8月13日(月)

さて、送り盆です。
毎年恒例、墓場めぐりです。
今年は車を運転できるため、電車やバスのダイヤを気にしないで済むのでラクでした。
初日はid:monodoiさんと調査です。野田で合流。オクレテスミマセン・・・
お昼がてら打合せをし、関宿へ向かいました。
関宿台町昌福寺の墓地を見ましたが、「ガラガラ」はありません。
東方の茨城県境町はいかがだろう・・・と車で向かった矢先に見つけた桶屋さん。

ついつい突撃インタビューです。
樽屋さんと仕事場風景が似てました。

樽屋さんと似たような道具があっても使い方が違っていたり、全然違う道具があったりと、興味深かったです。
名刺持ってくればよかった・・・


堺町でも結局「ガラガラ」は見つからず、それよりも7月にお盆を済ましていた痕跡もありました。
ならば、柏のお寺で幽霊の掛け軸を展示しているらしい・・・と向かいましたが、着いた時にはすでに遅く。どうやらこの日の公開は終わっていたようです。
そのお寺のお墓を見ると、なぜかハニワが。

狛犬だのお地蔵さんだのがあるのは見たことがあるのですが、ハニワは初めてでした。

8月14日

前日に見つからなかった関宿谷町をしつこく調査。
とりあえず大字の墓を虱潰しです。
光岳寺の墓地の裏の田んぼに案山子がありました。

『勝手に改蔵』の坪内地丹似です。
http://storage.kanshin.com/free/.s.150x150/img_0/9714/2056069052.jpg
さて、ここの墓地にも「ガラガラ」はありませんでしたが、境内に田船がありました。

ちょうどお出かけするところのご住職がいたのでお尋ねしたところ、田をゆくためのものではなく*1、水害時にお堂から仏やらなにやらを避難させる為のものだそうです。


途中ハデ目な神社がありました。

さて、あちこち回りましたが結局「ガラガラ」はみつからず。
宋英寺のお墓にはタヌキがいました。

・・・なぜ?
どうやら関宿台町では「ガラガラ」を供えないらしい。
流山街道を南下して、途中の墓を見てみたのですが、旧関宿町内では「ガラガラ」をみませんでした。
どうやらここら辺ではお墓に米を撒くようです。

*1:野田の北部はかつて深田だったので、作業は船に乗って行っていたそうです

8月15日

この日は午前中は勤務でした・・・
午後お休みをもらって調査開始。
前日とは反対に、旧野田市内を南下してみました。
ら、ありました。

野田市木野崎本郷の観正寺跡の墓地です。

境内で番をしていた方々から、いろいろと教わりました。

名称は「コシカケ」、先祖が帰ってきたときに腰掛けて休むためのものであること、上に何も乗せないこと。
その他近隣の歴史や旧観正寺のこと、堂内のご本仏のこと、などなど。
「ガラガラ」こと「コシカケ」は、自分達で作るものらしく、かつては全ての家で供えていたものでしたが、現在は4〜5軒の家が作って供えているだけだ、とのことでした*1
ここでは二つ足タイプでした。

このタイプは千葉県成田市酒々井町で見ましたが、それ以外では初めてでした。
足なしタイプもありました。

3つ並ぶとなんだかかわいらしい。

お話を聞いていた方々のお一人に、供えられていた「コシカケ」をいただいてしまいました。

わざわざ地面から引っこ抜いて・・・いいのだろか・・・
その墓地がある丘の麓には、なぜだか履物が供えられている石仏がありました。



さて、調査が終わり、帰路につくと、あたりはすっかり暗くなっていました。
途中で寄ったコンビニのそばでお墓発見。

船橋市楠ヶ山町だったようです。

つくづく、自分には心霊写真を撮る才能がありません。

*1:「かつて」とはいえ2〜3年前までらしい