生を振り返る企画を担当しているが、数々のターニングポイントで「もしも〇〇だったら」と考えずにはいられない。
  • 「歴史に『もしも』はない」というが、無数の運命の分かれ目の中で、啄木の道は一本しかなかった。26年の生涯を完全燃焼させたからこそ、死後100年以上たってもその作品や人生は私たちの胸を打つのだろう。
  • 優れたジャーナリストでもあった啄木に、私はこう聞いてみたい。「今の世の中を見てどう思いますか」と。(阿部友衣子)

(2016-04-30 岩手日報>展望台)

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[] 有意義な「夜のとしょかん」 岩手日報

  • 数年前に開館した紫波町図書館で、「夜のとしょかん」という催しがあった。「生誕130年 啄木と紫波の人々」というテーマで、石川啄木記念館長と地元出身の出版社代表取締役を迎えての講話であった。
  • 啄木の短歌は、旧制中学の教科書から現代に至るまで数多く採用されているという。
  • 会場は講師と参会者が一体となり、大変盛り上がった。書架を目の前にした読書ロビーでの開催はムードも上々であった。(紫波町 佐藤国雄)

(2016-04-28 岩手日報>声)

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[] 石川啄木を歌で伝える ソプラノ声楽家・田中美沙季さん /岩手

いわて人模様

  • 「ふるさとの 山に向かひて 言ふことなし−−」。故郷の偉人、石川啄木の短歌を、ピアノの曲に合わせ澄んだ声で優雅に歌う。高校を卒業後、東京の国立音楽大に進みオペラを勉強する日々、東日本大震災が発生。雫石町の実家の家族とは1週間後に連絡が取れたが、コンサートが中止になるなど周囲は自粛ムードに包まれた。
  • 2012年3月。震災後、初めて岩手で歌うことになった。地元の人がなじみやすいようにと、啄木が作詞した「初恋」を歌うと、大勢の人が喜んでくれた。それから、啄木を歌うようになった。2014年、祖父母の勧めで、盛岡市石川啄木記念館を訪れた。そこにいた来館者に「歌を聞いてみたい」とせがまれた。少し気恥ずかしかったが、アカペラで「初恋」を歌う。気付くと、涙を流して聞いてくれていた。
  • 今は啄木のレパートリーも40曲に増えた。啄木の「作品の奥底に必ず希望を感じる」という。歌集「一握の砂」に収められた「はたらけどーー」の歌も「この手があれば、まだ頑張れるって思ったかもしれない」と話す。「啄木は手を見た。私は歌の音色で心に何か届くものを伝え、岩手の文化、芸術に貢献したい」。今年は啄木生誕の130周年。秋には盛岡で記念コンサートを開く。【藤井朋子】

(2016-04-28 毎日新聞)

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・石川啄木 年譜 ………… 26年と53日の生
・ローマ字日記………… 漢字と仮名では書けないことをローマ字で
・啄木文学散歩………… 息づかいの聞こえる ゆかりある場所を訪ねて
・啄木行事レポート …… イベントに参加しての私的レポート
・啄木の 女性たち ……… 啄木の人生を彩った「忘れな草」たち
・啄木と花 ……………… 歌に登場する花や木の資料

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