いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-07-27

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「はなび編」で「世界一大きな四尺玉の打ち上げ花火。初めて上がった都道府県はどこかな?」と有り、東京都ではないかと思ったのですが、新聞を開いて答えを探したら答えを探したら答えは全く違っていました。答えは「新潟県」と有り、解説には「花火が盛んな小千谷市の片貝まつり1985年に打ち上げられたよ。作るのがとても難しく、ほかで見られるようになったのは2013年からなんだ。」
と分かりやすく解説されていました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「その夜代助は平岡と遂に愚図々々で分れた。会見の結果からいうと、何のために平岡を新聞社に訪ねたのか、自分にも分からなかった。」(中略)「代助は翌日になって、独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返した。二時間も一所に話しているうちに、自分が平岡に対して比較的真面目であったのは、三千代を弁護した時だけであった。」(中略)「もし思い切って、三千代を引き合いに出して、自分の考え通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もっと強い事がいえた。」(中略)「その代わり遣り損えば、三千代に迷惑がかかって来る。平岡と喧嘩になるかも知れない。(一方では、三千代の運命を、平岡に全然平岡に委ねて置けないほどの不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯していたといわなければならない。」と有りました。
 良く晴れた青空が広がっています。気分が良いですね。6時10分に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。同じマンションの19階に住むUさん御夫妻にお会いして挨拶を交わしておきました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

自宅に帰って3年ゼミ生の採点に取り掛かりました。

 9時3分の新習志野行きで移動を開始しました。幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの車中ではドミニック・ローホーさんの『屋根一つお茶一杯』(講談社)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「私はロンドンに行くと、必ずヴィクトリア&アルバートミュージアムを訪れます。ここにコルビュジエと同じく、近代三大巨匠のひとりアメリカの有名な建築家フランク・ロイド・ライト氏が設計したサロン・ベージュと呼ばれている部屋があるのです。今までにこの場所に何回足を運んだかわかりません。部屋は、壁や床だけでなく椅子の腰掛けの部分などまでが同じ材質、同じ色で統一されています。それはとても薄いモケット生地です。」と有りました。南越谷で下車で下車して東武スカイツリーライン9時24分の北越谷行きに乗り北越谷で下車して大学には9時40分に着き多文化準備室の助手のMさんに演劇論と文学の出席簿の最終版を受け取っておきました。自宅に帰って3年ゼミ生の採点に取り掛かりました。Iさんのレポートは「ピグマリオン」に見る二つの生き方と言う題で、バーナード・ショーの「ピグマリオン」を扱い、この作品はオープンエンドのようなものが感じられる。ショー自身、「ヒギンズとイザイラが結ばれることはない」と説明しているが、ミュージカルや映画では、ふたりが結ばれる「ハッピーエンド」幕を閉じる。「男女が結ばれる」というハッピーエンドもいいが、「男女それそれぞれの意志を大切にし、それぞれの道を歩んでゆくというのも、またハッピーエンドだと感じた。Sさんは「かぐや姫物語について」と言うタイトルで、かぐや姫は月という「異界」の住人である。聖地であり、理想郷である月は不老不死の世界であった。Nさんのレポートは「モードの女王ココ・シャネル」と言うものでシャネルは「仕事と恋に生きた女」と言われていますが、結婚だけはしませんでした。「シャネルは「翼を持たずに生れたのなら、翼を生やすために、どんな障害も乗り越えなさい」という名言を残しました。(写真はカミーユピサロの「立ち話」です。)