近刊:『マンガ論争勃発2』とぬるさ

 四月下旬にようやく出るとのこと。いいたい放題いったわけではないけど(年末の段階ではまだあまり知識が整ってない、まあ、いまもだけど)、校正を加えてそれに近い感じに。

 ほかの人たちがどんなことをいっているのか楽しみ。ただ正直、下のイベントの出場の面子とかみると、やはりインサイダー同士の語りでしかないような気がする。校正段階でも感じたけど、何かぬるい印象を持っている。批判の矛先がインサイダーに向かってふれてない印象を校正前のゲラを読んで抱いた。むしろ外部への批判ありきのイメージ。下のブログの文句にもあるけれど、「表現の自由」の問題も、不況の問題も、インサイダーたちが食ってるメシの由来(構造)にほとんど直結してないように思える。つまりいつも責任は外にある、という感覚だ。それを払拭して相対化することが、彼らの業界にはいま一番、「論争」を行う上で必要なんじゃないか、と僕は思うけれども。このメシの由来への無頓着は、アメコミ論戦のときから抱いていたもの。
 こう書くとネガティブに読めるだろうけれども数少ない機会を提供してくれたのは感謝。日々、身銭出してマンガ研究をすすめているかいが少しはあったかも。また似たような機会があればさらにいろいろ勉強して用意しておきたい。なるべく外部の人間として考える。

 表紙は前作よりも今回のほうがいいように思える。「ぬるさ」がただの田中の心配症なだけで中身が壮絶な打ち合いだったりしたらごめん。ともかく出るのが楽しみではある。みんなも買うようにw

http://ameblo.jp/mangaronsoh/day-20090417.htmlより

いつまで「表現の自由」というかけ声ですべてが解決すると思っているんだ!
大恐慌にあえぐ日本、「クールジャポン」の幻影に踊っている場合か!
去年までは、世を賑わせるインターネット規制児童ポルノ法改定問題を、
みんなで楽しく語り合っていたんだよね・・・。
ところがどっこい、コンテンツ産業のほうが先に滅びてしまいそうだ。
雑誌・マンガ本・ラノベ・ゲーム・DVD・グッズ、とにかく売れない喰えない暗い時代、
もう、まったりトークなんてやめた。今夜は、みんなで共同謀議!

マンガ論争勃発2

マンガ論争勃発2

世襲議員をどんな理由で規制するのか?

 新年度の講義の最初の週が終わり、やはり疲れた。テレビはほとんどみない生活習慣なんだけど、昨日の夜は、イチローのホームランがみたかったので、テレ朝の別なフ@イチロー氏がでている番組をボーっとみてしまった。なんでも政治とお金が選挙の論点になりそうなならなそうなそんな感じ。このブログでも何度も書いているけど民主党のいまの経済政策案をみても自民党でもできるものばかり(つまり財務省とか官僚のご提案でできるものばかり)。似たようなことフ@イチロー氏と一色氏も話していた。

 で、メインの話題は世襲議員への規制の話。僕は政治制度とか不勉強でよく知らないのだが、イギリスの小選挙区制が政党が自由に候補者の選挙区を割り振るので世襲議員がほとんどいないということだそうだ。日本でも類似のやり方で規制することの声があるらしい。

 ところでそもそも世襲候補者を規制するのはどんな観点から正当化されるのだろうか? 例えば、世襲が生産的な意味で効率的ではないとは必ずしもいえないだろう。ファミリー企業が効率的な資源配分を行えないかというと必ずしもそうではない(ファミリー企業がすべて効率的だといっているわけでもない)。

 他方で、効率性とは別の基準ーなんらかの社会的な平等性の観点からは、世代をまたいでの政治的資産の格差をもたらしてしまう、ということが指摘できるだろう。それがやがて社会的な価値観から否定的なもとのしてみなされ、社会不安の遠因になる、という見方も成立するだろう。いいかえるとかならずしも効率性を損なうとはいえないから、世襲議員を規制するのは、なんらかの社会的な価値判断にその理由を求めるしかないように思える。

 例えば世代重複の経済モデルで考えてみると(ブランシャール&フィッシャーの『現代マクロ経済学講義』参照)、世襲する政治家がその後継者の効用を考えて自らの現在の政治的な消費、政治的な貯蓄(コネ、地縁、名声などの蓄積)を行う利他的な人だとしよう。この政治家は自らの後継者たちの効用(政治的な満足)を現在時点ですべて割り引くことになる。と同時に、彼もまた先行する世代から世襲した政治的な遺産と彼自らの所得によって予算が制約されているものとする。あと世代にまたがる人口成長率は同一選挙区での後継者は一人なのでゼロと仮定しておく。また政治的消費は、ほぼこの政治家(たち)が提供する公衆への政治サービスと等値してもいいだろう。

 ブランシャールらの教科書では、このとき被世襲者を考慮している利他的な遺産動機が存在する場合で、実際にその政治家が後継者に政治的な遺産を残した場合には、(動学的に)効率的であることが示されている*1

 より直感的にいえば、自分の後継者のことを強く思う政治家で、なおかつ実際に世襲のための遺産(地縁、コネ。名声)を残した世襲政治家たちは、政治的な活動を(遺産の継承のないひとにくらべて)よりスムーズに行うことができる、ということを意味している。

 ところが同時に、遺産を残すことを法律で禁止したケースや、または遺産動機があっても実際には遺産を残さない場合では、資源配分が非効率的であることもブランシャールたちの教科書では示されている。これは、今回のケースに適用すると、前者は法律で世襲を禁じて当該選挙区からの立候補などを規制する場合を示している。

 また後継者はいつも一人(人口成長率はゼロ)なので、法律で禁止されたケース以外に、非効率性が発生することが起こるとはあまり考えられない(ここはもう少し考える*2)。

 これは(教科書は脇においてさらに自由に考えてみると)、政治資源のストックを世襲財産の継承という形でより蓄積することが、より高い政治サービス*3の提供を実現することになる、と一応考えられる。このとき世襲の規制はあまり好ましくない。

 もちろん現実とモデルは同じではない。例えば観察眼をこらせば、世襲議員の中でもだめな人は多いかもしれない。あるいは上にも書いたが、政治資源の効率性という観点だけではなく、社会的な平等という価値観からみて、世代をまたいで政治資源が特定の集団(政治家ファミリーなど)に継承されることが、政治格差を生み出し、やがて社会的な不安や不満につながる、という見方もできる。

 ただそのときでも政治的遺産の世襲そのものは、政治サービスの効率的な実現に役立つ面が意外と大きいということを忘れてしまうと、闇雲な世襲の禁止(完全に選挙区の制限をすること)はむしろ社会的なマイナスのほうが大きくなる可能性があるということである。

(付記というか雑感)実は僕も世襲を規制したいと思って税金を課すのはどうかなどと考えたが、考えるほどに上のような結果になってしまい苦笑した。たぶん僕も世襲についていはあまりに規範的すぎるんだろう 笑

マクロ経済学講義

マクロ経済学講義

  • 作者: O.J.ブランチャード,S.フィッシャー,Olivier Jean Blanchard,Staley Ficher,高田聖治
  • 出版社/メーカー: 多賀出版
  • 発売日: 1999/02
  • メディア: 単行本
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*1:定常状態での吟味などかなり分析は限定されているがここではまあそういうことは目をつぶる

*2:実はブランシャールたちの教科書のケースでは、遺産動機のあるなしにかかわらず、非効率的なケースが無視できないほど大きいことが示されているが、そのとき定常状態の利子率が人口成長率を上回る可能性がなさそうなことが示唆されている。しかしここでのケースでは人口成長率は仮定でゼロとなる

*3:さきほども書いたが政治的消費はまた政治的サービス=産出でもある