tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

ランス・アームストロングとウルリッヒ

2005年のツール・ド・フランスがとうとう終わっちゃいました。そしてランスは本当に引退してしまいました。まだなんだか信じられません。来年のポディウムにランスが居ない、ということが頭でしか理解できず。。。

(さいきんうちのFirefoxではGettyimagesの画像が一切見られないのですがどうしたんでしょう explorerなら見られるのに)
この場面ためだけにでも、ウルリッヒが表彰台3位をキープできてよかったと思います。
やっぱりこの二人は(結果の上では偏りがあるにせよ)好敵手でした。ランスはバッソとは良い友人みたいだけど、ウルリッヒとは本当に何年も同じ戦場で生活を共にしてきた、敵なのだけど根っこのところで深いつながりのある相手、という関係だったのかな、などとしみじみ。

いろいろなことが頭に浮かんできて、まだうまくまとまりません。。広い視野で総括する頭も感性もなく、瑣末なネタならいっぱい出る、、というのが哀しいtannenbaumであります。

Tモバイル帰国報告会-騒ぎすぎ

3位とっただけでこの奉りぶりはちょっとねえ。。自分を保つの大変だねえウルたん。あ、そうかチーム総合はとったのね。

*1:2003年ツールでは同室だったようだけど、映画Hollentourみると本当に口きいてないルームメートだった

「ザブリスキーはいませんねぇ」いるじゃん!

今昨日のパレードの録画を見直していたら、フォイクトが映るよりも前からずーっとリースの隣にクリーム色のシャツ着て映ってるよ。。(昨晩朦朧としていて私もきづかなかった)M嬢が今朝怒りながらメールしてきて初めて知ったよ。あまりにも普通っぽいから全く目に入っていなかった。

ラスムッセンの陥ったナーバス地獄

昨日放送の中で触れられていたかもしれないけど、私ほとんど寝ていたので(苦笑)、、。
7月25日付CNの記事
読んでうーん、となりました

平常心
って簡単にいうけどいざとなると難しい。

ツール第20ステージ、落車二回、メカトラブルもあって悲しい結果に終わってしまったラスムッセンは、昨日のパレード後、どうやって落胆に対処したかという問いに「スポーツディレクターたちと何がいけなかったか話し合った、レース後マスコミと話さなかったのは良い決断だった、自分のためによく働いてくれた人たちにひどい言葉を発するところだった」と答えたようです。

  • 山岳スペシャリストだったローラン・ジャラベールによると:
    • ラスムッセンは最初の落車後、後輪がおかしいという考えにだんだんと取り付かれてしまっていた、パンクしていないにかかわらず彼は止まってしまったに違いない、メカニックは悪くない、彼らは何故ラスムッセンが止まったのかわからなかった、それで新しいバイクをもって行った」
    • ラスムッセンは二台目のバイクに違和感を感じてもそれを忘れて全速力で走るべきだった、ステージの終盤にクラッシュしても普通は怪我の治療はあと回しにするはず。」
  • ラスムッセンはマニアックなまでにメカのセットアップにこだわるタイプだったのだがそのこだわりの犠牲になったと。
  • ちなみにラボバンクのスポーツディレクターによると、二番目の自転車には問題がなかったが、ラスムッセンは最初のバイクを戻すように叫んでいたという。。
  • ラスムッセンはそのステージのフィニッシュのあと一人でハイウェイを走って頭を整理した。。それで

In any case, there is no need to blame anybody but myself for what happened,"

と考えられるようになったとか。(すぐに自分をとりもどせてよかったねえ)

  • 但し、彼の水玉ジャージ姿とともに今回の記憶は彼自身と世間の記憶の中にしばらくは残るだろう。。


いやー、人生勉強になりますねこういう話。。ラスムッセンも最後のパレードでは明るい顔になっててよかったよかった。今度は強靭な精神力の選手になってまた沸かせてほしいね。